現在ジモスでもお世話になる広島熊野の竹宝堂さん。会長の鉄舟先生は化粧筆の巨匠であり、日本が誇る化粧筆は竹宝堂無くしては語れない。
鉄舟さんとの出会いは、カネボウが化粧筆シリーズを「鉄舟コレクション」として発売したくて、著名な「鉄舟」さんの名前と商品コラボをお願いした2004年の18年前に遡る。
そこはブログで紹介したので語らないが、その後の東北時代も仙台に来て頂いたり、花王広島時代は家族ぐるみのお付き合いと思い出は尽きない。
2011年、広島から東京に戻る辞令がおりた。実は「筆の日」に家族で行くと鉄舟さんと約束していたが、異動準備で平日に私だけご挨拶と告げると「ご家族で来ると約束したじゃないですか。あんまりだ、考え直して下さい」と怒られた。
あの温厚な鉄舟さんの頑な態度に、商売抜きで、本当に待ち望んでいた気持ちがヒシヒシと伝わり、実はとても嬉しかった。
私は彼との約束を守り、休日に家族で熊野を訪れた。鉄舟さん達の暖かい歓迎と筆作り体験など家族も大喜び。今では大切な思い出である。
6年前にお孫さんの結婚式でお会いし、今年は広島市内で息子の臣社長と孫の祐太郎さんとは会ったが、鉄舟さんとは会えずじまいだった。
鉄舟さんとの再会と約束
この度、鉄舟先生が長年の筆司の功績が認められ「黄綬褒章」を受勲された。自分のことのように嬉しい出来事だ。私的には遅すぎの感だが、とにかく、これは友としてお祝いしたい。
行くなら今しかない!大阪でのイベントから足を伸ばして熊野の鉄舟さんを訪ねた。現在の竹宝堂は、息子の臣社長と孫の祐太郎専務、地岡常務が脇を固めて鉄舟会長を支えている。
応接間で祐太郎専務と話をしていると、鉄舟さんが入ってきた。あゝ懐かしい、がっちりと握手を交わす。90歳になる鉄舟さんは以前と変わらずお元気で、近況や昔話に花が咲いた。
そのあとご自宅で奥様と三人で楽しい時間を過ごした。来年の9月は家族で筆祭りに行きたいなと話すと「それまで生きとります」と言う。私はすかさず「約束ですよ」と返した。
ところが約束したのに、鉄舟さんは時折り「もう私の周りには90歳は誰もいません。来年はどうなることやら」と気弱なことを口にする。
昭和20年8月6日、学徒動員で中2生だけ工場にいた事で生き残った彼の死生観は知る由もないが、周囲はいつまでも元気でと願うばかりだ。
確かに人生には終わりがある。だからこそ今を噛み締めるしかない。そして再会を約束したなら、お互いそれまでの時を全力で刻むのだ。
私自身、元気なうちに再会したい筆頭が鉄舟さんなのだ。加えて我が家にとっても大切な思い出は、熊野の鉄舟さんと宮島の海岸なのである。
帰り際にもう一度「来年は家族で訪れるから」と鉄舟さんと固い握手を交わした時、何としても家族での熊野旅を実現させようと決意した。
■筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い
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