2017年9月5日火曜日

正しく行って何人も恐れず。

我が社でも「危機管理対応」と事前対策の「リスク管理」の取り組みに余念がない。
企業を取り巻く危機は自然災害だけでなく、不祥事発生の信用失墜、情報の漏洩や大規模システム障害、製品欠陥や偽装の賠償、労働環境、内部告発などキリがない。

我が社は情報漏洩は特に気を使う。危機管理は勿論のこと、リスク軽減の為、機密データを扱うチームはガラス部屋で仕切り、社員でも簡単に入れない。ISMS受審もその一つだ。

危機は連鎖する



以前、あらゆる危機を経験して「危機は連鎖する」を前提の管理体制の重要性を痛感した。「粉飾」「役員逮捕」「上場廃止」「分割統合」「買収」の連鎖は、想定をはるかに超えていた。マスコミの報道合戦の渦中は、中堅幹部の捜査の対応、取引先様への説明責任、社員の伝達・応対法を検討するなど緊急会議の連続で、不眠不休でことに当たった。

新聞は、週末の金土日に3回連続の特集記事を組むことが多い。土日に落ち込む駅売り部数を増やす意図では?と勝手に考えているが、真偽の程は分からない。
とにかく当時は、金曜の朝5時前に日経、朝日、読売、毎日(当時は4紙取っていた)に目を通し、何もなければ週末は緊急招集はないな、と安堵した覚えがある。

経済面での報道の段階は、経済記者が本社限定の取材攻勢だったが、某有名司会者のTVの昼のワイドショーで「粉飾の悪しき会社」と紹介された翌日から事態は一変した。
中心事業の化粧品のお客様たちが反応したのである。馴染みのお店や化粧品売り場コーナーに、クレームや真偽を問いただしに来店されるのだ。現場は大混乱に陥る。

店頭の美容部員への「嘘つき会社の商品は買わない」などの声に彼女たちは泣いた。本社は「陳謝の心で接客を!」と指示していたから余計に辛かったに違いない。しかし、そのうち美容部員と信頼関係の深いお客様から、逆に励まされるようになる。「頑張ってね。経営の問題でしょ。応援するよ」これは、お取引先様からも同様の励ましの言葉を頂戴して、我々はどれだけ感謝し、何度頭を下げ、涙ぐんだことだろう。

売られる会社と買う会社



当時、三角ビルの本社は連日マスコミが詰めかけ、私ごときも地下駐車場から出入りするほど。隠れるような行動に自分でも情けなくなる。言いたいことは山ほどある。現場はひたすら売上と愛用者拡大に邁進してきただけだ。しかし、全ては「言い訳」になり「反論」になる。「黙して語らず」ひたすら対応した悲しい日々であった。

明治の鐘紡紡績・武藤総裁の「正しく行って何人も恐れず」の教えが、鐘紡の「愛と正義の人道主義」の根本精神として引き継がれた。しかし110年の時を経て、各事業部の壁、上意下達の体質、繊維の業績悪化、売上至上主義で「大切な精神」が忘れ去られた。

リスク管理の前提は、まず全社員が「正しく行う」勇気と風土を作ることが重要である。
奇しくも私たちの化粧品事業を買収した会社に「王道を歩む」という有名な精神がある。
どちらも同じ価値観のはずが、どこかで道を踏み外し迷走するうちに「売られる」側と「買う」側の立場の差になるのも事実である。

会社人として、忠誠心と当事者意識は肝要だ。しかし指示待ちだけの「社畜」はいけない。無言の社員は「会社の常識は世間では非常識か?」の判断力や当事者意識が欠如する。

「可怪しいな?」と感じたら「正しく行って何人も恐れず」を貫き通すだけである。









2017年8月11日金曜日

せまい日本そんなに急いでどこへ行く。


先日の大阪出張で今更ながら思うことに、駅などのエスカレーターで立つ側と追い抜く側が、東京と大阪では左右逆になる。何故なのか、いつからか?気になる。

「左立ち右歩き」の関東のマナーは、右側追い抜き車線の「交通ルール」から発生したらしい。しかしグローバルスタンダードは、関西の「右立ち左歩き」の方だ。阪急電鉄が、右利きの方が手すりを持つ「右立ち」を呼びかけたのが始まりで、その3年後の1970年「大阪万博」で、外国人にも共通する「右立左歩」提唱で定着していったようだ。

