2018年6月2日土曜日

安田柔道ものがたり② ケガをするな、させるな!

この春、安田学園柔道部は新人も加わり、息子も高2となった。秋まで関東大会、インターハイ、国体、金鷲旗、全日本ジュニアと大会が続く。全国の大会は予選から長丁場で、他も平行するので、選手のケガの有無と適正を考えながらメンバーを決める監督も大変だ。

ケガをするな。ケガをさせるな。


選手は体重と身体管理は勿論、練習中の気の緩みも厳禁である。先日も骨折者を2人出したが、ライバルより「故障」が最大の敵となる。何より稽古を積んできた本人にとって最もつらい事態だ。実力も努力も一瞬にして水泡と化す。

息子も中3で全中千葉予選前に左足首を骨折。治療とテーピングで勝ち抜くも、決勝戦で骨折の左足首を攻撃され、個人代表を逃した経験を持つ。先日は先輩が試合中に肩を強打。痛みで次の相手に惜敗し、関東大会無差別代表を逃した。のちに骨折と判明。続くインハイ個人戦は諦め、団体戦に全てを掛ける。今までの功績など関係ない。

今、世間を騒がす「悪質タックル」などは、卑劣極まりない行為である。以前は柔道も暴力問題に揺れたが、全柔連中心にルール改正や指導者の自浄努力で確実に功奏している。何より、選手生命を左右する事態を、意図的に集団で画策するなど言語道断である。

私も一昔前「けんか柔道」に遭遇している。襟裳を取って引き寄せたら、いきなり顔面に頭突きを喰らわし、フラッとした瞬間に技をかけるのだ。不思議と学校が偏るのは、指導者が容認するのか、血気盛んな選手がたまたま多いのかは、誰も判定できない。

息子は、もろに頭突きを喰らい鼻血を出した。出血は医療班がきて止血し、即試合再開。医療班は3回目を呼ぶと棄権負けになるから、後は自力で止血するのだ。因みに血のついた道着は、相手の要求で取り替えねばならず「代え」が無ければ棄権負けだ。

正々堂々と戦う気持ち


当たりの激しいスポーツは、いずれも凄まじい。だからこそ「故意」と「過失」の判断は難しい。意図して相手をつぶすは、本人しか知らない。正しく戦う心を醸成し、自覚なしの「過失癖」なら、それを指摘する指導者と本人が矯正する努力を忘れてはいけない。


先日のインターハイの支部予選では、個人戦各階級と団体戦も上位で通過。次の東京都の個人戦は、安田の選手は善戦するも残念ながら、軽量級が足立学園、重量級は国士舘にほぼ独占された。幸いなことは、大きなケガがなく次の団体へと繋がることである。

東京都は、全国から猛者が集うだけに優勝は簡単ではない。残るは、インハイ団体戦で東京代表の上位2校に入るしかない。実は、安田学園は支部優勝したので、期待して6月17日の組み合わせをみると、国士舘シード1のベスト4のヤマに安田がいた。

組み合わせの不運と「個人戦では重量級が国士舘に玉砕したが・」と嘆いたら、息子から「だから優勝するしかない」と返された。今、弱気な発言は厳禁だ。自分が恥ずかしい。

頑張れ、安田学園。気持ちで負けず、正々堂々と戦えよ!そして、インハイ2018の開催地「三重」へのキップを手に入れろ!・・最後に一言、「ケガだけはするなよ」。

正正堂堂こそ威武堂堂



















2018年5月19日土曜日

思い出には勝てやしない。

先日、ドキドキして読んだ文庫本がある。定年後の生き様を描き、映画化された内館牧子の「終わった人」だ。年配者用の大文字が気になったが、それより色々考えさせられた。

文中の「思い出と戦っても勝てやしない」のセリフに思わず共鳴。美化された思い出は、現状に不満がある場合は絶対に勝てやしない。小説では、肩書き、権力を失った主人公が引退後、悲壮感と虚無感に苛まされ「栄光の思い出」を乗り越えようとする。

