2021年10月16日土曜日

心の声をきく。

 「発言」に自分の想いと感情をしっかり乗せて表現すると言葉は「言霊ことだま」に変わりパワーを持つ。それは相手の魂を揺さぶる力を持つ。

決して大きな声で、気負って話すことではない。伝えたい気持ちを強く持ち、相手の反応に合わせて言葉のトーンやリズムを変えるのだ。

言葉を言霊にするコツは、話し方に「間・まをとる」ことを私は講演経験で学んだ。聴く側の「心の声」と対話する想定で語ると間をとる事になる。

例えば「…これで売上は上がります」と言って一呼吸して見渡す。会場の大半が『本当かな』と心でつぶやく。このつぶやきを心で聞く時間を取り「そうです!上がります。但し途中で止めたり、中途半端はいけません」と繋げる。そして反応をみる。

落語家は左右の肩で人物を分け、声色と表情を替えて見事に演じるが、講演も商談も相手の反応を観ながら間を取るので、とても参考になる。

話術上達には落語が実に効果的。今更と思わず一つ好きな演目の完コピなら楽しい。私は枝雀の「代書屋」を覚えたが今は忘却の彼方だ。💦

挨拶でも「お早うございます」と言ったら、返事が無くても「お早うございます」と心の声を聞いてから次を続ける。焦って、相手の挨拶の途中で「本日は…」と被せてしまうと、事務的とかヒトの話を聞かないという印象を与えてしまう。


ヒトの話を聞け!


話す側より相手が傾聴モードにさせるのも重要だ。私は初講演は冒頭にプライベートな自己開示をして、先ず私に興味を持って頂くようにする。

もう一つ「オウム話法」も大切。相手の言葉をそのまま反復する話法で、先方が「この人、私の話を聞いてくれる」と認識し心を開く効果がある。

「やってられない」と言われたら「やってられないですか」と受けてから「何がやってられないの?」と続ける。「嫌な事がありましたか」は絶対ダメ。違う言葉に置き換えたら、相手は私の話を聞いてないと思ってしまう。

同じ言葉を、やまびこのように繰り返すから効果的なのだ。別名エコー話法。

お客様が肌が「カサカサ」すると言えば、何処が「カサカサですか」と返す。それを「水分不足」ですね、と返すから立ち位置を替えられ、化粧水を売ろうとされると構えてしまうのだ。

話し上手は聞き上手。積極的傾聴の先には、揺るぎない信頼関係が待っている。

以前日本一の美容部員に同行取材したが、彼女はお客様の心の声を聴く天才だった。相手の仕草から悩みを察知し、絶妙な相槌とオウム話法でしっかり聞き出し信頼されるのだ。

彼女は、お客様の家庭や仕事の話を傾聴し頷くだけ。その間、相手の手を揉み頬に触れ「だからお肌が悲鳴あげてる」と一言。最後は、激励と共に化粧品を並べて「これだけ使ってみて」と、使い方5分の説明で販売終了。まさにカリスマ接客。

私達は、心の声をどれだけ正確に聴けるか。自分判断で相手を推察する以外に、相手の性格とその時の心模様を知ると精度は更に上がる。

その為には相手の「第一感情」を見抜くことだ。例えば、迷子の子どもを発見したお母さんが「あんた、何処行ってたの」と怒る。だが怒りは第二感情で、見つけた時の「安心・喜び」が第一感情なのだ。安心が徐々に転嫁して怒りに変化する。

相手の第一感情の発見は、その場の表情をよく観察するしかない。第一感情は、瞬時に表情に出るのでそれを見逃さないことだ。

さぁオウム話法、傾聴、間をとり、話術を磨こう。くれぐれも気を抜いた間延びや、間・まを抜く「マヌケ」にはならぬようにしたい!



2021年10月1日金曜日

今までの自分が試される。

稚拙なブログだが「出会いは人生の宝」は変わらない。問題なのは、自分には宝の出会いでも、先方様も宝と思って頂いているかどうかだ。

お互い良き出会いなら最高だが、はっきりしているのは自分が「損した出会い」と思えば、相手もそう思っていると考えた方がよさそうだ。

懐かしい再会は嬉しいが、ビジネスや利害関係が絡む再会とは話が別だ。相手先様に、今までの自分が試されることになるから怖い。

当時は深い付き合いでも、会社や肩書きが変わったり魅力も無ければ、相手は洟もひっかけない。初対面も同じで先方様に適当にあしらわれたら、残念だが「不合格」と判断されたのだ。


実は、新ブランド「シンプュルテ」が、ECも百貨店様も好調な滑り出しで、当初から考えていた化粧品専門店様での展開をお願いしたくて、経営者の方々にアプローチしていた。

私がカネボウ時代にお世話になった全国有数の企業様だが、こちらは中小メーカーの未知ブランド、まして自分を覚えているかも分からない。

専門店流通から離れて15年。そのあとは違う道を歩んできた。既にカネボウ専門店の責任者は4代替わり、加えて定年退社から7年も経っている。

不安ながら先方にお手紙を発送後、電話をすると、何と嬉しいことに多くの方が覚えていてくれ、近況報告や発表会へと話が弾んだのだ。

思わず「今までの自分」が合格と喜んだが、合格はここまで。取引様となれば今までの自分から「これからの自分」が試されるフェーズになる。決して不合格は許されない。


世の中で一番哀れなのは「忘れられた人」


一体自分は、どれくらいの人を宝として積み上げられ、逆にどれだけの人に自分をそんな存在として記憶に残せたのだろうか。

仏の芸術家マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」に、この世で哀れな女とは、退屈な女より悲しい女、悲しいより捨てられた女、捨てられるより追われる女、追われるより病気の女、病気より死んだ女と続き、死ぬより哀れは「忘れられた女」だと言う。確かに忘れられるのは一番切ない。

これは20世紀前半の作品で女性蔑視も甚しいが、本質は男女関係ない。存在があるから嫌われるのであり、忘れられたら好きも嫌いもない。

薄っぺらな付き合いに終始すると、忘れ去られるばかりだ。やがて昔の仲間に忘れられ、家族や友にまで見放されたら、生きる気力を失う。

せめて生きてる間は、相手に良い記憶を残したい。亡くなれば、評価も後悔も喜びも存在しない。突き詰めると「今、この瞬間を精一杯生きる」しかないと痛感する。

敬愛する坂村真民の「今を生きる」を読み返す。

『咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる!』

猪突猛進の人生だったが、老いてくると「自分を見つめる」ことが多くなる日々である。