2019年2月23日土曜日

ご縁が一番!

最近、26年ぶりにお会いした方に「何かのめぐり合わせ、ご縁ですね」と仰って頂いた。
瞬時によみがえる記憶と印象。容姿の変化はお互い様だが、根っこも眼光も変わらない安心感。「出会いは人生の宝」を実感するひと時である。

「ご縁」とは一体何だろう。人生は「命」という限られた時間を過ごすこと。この多くを、人様との出会いで費やす。生涯にしっかり出会える人は、約2000名程度と言われている。ならば、成長と感謝に包まれた出会いだけにしたいもの。私は、家内を筆頭に、多大な影響や成長させて頂いた出会いを「ご縁」と感じている。


私の人生最初の出会い・ご縁は両親だ。豊かな愛情と何不自由ない環境に感謝しかない。振り返ると、友人、先輩、先生、上司など良きご縁ばかりだ。良い悪いは自分の価値観なので、嫌悪、恨み、妬みの出会いの方は「反面教師」だと感謝するに切り替える。

いやいや、そんなに簡単じゃない。「嫌な奴は嫌だし、苦労したよ」もよく分かる。
私はそんな時「人生は一度だけ、そう思ったほうが楽しい」と唱える。相手を変えるより、自分を変えたほうが、よっぽど簡単だ。世の中で変えられないのは「他人の心と自分の過去」で、変えられるのは「己の心と自分の未来」と云うではないか。

固定観念・概念をぶち壊せ!


一般的に4歳までが生得的概念づくりといわれ「大きい・小さい・人・花・動物」などを認識、概念化する。人は優しい、動物が可愛い、花がきれいなどは、ここから始まる。そして、4歳過ぎに「自我」に目覚め、無数の概念の分別が本格的に始まる。

「真・美・善」と「偽・悪・醜」は成長過程での重要な分別。経験と脳の感覚機能の連合体で勝手な判断をするので、その環境次第で人それぞれ異なってくる。所詮、固定観念での「虚論」。善悪の概念は社会的秩序のために「法律」が生まれたが、これも国と歴史で変化するから、不変の概念の正解など存在しないのだ。

つまり、自分の固定観念と概念が正しいなどは大間違い。人様の本質を見抜き、自分の固定観念と概念を変えていくのが当たり前と、思い知ることだ。

歩道上の自転車を、突然なぎ倒す人をみたら「怖い人」と思ってしまうが、実は盲人用黄色ベルトを邪魔する自転車を排除して道案内したら「心優しい人」に変わってしまう。

小学生の理科テストの実話。固体の氷が解けたら「水になる」が正解だが、1人の子どもが「春になる」と応えた。これって、不正解?こんな素敵な感性の子には100点満点だよ。

感性を磨き、本質を理解し凝り固まった観念と概念をリセットすると、もっと色々なことが見えてくる筈。そうなると素敵な「ご縁」の出会いも飛躍的に増える気がする。

取りあえず、私の誕生日は祝って貰いたい日でなく、この世に生を授けてくれた最初のご縁「亡き母に感謝する日」に切り替えることを改めて決意した。

良きご縁が楽しい



2019年2月2日土曜日

安田学園柔道部⑥ 武道館の壁

高校柔道「3大タイトル」とは、①全国高校選手権大会(春の武道館)②金鷲旗大会(夏の福岡)③全国総合体育大会(インハイ)である。高校柔道部が目指す憧れの大会である。

3月の武道館・全国選手権大会を賭け、4地区予選を経た選抜メンバーによる東京都予選が開催。選手権は、個人戦が60.66.73.81K級と90以上の無差別級の各優勝者と、5名団体は勝ち抜き戦で、決勝の2校が武道館に進む。

安田学園は、81K級で増地選手が見事優勝し東京代表となった。加えて秋の国体の階級別予選参加者5名(ベスト8)が選出された。しかし、最大のヤマ場は団体戦である。

実は、昨年の実績でシードされた団体組み合せ表をみて、安田が東京代表への千載一遇のチャンスと色めき立った。周到な準備で望んだが、結果は力及ばず敗退。勝ちを目の前にしながらの惜敗である。悔しいの一言しかない。選手も応援者も、茫然自失であった。

勝敗を分けたのは「勝負への執念」かもしれない。力量以上に気持ちで負けたとしか思えない。敗れた心で糸が切れたか、その後の3位決定戦の不甲斐なさにも唖然。完全な気持ち負けである。どこかに油断や、諦めの弱い気持ち、自信喪失を、感じ取ったのは私だけでない。そのことが残念至極である。

部外者だが息子には、最後の1秒まで攻め続けず、受けに回ったことを責めた。詰めでの闘争心が勝敗の分かれ道だからだ。すると息子から「この負けを活かして、次回はガツガツいきます」との返事がきた。
いやいや違う「しなかった」から「次はする」の回答は単なる希望に過ぎない。

本気で変わろうとしない奴は、掛け声だけ。
本気で学ぼうとしない奴は、教えてもムダ。
本気で意識しない練習は、やっても成果なし。

と、息子に投げた。後は、自分で何が足りず、どうするかを考えて行動するしかない。
努力すれば報われるはドラマの世界。本気の努力で得るものは、報われなくても後悔しない納得感。振り返って、悔しさや「たら・れば」が出るうちは納得の努力ではない。

かく言う私も「あの場面でこうしていれば」の悔しさが渦巻くのも事実。未練一杯だ。
「後悔先に立たず」しか思い浮かばない凡人だから、坂村真民を読み返してみる。


「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」


そうか・・無心で嘆かずか・・後悔と未練を乗り越えるのも本気の努力だな。

納得の努力まで