2021年5月14日金曜日

今でも信じ難い事件。

 世の中には信じ難い出来事がある。つまり常識や想定を超えた体験をいう。私もまだ若くて経験不足の頃、ぶっ飛んだ事件に出くわした。

昭和の話だが、友人は「今になっても信じ難い事件」だと言う。若気の至りとご容赦願いたい。

それは大学寮で起きた「隣室の男が殺害された事件」と「学生運動家と暴走族の対峙」の二つの事件で、どちらも身の危険を感じた事態だった。


驚愕の学生寮事件。


1回生の私は法政大学府中寮の寮生だった。広いグランドに鉄筋四階建て、8畳2人部屋、朝晩食事付き月7,500円は格安で、苦学生が多かった。

ある夜のこと、隣り部屋の4回生の「長髪」男が部屋にきて、いきなり私と同室の友人に鉄パイプを渡し「今夜、革マル派が寮を襲撃するとの情報が入った。襲われたら鉄パイプで身を守れ」と言う。あまりに突拍子な話で理解できない。

「何ですか急に。襲撃とか理解できません。それに私は学生運動とは無関係ですが」「お前が無関係かは奴らに分かるわけない」「ですが…」「だから防戦しないと死ぬぞ」信じ難いが、今夜は鉄パイプを抱いて寝た方が良さそうだ。

結局、何もなく朝を迎えた。なんだ、ガセかと思ったら長髪が「寮の手前で夜中に革マルが凶器準備集合罪で一斉検挙され未遂に終わった」と。

半信半疑が食堂のTVから「国分寺で学生集団が一斉検挙」には鳥肌がたった。次の驚きは、長髪は全共闘の大幹部で、彼を狙っていたことだ。

長髪は速攻行方をくらまし潜伏。2週間ほど経った頃、警察が隣りの部屋を家宅捜索に来た。何と、身元不明で公開中の神田川の撲殺死体は「長髪」だった。1974年の夏である。

学生運動は、1971~72年の狂気の連合赤軍事件がピークだが、赤軍の流れをくむ全共闘と中核派は、敵対する革マル派との抗争を「法政大vs中央大」闘争として継続していた。


新入生を舐めんなよ!


寮の自治会は寮長、副寮長、各階の階長で、自主運営されていた。入寮した1年生に役職が割り振られ、私は4階の階長になっていた。

入寮暫くは、金曜のカレーを全員が食べられる対策を議題にするなど自治会は平和だった。ところが、徐々に寮の実態が判明してくる。

数年前、府中寮が主体の「学費値上げ粉砕運動」は超過激で、これを止める替りに大学側から寮の自主独立を勝ち取ったと聞く。

寮を牛耳る全共闘は、無垢な1年に自治会幹部をやらせ、何かあった時の人柱にしていたのだ。

責任と雑用に追われる1年は、冗談じゃないと思いながら、このまま我慢するのか!

悶々とする私に、後輩の暴走族総長から近況報告の電話が入り、ピンと閃いた。「横暴な寮の先輩に会いに、特攻服で全車両グランドに集合してくれ」「押忍、事情は分かりました。派手に行きます」ここは阿吽の呼吸だ。

土曜の夜8時、遠くからゴッドファーザー愛のテーマのクラクションが聞こえる。爆音を響かせ、正門から続々と入りグランドに隊列を組む。横一列に4輪の前に2輪が並び、車両から降りた特攻服が前列に揃う姿は、さすがの迫力だ。

寮生達は窓を開け「何事か」と顔を出す。私は隊列中央に歩み寄り直立の特攻服に一礼。片手を上げ「よーし、ご苦労」全員を見まわし「これにて解散!」と叫び、手をおろす。

一同「オス」と頭を下げると車両に乗り込み、順に派手な音を響かせグランドを一周し正門から消えていく。二度と見られぬ闘争家と暴走族が対峙した光景は、今だに忘れられない。


変化は摩擦を生み、摩擦は進歩を生む。


30分の出来事だったが、寮生には強烈な出来事で全共闘リーダーの死も重なり、彼らのトーンは急速に下がり始める。こうして、大学と対立してきた寮の自主独立は変化していく。

当時の私は大した信念もなく、ただ「俺たちを舐めんな!」だけだった。軽率な行動だが、何かをせねば、何も変わらないと思ったのは事実。

「変化は摩擦を生み、摩擦は進歩を生む」の言葉を思い出す。この事件が進歩を生んだかは怪しいが、行動を起こす原点にはなった。

何れにせよ、血気盛んな府中寮は徐々に落ち着き、2010年には老朽化で廃寮となった。今では信じ難い思い出が残るだけである。長髪に合掌。