花王出向時代、年一度の取引先への展示会の販社社長挨拶の原稿が私に回ってきた。「何故、私に」と尋ねると、西日本会場の社長欠席事態の代替2番目ですの回答。社長欠の事態では先ず関西支社長、次が中四国の私になる。さすが危機管理を徹底する花王。念の為、原稿を熟読したが出番はなかった。
政府は災害時、生存に必要な指定品目の速やかな生産をメーカーに要請している。飲料水、食料、毛布、粉ミルク、おむつ、簡易トイレの他に、衣料、日用品などの指定企業は、生産ラインを分散し、短期間の供給体制を整えている。
コロナは感染予防なので、災害指定以外の物資が不足した。知り合いの医療用品会社の方が、感染を覚悟しての夜通しの病院廻りは疲労困憊だが使命感に燃えている、と話してくれた。医療従事者を取り巻く方々にも頭が下がる。
他にも多くの人が弛まぬ努力を重ねている。共通は「使命感と諦めない心」の持ち主だ。言葉では簡単だが実践は容易でない。プロの使命感は何となく分かるが「諦めない心」は、コントロールが難しい。
諦め方は様々だが、目的への手段が最適でなければ潔く諦める。私も色々と諦めたが、自責の諦めは自分を不甲斐ないと後悔するし、他責の諦めは人のせいで気楽だが悔しさは倍増する。ならば、諦めでなく次の手を打つだけと、切り替えたいものだ。
諦め方は様々だが、目的への手段が最適でなければ潔く諦める。私も色々と諦めたが、自責の諦めは自分を不甲斐ないと後悔するし、他責の諦めは人のせいで気楽だが悔しさは倍増する。ならば、諦めでなく次の手を打つだけと、切り替えたいものだ。
諦めきれない思い
「諦めきれない思い」の一つ失恋。一般的に女性は失恋を「上書き保存」するから直ぐに忘れ立ち直りも早いが、男性は失恋を「フォルダー別保存」するので、辛さの足し算でウジウジ引きずるらしい。
諦めない気持ちは大切だが、世の中には努力や反省を超え諦めるしかない場面もある。進学できない子ども、続けられない道、望まない別離、数えたらキリがない。その原因も災害、事故、貧困、倒産、病気といった不条理が大半だ。
しかし、諦めた数だけ違う道が出来るのも事実。これを運命として異なる道を受け入れ、目的を軌道修正しながら切り開くしかない。
16年前の会社崩壊で、逆らえない諦めを嫌ほど味わった。一方で人生の目的に「家族と仲間を守る」を加える余裕ができた。当時、出世頭とおだてられ滅私奉公と承認欲求の私には分からなかった。
それまでのギラギラの自分から、脂が抜けた瞬間だった。会社は崩壊しても、そこにいた仲間も、家族も変わらずに存在してくれる。己の生き様に「何でもない事が幸せ」と「大切な人を守る」を肝に銘じたら、諦めない心も変化した。
「大切な人を守る」には覚悟がいる。我が身より相手の命が重いと決意して始まるからだ。それも、血縁の親子愛以上に、夫婦愛と子弟愛の方が重いと心得るとのこと。
今更、臆面もなく「家内の為なら死ねる」とは言えないが、大切な人を守ることを「使命」と決めたなら、文字通り命を使って全うするしかない。
「使命感とプロ意識と諦めない心」…ええカッコだが、目的を見つけたら、これが必須条件になるのは当たり前なのだな。汗。