以前紹介したテーマだが、最近思うところがあり、再び認識したくて書かせて頂く。
一般的に、人間関係で「人が幸せ」を感じる事は、この4つだと言われている。
①「愛されること」②「褒められること」③「役に立っていること」④「必要とされていること」の4つ。人は、いつもそう思われていたいのだ。
しかし承認欲求は待っていても満たされない。全て能動的な関係から生じるので「4つの幸せ」は自からも働きかけないと成立しない。
「働く」とは、収入を得る以外、自己成長することでもある。傍(はた)を楽にさせるのが「はたらく」なので、自分だけが満足では成長しない。
上司ともなれば、承認欲求は捨て、部下を愛し、凄いな、役立っているよ、必要だよと承認してやるのが重要な仕事。幸せは与えるだけで、自分が貰おうとは思わないぐらいが丁度良い。
中には既に地位や名誉もあるのに、自慢したがる方がいる。その方は、未だ成長過程で、私にまで承認されたがってと喜ぶことにしよう。
4つの幸せ不足は、存在意義を疑ってしまう。役立たずで不要だと察知したら、事業も人も潔く撤退すべき。我慢は傷口を広げ後任人事も遅れる。
夫婦間も不要になれば離婚の危機だし、介護、痴呆、難病は、愛情だけでは乗り切れない。やがて本人がその自覚すら無くなると最悪だ。
大切な人に想いを伝えること。
その為には遺言アプリじゃないが、元気なうちに、自分の想いを大切な人に伝えることだ。
我が家では8年前に、母に先立たれた父が重い癌になり、3人の息子を呼んで「無駄な治療や延命処置は止めてくれ。遺族の負担は無駄だから、墓も葬式も不要。そんな暇と金があるなら、残された者が生きる事に使え」と言われた。
「そうはいかんよ、俺たちの気持ちもある。それにずっと遺骨を置いたままはおかしい」と返すと「母さんと一緒に海に散骨してくれ」と言う。
散骨とは遺骨を粉砕し、思い出の場所や海や山に撒くのだが、勝手にできない。誰が粉骨し、どこに撒くか。業者に頼めば手間も費用も掛かる。
結局、父を説得し「散骨も迷惑がかかるな」となり、海洋散骨は断念して貰った。遺族に幸せを感じてもらうのも簡単ではない。
人は生きる限り「しがらみ」を背負う。誰かを守るため、辞めずにしがみつく事もある。誰の為に何を我慢する・しないは、自分が腹を括るしかない。
「誰かのために生きることが、価値ある人生」とアインシュタインは言っている。そうか、家内に幸せを与える事が、私の使命と心得た。汗。