恋愛や結婚も同じで、冷めて「熱愛の思い出」を引きずるのは辛い。逆に辛辣化された思い出は、破局を納得して元気になる。以前も書いたが、女性は恋愛を上書き保存する方が多く、思い出を消去するので、立ち直りも早い。別保存する男は、とかく引きずる。

つまり、良かったと認識する思い出ほど未練タラタラとなり、現状を憂い、懐かしむばかりで、前へと進ませてくれない。人生の終わりの回顧なら結構だが、次へ進むなら回顧主義に浸るのを止め、比較の不可能な「新たな思い出」を作ろうと決意することである。

決意しないと、延々と昔の自慢話をする人になる。聞いている方は閉口し、結論は何かと聞きたくなる。同じ話でも、教訓の事例集のように話される人は素晴らしい。客観的に分析し、相手に役立つ何かを伝えようとされるので、思わず聞き耳を立てたくなる。

知識や経験を惜しみなく伝える人


「自慢だけのめんどくさい人」と「知識や経験を惜しみなく伝える人」の別れ目は、本人の「心のあり方」で決まるもの。「自慢を聞かせたい」から「何かを伝えたい」へと自分自身を「主客転倒」できるかどうかだ。自分は伝言係と心得ると簡単である。

ちょっとしたコツから、成功・失敗まで「人から得た知見」を、他の人に伝えていくだけ。この巡りが思い出だから、魅力ある高品質の「伝道者」に切磋琢磨したいものだ。

少子高齢化の45年後には、18~65歳の働く人が、2人に1人になってしまう。今、自分たちがすべきは、「知識や経験を惜しみなく伝える人」の実践者になることだ。結果的に「強い個人」の拡大と連鎖が、如いては「強い集団」へとなるはずだ。

実は、弊社のマーケティングパートナーへの「社員としての宣言」の一つに「知識や経験を惜しみなく伝える人」とあるのだ。手前味噌だが、着実に強い集団に成長している。
ちょっと自慢に聞こえたならば「お伝えしたいが故」とご容赦願いたい。

「終わった人」URL
https://news.yahoo.co.jp/byline/torusaito/20180516-00085052/

新たな思い出を重ねて









2018年5月4日金曜日

お江戸の頃から「読み・書き・そろばん」

大昔より「読み・書き・そろばん」が大切だと言われている。時代でスキルは様変わりしようが、本質は不変である。現代は「入力・出力・判断」ともいえるらしい。

まず最初の「読む」。活字離れが進み、今の若い人は本を読まないといわれる。高速でスマホに文字入力する若者は、ネットで検索したりニュースや本を読むから、辞書と新聞、本の紙媒体は減少しているが、はたして本を読む人は減ったのか。

10年前、日本では年間7.7億冊の本が売れたが、今は6.6億冊に減少。しかし全国の図書館の貸出しは年間2億冊増え、古本も何と2億冊も増えている。本の拡大とデジタル文字を併せ、膨大な活字時代である。つまり、どう「読む」の置き換えなのだ。

「読む・書く」に共通の「文字」とは想像力を養うもの。文章から場面をイメージするから「海と太陽」と書かれても、太平洋側は海から太陽が昇り、日本海側は海に太陽が沈む。環境と経験での既成概念が「想像の元」になるので、当然違いが出る。他人の網膜の像は見ることが出来きず検証も不能だ。

揉めるのは「優先順位」が違うから


組織内で物事を共有化するには、互いの概念の違いを前提に、価値観と優先順位の刷り合わせに苦労しろ!という事だ。ベクトルを一致させたらプロセスと結果を追い求める。商売なら「お客様は神様」が最優先。上司でも部下でもなく、まして自分の都合でもない。

息子は今の柔道成長が最優先で、進路や就職など全く考えていない。夢を追うには大学での柔道も継続する必要がある。その為に、今をどう過ごすかを最優先課題として欲しい。

だから「そろばん」つまり物事を算段するのだ。娘は海洋設計士の取得に追われ、回りが見えない傾向がある。ロービームでやる事とハイビームの視点で「なりたい人物像」に自己研鑽することだ。努力に限界はなく、あるのは自己マネジメントの意識の差である。