合理的に考えると関西圏の方が正しいようだが、関東圏の交通ルールもよく分かる。さて、どちらが正しいのか。はたして東西統一できないものかと考えてしまう。

しかし、正解は「エスカレーターは歩かない」なのだ。傾斜30度の階段を機械化して動くのだから、本来危険なので「左右両立ち」なのだ。決して駆け上がるものではない。
それに故障の原因に片側だけの重量負担があると聞く。名古屋なども両側立ちに取り組んでいるが、まだまだ何かと忙しい庶民に浸透しないのが現状である。

エスカレーターの目的を正しく「混乱せず移動」とすれば両側立ちが自然な使い方。ところが、せっかち者が「素早く移動」に変えるとエスカレーターは駆け上がる手段になる。

何を進めるにも「目的」と「手段」の決めは重要である。目的が統一されなければ、手段は勝手に変化する。仕事でも「手段を成す」が目的化して、手段の課題と対策などと追いかけるうちに、目的が曖昧になり成果が得られず、のケースは多い。


通勤ラッシュのエスカレーター。歩く側にじっと立つご老人の後ろで、イラッとしている若い方。乗換の駅で一斉に電車から降りる場面で、私は降りないと抵抗する方、それをイラッとして押しながら降りる方、横柄に足を投げ出す座席の方、私も含め皆イラッとしてしまう。これ、健康によくない。

やはり朝からイラッとしないで、車や電車、バスに乗りたいものだ。目的は仕事、勉強、遊びの場所で活動すること。そこへの移動は手段である。通勤・通学の朝一番のしかめっ面は、目的の「その日の活動」の充実に大いなる支障をきたす。

そこで、1973年【昭和48年】交通安全標語募集で、総理大臣賞に輝いた話題の標語を紹介したい。大阪万博後、爆発的に急増した交通事故・死亡事故時代の背景に生まれた作品であるが今でも心に迫るものがある。


「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」


       

自戒を込めて呟いてみると、言い得て妙である。
しかめっ面を解凍し、ふと肩の荷を降ろし、たまには立ち止まる。
そう「急いては事を仕損じる」だ。


皆、渋面・疲れ気味?









2017年7月20日木曜日

壁を突き破れ!

息子は、高校柔道で新たな局面を迎えている。今まで反則の関節技や奥襟、両膝つきの背負いなどが解禁となり、高校からは一般的な国際柔道スタイルになる。

必然的に組手争い、防御、攻撃など俊敏性と技術とパワーの総力戦となる。中学でそこそでも通用しない。顧問の先生からは、体幹を鍛えろ!と厳命された。背負い投げや巴投げなど、先に、相手に組み手を取られると、かわしきれず投げられてしまうのだ。

息子の高校では、決められた練習時間外に自分の課題に応じ、何をどう鍛えるかを自分でメニューを考え、それを実行する部員が多い。勿論、やる、やらないも本人の自由である。「やらされる練習」でなく自発的に「やる練習」への大変換である。

かくして、このままでは校内選考試合で、階級別2名枠も団体戦の補欠にも入れない。まして、安田学園中等部が全中で日本一に輝いた先輩たちが、現在高2である。有難いことに優秀で後輩おもいの先輩なので、背中を見て、対策も一緒に考えながら練習している。


