歳を重ねたら感性は鈍り頑固になり、自分の慣習に縛られ、流行や新しい価値を受け入れる気持ちが萎える。結局巷に情報が溢れても、年代や嗜好が違うと関係ないと決め勝手にブロックする。
生きる喜びは「明日に好奇心をもつ」ことだと思うが、新しい事を求め、感激・感動を求める貪欲さはいつまでも失いたくないものだ。
私自身、最近になってライブの矢沢永吉に痺れ、元宝塚の姿月あさとも家族で大ファンだが、もっと早くに知っておけばと、損した気分だ。
私自身、心に柔軟性がなく食わず嫌いばかり。もっと未知の世界に貧欲になれ。そう「年寄りの冷や水」大いに結構だ。
人生は感動の数で決まる。
最近「ドレイクミリガン/DRAKE MILLIGAN」というシンガーに「どハマり」した。偶然YouTubeのAGTオーディションで発見。Over Night Succsessの言葉通り、自作のカントリーソングで会場中を虜にして、一夜にしてスターになった男だ。
E.プレスリー調の甘いマスクとミックスボイスの低音の魅力に加え、テキサスっ子の彼の曲作りがノリノリのカントリーから、ゆったりしたウエスタンイングと幅広いのだ。彼の歌声は私の通勤を心地よい時間に変えてくれた。
そう思うと最近のハマる原因は友人かSNSからで、従来の生活やメディアの情報ではない。さしずめ今のTV番組は魅力がなく芸人の井戸端会議と安価な懐古企画に新たな価値はない。
先日ツイッターで、居酒屋の張り紙で見つけた名言集に「俺はキムタクにはなれないが、キムタクも俺にはなれない」という張り紙に感心。得意げに家族に話すと「それ10年前にバズった」と返された。何と知らぬは私だけだった。💦
当時はキムタクと「みのもんた」版もあったようだが、要は古い・新しいよりインパクトある事に常にアンテナを張る事だと思い直した。
感性を磨き、関心を寄せ「感心」する。激しく感心したら「感激」となり、その感激を自らの行動に移して初めて「感動」と呼ぶのだ。
だから感動は重い。何かに無我夢中、本を読む、好きな所に行く、大切な人に会う…。何気ない「感動の数が人生を決める」と言われる所以だ。
さて、今の私の感動はドレイクミリガン「Sounds Like Something I’d Do」を携帯の目覚まし曲にセットし毎朝楽しく起きることである。
「感動の数が多いほど人生は豊かになる」とは、やはり瀬戸内寂聴はいい事言うわなぁ。