2019年4月26日金曜日

令和に思う「激動の昭和」

混乱なく平成から「令和」に変わる。今から30年前、昭和天皇の崩御は社会的影響が大きくて、あらゆる分野に支障が出た。自粛ムード一色で、会社の行事、TVの娯楽番組は一切中止。レンタルビデオ店の在庫は空っぽになった。

今は生活の中心がスマホに変わり、新聞もレンタルビデオもTVも存在自体が影を潜める。若者と年配者の嗜好、思考、指向がこれだけ乖離し二極化するとは思わなかった。

ウチの家族は、私の影響で昭和文化には馴染んでいた。そのお陰か、先日娘に感謝された。と言うのも、就活での2次面接から昭和おじさんが面接官になるらしい。IT企業と違い、建設業界の上位職は年配が多いのだ。娘は全くあがらず普段通りの会話ができたようだ。

おじさんとの会話が圧倒的に少ない同級生は、緊張で戸惑ったらしい。面接で食いつく箇所や突っ込みが父親と同じだそうだ。私との面接官視点での予行練習が役に立ったとご満悦。娘は、私のアドバイスより年配者に慣れているのが主要因とは、私は少し面白くない。

パンタロン キメ顔の母 セピア色


これは「昭和川柳」優秀賞だが少し切ない。国内の65歳以上の構成比は27%で、17歳以下の12%しかない。年配者の市場は年々大きくなり、昭和のレトロ回帰が盛んで、懐メロ番組、昭和の街づくりや書籍など大人気だ。

先日、友人の定年祝いで、贔屓の浅草の虎姫一座「昭和歌謡・シャボン玉ホリデー」を楽しんだ。ザ・ピーナッツの名曲を口ずさみながら、好きだったスターを尋ねたら「酒井和歌子」と「天地真理」。おー俺も!と3人で大笑い。

やはり懐かしいのは昭和30年~50年代、少しの我慢と不便が当たり前で、高度成長を背景に求める物や憧れの対象が同じなので、市場の構造がシンプルで分かりやすいのだ。

あの頃は、親父も先生も怖かった。向こう三軒両隣、近所のおばさんは身内並みの事情通。見舞いのバナナが珍しく、外食なんぞ年一回、緊張の黒電話と手紙が告白の主流。巨大なアメ車と冷蔵庫の米国TVドラマの生活に憧れたものだ。

今の40歳代も20年後には平成を懐かしむ。やはり「今の若い者は」と愚痴る筈。いつの世も不変で大切なことは「人との付き合い」と「未来に期待が持てる」かどうかだ。

そして後悔とは、やったことの失敗より、やらなかったことへの遺恨である。令和には「やらなかった失望」を無くす!と皆でご「唱和」を。

嬉し懐かし昭和の写真!