2013年2月8日金曜日

ひとの「命のはかなさ」を乗り越えて。

「市川團十郎さんの訃報」に接し、ただただ驚くばかりである。

節分の翌朝、2月4日、新聞・テレビで市川團十郎さん急逝を知り、愕然とした。
先月、このブログで京都で市川團十郎さんにお会いして、その圧倒的存在感と、穏やかなお人柄、謙虚な物腰に、いっぺんに魅了され、熱烈な「團十郎ファン」になってしまったことをお伝えした。
「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイト称号受勲式の席で、激しい気性であった11代團十郎さんとの「舞台白粉」完成までの苦労話に、熱心に耳を傾けてくださり、ご挨拶では、あの腹の底に響くような声で、我々に勇気百倍のエールを送っていただいたばかりである。
そして、先日「市川團十郎事務所」から、3月公演予定だったル・テアトル銀座での「オセロー」の断念のお知らせをいただいた。それだけに、4月、歌舞伎座再開場での存在感ある、充実の芸を期待した。

昨年末、天龍寺でのお礼と、「市川團十郎さんとの思い出」をブログに掲載したくて事務所にお願いにあがろうと訪問したい旨お尋ねすると、ご丁寧に「京都公演が終わる年末以降に」と、お返事を頂いた。その翌週、團十郎さん入院の報せを耳にした。
一時はブログ掲載をあきらめた。
しかし、「今だからこそ、團十郎さんにエールを送れば」とのひと声に、「そうだ、一刻も早い復帰を願って、これが微力ながらエールになれば」と信じて、市川團十郎事務所に「掲載ブログ構成」を送らせて頂いた。
なんと、翌日に掲載了解のお返事を頂いたのである。
有難いことに、團十郎さんは、本人も知らなかった「舞台白粉」の経緯が分かり、なにか感じる所があったようで、事務所から退院後の再会のお話も頂戴した。本当に嬉しかった。

常に、周囲の方々への感謝と気配りを絶やさぬ方で、あの日も「天龍寺龍門亭」での会食が終わると同時に、奥様と揃って出口に並ばれ、式典出席者全員に深々とお辞儀をしながらお礼を述べられていた。逆に我々が恐縮してしまうほどであった。

前回、「限りある命を精一杯生きたい」と言う話をしたが、早すぎる死は痛恨の極みです。

悲しくて残念なことですが、こうして私たちは常に「大切な人」を失っていきます。
私自身は「生きていくとは『死ぬ』までの時間をどう過ごすかだ」、と心に刻み、悔いの無い様に過ごしていければ良いのですが、人様に対しては、「もっとあの人にああすれば」とか「こうしてあげたかった」という後悔の念が消える事がないのです。

心配ばかりかけて、天国に逝った「おふくろ」には、未だに写真に向かって謝ることがあるくらいである。

ひとの命の想いは、自分が生まれたことへの感謝とともに、大切な人に伝える責任があると思っている。それぞれの身近に起こる「命のはかなさ」を実感する場面で、悔いが残らないようにしたいので、伝え続けようと心に決めている。

一昨年の11月、息子が通う小学校で「平和教育」授業をやらせていただいた。
4年生のときの担任の君塚朝子先の熱意と、保護者の人望も厚い高橋光法校長の後押しで、公開授業で子供たちに、「命の尊さ」を伝える場を頂いた。
今、教育現場で多くの課題が取り沙汰されているが、お互いが己の立場から少し離れて、子供の幸せに「全てのベクトル」を合わせれば良好な環境が作れるように思う。
以前暮らしていた「広島」の人たちも心豊かな方々で、我が家の子供は、相手の痛みがわかる先生と友人に囲まれて、素晴らしい小学校生活を送ることが出来た。
幸い、こちら浦安に戻っても私たちの周りはそんな人たちばかりで助かっている。
そして担任の君塚先生が、息子から広島でもひと際思い出深い「小学校の平和教育」を、聞き出して、実際にクラスの授業に取りこんだ。加えてそれを私に語らせるという、思いもよらない出来事に発展した。高橋校長を始めとする、まさに多くの方々が純粋に「子供の成長を願う」というベクトルの集結によって実現したのだと思う。

次回は、この時の出来事をご紹介したいと思います。68年前の「広島の原爆」の中で、焼け野原の中を生き抜いた「アオギリの木」、その枝別れをした苗木は多くの人たちに勇気と元気を与えている、という話です。
そして、それがあの東北の大震災で「福島原発で悩む地」にも、地元の方々に勇気と元気を出して頂きたいという願いを込めて植樹されていることを。
私は、2009年の春に東北の仙台から広島に引っ越しましたが、家族で暮らした仙台や仕事で訪れた東北各地の方々の温かい心は、今も忘れられない。

かれこれ10年以上前の本社時代から同じ街に住み、同じ部門でも働いた友人が、2010年、彼の地元である岩手の支社長に昇格し、嬉しそうに広島のオフィスに電話をくれました。「夫婦2人で、おふくろの待つ盛岡に行きます」との報告に、私は自分の事のように嬉しくて「頑張れよ」と激励しました。
その彼が未だに「行方不明」です。暫くは、彼の携帯電話で生声の留守電メーセージを聞けたので、望みを捨てられませんでしたが、昨年、彼の告別式に出席しました。
誰よりも熱血漢だった友を、失ってしまった無念さに涙が止まりませんでした。
残されたご遺族の方々のことを思うと心が痛みます。
お元気で心穏やかな日々を過ごしてくれることをお祈りするばかりです。

2011年3月11日、東北の大震災のことを心に刻みつつ、皆さまにもお伝えしたいと思います。
 
結びになりますが、
市川團十郎様、どうか安らかにお眠り下さい。そして團十郎様のご意志を継ぎ、成田屋の宗家、市川一門が更に力強く前進されますよう心よりお祈り申し上げます。