つい先日、大学の付属高校に通う娘から、将来についての相談があった。2年生で希望学部を踏まえたクラス編成がされ、彼女は理科系クラスにいるのだが、未だ将来像が描けないという。私は「おまえの好きなこと、本気で取り組めることは何か」と尋ねたが、答えが返ってこなかった。
ふと、何気なく「本気で取り組めることは何か」と娘に聞いたが、自分の高校・大学時代はどうだったろうかと思い、随分偉そうに聞いてしまったなあ、と少々心が痛んだ。
なぜなら、私は、高校時代には、テレビドラマの事件記者の正義感に憧れて、新聞記者になりたいと思っていた。大学時代には広告業界に入りたいと思うようになった。動機は確か、テレビコマーシャルの制作というと「カッコイイ」から……。一応、新聞論、マスコミ論、広告論などの授業がある社会学部に籍を置いたので、畑違いではなかった。しかし、「本気」なんてなかった。
今どきの若い人はコミックの影響で「本気」を「マジ」と読むらしい。「マジ」とは、学生などの間で「真面目」の口頭語の省略表現、と辞書にある。また、「本気」は、まじめな心。冗談や遊びでない真剣な気持ち。また、そのような気持ちで取り組むさま〔広辞苑〕。
私はいつ、「本気」になっただろうか。
恥ずかしい話だが、それがわかるまで長い年月がかかった。学生時代には生憎見つからなかった。
私は昔から、自分の事を「器用貧乏そのもの」と分析している。というのも、漫画・イラスト、バンド、暴走族、学生運動、吉祥寺の主など、何でもかじるが、どれも中途半端。結局何をしたいかが分からなくて、本気になれない自分に腹が立っていた気がする。
大学4年になっても、ノンポリ学生として、取りあえず就職課に顔を出して、企業の求人案内を眺めていた。当時、70年代後半は、第2次オイルショックで就職氷河期真っ只中。
企業の採用は少数精鋭。「何とかなるさ」は通用しないと思う反面、負けず嫌いの自分の性格上、業界トップなどで「安定」を求める気はさらさらなく、絶えずトップ企業を追いかける挑戦的な業界2位を狙った方が性に合っているし、完全燃焼できると思った。
まあ、本当のところは、さほど成績も良くなく、学校にも行かず好きなことばかりやってきたので業界大手企業が求める成績優秀・スポーツ万能などの基準をクリアするのは、最初から無理な話。活きのよさと、枠にハマらない自由人的なところを気に入って、採用してくれる会社が、きっとどこかにあるはず、という気持ちで企業を回り始めた。
業界2位からトップを目指そうという、流通業、広告業、ホテル業などの会社を訪問しまくった。どこも活気があった。
そんな中、私を採用してくれたのが、化粧品業界のトップの座を狙うカネボウ化粧品事業である。私のどこが、学閥がはびこる古い老舗企業の鐘紡のお眼鏡にかなったかは定かでないが、運よく就職できた。
思えばカネボウ化粧品で「本気」を見つけた気がする。「打倒、A社」をスローガンに、全社員一丸となっていた。
それはまさしく火の玉集団。営業、商品、販売、宣伝など、それぞれの部門に「A社に絶対に負けない精神」が染みついたサムライがたくさんいた。そうした先輩の下で働くわけで、大きな声で言えないが、当時、営業部隊は夜討ち、朝駆け当たり前の世界。「ドロボウ、カネボウ、ショウボウ」と言われたころである。
トップメーカーは、業界をリードする立場もあり、絶えず新たな仕組みや提案をし続けなければばらないが、我々は後付けで優位差別化を工夫し追随し、局所で勝てばよしとしていた。
ビジネスで1位になる戦略に「ランチェスターの法則」というのがある。他社と違う事をやる「差別化」、それを徹底する「一点集中」、その地域、顧客、商品、サービスで1位になる「No.1」。これこそが弱者が強者に勝つ原理原則である。
私は当時、この方法で自分の担当地区内でA社を凌駕して、No.1になろうと心に決め、「本気」で取り組んだ。社員にもそれぞれの得意分野でNo.1を目指すことを求めた。