「井の中の蛙 大海を知らず」「されど 空の深さを知る」


千葉県中学代表として、応援されるが当たり前だった彼が、仲間たちを応援する側になる。スポーツの世界では、代表から外れた選手が経験する場面だが、悔しいはずだ。
「来年こそ勝負だ。頑張れ!」の叱咤激励など、私が口をはさむ話ではない。今の自分を受け止め、どうしていくのか?これは、息子自身が決めること。

先日、顧問の川合先生と立ち話をした際「彼は意地をみせましたよ」と。その一言だけだが、何となく息子は変わろうとしている姿を感じる言葉であった。

愚鈍で不器用な彼が、落ち込み、自分と向き合い、考え、学び、行き着く先に何があるかは分からないが、今まで以上の練習を決意したことは、間違いなさそうである。

「井の中の蛙大海を知らず」は「されど空の深さを(青さ)を知る」と続く。

大海も空も、まだまだ深く長い道。どこを、どう進もうが自由だが「後退の道」だけは、自分に許してしまっては絶対ダメだ。

先日、意地を見せて勝ち取った「金鷲旗大会2017」のメンバー補欠入り。
国内最大規模の高校柔道大会であり、実に443チームの抜き団体戦で日本一を競う4日間。
前進を目指す仲間と自分のために、福岡で声を枯らせて応援してこい!

金鷲旗大海2017
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/kinshu/

安田学園柔道部FB
https://www.facebook.com/yasudajudo/

インハイ予選と安田学園選手たち












2017年6月27日火曜日

不思議な街で思うこと


私の住む街には、ディスニーのシンデレラや不思議の国のアリスが住んでいる。アリスは小柄なので、すぐ分かる。アリスそのものだが、私服で自転車に乗っていると、かなり驚く。王子様もハッとするイケメンで、家内と娘はすぐ分かる。しかし「私は○○です」とは言わない。契約によって明かしてはいけないからだ。

近くに東京ディズニーランド(TDL)の外国人スタッフ用のマンションがあり、推測するだけだ。以前、子どもの同級生のお父さんが、小学校の文化祭で踊ってくれた。外国の方で、見事な踊りに拍手喝采。ある日、TDLのショーのメンバーに、そのお父さんを発見。あの時は驚いたが、お互いそれに触れないのも暗黙のルール。それなりに皆さん街に馴染んでいて、一応に地味で静かである。やはり夢の国の方々は、外界では目立ってはいけないのだ。多分マニュアルに記載されていると思う。

10年ほど前は、年間パスポートを持って行きまくったが、都度感動してしまうのがディズニーだ。再来店率が98%なのだから、殆どの方が、また来るのだ。
これは他に類を見ない。夢の国の世界観を守り、メンテナンスに投資を惜しまず、徹底した日本独自のマニュアルなど、やはり世界ディズニーの中でもTDLは突出している。

マニュアルと、その先にあるアートの世界


マニュアルは、どこの企業でも業務の平準化のために用意している。マニュアルが求める内容とレベルは業種や仕事内容で異なるのは当然である。
接客を例にとると、コンビニは、採用したてのアルバイトを想定した販売マニュアルだし、高級ブランド店は、お客様の名前や嗜好まで掴む「おもてなし接客」のマニュアルになる。比べれば、そのレベル差は著しいものになる。しかし、この差が、良い悪いという話でない。お客様が求めるレベルのマニュアル化だから、お客様が場所場所でお持ちの「満足の物差し」に合わせるのである。

お客様が、接客に納得すれば「当たり前」。ちょっと違うな、と感じればクレームに繋がる「不満足」。少し上のレベルを感じれば「満足」。しかし、ここで「えっ、ここまで」と嬉しくなる満足レベルを越えたとき、実はお客様は小さな「感動」を覚える。

この感動こそが、お客様の再来店と、友人や仲間を紹介する行動になる。お客様が「サポーター」に変わる瞬間である。これは、マニュアルを越えて自発的な行動を起こせる「人」のパワーが為せる技である。お客様に感動を与えた従業員は、それを重ねるうちに、お客様の感動を自分の喜びに変えて、マニュアルを飛び出すのだ。これがカリスマ従業員の誕生である。

