2018年5月19日土曜日

思い出には勝てやしない。

先日、ドキドキして読んだ文庫本がある。定年後の生き様を描き、映画化された内館牧子の「終わった人」だ。年配者用の大文字が気になったが、それより色々考えさせられた。

文中の「思い出と戦っても勝てやしない」のセリフに思わず共鳴。美化された思い出は、現状に不満がある場合は絶対に勝てやしない。小説では、肩書き、権力を失った主人公が引退後、悲壮感と虚無感に苛まされ「栄光の思い出」を乗り越えようとする。

恋愛や結婚も同じで、冷めてから「熱愛の思い出」を引きずるのは辛い。逆に辛辣化された思い出は、破局を納得して元気になる。以前も書いたが、女性は恋愛を上書き保存する方が多く、思い出を消去するので、立ち直りも早い。別保存する男は、とかく引きずる。

つまり、良かった思い出ほど未練タラタラとなり、現状を憂い、懐かしむばかりで、前へと進ませてくれない。人生の終わりの回顧なら結構だが、次へ進むなら回顧主義に浸るのを止め、比較の不可能な「新たな思い出」を作ろうと決意することである。

延々と昔の自慢話をする人にはなりたくない。聞いている方は閉口し、結論は何かと聞きたくなる。同じ話でも、教訓の事例集のように話される人は素晴らしい。客観的に分析し、相手に役立つ何かを伝えようとされるので、思わず聞き耳を立てたくなる。

知識や経験を惜しみなく伝える人


「自慢だけのめんどくさい人」と「知識や経験を惜しみなく伝える人」の別れ目は、本人の「心のあり方」で決まるもの。「自慢を聞かせたい」でなく「何かを伝えたい」へと自分自身を「主客転倒」できるかどうかだ。自分は伝言係に徹するのだ思えば簡単である。

そうなるコツは、成功・失敗まで「人から得た知見」を、他の人に伝えると心得ること。この巡りを思い出として、魅力ある高品質の「伝道者」に切磋琢磨したいものだ。

少子高齢化の45年後には、18~65歳の働く人が、2人に1人になってしまう。今、自分たちがすべきは、「知識や経験を惜しみなく伝える人」の実践者になることだ。結果的に「強い個人」の拡大と連鎖が、如いては「強い集団」へとなるはずだ。

実は、弊社のマーケティングパートナーへの「社員としての宣言」の一つに「知識や経験を惜しみなく伝える人」とあるのだ。手前味噌だが、着実に強い集団に成長している。
ちょっと自慢に聞こえたならば「お伝えしたいが故」とご容赦願いたい。

「終わった人」URL
https://news.yahoo.co.jp/byline/torusaito/20180516-00085052/

新たな思い出を重ねて