2013年1月30日水曜日

京都・嵐山 天龍寺での市川團十郎さんに感激した。  (後編)



市川團十郎さん「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイト称号受勲式

紅葉に彩られた天龍寺の庭園は息をのむ美しさであった。この世界遺産の庭園は、観る者を圧倒する。しかし、大方丈に現れた團十郎さんの姿は庭園に負けぬほど、オーラが漂っていた。血液型が変わってしまうほどの厳しい闘病、多くのご苦労を経て、舞台に立つ團十郎さんが、今、こうして同じ空間にいる。
そう思うと、普段はあまり人様の前で上がる事など無い私だが、さすがに緊張してきた。

実は、昨夜、苦労して作った原稿を横目で見ながらスピーチをやってみた。
「気負いすぎ。原稿を意識しすぎて全く面白くないし、貴方らしさが無い」
家内に一刀両断された。團十郎さんにお墨付きをなどと思っているうちに、棒読みのつまらない話になっていたようだ。
「よし、原稿を捨てて、いつものように自然体で話そう」と決めた。
そう(以前に話したが)「難しい事はやさしく、やさしい事は深く、深い事は面白く」だ。
私は、忘れてはまずい事だけを書いたメモだけを持ってその場に臨んだのである。

受勲式後の私のスピーチは肩の力が抜けて、いつもの「タナベ節」で、團十郎さんとご列席の方々のやさしい笑顔にも助けられ、「舞台白粉」の想いをお伝えできたようだ。

市川團十郎さんの受勲お礼のスピーチ

團十郎さんは、私のスピーチを受けて当初の受勲挨拶に無かったと思われるカネボウの「舞台白粉」に関する話を挿入し、返礼してくださった。
そこには「舞台白粉」に対する知見と愛情が込められ、同時に、支えてくださる全てのものに対する感謝に溢れていた。

スピーチは「役者にとって『化粧』はいのちでもあります」から始まった。
銅の酸化が緑に、鉛の酸化が白を生みと話し、白粉ができた歴史に触れ、現在の「舞台白粉」へと続いてカネボウ製品への感謝へと移る。
そして、私の話を受けて
「一時、カネボウさんが調子の悪かったときには、我々の『舞台白粉』を作ってくださらなくなるかもしれない、と心配をしました。しかしカネボウさんが製造を継続する英断をしてくれまして、現在も『舞台白粉』を使う事が出来ます。そのことに本当に感謝しております。歌舞伎の隆盛や市川一門がこうして舞台に立てるのも、カネボウさんのお陰でございます」
と、12代目團十郎さんが私に頭を垂れた。
思わず私も立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。カネボウ人として感激した。

日本の「化粧文化」を伝承するんだという先人の想いが、この「舞台白粉」を絶やすことなく引き継いできて「本当に良かった」と思った瞬間であった。作り手として一番認めいただきたい方から「お墨付き」を頂戴したのである。



私たちの活動の目的のひとつに「日本独自の化粧文化の創造」がある。
そして一人ひとりの求める美しさを高め、「美しさの先に笑顔を」というカネボウの使命を再認識できた気がした。團十郎さんの笑顔は、私たちの「舞台白粉」を守る活動が、その目的へ向けて最高の役割を果たしたとの誇り、自信と勇気を与えてくださった。

「目的」と「手段」をしっかり意識する事はとても重要です。自分の行動が何の目的を遂行するためにやっているのかを忘れない事が大切で、「惰性」は手段を目的化してしまう。

月次会議で「市川團十郎さんのスピーチ」と事の次第を社員に紹介させていただいた。
私たちが何気なく行動していること全てにはちゃんと意味があり、多くの人々の工程を経て自分に回ってくる。自分が日々こなしている行動が、「何の目的」に向かうかを認識して活動することを忘れないようにしたい。
私たちの行動一つ一つを精査しながら、この時を過ごせれば最高である。

改めて、市川團十郎さん、成田屋、市川一門、そして歌舞伎の益々のご隆盛とご健勝を祈念申し上げます。
市川團十郎さんが現在、療養中ということを耳にし、とても心配しております。
常に、私共に夢と希望を与えてくれる「不撓不屈の團十郎さん」の一日も早い舞台復帰を心よりお祈りいたします。
                             

2013年1月17日木曜日

京都・嵐山 天龍寺での市川團十郎さんに感激した。  (前編)


最近めぐり会った方から、
「京都・嵐山にある世界文化遺産の庭園で有名な禅寺『天龍寺』に行きましょう。イタリアの初代国王を輩出したことで有名なイタリア王家サヴォイア家の権威ある『聖マウリツィオ・ラザロ騎士団』ナイトの称号を市川團十郎さんが受勲されます。その受勲式に列席しませんか」というお誘いをいただいた。