TDLマニュアルを越えた従業員の話


ご夫婦らしき2人が園内のレストランにやってきた。やさしい笑顔の女性スタッフは、4人掛けの席に2人を誘導した。オーダーを取る。ご夫婦は2人分の料理と、お子様ランチを1つ注文した。女性スタッフは、お子さんは後から来るのかな?と思ったそうだ。

しかし、お子様が来る気配がない。気になった彼女は出来上がった料理を配膳する時に、思い切ってお客様に尋ねた。
「お子様はいつ来られますか。冷えてしまうと可哀想ですから」
すまなそうな顔をして、お母さんが口を開く。
「可怪しいと思われますよね。・・・実は息子は来ないんです。去年、事故で亡くなりました。悲しくて沈んでいましたが、彼の誕生日に大好きなディスニーに行く約束をしていたんです。だから、今日は親子3人で来たつもりで、お子様ランチを頼んだのです」

思いもよらぬお母さんの話。さっと彼女は動き出した。奥からお子様用のイスを持ってくると、お子様ランチが置かれた席のイスと置き変えながら、言葉をかけた。
「ようこそ3人でいらっしゃいました。ご家族で食事を楽しんで下さい」

夫婦の目から大つぶの涙が溢れる。
その後、この夫婦は毎年子どもの誕生日をTDLで過ごすようになった。
実は「来ない子どものために、お子様用のイスを置く」というマニュアルは存在しない。
彼女が自発的に、ご夫婦が喜んで頂けることを行動に移しただけである。
この出来事に感動したご夫婦が、感謝の手紙を送ったことでTDLが知るところとなる。

彼女はTDLから表彰された。これが重要である。よく「カリスマ」はアートの世界だという方がいる。ゴッホの絵はゴッホにしか描けず、優秀な弟子もゴッホにはなれない。
しかし、この発想では、企業として求める「カリスマ社員」誕生の継続は望めない。
TDLのように「感動体験」を評価軸に加え、認め、褒めるの仕組み化で、彼女のような従業員を一人でも多く輩出する風土、企業文化を作っていくのだ。

誰かが言った。「人生とは 感動の数である」。
感心、感激を超えて「感動する」を増やしたいものである。


懐かしい年パス時代と不思議な街・新浦安

2017年6月12日月曜日

夢をもて!そして諦めない。

アイデア出し手法の一つに「マンダラート・ワーク」がある。既にご存知の方も多いが、お取引様からのご依頼で研修させて頂くと、熱心に取り組まれ、結構好評である。

日本ハムの大谷翔平が、花巻東高校1年のときに作成したマンダラート表は、あまりに有名だ。彼は自分の夢をマンダラートで作成し、夢に日付を付けて目標に変えて、具体な行動におこし、見事目標を達成した。ただ頑張るのでなく、何の為に、どう頑張るかを明確にする事は、かなり重要である。

彼は、表の中央に「ドラフト1位指名、8球団」と明確な目標を置いた。その実現に向けて必要な対策、8項目を考える。そして、その8項目を更に落とし込み、手段化された8×8=64項目の行動を導き出すのだ。あとは、ひたすら対策を実践するのみである。押し付けの行動でなく、自ら導いた自主的行動に変えるのだ。

大谷翔平の凄いところは、「ドラフト1位指名、8球団」の為の8項目に「体づくり」「コントロール」「キレ」「変化球」「160キロスピード」の他に「人間性」「運」「メンタル」も掲げている点である。この「運」の対策をみると「あいさつ」「部屋そうじ」「ゴミ拾い」「審判さんへの態度」「道具を大切に使う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」と並ぶ。大したものだ。高校1年の若者が、選手としての「スキル力」以外に「人間力」を掲げ、人として「魅力ある名選手」になろうと自覚している。

