2018年10月6日土曜日

素晴らしき日曜日

我が家のひかりケーブルに「黒澤明」シリーズが再登場。改めて作品を眺め「七人の侍」「赤ひげ」など代表作は感慨深いが、結構知らない作品があることにも気づいた。

その中の一つ「素晴らしき日曜日」1947年(東宝)を初めて鑑賞した。敗戦直後の東京を舞台に、貧しさに立ち向かう恋人の姿を描いた作品である。この黒澤の初期作品の評価は賛否両論分かれるらしい。それも肯定派と否定派が同じシーンで分かれるのが興味深い。

焼け野原が残る昭和22年。人々は貧しく不便を我慢しながら生きていた時代。お金はないが楽しいデートの筈だった恋人同士が、モデルハウスでバカにされ、知り合いを尋ねても金の無心と勘違いされ、だんだん惨めになる彼と、必死でフォローする一途な彼女。

映画の終盤。気を取り直した彼は、誰もいない野外音楽堂で演奏の真似事をするつもりが、北風に邪魔され舞台にあがれない。唯一の観客、彼女の拍手も届かない。ふっと顔を上げた彼女が「私達に元気をください」と映画を見ている観客に拍手を呼びかけるのだ。まっすぐに、観客の我々に目を向け、涙ぐんで語りかけるのである。

映画の常識を超えた演出に「拍手で応える客はいない」と否定的な考えの人と「観客と一体化させる試みが素晴らしい」と肯定する人と真っ二つに分かれるシーンだ。
実は、この映画がフランスで上映されたとき、観客が拍手喝采の総立ちになったと聞く。

うつむく彼は、万雷?の拍手に後押しされ、彼女の編み棒を手に持ち、舞台中央でコンダクターになって指揮を始める。すると空想のオーケストラの音が聞こえてくる。二人の未来が、音楽によってモノクロから総天然色に変わったかと錯覚してしまう場面だ。

観客が、主観的な応援団になるか、客観的な第三者になるかは、あなた次第である。映画は娯楽の玉手箱。単純な私は、世間の風(北風)に負けるな!と拍手喝采のエールを贈った。そのほうが楽しいし、真摯な彼女の訴えに素直に応えたくなったからだ。

何でも、出来上がった物への批判は簡単である。まずは文句や批判の前に、作り手の感性に近づく努力をしてみる。そのうえで納得できなければ、代案を考えるのがセオリーだ。

私は黒澤明の狂信的なファンではないが、常に本物に拘った映像と緻密な演出で、数々の傑作を生み出したことは事実。秋の夜長「素晴らしき日曜日」を観るのも一興である。鑑賞希望の方は、私からのネタばれを心よりお詫び申し上げたい。で、拍手はあなた次第。

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