最近、組織トップが暴走した無法事件が相次ぐ。闇バイトの最悪事件、ようやく表面化した性加害、騙しのビックモーターと枚挙にいとまがない。
これは組織の服従・隠ぺい・忖度・傍観の絡み合いだ。私は日本の社会的性格が「権威主義的パーソナリティ」である事が一要因だと思っている。
この社会的性格とは人間の性格類型で、権威への服従と弱者への攻撃性が共生する「権威主義的パーソナリティ」と対置概念の「民主主義的パーソナリティ」と対比で捉えられる。
日本人の多くは、硬直化した思考から強者や権威を無批判で受け入れ、少数派を憎む「権威主義的性格」が強いとされる。親分子分の気質は過去には「ファシズム」を生んだ。
これは組織の良否が善悪と乖離して動く。私も昔、霞ヶ関から「鐘紡の常識は 世間では非常識と言うんですよ」と言われた事は生涯忘れない。
親分がクロでも私はシロか?
今は、好きなヒーローの「推し活」を各自が自由に楽しむ。これは権威が分散し、全体主義に拡大しないが、一集団は強固になる。故に熱狂的なファン集団が暴走すると手が付けられず、非難でもしたら敵視され少数派は排他される。
私も簡単にヒーローに心酔するから、集団が強大化した恐怖は再認識だ。言動や人格全てを認めてしまうヒーロー神格化。冷静に本質を見抜く眼力がないと痛い眼にあう。
それには自分の既成概念をぶっ壊すことだ。美人の基準が国々や個人的にも異なるように、自分が育った環境で築かれた固定概念(観念)は他人には通用しないのだから、周囲の声に耳を傾け、他人の価値観を理解受け入れることだ。
特に自分とかけ離れた部外者の声には、何が、なぜ違うかを冷静に熟考することだ。凝り固まった概念を捨てた先に、必ず新たな価値観が見えて来る。
最近、子どもに「朝食は大切」と説くと「それはママの考えね」と逆にマウントを取ろうとする小学生が多いらしい。ふざけた話だが、子は親を見て育つ。親の姿勢は反省だが同時にその子がクラス内のマウント合戦のイジメも疑う必要があるのだ。
しかし、こんな子が成長したら自我のぶつかり合いとマウントの争奪戦でやがて衝突する。これが国家間に拡大したら下手すりゃ戦争だ。
今一度、固定概念をぶっ壊そう。名門の鐘紡訓の「正しく行って何人も恐れず」も時の権威に負けたら粉飾決算だよ。正しい価値観の大切さをマウント小学生から学びたい。
たとえトップの命令だろうが「街路樹に除草剤は撒きません」と毅然と声を上げる人が守られる。こんな民主的な世の中になりたいものだ。