「読み、書き、そろばん」は「語学、PCスキル、問題解決能力」に変わり、今はそれも変化する。決済や仕組み化がスマホに押され「PCが苦手」な若手層を出現させている。

しかし、世の中どうなろうが「読み・書き・そろばん」の習得と「相手を思いやる」心の余裕は重要事項。老いも若きも、これを身につけるに越したことはないのだ。

実は「書く」に関して、大いに戒めたいことがある。私自身が日々、PC・スマホが中心の生活とボケが重なり「漢字」を忘れてしまい、手書きの手紙に四苦八苦している。

スマホで漢字検索しながら手紙を書く。この情けなさを恥じるのは、私だけだろうか。


読み書きと、先を読む算段!





2018年4月14日土曜日

虎姫キャンディーズで思うこと

久しぶりに友人と「虎姫一座」に出かけた。5年ほど前に、このブログで紹介したことがあるが、浅草で昭和歌謡ショーを楽しませてくれるショーレストランである。

以前は「シャボン玉ホリデー」ザ・ピーナッツを絶賛したが、現在は「キャンディーズ微笑返し」編である。虎姫一座が踊りながら歌う「年下の男の子」を、とんでもない年上の中年の男の子が拍手喝采。当時を懐かしむオヤジ達には堪らない演出である。

ここの客層も少しずつ変化している。「虎姫一座」は当初、エノケン、笠木シズコの昭和初期ファンから、1950年代、1970年代へと戦略的にターゲットをシフトしている。TV業界の懐メロ番組も同様で、今は50代以上へと変化している。

当時、爆発的人気の「キャンディーズ」は、アイドルファンを大学生まで拡大し、ヒット曲を連発した。虎姫一座で知ったのだが、解散宣言後、ランちゃん、スーちゃんの後押しで、ミキちゃんがセンターをつとめた曲「わな」の誕生エピソードも3人の絆を感じる。

最後のシングル「微笑返し」は、楽譜初見でリハなしという実力勝負で、見事な出来栄えと惜別するスタッフ一同は涙、涙の収録だったそうだ。

3人は前もって絶頂期での解散を決めていて、その人柄と、わずか4年半の生き様も潔く、いまだに多くのファンを魅了し続けている。そのキャンディースが解散して40年が経つ。1978年昭和53年4月、彼女達は惜しまれながら「普通の女の子」に戻っていった。

楽しく迎える老後の世界


私は当時大学4年も終わり、友人といった「合歓の里」で、キャンディーズの解散コンサートの合宿に出くわした記憶が鮮明だ。そこから会社員人生が始まったが、案の定、仕事漬けとなり、完全に浮世の世界とは隔離され、芸能関係は無知となる。

36年の激動のカネボウ時代を経て、現在は成長著しい「フュージョン株」で充実の41年目を迎えている。優秀な社員たちからも優しく敬老?頂き、幸せ者だと感謝している。

皆さんにとっても重要なシニア市場、東京オリンピックの2020年には65歳以上の33%が一人住まいとなってしまい、2025年には国民の3分の一が65歳以上で、75歳以上は五分の一になる。これは人類史上経験のない「超高齢化社会」に突入することになるのだ。

楽しい超高齢化社会に向け努力すべきは、以前にも述べた「今日、行くところがある・きょういく」と「今日、用事がある・きょうよう」への探求心と、その実現なんだな。

昭和53年風景と岐阜配属時代








2018年3月17日土曜日

昭和のにおい

平昌冬季オリンピックでは、開催国の人とパワーが、ライブで世界に評価される事を痛感した。そして、一気に東京オリンピックの責任と期待が高まる。これを機に我々が、開催国としてのプレッシャーを感じることは悪いことではない。

日本の復興を世界中が認知した1964年東京オリンピック。昭和39年のことである。私は小学3年。裸足のランナー・エチオピアのアベベや、柔道無差別級・オランダのへーシングが優勝したのは今でも覚えている。日本はレスリング、柔道、体操などの大活躍で29個のメダルを獲得してソ連、米国に続き世界3位の獲得数を誇った。

