息子が大学を卒業した。小5からの「柔道漬け生活」が終わるとなると感慨深い。声を枯らした応援、全国行脚、道場の送迎、毎日の食育と大変だったが、私と家内には楽しかった思い出ばかりで、今となれば感謝しかない。
息子は高校・大学と柔道推薦で引っ張られ、一体どこまで成長するかと勝手に期待した時期もあるが、根本的にそれは間違っていた。
過度な期待は「失望と挫折」と表裏一体だ。彼も自分に期待した筈だが、全国の上位になる厳しさに加え、大学2年後半に腰痛がヘルニアに悪化してからは、戦績より「勇斗(はやと)らしさ」探しが共通の期待に変わっていった。
彼はその期待に応えたようだ。後輩からの慕われ様と、12年、泣き言いわずにやり遂げた継続力は、勇斗らしい魅力的な武器になった。
柔道こぼれ話。
先日、帝京Gの卒業式が「日本武道館」で開催。柔道部にとっての武道館は、地区の代表しか臨めない全国大会の場所だけに、今後は一観客にしかなれない寂しさはあったようだ。
一方、嘉納治五郎が興した柔道の総本山である「講道館」は、やはり柔道家の聖地である。ここには高校柔道の思い出が数々ある。
講道館は「道場」であり、登録の息子たちも練習するが、何より強豪校ひしめく東京都の高校柔道選抜戦が行われ全国出場を賭ける激戦の場。「東京を制する者は全国を制する」と言われ、当時は声を枯らして応援したものだ。
講道館のこぼれ話。講道館近くの食堂には何と「1㎏ハンバーグ」のメニューがあり、それを食らう息子たちに他店の大盛話を聞くと安田学園の両国の「ちゃんこ・飯食い放題」と「すき家キング盛り」には2度びっくり!
すき家の裏メニュー「キング牛丼」とは、並盛の6倍の肉に2.5倍の白飯で一杯1,230円、2,300kcalとコスパ最強のお化け丼だが、重量級の息子たちには強い味方であり、大判振る舞いの「すき家」さんには大感謝なのだ。笑
飾った世界に流されるな。
世間では今年の新入社員を「さとり世代」と呼ぶようだ。その最大の特徴は「欲がない」。夢や希望がなくても今が安定していれば満足で、恋愛に興味がない、旅行に行かない、無駄遣いしない、熱くならない現実派と言われる。
育った環境が不景気とはいえ「枯れた年寄り」と変わらない。一方、息子たちは夢と希望に燃え鍛錬を重ね、大学で坊主頭と不休の練習から解放された。こんな柔道小僧は悟るどころか欲望満載で、彼らがさとり世代とは到底思えない。
さて、息子は研修で発令の赴任地に引っ越すだろう。どこに行こうが赴任先の先輩に喰らい付き無我夢中で仕事を覚え、お客様の心に寄り添うのだ。柔道のように、まず仕事を好きになり、向いていると思うまで全力で取り組め。
そりゃ大変なことは当然。だが大変とは大きく変わるという意味だ。それでダメならやり直せ。長い人生、大した問題じゃあない。
息子よ、勇斗らしさを失うな。今どきの冷めた虚栄の「我」は捨て「無我」となり、己の目標・夢へ「夢の中」に入り込め。これが誰もが認める「無我夢中」の姿なのだ。
願いは「時代遅れ」の唄。不器用でもしらけずに純粋でも野暮でなく、飾った世界に流されず大切な人を思い続ける。こんな男がそのうち判る。
最後に、昔から貴方に唱え続けさせてきた合言葉を、未来の勇斗に贈る。
『執念ある者は 可能性から発想し 執念なき者は困難から発想する』
■安田柔道物語最終編「時代遅れ」掲載
http://tanabeshiho.blogspot.com/2020/03/blog-post_17.html?m=1