息子にも「人間力」が育てばと願うが、好印象、魅力づくりは計算してやるものではない。偽善は、見抜かれるだけだ。挨拶やマナーの大切さは、後になって知るものである。
礼節など面倒と思う「感情」を「習慣」に服従させるつもりで、身につけることだ。それがいつしか、周りの方々に、好印象や魅力として感じて頂けるかもしれない。

「夢」への本気度を倍増させるためにも「明日ある我が身を思い描いて、今日を生きる」を貫きたいものだ。それが魅力ある自分の一歩になる気がする。なぜなら、人様は、そんな人にこそ感動し、魅了されてしまうからだ。

今を生きるコトに追われ、明日の夢を忘れてしまうのはぜったい避けたいものだ。
夢を諦めることは悲しい。しかしもっと悲しいことは、明日の夢が持てないことである。
そして、一番悲しく、辛いことは、「夢を奪い、夢を奪われる」人である。




2017年5月29日月曜日

「~のに、なぜ」から「と」を「の」に変える。


先回、マネジメントを面倒と思うな、と書いた。
すると、ある方から「面倒でなく怖いのだ」と言われた。前提に「先ず自分がしっかりする」に自信がなく、相手に嫌われたらを心配する。まして相手のプライバシーは突っ込めない、も前提にあるのだろう。実際の相手の顔を浮かべて考え直してみよう。

「上長に相応しい自分づくり」への努力は素晴らしいことだ。しかし世の中「努力すれば報われる」わけではない。報われる可能性が高くなるだけだ。スポーツの世界でも、その可能性を高めようと必死に練習するが成果は出ない。当然周りも必死に練習するので、競合との差は縮まらない。ここまでやれば、の判断基準がないから比べようがない。

先のオリンピックで名を挙げた柔道の井上康生監督は、100キロ級で世界TOPの名選手でもある。東海大時代、井上先輩の面倒をみていた後輩という知人が、息子と私に語ったことがある。試合形式の乱取り練習を1本5分を10本もやるとヘロヘロになる。全力疾走を50分続けるようなもので、元立ち以外は順番に当たるので、その間は休めるものだ。

井上先輩は、元立ちで休まず50本連続でやるのだそうだ。当然終わったあとは身動きできない。死んだようになった井上先輩を、2人の後輩が両脇から身体を抱えて宿舎に戻す。自力で風呂にも入れず、後輩がシャワー室まで抱えて先輩の身体を洗うのだが、ある日、井上先輩が途切れ途切れの声で「すまんが、このまま小便してもいいか・・」「どうぞ」と言うと、なんと真っ赤な血尿が出てくる。

「世界を目指す必死の努力は俺には出来ない、と悟った瞬間でした」そして「田辺くん、世界を目指すとはそういうことだよ。その覚悟でやり続ける決意を持って欲しい」と息子に語った。しかし、その練習とて優勝を保証するものではない。

これだけやった「のに」「なぜ」勝てない。
相手にこれだけ指導してやった「のに」「なぜ」出来ない。

世の中「のに」と「なぜ」のセット言葉が多すぎる。練習すれば、努力すれば達成すると思い込み、上手くいかなきゃ何故だと、自分の努力や指導力不足を他に転嫁する。それでは挫折と恨み節の繰り返しになるだけだ。
他責から自責に変えて、自分自身でやれることとして、まず心構えから見直すことだ。

柔道の練習をこれだけやった「のに」、この「のに」を捨てる。これは「私と柔道」の関係だから出て来るセリフ。「と」を「の」に変える。私「の」柔道、柔道の私、と改めるのに違和感はない筈だ。
私と会社、私と部下、私と上司、私と家族、などの対比関係から私の会社、会社の私、
上司の私、部下の私、家内の私、に変えると「何故?」も自分の何故になる。

幾ら教えても変わらないは「教えてやる」の発想。相手が「学びたい」へと変えられない己を恥じるのだ。「師の背中を見て育つ」は、弟子が師に魅了され学びたい一心で成り立つ。相手が「と」を「の」に変わるのは、まず自分自身から実践するしかないのだ。