次なるイベント、大阪の日本万国博覧会(大阪万博)が1970年、昭和45年のことで、中学3年の修学旅行が万博だった。大変な混雑で米国館の「月の石」は拝めず、太陽の塔の下で暑くて座り込んでいた。6ヶ月で643万人の来場者と、最先端の建造物とインフラ整備は「日本ここにあり」と誇らしかった思い出でもある。

男前の楽しかった昭和時代


ツギハギの古着が、新品に替わる高度成長の大量消費時代から、オイルショックで「天然資源は有限」を実感。ファミコンは子どもの娯楽を大転換させ、今までの価値観を失うバブル期。それも土地神話崩壊と共に泡と消え、不景気の厳しい時代に突入。昭和後期は庶民も企業も、激動の時代を乗り越えてきた。

子ども達にこんな話をすると、興味深々で質問攻めにあう。教科書の世界を体感した「生きた化石」を見る眼差しは、少し複雑だが案外嬉しそうな自分もいる。

子ども達には、私の「昭和言葉」も意味不明らしく、えもんかけ・ズック・背広・ちり紙などは?死語だそう。私が『「背広」を「えもんかけ」に掛けて「コールテン」の「ズボン」と「チョッキ」を羽織って「床屋」に行く』と話しても、平成生まれには全く通じないので要注意。これに違和感ない方は、私と同じ昭和のにおいだ。

今は平成30年。人口25%の31歳未満の方は既に昭和を知らない。まさに「昭和は遠くなりにけり」であるが、子どもの頃はのんびり、おおらかで「向こう三軒両隣り」は親戚同様で、不便を不便とも感じない昭和時代であった。

昭和時代の、手紙・固定電話・集金・ノートにメモの文化から、スマホ・PC・電子化・AIなど、ツールと仕組みは劇的に進歩したが、不思議と日々の忙しさや煩雑さは変わらない。技術の進歩の効果・効率化の追求は、かえって業務を拡大させている。

多様性と個人を重んじる社会では、管理者に従来のマネジメント以上の緻密さと柔軟性を必要とさせる。その為にも絶対に外せないのは「あなたに従う・あなたの為に」と思わせる人間的魅力と、強いリーダーシップが前提となることだ。昔から不変なこと。

「あたりまえだの」苦楽化(クラッカー)は、昭和も今も、判断・同意・承認は「人」が「人」にするしかない。伝統と革新「不易流行」は「人が根っ子」で成り立つのだ。

昭和の良き思い出、古っ。










2018年2月17日土曜日

安田柔道ものがたり2018①

2018年早々「全国高校柔道選手権大会」東京都大会が開催された。個人戦は各階級1名、団体戦は上位2校が全国大会に進む。安田学園柔道部は健闘したが惜しくも3位で終わり、優勝の国士舘と準優勝の足立学園が全国進出を決め、安田は補欠校となった。

国士舘、足立、日体荏原、修徳が東京シード4強といわれて久しいが、今回、安田学園がその構図を変えた。この安田の動きに他校も黙ってはいない。ライバル校は相手メンバーの階級、得意技、弱点の分析と攻略法を念頭に、練習と身体作りを仕込んでいる筈だ。

安田の新3年生は重量級揃いだが、新2年生は実力者だが重量級選手が少ない。どうしても5人の団体戦では「重くて強い」選手が揃っている方が有利である。

たしかに軽量級選手が、重量級から一本とる爽快感はある。しかし階級差にも限度があり、出来るなら「食いトレ」で体重を増やし各自の階級を上げたいものだが、軽量級選手は体脂肪率が数%台の筋肉質と、それに合う胃袋なので大変な荒行である。

もとから大喰らいの息子は、中学3年「81kg階級」から高校1年後半で「100kg階級」に上げられたが、一般的には練習で体重が2~3kgは落ちるので、維持する以上のカロリーを摂取しないと体重増加に転じない。まして、肥満体は不要で、ついた脂肪を筋肉に換えて絞り込み、また増量の連続なので、まさに「食い続ける意志と胃袋」も必要だ。

