2024年10月25日金曜日

理不尽ファイル!

とかくこの世は「理不尽」なことが多い。ところが理不尽の判断は難しい。一般的に理に合わないこと、道理から外れた振る舞い、態度、やり方を指すが、それだって千差万別だ。

最近は犯罪や災害に理不尽を感じるが、一昔前は会社崩壊で理不尽な辛酸を散々味わった。個人的に出会った理不尽な経験は営業の若い頃が多く、その中でも今なら「カスハラ」と騒がれそうな取引先との出来事は今でも忘れない。


理不尽な思い出。


30代の営業時代に「M薬局」と年末の返品で大揉めした。社内でも有名なクレーマーで幾多の担当者が潰されてきた「いわく付き」の店である。

担当の私は年末催事の残りを仮伝票で返品、締め前の年明け計上で棚卸しも請求も問題ない。ところが12月末付の本伝票にしろと言ってきた。

私が年末休で機械上は無理だが問題ないと説明すると「機械でなく生身の君に頼んでる」と譲らない。そんな押し問答中、急に「出て行け」と怒り出し、帰りませんと返すと「住居家宅侵入罪だ」と警察に電話をかけ始めた。私は慌てて外に出て「明日また来ます」と一言。

その頃はタバコの安売りで専売公社(JT)と係争中、役所とは電信柱の撤去で大揉めで、何かとトラブル好きな血気盛んなオヤジであった。

そんな12月の集金は案の定 12/31の23:50に来いと言う。今回支払いなき場合は会社として「商取引に於ける信頼関係の失墜」で解約宣告すると決めて大晦日にスーツで出かけた。

自社ビル1階の店舗は既に閉まっており、裏手のインターホンを押すとオヤジの声で「今、屋上から小切手を落とすから下で拾え」と言う。まさに理不尽な嫌がらせでしかない。

私は返す刀で「先生、領収書はどうしますか」と聞くと「ふざけるな」と怒り出した。私の困惑を想定だろうが、そうは行くか。私は「ご指定の時間に伺ったのですから、通常に集金させて下さい」とお願いするが一向に埒が明かない。

遂に私は「深夜に来させ小切手を拾えとは、もはや信頼関はありません。支払いは結構ですから今後取引を考えます」と言い放つと、オヤジが渋々出てきた。彼も解約の条件を承知なのだ。で、集金となってしまい取引継続。だが揉め事はその後も絶えることはなかった。


営業時代は他にも、組事務所に軟禁されたり、得意先の夜逃げ騒動も経験。本社の流通責任者時代は横流し捜査、非取引店の争い、粉飾事件では地検特捜、挙句の果てにはM資金詐欺まで現れ「理不尽ファイル」は列挙にいとまがない。

実は「理不尽」は相手にも理不尽と映る場合もあるようで、道理の解釈は難しいものだ。それには「物事の道筋」という広義の判断より「人として正しく生きる」ことに道理を絞らないと本質は見えてこない気がする。


「道理百篇 義理一篇」を噛み締める。


M薬局の大晦日事件から15年、再び事件勃発。私は本社の流通責任者となり、管轄のブランドの取扱い不可判定に猛反発のオヤジが、支社に真っ向勝負の大喧嘩を仕掛けてきた。

このままでは不公正取引の泥試合になると察し、私は休日に新幹線でM薬局に出かけた。ブランド可否の論争などしたくない。それより彼とサシで腹割って話し込むつもりでいた。そう、今後のオヤジの生き方を知りたかったのだ。

実は、M薬局のお子さんは二人とも医学部で、上の子が最近2階で医院を開業していた。私は頃合いをみて「これからお子さんは地域の名士になるのに一体いつまでメーカーと喧嘩しながら商売するのですか。もう不毛の争いは止めましょう」と2人で深夜まで話し込んだ。

