柔道息子が来春で大学4年になる。あっという間に大学柔道もあと1年余りだ。いよいよ社会人としての将来を模索する時期が来た。
実は3ヶ月前、彼の腰に激痛が走りヘルニアと診断された。今までの柔道腰痛に加え、240㌔のデッドリフトが引き金になったようだ。今は相手の技を耐えようと踏ん張るとかなり痛むらしく、無念だが以前のような動きは難しくなった。
柔道息子が来春で大学4年になる。あっという間に大学柔道もあと1年余りだ。いよいよ社会人としての将来を模索する時期が来た。
実は3ヶ月前、彼の腰に激痛が走りヘルニアと診断された。今までの柔道腰痛に加え、240㌔のデッドリフトが引き金になったようだ。今は相手の技を耐えようと踏ん張るとかなり痛むらしく、無念だが以前のような動きは難しくなった。
早いもので、あと2か月で2022年も終わる。年を追うごとに時間の体感速度は早くなる。
以前、紹介した「ジャネーの法則」。人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する、つまり年配者ほど時間が早く過ぎる。
学生、恋愛、社会人と20代は新鮮で濃密だから時間も長く感じるが、それ以降は、慣れと経験値で流せるので、刺激も減り時間は短く感じる。
一方、我々は日常生活の合間に入試、冠婚葬祭など人生の岐路となるようなイベントが訪れる。この刺激的場面は若い頃に多くて、加齢と共にその機会は徐々に減少し、やがて平穏な繰り返しの時間が増えていく。
そして引退後、散歩が趣味では寂しすぎる。今、元気な高齢者の「終活」流行りは、目的や機会を失った人々の本番探しなのかもしれない。
重松清「その日のまえに」は、余命宣告を受け、本当に大切なものを見つける感涙話だが、まだ元気なうちは葬式の心配より、会いたい人、やりたかった事を「終活のまえに」トライすべきだ。
私の父は自分の肺ガンが転移したと知ると、我々の反対も聞かず抗癌治療を中止し、お世話になった方との会食訪問の行脚を強行した。1ヶ月程の行脚だったが、最後にオヤジとお会いした方から「嬉しかった」の感謝を聞くと、これは、これで良かったんだと思っている。
私も皆さんもいつ死ぬか分からない。そう思うと私自身、あの人に会いたいと思いながら放置している人がいる。オヤジのように余命宣告でも受けないと、実際の行動に移せないのかと考えてしまうし、「今さら」とか「今度やる」は実現する気がないと同じである。
一昨年、ブログをみた高校の友が連絡をくれ再会した。今では頻繁に相談し合う仲である。その気になれば実現可能なのだ。要は自分次第だ。
今夏、療養中にコロナに感染し逝去した神戸の恩人とは「また会おう」の口約束で終わってしまった。まさに後悔先に立たずとはこの事だ。
今年もあと僅か。時間に追われ走り回っている今こそ、気になるあの人に会おうと決めた。