2018年9月22日土曜日

こんな人になりたい。

9月6日の北海道大地震は、本社札幌の弊社にとって大事件であった。幸い社員は無事だったが、停電関連の問題解決に追われて、改めて危機管理体制を再考する機会となった。

危機管理は天災も人災も「先手の予防と後手の治療」の準備。それには組織内でやるべき事と、個人的には、自己成長を目指して、人格・精神、倫理観の醸成も大切である。

最近マスコミを賑わした二人の人物から、人災の有り様と、自己変革の肝要を実感した。
一人は、歴史に生まれた歴史の男、アマチュア協会の終身会長。二人目は、ひたすらボランティア活動をしながら行方不明の子どもを救った男。二人の共通点は、どちらも、同じ誕生日の78歳の男である。

しかし「人としての有り方」は対極に位置する。地位と名声を求める人と、何も求めず他人の為に尽くす人。いったい何が違うのか。自分の人生脚本とは、生い立ちや環境で幼少期に「禁止令」を自分に課してしまい、人生ドライブの「アクセル」と「ブレーキ」の基準も無意識に作り上げてしまうという。

二人は「何が幸せ・何を求める」の価値の基準が全く異なる。「自我」へのアクセルとブレーキが間逆であるから、終身会長の判断は、自分が満足か、納得か、良いか悪いかだが、ボランティアの方は、相手が満足か、納得か、良いか悪いかである。行動基準は「自分か相手か」の違い。これが天と地の差になる。

赤信号、みんなで渡れば怖くない


実は「自分」基準のトップ組織は、誰にも分かりやすく、組織がそれに応えようと動くので活発化する。反面、際限なく暴走する危険をはらみ、いつのまに「ウチの常識、世間では非常識」となり「組織崩壊」へと繋がりかねない。今、世間で噴出しているパワハラ問題や忖度も氷山の一角であろう。

自己主張が苦手な日本人は、権威主義的パーソナリティが強いといわれ、絶対的権力者に服従し、少数派を排除する傾向がある。戦前のファシズム、現代では「アムラー」など、それぞれがヒーローを求める由縁でもある。


「沈没船ジョーク」をご存知だろうか。沈む船から脱出する救命ボートに、女性と子どもを乗せ、男性に残ってもらう決め台詞。米国人には「お前はヒーローになれる」、ドイツ人には「これが規則」、日本人は「みんなが残ります」が効果覿面という話である。

この話、日本人の集団行動への皮肉。一人ひとりは、思慮深く相手を気遣うやさしさはあるのに、それを行動に移したり、異を唱える勇気と自己主張が弱い。組織では、一人で信念を貫くボランティア男は、異質な少数派となる。

しかし、集団の平均的一人として皆んなで渡れる時代は、とっくに終わった。今後、目指す姿は「正しい信念と強い実行力をもつ人」である。欲を言えば、組織の中で排他されず、正しい主張を波及させる伝播力と時には立ち回りの器用さだ。

今夜もTV画面から、満面の笑みと元気一杯の「ボランティアの英雄」の姿。思わず、こんな78歳になりたいなあ、と画面に見入ってしまった。

人生脚本を変えていく