逆に階級を下げるのも大変である。痩せるだけの食事制限でなく、本来の動きやパワーを損なわない栄養とトレーニングが前提になる。理想は、少し階級上限超えの体重とパワーで、少し減量(絞る)でパス!だが、現実はそんな簡単にはいかない。柔道に限らず階級制の競技は、自分との戦いも並行するので、その分厳しいのかもしれない。

花は一瞬にして咲くのではない、花は一筋に咲くのだ。



安田学園柔道部の次なる目標は、夏の総体(インターハイ)都大会で、個人戦各階級優勝と、団体戦で上位2校に入り全国大会に進むことだ。新3年生は7月の金鷲旗大会、8月の総体インハイで全国規模の大会は引退となる。途中、予選負けでは終わりたくない。

5月26,27日の都大会個人と6月10日の団体戦に向けて、体調と体重の自己管理、技の研究、持久力、筋力、体幹の鍛錬など、安田柔道部の再始動は熱くなってきた。
川合先生作成のスケジュール表は「残り110日、109日・・」と日別に記され、寒稽古、出稽古、講道館、春休みの関西遠征など行動計画も余念が無い。目指せ!全国大会だ。

安田気質は「強制的にやらせる」でなく「自主的にやる」だ。「手抜きやズル」も「一途や真面目」も己の裁量である。自らの課題の克服に一日一日を過ごし切るだけである。

「一途な彼ら」を見守るだけの私が、今出来るのは、先人が残した真理「珠玉の言葉」の伝道と、子どもたちの報告に耳を傾けるだけである。

一途な安田の面々と、大喰らいの階級変化模様









































2018年2月1日木曜日

にんげんりょく

スマホを離せない人が当たり前のようだ。電車でスマホ、会社ではPC業務、自宅でスマホ、PC、ゲーム、動画。これらに費やす時間はおそらく「人との接触時間」を越えている。メール、チャット、SNSを駆使すれば、1日に1度も声を出さないで済んでしまう。

あくまで私見だが、会話が乏しい方の傾向として「話下手」「聞き下手」「表現下手」が多く「無表情で声が小さい」もある。勿論、会話減少がスマホが原因と言うつもりはないが、子ども時代からの使用は「ヒトとの会話」を減らしている一要因ではある。

友人の日本プレゼン・スピーチ協会の荒井理事長は「人の話を聴く」と「人に話をする」ことは、相手と「命」をやり取りをすることだと言う。つまり「命=時間」。聴くことは、相手に時間(命)を差し出すことで、話すことは相手の時間(命)を頂戴することである。真摯なやり取りをしなければ、勿体無いし、相手に対して申し訳ない。

真摯なやり取りとは、スムーズな会話のことでなく、聴いてくれ、話してくれて「有難う、良かった」と思い合えること。その為に魂こめて五感で会話をすることだ。我々は地上最強の哺乳類上の「ヒト」であるが、ヒトとヒトの間に生きる「人間」でもある筈だ。

勿論、我々は「人間」として常に発展途上であり完成形ではない。未完成ゆえに「上っ面の会話と接触」は、相手の受け止め方に違いが出てくる。だから言動による被害者と加害者の過剰反応が横行する。受け止める感性と、好きか嫌いかの背景もあり、だれも真実は分からない。しかし加害者にならない為には「相手への気遣いしかない」のは事実。

「世の中」渡るには全て相手がいるわけで、無人島でもない限り「自分ひとりの起承転結」は限られる。だからこそ相手を想った「命のやり取りの会話」「五感で会話」を心がけ、仲間と、刺激しあい、励ましあい、認めあい、喜びあう方が良いにきまっている。

まず、些細なことから会話をはじめる。「苦手な相手」とはその方の「人間的側面」を知らない場合が大半だ。重要なことは「自分を分かってもらう」でなく「相手を分かろうとする」会話を肝と命ずることだ。そうすると、相手が違って見えることに驚く筈である。

人間力を育む達人たち「相田みつを」と「坂村真民」の言葉が、今更ながら身にしみる。