2017「サラリーマン川柳」に、「パパお風呂」入れじゃなくて 掃除しろ という川柳が入選していたが、井上先生なみの努力で「私の女房・女房の私」を実践し与え続ければ、いつしか「私の夫・夫の私」に家内が変わる?も、期待せずに実践するんだな。






2017年5月2日火曜日

すがすがしい人になりたい。

清々しい人が貴重な時代


「清々しい」とは何だろう。一般的には爽快、さっぱり、気持ちのよいなどの気分を指すが、同時に人を指す場合も多い。この時期、巷に多く見られる新入社員などは、すがすがしい人となるのだが、果たしてどうだろうか。

先日、友人の会社の入社式で、今年の新入社員の決意表明の半数近くが「この会社と、社会人としても自分が務まるかが不安なんです」と堂々と社長に語ったらしい。
一体これは何だろうかと考えこんだ。社長曰く、嘘でも良いから「頑張ります」と言えないのか、とこぼしていたが、皆さんはどう思うだろう。

子ども時代、親にも先生にも叱られたことがない。学校では平等・公平が原則か、順位も付けられず、中・高で一気に偏差値の競争という枠の中で揉まれ悩む。学閥は影を潜めたとはいえ、将来を思うと「こんなはずじゃない」と現実とのギャップに自信をなくす。
今まで年長者、上下関係、先輩・後輩などの繋がりが無く、学生仲間との付き合いしかない。まして恋愛も面倒で不安なので避けてきた。

しかし、社会に出れば別世界の年長者、先輩、上司、異性に直面するのだ。かくして、礼儀作法も知らない自己中心の若者は戸惑い、上司は憂慮する。お互い不満と言い訳が増え、心が折れると逃げたくなる。学校では「人は優劣で判断でなく、それを個性と思え」が合言葉だが、社会に出ればそれだけでは通用しない。

「上司力」を身につける


最近「バックレる」新入社員が話題になっている。入社2日目に「この会社、何か違う」と思ったら、昼飯に行くといったまま「バックレて」帰ってしまった事例だ。
会社は大騒ぎだが、当の本人は会社の心配などお構いなしで、違うからいかないとの弁。せめて辞めます、ぐらい言えよとの話だが、笑い話では済まされぬ現象だ。

終身雇用の危機は、定年まで勤めて後は余生のコツ「滅私奉公」精神を終わらせた。
「己のスキルアップとキャリアプラン」を考え、よりよい転職を探す時代になってきたから、好条件転職のコツ「その仕事、私のためになりますか」精神が前に出る。

そんな時代、新人に「すがすがしさ」を求める前に、マネジメントする側が「上司力」を蓄え、マネジメントの在り方を変えて「すがすがしい上司」になるしかない。

部下に対しては「怒る」激情型でなく「叱る」の対策を付加した理論型だ。報告事項は、先ず結果を聞き、次の言葉を待つ。成功時での自慢なら「どこで褒めるか」を、失敗時の言い訳なら「何故?」を探る聞き方に「耳」変える。これが積極的傾聴と心得るべきだ。業績拡大と人材育成は両輪の輪であり、片輪が動かねばまっすぐには進まない。

周囲に嘆く前に、本人との面談を義務化して部下の本質を把握する事が先決。部下の能力の最大化を引き出すための業務コントロールをすることが、マネジメントであろう。
やはりマネジメントの本質は変わらないのだ。

「仕事に厳しく、人にやさしく」は、業務コントロールと、人心掌握のことである。
一昔前の叱咤激励と飲み会の強要ではない。我々はいつしか本来のマネジメントを忘れ、職階、職位、評価基準で逃げてきたかもしれない。実はマネジメントは面倒くさいのだ。

人との繋がりが苦でない「清々しい上司」の下に「すがすがいい社員」が育つのだ。