2022年11月20日日曜日

大学柔道物語⑥4回生。

柔道息子が来春で大学4年になる。あっという間に大学柔道もあと1年余りだ。いよいよ社会人としての将来を模索する時期が来た。

実は3ヶ月前、彼の腰に激痛が走りヘルニアと診断された。今までの柔道腰痛に加え、240㌔のデッドリフトが引き金になったようだ。今は相手の技を耐えようと踏ん張るとかなり痛むらしく、無念だが以前のような動きは難しくなった。


椎間板ヘルニアは腰を酷使する柔道家にも多く、手術しても完治は難しい。有明医療大の福田先生の指導で柔軟と血行促進に努めるが、今後は痛みと上手に付き合うことになる。

監督は先日の全日本学生の団体戦メンバーから息子を外した。大事な大会で、腰に爆弾を抱えた力不足の選手の入れ替えは仕方ない。本人はショックだが、これを自分と向き合う機会と捉え、柔道部は後輩に経験を積ませる機会となった。


柔道では飯が食えない。



柔道家なら憧れる世界柔道大会は、全日本代表メンバーから各階級一人しか出場できない。プロアマ問わず、どのスポーツでも一握りの選手に淘汰され、外れた者は今までの鍛錬や上下関係で得た礼節を身体に刻み、新たな道を歩むのだ。

息子も分かっている。体育の教職を選び、来年は母校の安田学園で教育実習だが、体育や社会科の教員は人数も多く空きが少ない。教員資格だけでは先生になれないのが現実だ。

先日の千葉県学生大会では、腰の調子が良く優勝したが、直ぐに事態の好転はない。さすがにお気軽な息子から進路相談したいと言ってきた。

勿論、幾らでも力になるが、一番重要なのは自分はどうしたいか、何をしたいかである。

柔道家に多い警察・消防の公務員だが、今は倍率も高くかなり難関。だからといって、どこかの会社の営業でもの仕方ない発想はダメだ。事前にOBや会社を訪問し、やりたい方向を絞らないと、あとで後悔して転職グセが付くだけだ。

「学生時代を謳歌」とは無縁な柔道漬け生活をやり通した一途さは素晴らしい。しかし柔道と素直と根性だけでは、厳しい世間を乗り切れない。

この3年間、大学柔道も大会中止か無観客試合で見学できずにいたが、ここにきて「柔道息子vs就職」という柔道以外の初試合が始まる。

この真剣勝負は柔道と異なり、私は多少のアドバイスしながら観戦できる。息子には一大事だが、正直、これは見ものである。



2022年11月2日水曜日

時の流れが早すぎ。

早いもので、あと2か月で2022年も終わる。年を追うごとに時間の体感速度は早くなる。

以前、紹介した「ジャネーの法則」。人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する、つまり年配者ほど時間が早く過ぎる。

学生、恋愛、社会人と20代は新鮮で濃密だから時間も長く感じるが、それ以降は、慣れと経験値で流せるので、刺激も減り時間は短く感じる。

一方、我々は日常生活の合間に入試、冠婚葬祭など人生の岐路となるようなイベントが訪れる。この刺激的場面は若い頃に多くて、加齢と共にその機会は徐々に減少し、やがて平穏な繰り返しの時間が増えていく。

そして引退後、散歩が趣味では寂しすぎる。今、元気な高齢者の「終活」流行りは、目的や機会を失った人々の本番探しなのかもしれない。


その日のまえにやる!


重松清「その日のまえに」は、余命宣告を受け、本当に大切なものを見つける感涙話だが、まだ元気なうちは葬式の心配より、会いたい人、やりたかった事を「終活のまえに」トライすべきだ。

私の父は自分の肺ガンが転移したと知ると、我々の反対も聞かず抗癌治療を中止し、お世話になった方との会食訪問の行脚を強行した。1ヶ月程の行脚だったが、最後にオヤジとお会いした方から「嬉しかった」の感謝を聞くと、これは、これで良かったんだと思っている。

私も皆さんもいつ死ぬか分からない。そう思うと私自身、あの人に会いたいと思いながら放置している人がいる。オヤジのように余命宣告でも受けないと、実際の行動に移せないのかと考えてしまうし、「今さら」とか「今度やる」は実現する気がないと同じである。

一昨年、ブログをみた高校の友が連絡をくれ再会した。今では頻繁に相談し合う仲である。その気になれば実現可能なのだ。要は自分次第だ。

今夏、療養中にコロナに感染し逝去した神戸の恩人とは「また会おう」の口約束で終わってしまった。まさに後悔先に立たずとはこの事だ。

今年もあと僅か。時間に追われ走り回っている今こそ、気になるあの人に会おうと決めた。