2014年が終わろうとしている。
我が社は来年に向け、これまで以上にお客様から喜んでいただける「良きものづくり」に一層精進することが最大の使命である。お取引先様の求めることに、どこまでカスタマイズできるかであり、社内の合言葉である「執念あるものは可能性から発想する」を忘れずにひたすら邁進するだけである。
私は本年も、思いつくままに、子どもにも「恥ずかしい」と随分言われながら、ブログを書き綴ってきた。大半が己への戒めばかりで、如何に自分が未完成かを実感した。「未完の青年」は無限の可能性を秘め、好奇心でゾクゾクするが、私は「未完の熟年!?」。未完の青年に「足るを知り、死ぬまで修行だぞ」と押し付けるしか能がないのである。
先日、息子が所属する市川七中柔道部の部長、「全国中学生大会」で引退した3年生に、「この本を読んだら」と、1冊の本を渡した。
彼は息子と違い、無類の読書好きなのを聞いていたから、高校受験モードに切り替えただろうと案じつつ、「面白くないかもしれないけど、じっくり読んでほしい」と付け加えた。
しばらくして、「3回読み返しました」と報告してくれた。嬉しかった。
すすめた本は、仙台・秋保の慈眼寺の塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)住職の著書『人生生涯小僧のこころ』。塩沼住職は、荒行のなかでも最も厳しいといわれる「大峯千日回峰(おおみねせんにちかいほう)」を成し遂げ、さらに断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」も満行し、大阿闍梨の称を得ている方である。
「大峯千日回峰」とは、奈良県吉野の大峯山で片道24キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて1日で往復。これを1000往復、4万8000キロを9年間かけて歩く超人的修行で、いったん行に入ったならば足が折れようが、熱が出ようが休めば、そこで終了。決して途中で止めることができない。途中で止める場合は自ら命をたたなければならないという、凄まじいもの。吉野金峯山寺1300年の歴史上、「大峯千日回峰」を成し遂げたのは二人という。
住職は1000回の往復中、苦しいとき、動けなくなった場面では、一歩一歩、「謙虚、素直、謙虚、素直……」と心で唱えて歩いて乗り越えた。1000往復まであと1回という999回目の夜には、「人生、生涯、小僧のこころ」という言葉が心に浮かんだと書いている。
普段、何げなく使う「ありがとう」は、「ありえ難いこと」が転じたとよく言われる。「普通ではありえないこと」と捉えて、心から発する感謝の言葉かと思うが、命がけで満行を成した著書には、まさに「ありがたい言葉」が詰まっている。
私は例年、年初に言葉に注目して一年の抱負としている。今年の言葉は塩沼住職の「一息、一息を大切に」だった。この思いをどれだけ綴れたか、お伝えできたか……。いずれにしてもこの一年、「田辺志保のひとりがたり」にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年も皆様のご指摘を頂戴しながら、乱筆乱文、失言をご容赦願いつつ、恥を承知で思いつくままに書きたいと思っております。
最後になりますが、皆様の益々のご隆盛と、穏やかな越年を、心より祈念申し上げます。
田辺 志保