2023年1月27日金曜日

年賀状で思う。

今年の年賀状を見返して、つくづく感じたことがある。昨年の年賀状で「来年の賀状停止」を告知された方からは当然だが来ていない。

年賀状の形骸化と面倒さは分かるが、いざ来ないとなると寂しい。SNSで交流できる方はよいが、年賀状だけで繋がるご高齢の大恩人の音信不通は、とても気掛かりになってしまう。

それと子どもの成長写真付き賀状が、成人式過ぎから徐々に減り、孫、ペットの写真か文章中心の年賀状に替わる。我が家もいずれそうなるのか。

そもそも年賀状は2003年44.6億枚をピークに、今は16.4億枚と減少の一途。紙の広告はSNSに変わりチラシ、新聞など印刷物を不用にしていく。

スマホパワーは、更に辞書からカメラ、ビデオ、腕時計を不用にし、書籍や映画はダウンロードと各業界の勢力図を大きく塗り替えている。

PCまでもがスマホに食われ、大学のレポートも私のブログでさえスマホで編集。便利な反面、片時も手放せないスマホ依存症は深刻である。


時代の流れの喜怒哀楽。


年賀状でショック2つ。大学の下宿仲間の友人が、知らぬ間に癌で亡くなっていた。知らぬ間に離婚されていた奥様からの賀状で知った。

次はカネボウ時代の銀座のクラブのママ。1年前にお連れした得意先の社長の歌を、さらりとリクエストする凄腕ママ。引退閉店の時はママの大盤振る舞いだった。そんな彼女から「老人ホームで元気です」と一筆添えられていた。

時の流れと言ったらそれまでだが、元気で活躍した姿を知るだけに辛い。葬儀を控えるコロナ禍や、年賀状だけの繋がりでは仕方ないが、明日の我が身に重ねると余計に切ない。

人類生誕から500万年だと一人の生き死になど取るに足らないが、今を生きる我々は、親子3~4代の僅か100年が自分の歴史だ。だからこそ今を噛み締め、一片の悔い無く生きたいものだ。

私自身、ボケて人と会えなくなる前に、大切な人と何回でも再会したい。改めて年賀状を眺めてみたら、腰よりも胸の奥が痛かった。