思わず「へー」と驚いてしまった。断る理由があるわけがない。「行きます」と即答した。

高鳴る気持ちを鎮めてこのお誘いをまとめるとこうである。
・「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイトの称号を、歌舞伎界の大御所・市川團十郎さんが受勲するということ。
・受勲式は、古都京都の文化財として世界文化遺産の一つに登録されている臨済宗の禅刹「天龍寺」で開催され、紅葉染まる世界遺産の見事な庭園と市川團十郎さんを独占できるということ。
・受勲式後、天龍寺「龍門亭」で有名な精進料理の会食をするということ。

「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」のメンバーとして出席されたサンマリノ共和国駐日特命全権大使のマンリオ・カデロ閣下には、イタリアの小さな独立国家サンマリノ共和国の歴史と、街並みそのものが世界文化遺産であることを丁寧に教えていただき、由緒ある「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」の現在の目的は、貧困や病に苦しむ人々を救う事のほか、慈善活動への取り組みや、模範的生活を過ごし社会に貢献する事などもうかがった。
また、大使は相当な親日家と思われた。「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」のこれまでの受勲者についても、日本の皇室、文化、伝統芸術、社会に貢献された方ばかりで、前回は読売巨人軍永久名誉監督の長嶋茂雄氏、その前は米国のヒラリー・クリントン氏が受勲されたと説明してくださった。

以前、團十郎さんの著書『團十郎復活―六十兆の細胞に生かされて』(文藝春秋)を読んだ。血液型まで変わってしまったという白血病との闘病記であり、ご自身の信条、日常のエッセイなども綴られた感動的な一冊で、一気に読破したことを覚えている。
歌舞伎界をリードしてきた市川家の芸である「荒事」として圧倒的な存在感を持つ、あの團十郎さんにこの目の前でお会いして、話してみたいという思いが当然ながら募った。

が、そうした気持ちの一方に、私の中には別の「特別な理由」があった。この「特別な理由」を、受勲式の運営者である「一般社団法人 国際文化 和の会」の佐藤代表理事にお話しすると、「それは、素晴らしい話ですね」と感心し、是非「市川團十郎受勲式で披露してほしい」と。そして、受勲式典でスピーチをすることになったのである。

その「特別な理由」とは、「激動のカネボウの歴史」の中でもあまり語られることは無かったが、決して忘れてはならない出来事でもある。

カネボウ「舞台白粉」は11代目市川團十郎との共同作業で誕生

現在も市川團十郎一門に使用されている白粉の正式名称は「カネボウ『舞台白粉』ステージカラー」という。つまり我が社の製品である。先代の11代目市川團十郎さんと我が社が共同で作り上げた舞台用のおしろいなのである。

1954年(昭和29年)カネボウ「舞台白粉」が生まれる。この商品は6代目尾上菊五郎さんから依頼を受け、菊五郎さんが完成の5年前に亡くなり、團十郎さんが引き継いだと思われる。

その後、團十郎さんからの要請で現在の「カネボウ『舞台白粉』ステージカラー」が開発されたのが、1960年(昭和35年)のことである。カネボウ化粧品の母体である「KBK商会」から始まった「舞台おしろい」は、團十郎さんとともにカネボウが総力をあげて取り組んだ「開発テーマ」で、かなり高いハードルを超えねばならないものであった。

安心・安全は勿論の事、温度差や激しい動きにも崩れないといった機能的な面のクリアに加え、歌舞伎に最も大切な「隈取(くまどり)」のコントラストに重要な下地である「白色」の頂点を極めることが求められた。
このテーマを追求する開発者は出来上がった試作品を團十郎さんと幾度となくやり取りし、ようやく完成したとのことである。
團十郎さんはこの製品に満足されて、商品パッケージに歌舞伎座の緞帳模様が使用できるよう、関係者の方々から了解を取り付けてくださったという。「カネボウ100年史」に感謝文の記載がある。
こうして53年前に完成したカネボウ「舞台白粉」を、現在もご提供させていただいている。


数年前、激動のカネボウ時代に産業再生機構から「利益なき事業の撤退要請」があり、日本の伝統文化に貢献するこの商品にも存亡の危機が迫った場面があった。自前の直販体制が前提では、この商品を残せないとの判断から。
しかし、KBK商会時代の開発者の一人であった株式会社コスメティック・アイーダの会田会長に販売総代理店をお願いし、カネボウコスミリオンでの継続を可能にした。「日本の化粧文化」を残すという先達の苦心の賜物であった。

私自身、「舞台白粉」の歴史を調べてみて驚いたことだ。市川團十郎事務所にお届けしている商品にこんな歴史があろうとは思わなかったのだ。
歌舞伎座の緞帳をカネボウ繊維が作成した、映画界用のメイクには力を入れていたといった話を断片的に耳にしていたが、この「舞台白粉」はまさに11代目市川團十郎さんの「お墨付き」であったのである。