たとえば、「おもてなし接客での挨拶はだれにも負けない」「担当エリアで頭髪商品群売上げトップになる」など、各自がNo.1を目指して取り組む、「No.1運動」の展開である。各自が掲げて成し遂げたNo.1が、オンリー1にもなった。この事例の積み重ねが打倒の突破口、大きな力になっていった。この「No.1運動」はしばらく語り草になった。
何でもそうだが、「不得手の克服」より「得手に磨きをかける」方が分かりやすく、楽しい。
器用貧乏を自認する私でも、特化できることを見つけ、本気で取り組んでいるうちに、ありがたいことに周囲がついてきてくれた。すると取り組んでいる本人が変わってくる。周りが私を輝かせてくれたのだ。商談、新店開拓、教育、企画など、すべてしかり。
私の上司で、大阪駅前の主要取引店のほとんどを一人で開拓した実績を持つ「新店開拓の達人」といわれる人がいた。今、流行りのレジェンド、伝説の人だ。
そこに到達するまで、道を極める為にそれこそ「本気で取り組んだ」と思う。その「本気度」たるや、並大抵のものではなかっただろう。すべてが自分の血となり肉へとなり、彼の話は、新規取引に関する想定問答集をひもとくようで、バイブルの域にまで達していた。
私の会社にも、経理、企画、商品、営業など各部門で「本気」で頑張っている人がたくさんいる。彼ら・彼女らのプライベートを覗けば、プロレーサー顔負けの運転技術でドライブを楽しんだり、プロゴルファー並みの腕前だったり、剣道七段のつわものもいる。育児、料理などをラクラクこなす女性も多く、まぶしいくらいに輝いていている。
私の会社にも、経理、企画、商品、営業など各部門で「本気」で頑張っている人がたくさんいる。彼ら・彼女らのプライベートを覗けば、プロレーサー顔負けの運転技術でドライブを楽しんだり、プロゴルファー並みの腕前だったり、剣道七段のつわものもいる。育児、料理などをラクラクこなす女性も多く、まぶしいくらいに輝いていている。
会社人生だけでなく、どこの世界でもその道で秀でた人に出会うとうれしくなり、自分もあやかりたいと思う。
「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。
娘は本気で取り組むものが見えずに、今、もがいている。でも焦る必要は全くない。迷い、寄り道をして、試さなければ本気で取り組むものは見つからない。
息子は縁あって「柔道」と巡り合い、今、まさに「本気」で取り組んでいるが、怪我の多いスポーツである。しかし、先々の心配をするより、「今」を大事にすることの大切さも伝えたい。挫折したら、起き上がって、何度でも修正すればよい。
私は高2の娘に、不用意に「本気で取り組みたいことは何か」と聞いたが、私が「本気の取り組み」を見つけたのは、20代後半である。
大切なことは、「本気で取り組み、やり抜く」こと。その強さを持つことである。
「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。今は無我夢中で取り組むだけである。
「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民の詩に「本気」がある。
「本気になると/世界が変わってくる/自分が変わってくる/変わってこなかったら/
まだ本気になってない証拠だ/本気な恋/本気な仕事/
ああ/人間一度/こいつを/つかまんことには」
ああ/人間一度/こいつを/つかまんことには」
そして、こんな詩も残している。
「花は一瞬にして咲くのではない/大地から芽から出て葉をつくり/葉を繁らせ/成長して/
つぼみをつくり花を咲かせ/実をつくっていく/花は一瞬にして咲くのではない/
花は一筋に咲くのだ」
私がカネボウで見つけた「本気」。この本気をさらに育み、完成度を高めて、一筋に花を咲かせたい。
田辺 志保