「医は仁術なり」子どもの話が効いたのか、最後に彼は「今の商売はやめる」と決断してくれた。そして別れ際に握手し再会まで約束した。

彼と鎧を外した会話はそれが最後だった。今は1、2階に2つの医院と隣りが調剤薬局となり、既にオヤジも亡くなった。晩年は人も訪れず知らぬ間に葬儀も終えていた。最後まで孤独なツッパリ人生かと思うと無性に悲しい気持ちになる。


先人が残した名言は素晴らしい。「無理が通れば道理が引っ込む」は権力の無理に道理が負ける事だが、道理以上に人の心を動かすのは、やはり「道理百遍 義理一遍」なのだ。

百遍の道理の理屈をこねるより、情義を尽くし心に訴える「義理一篇」の重さを、あの日、オヤジが私に教えてくれた。そんなオヤジに合掌。









2024年10月11日金曜日

読書が辛い年頃で。

最近、本を読むのが億劫になった。通勤電車で文庫本が開くのが面倒なのだ。本屋で探索する楽しみも今は足が遠のいてしまっている。

書籍と活字離れの要因はスマホの浸透だ。電車内はスマホだらけ、本や新聞を広げる人も激減だ。因みに私の読書離れは、軽い白内障に衰える記憶力と集中力と書籍がスマホに転換したことだ。

スマホという最強ツールは多岐に影響を与えた。辞書やカメラの衰退、ECの伸長と市場の起上は激しいが、それより深刻な問題は、スイッチONのまま情報処理が追いつかない「スマホ脳」が我々から記憶力と集中力を奪うことだ。

小学3.4年生の63%がスマホを持ち、中でも1時間以上のスマホっ子15,000名を調べたら、持たない子より平均学力が大幅に低い事が判明。加えて視力低下に睡眠障害の高い発症率。

私なら成長期の小学生に絶対スマホは持たせないが、ここまで機能が充実したらスマホなし生活は現実的でない(小学生は別)。ならば若者をスマホ依存症にさせない配慮が必要だ。

我が家は子どもが高校入学までスマホは禁止。中学時も柔道部の連絡はLINEだったが、部長の息子は固定電話の連絡だけで何とかなった。高校でLINE初の彼が「中学の電話連絡の方が部員との会話があったよ」の感想は印象的だった。

因みに我が家のゲーム問題は、当時小3の息子が利用時間を破った時点でゲーム機を没収。ところが、のちの柔道生活には無用だったようで、ゲーム機は今も返却しないままである。


読書に替えて、のめり込む。



今は読書が減り映画鑑賞が増え、映画好きに拍車がかかる。ひかりTV.ネットF.プライムV.ディズニー+と、マイリストは増える一方だが視聴が追いつかない。そのくせミーハーの私はリストにない「SHOGUN」に夢中になっているのだ。

どうやら無理に読書に戻す必要もなさそうで、それより私は記憶力、集中力の低下を止めたい。主治医に私は老化かスマホ脳かと尋ねると、典型的な老化とスマホ脳の混在型で、今やるべきは「脳の活性化」だと言われた。

その為には、健康づくり、人との会話、脳トレと、絶えず脳の訓練が大切で、その継続は楽しい事に絞るのが一番だと。加えてそれを誰かと共有すると会話も増えて復習にもなる。そして嫌な事は極力やらないこともポイントらしい。

そりゃ楽しい事だけなら最高だが、現実はそうもいくまい。そんな話を家内にしたら「限りある時間を思い切り楽しんで」と合意。限り時間は余分だが家内の「あと押し」は心強い。

よし好きなことに没頭、だが年を取ると出来なくなる事も増えるもので、好きなこと探しもけっこう難しいなと思いつつ、はたっと気づいた。

私を後押しする家内はどうか。果たして彼女は今の生活を楽しんでいるのだろうか。

28年も一緒なのに謎である。自分事ばかりでは「熟年離婚」だってありえるぞ。ここは今更だが何が楽しいか聴いて共有だな。💦

やはり『妻の悲しみに我は泣き 妻の喜びに我は舞う』を決して忘れてはいけないのだ。