2022年12月30日金曜日

2022年の再会に感謝。

本年も皆様のお力添えを頂きながら、無事に越年できそうだ。仕事も家庭もつつがなく過ごせたことに感謝以外の言葉が見つからない。

仕事ではブランド展開の新たな出会いや業界人との再会と刺激的で楽しい一年だった。業界誌の首領・加藤社長もその一人。再会の時「田邊、あと20年は現役でやれ」と言われ、無理と笑うと「何でもええんや、人間、ボケたら終いやで」現役82歳の社長の言葉は重かった。

「再会」は互いの生存が大前提。大切な人を失う度に、会えなかった後悔は増幅する。今だから機を逃さず、大切な人との再会を目指したい。


2022年を振り返る。



さて本年の我が家。仕事に追われた娘が、最近は仕事を追えるようになった。息子は来春の教育実習を控え、就職と柔道の仕上げの4年生になる。大黒柱の家内は多少のガタはきたが、依然元気で我が家の相談役として君臨している。

今年の腰痛事件では、遊びも仕事も苦痛でしかなくなり、改めて健康の有難さを実感した。

皆様もくれぐれもお身体ご自愛頂き、お互い笑顔で再会させて頂きたいと願うばかりだ。

お陰様でこの一年、出会いと再会を喜び、感謝の心で締め括れそうである。来年もそう思えるよう老体むち打ち奮闘して参る所存です。

来たる2023年も倍旧のご厚情をお願い申し上げ、年末のブログとさせて頂きます。再見。







2022年12月22日木曜日

無神経でも神経痛。

年の瀬に恐縮だが痛い話を一つ。実は数か月前から腰が張って左下肢上部が痺れる。整骨院のマッサージを受けていたが痺れは好転しない。

そんな最中、関西イベントの立ち仕事で腰痛が再発、何とか湿布で凌いできたが、師走に入り急に左腰から股関節が動けないほど痛い。これは尋常じゃないと整形外科に飛び込んだ。

結果はどうやら坐骨神経痛のようだ。坐骨、左臀部、左下肢と続く末梢神経が、加齢と腰椎疾患で神経が圧迫され痺れや痛みが現れたのだ。

しかし神経痛がこれほど痛いとは思わなかった。じっとしていても辛くて堪らない。このままでは通常の社会生活が困難かと不安になる。

有明医療大の福田先生からの「電気治療と温める」を守り、電気治療に通いだすと徐々に痛みが緩和され、痛み止めとカイロで、何とか動けるようになってきた。現在、まだ痛みと痺れはあるが、外出に支障がないまでに回復したのは有難いことだ。


腰は身体の要、大事なことは本腰入れて。


これを機に減量で腰の負担を減らし適度な運動だ。『病気になって健康の有難味を知る』とはこのことだ。糖尿と高血圧なのに痩せようとしない罰だ。

ヘルニアの息子も要注意だ。聞くと柔道部にも坐骨神経痛で、もはや痛み止めも効かず乱取りも出来ない部員がいるらしい。学生時代ラグビー漬けだった友人は歩くにも苦労したが、減量し腰回りを軽快にしたら格段に改善したと話す。

「腰」は身体のカナメ。「減量と適度な運動」に何かと理由をつけ及び腰だった私だが、いよいよ脂肪が付いた重い腰を上げる時がきた。筋肉の衰えと腹筋と背筋のアンバランスも原因のようで、肉体改造にも本腰を入れないと先がない。

途中での挫折は「まさに腰砕けだあ」と考えたら、ふと「腰」を使う慣用句が実に多いことに気づく。やはり心技体のカナメは「腰」なのだ。

何事も「志高腰低」。常に志しは高く腰は低くの精神で「腰を据えて取り組む」ことだと腰痛以上に痛感した。皆さんも腰は大切に!





2022年12月7日水曜日

筆司・鉄舟との再会。

現在ジモスでもお世話になる広島熊野の竹宝堂さん。会長の鉄舟先生は化粧筆の巨匠であり、日本が誇る化粧筆は竹宝堂無くしては語れない。

鉄舟さんとの出会いは、カネボウが化粧筆シリーズを「鉄舟コレクション」として発売したくて、著名な「鉄舟」さんの名前と商品コラボをお願いした2004年の18年前に遡る。

そこはブログで紹介したので語らないが、その後の東北時代も仙台に来て頂いたり、花王広島時代は家族ぐるみのお付き合いと思い出は尽きない。

2011年、広島から東京に戻る辞令がおりた。実は「筆の日」に家族で行くと鉄舟さんと約束していたが、異動準備で平日に私だけご挨拶と告げると「ご家族で来ると約束したじゃないですか。あんまりだ、考え直して下さい」と怒られた。

あの温厚な鉄舟さんの頑な態度に、商売抜きで、本当に待ち望んでいた気持ちがヒシヒシと伝わり、実はとても嬉しかった。

私は彼との約束を守り、休日に家族で熊野を訪れた。鉄舟さん達の暖かい歓迎と筆作り体験など家族も大喜び。今では大切な思い出である。

6年前にお孫さんの結婚式でお会いし、今年は広島市内で息子の臣社長と孫の祐太郎さんとは会ったが、鉄舟さんとは会えずじまいだった。


鉄舟さんとの再会と約束


この度、鉄舟先生が長年の筆司の功績が認められ「黄綬褒章」を受勲された。自分のことのように嬉しい出来事だ。私的には遅すぎの感だが、とにかく、これは友としてお祝いしたい。

行くなら今しかない!大阪でのイベントから足を伸ばして熊野の鉄舟さんを訪ねた。現在の竹宝堂は、息子の臣社長と孫の祐太郎専務、地岡常務が脇を固めて鉄舟会長を支えている。

応接間で祐太郎専務と話をしていると、鉄舟さんが入ってきた。あゝ懐かしい、がっちりと握手を交わす。90歳になる鉄舟さんは以前と変わらずお元気で、近況や昔話に花が咲いた。

そのあとご自宅で奥様と三人で楽しい時間を過ごした。来年の9月は家族で筆祭りに行きたいなと話すと「それまで生きとります」と言う。私はすかさず「約束ですよ」と返した。

ところが約束したのに、鉄舟さんは時折り「もう私の周りには90歳は誰もいません。来年はどうなることやら」と気弱なことを口にする。

昭和20年8月6日、学徒動員で中2生だけ工場にいた事で生き残った彼の死生観は知る由もないが、周囲はいつまでも元気でと願うばかりだ。

確かに人生には終わりがある。だからこそ今を噛み締めるしかない。そして再会を約束したなら、お互いそれまでの時を全力で刻むのだ。

私自身、元気なうちに再会したい筆頭が鉄舟さんなのだ。加えて我が家にとっても大切な思い出は、熊野の鉄舟さんと宮島の海岸なのである。

帰り際にもう一度「来年は家族で訪れるから」と鉄舟さんと固い握手を交わした時、何としても家族での熊野旅を実現させようと決意した。


■筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い

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