私は、12代目市川團十郎さんの受勲式でこの話を披露させていただき、そこで團十郎さんのお墨付きを頂戴できたらどんなに幸せかと思った。
「舞台白粉」が、市川團十郎一門の「縁の下の支え役」として存在でき、ご愛用者の團十郎さんに認めていただけたら、化粧の世界に身をおく者として無上の喜びなのである。


2013年1月7日月曜日

2013年初春に向けて

 新年明けましておめでとうございます。



若い頃の時間がゆっくりと流れている感覚から、50歳代後半になると加速度的に時が流れます。特に最近は、役割として会社の運営上、各部門の業務プロセスを見つめて絶えず次の活動を相談しあう場面が多いためか、バタバタと一日が終わり、またたく間に一年が過ぎてゆきます。

思い起こせばカネボウ時代、寝る間も惜しんで全員が火の玉のように突き進んでいました。
「カネボウ、ドロボウ、ショウボウ」といわれ、夜遅くまで働き続ける「3つのボウ」と自虐的に自分達を表現していました。
しかし今、「いかに限られた時間内に成果を出すか」が問われる時代です。
時間管理は劇的に変わり、「長い」時間をかけるのではなく「深い」時間をかけることになって、活動テーマに合わせた時間の選択と集中と、空いた時間の過ごし方が重要になると思います。

一日が24時間。誰にでも公平に与えられた持ち時間です。
いつ、何処にいても、暗い夜のあとには夜明けの明るい陽が昇ってきます。

「人が生まれ出づるまでに過ごす時間は母親の胎内での10月10日間であり、これが『生きる』ことに費やす時間。そして、この世に生を受けた瞬間から次に過ごすのが『死』に向けての時間を過ごす事になるのである。だから悔いの無いように過ごそう」という話を耳にしたことがあります。
最初聞いたときは「結構ストレートすぎる表現だ」と思い、ピンときませんでした。しかし、社会人としての定年を目前にすると「今を大切に、何事も全力で取り組め」ということなのだと痛感しています。

山本周五郎の時代小説に、「主君のために死ねるか?」と問われた武士二人の行動を書いた本があります。一人は「見事切腹して見せますので、家での後始末の時間を下さい」
と決意を見せ、もう一人は、その場で腹を切ろうとします。
常に、その場で己の命が消えても悔いない行いと、後に残された者が困らない立ち振る舞いをする決意をし、日々実践することが「真の武士」たる価値、と書かれています。
確かに私たちも、いつ何時、不慮の事故で命を落とすかもしれません。突然の病に倒れる事もあるかもしれません。その時にそれまでの所業を嘆いても後の祭りです。
かくいう私自身、今この瞬間に死んでしまったら、恥ずかしくて棺桶にも入れません。

多くの大切な方との別れの場面で「もっと何かできたのでは」「力になれなかった」と悔やむ事があります。周りの側より一番悔しいのは亡くなった本人だと思います。

「限りある命を、精一杯生きる」

この世に生かされている私たちの不変のテーマかもしれません。しかし、人間以外の生物は一生懸命生きて、後世に子孫をつなげ、命の連鎖を切らさぬために、躊躇することなく精一杯生きています。
精一杯生きる事を悩み考えること自体が、「煩悩だらけの人間」としての恥ずかしさ一杯の所業なのかもしれません。

「この時をどう過ごすか」などと難しく考えると疲れてしまう! 私はシンプルに考えます。「出会い」を人生のプレゼントと思うことにしています。人に会うときはその人を「大好き」になる事を目標にします。そうすると、お会いした方の良い所がみえてきます。
そうして好きになると、その人のことが必ず気にかかります。当然ながらいつまでも良い関係を築きたいので、絶えず本音で正直に接するように努めます。
そのほうが楽ですし、先方も楽なようです。中には正直さが災いして、嫌われ、その場限りというケースもあります。それはもともと続くわけが無い関係、仕方ないと諦めます。

我が家の中でも、その日に起こった出来事、娘の受験、息子の試合など、まるで連続ドラマのように気になって仕方ありません。テレビのホームドラマよりリアルです。
いつも根掘り葉掘り聞き出します。ですから自分の心配をしている暇がないのです。
会社では都度、気になる人がたくさんいて、企業連続ドラマです。
家庭でも職場でも、こうして根掘り葉掘り聞いていると、やがて相手が一生懸命になって話すようになります。そして、面白いことに今度はその人が私のことを根掘り葉掘り尋ねてくるようになります。相談したり修正したりと関係が深化します。
こうなると連続ドラマの脚本がうまく書き直されていくように、家庭も職場もハッピーストーリー展開の運びです。

毎日、そんな風に過ごして積み重ね、ふと、気がついたら「けっこう精一杯生きていたなあ」と、思えたなら、最高だと思います。
今日も一日終えようとしています。
熱い風呂に入り、温まって寝ることにします。
何事もなく、明るい朝を迎えて、また、根掘り葉掘り聞いたり、話したりするために。

                            田辺志保  2013.新春