2013年3月1日金曜日

貴方は、自分の周りの大切な人に、伝え続けていますか?(前編)

平成21年(2009年)、広島にきて、初めての夏、
小学校2年生になる我が息子が受けた「平和教育」に、私は衝撃を受けた。
あれは6月の事だった。息子と一緒に入った風呂場で、息子が大声で歌い始めた。

電車にゆられ 平和公園
やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん・・・

聞いたことのないメロディーと歌詞。

「何だ、その歌?学校で習っているのか。」
「そうだよ。今クラスで習っているんだ。練習して、全員で歌えるようになるんだよ。それで、アオギリのお母さんに会いに行くんだよ。・・」
息子は、当たり前のように答える。
よく判らない話である。
「アオギリさん」「おかあさん」「会いに行く」
ゆっくりと一つ一つ聞いていく。
断片的な話と、家内が仕入れた情報とつなぎ合わせて、見えてきた。

「アオギリのうた」
2001年「広島の歌」グランプリ曲受賞。
この歌の作詞作曲者が当時小学3年(9歳)の森光七彩(もりみつ ななせ)さんという女の子である。
この歌を森光さんが作った背景には、彼女が実際に受けた「平和教育」がある。
自分達の校庭に植えられている「アオギリ(青桐)の木」の存在から物語りは始まる。

この木は今を遡る事、67年前の朝にまで及ぶ。
昭和20年 (1945年)8月6日 朝8時15分、広島市に米国軍のB29から原子爆弾が投下された。この原爆、通称「リトル・ボーイ」は、一瞬で広島市民14万人の命を奪った。
その爆心地から1300mの広島逓信局の中庭に、「青桐の木」が植えられていた。
当時、爆心から半径2キロは一面焼け野原と化し、高濃度の放射能の影響で、「今後75年間は、草木一本も生えない」と言われていた。
ところが翌年の春、焼け野原のこの場所から「青桐」の芽が出てきたのである。
夢も希望も見出せない日々を送っていた広島の人々は、この青桐の芽吹きにまさに生きる希望を見出したのである。
このアオギリはその後も市民の希望として大切に育まれ、1973年に広島平和記念公園に移植される。
現在も、広島平和公園内の資料館の隣に「被爆アオギリと、そのこどもであるアオギリ2世」が並んで立派に根を張っている。
この「被爆アオギリ」が、おかあさんとして、多くの根分けをしたこどもたちが、広島の小学校の校庭に植樹されているのである。

入学時、校庭に植えられている「アオギリの木」に気づく1年生はほとんどいないだろう。しかし、夏を過ぎると小学2年生のお兄さん・お姉さんたちから、課外授業として自作の紙芝居を見ることになる。
何となくであるが、校庭の「アオギリの木」を理解し意識する。そして2年生になると、森光七彩さんの「アオギリのうた」の練習を始めることで、自分達の校庭にあるアオギリの存在は、現実のものに変化し、このアオギリのおかあさんが、平和公園で待っていると思うようになる。
広島市内のアオギリ2世が校庭にある小学校では、低学年の課外授業で、歌を覚え、実際に皆で広電(広島電鉄の路面電車)に乗って、「アオギリのおかあさん」に会いに行くのである。
そして、その時の思いを込めた紙芝居を、1年生へと伝えていくのである。
その後、高学年での平和記念資料館見学へと続くのである。

我が家の息子は2年生での転校だったので、「アオギリのうた」で初めて被爆アオギリの存在を知り、アオギリのおかあさんに会い、実際に被爆アオギリさんの木の前で、「アオギリのうた」を全員で歌ったのである。
私自身、木の幹の真ん中が大きく裂けた痛ましい傷跡もそのままで、被爆しながらも、生き延び、尚も元気に葉を生い茂らせているアオギリの姿をみて、鳥肌が立った。
私達一家4人(家内と娘、息子)はこの夏、全員でこの歌を覚え、息子の案内で平和公園に3回行く事になる。
何故なら息子以外誰もこの課外授業を受けていないからである。
平和公園の資料館横にある「被爆アオギリさん」の前に、ボタンを押すとこの歌が流れてくる設備が造られている。
澄んだ声で、静かなメロディーを力強く歌う広島の少年少女合唱団の「アオギリのうた」からは、きくものに平和の尊さと、大自然の強さを教えてくれると同時に、感動を与えてくれる。

「アオギリのうた」    作詞/作曲 森光 七彩

電車にゆられ 平和公園
やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで
家ぞくがふえたんだね よかったね
遠いむかしのきずあとを
直してくれるアオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと

資料館で見た 平和の絵
いろんな国の 人々や
私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
あらそいのない国 平和の灯(ひ)
遠いむかしのできごとを
わすれずに思うアオギリのうた
これから生まれてゆく広島を大切に

広島のねがいはただひとつ
せかい中のみんなの明るい笑顔

私は、不覚にも、平和公園の「アオギリのおかあさん」の前で、この歌をきいて、なみだした。
生きる勇気を教えてくれる大自然の壮大な力を、こんな小さな子どもが、誰よりも理解していることに純粋に感動し、感謝したのだ。
子どもたちと井口台小学校に行き、校庭の大きく育った「アオギリの木」の前で、息子が歌う姿を見ても泣いてしまった。息子が、この覚えたての「アオギリのうた」を、知らない私と家内、娘に教え、伝えようとする姿に感激したのである。

この体験のみならず、この広島に住む子どもたちに、「平和の尊さを伝道する役割」を繋げていこうと奮闘する大人たちと、それに応える子どもたちの姿に対して、喜びと感謝の気持ちが湧いてきて、こんな体験させてもらえた「広島」に重ねて御礼を言いたい。

被爆アオギリから芽吹いたアオギリの苗が、昨年は東北大震災で甚大な放射能被害で苦しむ福島原発区域の人々に送られたそうである。
福島だけでなく、災害にみまわれた各地に「アオギリの木」の苗は送られているときく。

夏休み、8月6日は、広島の小学校では全校生徒の登校日である。
この日、朝8時15分、全ての市民がその場に立ち止まり、黙祷を捧げて仲間の死を悼む。広島の「平和教育」の歴史は長い。当初は平和記念資料館にある悲惨な姿や直視できないような写真を目に焼き付ける事で、児童たちに戦争の悲惨さを伝えた時期もある。
しかし、児童の恐怖心ばかりが先行してしまい、決して伝道することに最適とはならない場合も多かったようだ。
その後、この「アオギリのうた」が「平和教育」の導入になっていったと聞いている。
全ての小学校で展開しているわけではなく、それぞれの地区や自治体で各様に展開しているという。
広島でのこれらの活動の根底には、「平和」への切実な願いである事はいうまでもない。

田辺 志保


⇒広島市の協力をいただいて、広島市HPに掲載された
  森光七彩さんが歌う「アオギリのうた」を是非きいてください。