2020年5月29日金曜日

元に戻らないなら。

ニュース性もあり「夏の甲子園」中止が報道された。TV取材の野球部員の声に胸が痛む。全国14万の球児の救済をマスコミも訴える。私も地区大会だけでも、と願う一人だ。

只、無念なのは高校野球だけではない。球場で母校を応援する吹奏楽部の「全国吹奏楽コンクール」も、チア部の「チアリーディング大会」も中止になっているのだ。

高校総体(インハイ)30競技120万の生徒が練習を重ねてきたが、全て中止となった。加えて、全国中学大会、小学生大会、大学の大会など全て中止となり、一体どれだけの学生が「残念無念」の辛酸を味わうだろう。

学校は再開するが、元に戻らないのは「消滅した行事」。自分だけ不参加は悔しいが、全員が失った目標と諦め、早く気持ちを切り替えて新たな一歩を踏み出せと切望する。


今は、明日に備え「力を蓄えろ」



細菌の無差別攻撃は、我々の価値観を大きく変えた。経済活動は生存に支配され、様々な格差の露呈と、娯楽などの幸福感の定義をも変えた。

多くの企業が、業種毎に大幅な軌道修正を迫られる。生存の次は、会社の存続をかけた無駄の排除と新たな「働き方改革」を模索する。

新常態と市場の探究に迷走したら、一旦「消費者」分析の視点を離れ「生活者」の一人として再考察せよ!を思い出す。ならば、生活者として我が家の変化を羅列してみる。

・全員が潔癖性に変身。・TVよりYouTubeに熱視線。・メイクを忘れた娘とマスクメイク確立の家内。・娘ダイエットを自覚・買い物と料理で家内お疲れ。・息子は大学も柔道部も待機中で「ピラティス」で身体作り中。・スマホ息子は大学の課題提出でPCシフト化。

当の私は・無理な運動でギックリ腰に。・昼の食べ過ぎ警戒警報。・在宅とリモート会議で「魂」抜かれる。・仲間に会いたいモードMaxに。

まさに我が家でも、志向・思考・試行・嗜好の変化が面白い。そう、週明けに「今後を探るリモート会議」を開催し、知見を深め力を蓄えよう。

友の教え『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く』を噛み締めた。(近代柔道:松山三四郎コラム・作者不明)

withコロナ…








2020年5月4日月曜日

去らない嵐はない。

非常事態が延期。舞浜駅からTDLへの通路が閉鎖され3か月目、実際に目の当たりにすると何とも寂しい。未だ舞浜駅の発車のメロディがTDL仕様も、寂しさに一役買っている。

最近の街並み、在宅、WEB会議にも慣れたが、やはり虚しい。娘も息子も会社・校舎も知らぬまま待機で、とにかく一刻も早い解放!が本音だ。

戦後派は、ある意味「辛抱」をしらないと言う。戦時中、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…と、空腹と空襲と喪失の辛さを、じっと胸に抱き耐えた姿を「辛抱」というならば、今は辛抱でなく「我慢」状態なのか。

「思うようにならない」他責にして我を張ると「我慢」になる。我・慢心は、元来堪え性がなく疲弊する。そこで、我慢でなく「辛抱」の定めが巡って来たに切り替えたい。そして不満や愚痴は万人共通。嘆いても始まらない。

生来、人間は孤独では生きられない。今は電話・WEB・家族・友人との対話を増やし「辛抱」を共有することだ。コロナの次は、疑心暗鬼・中傷誹謗・心の不健康の感染防止だ。

明けない夜も、やまない雨もない。



知り合いの医療関係の方は「感染」覚悟のうえ、腹を括って業務を遂行している。他にも、食を担うストアやスーパーも、それに関わる物流関係者も休日返上で、日雑部門の友人も食品と物流の応援で奮闘中である。

今を働く苦労と、今は働けない苦悩。憎きコロナは「ビジネス、雇用、生活」を勝手に分断させてしまった。この不条理も忘れてはいけない。

多くの犠牲と苦難を知る度に「明けない夜も、やまない雨も、過ぎ去らない嵐もない」と言い聞かせ、現在の家族の無事に感謝するしかない。

今は、事態が終息したら「何をしようか!」…と考えながら手ぐすね引いて待つとしよう。

今は辛抱するとき。




2020年4月9日木曜日

未知を乗り越えて!

弊社は、昨夏まさかの事態の対応に追われながら、激動の2019年度が無事終了。この4月から準備万端で新年度をスタート。ところが「まさかの坂」はまだ続く。そう、世間を騒がす、憎き新型コロナウイルスである。

今はこの難局を乗り切る時で、コロナ以外を語る余裕もない。我が社も矢継ぎ早に、社員の護持、在宅勤務の拡大、会議の中止・延期に追われる。

今後、働き方の円滑化と業績見通しが課題だが、友人がいる旅行業界のビジネス消滅より、恵まれている。多くが死活の事態だが、今は「生存」への解決を優先するしかない。

娘の会社は入社式は動画配信で、自宅に送られた会社PCでWEB研修を実施中だ。娘は未だ職場を知らずに勤務。私もWEB会議で思うのは、直接集まり対面で議論する深度には適わない。音声・表情など相手の微妙な変化が察知できない。

先行き不安を越えて、今後収束が訪れた時に得るものは何か。コミュニケーションの在り方、網の目の経済連鎖、デマの功罪など、あらゆる事実が貴重な知見となるに違いない。


一人のねがいを万人のねがいに




濃厚接触の排除は人々の喜怒哀楽の場も奪う。経済的損失以外に人の心が枯れていく。せめて、人と人の間「人間」としての思いやりと配慮を忘れず、電話やメールにもウエットな気持ちの一声プラスを意識するのは重要だ。

感染防止に完璧な正解などない。ある意味「ケセラセラ」と開き直ることも必要。勿論、非常事態は「真剣」に取り組むが、気持ちだけは「深刻」にならないことだ。


思えば、1964年の日本五輪は、日本の復興を世界に知らしめた象徴的行事であった。そして来年は、世界の国々が、新型コロナに打ち勝った証の「金メダル」を掲げての参加となる「歴史的祭典」になれば、震えるほど感動するに違いない。

一日も早い終息と、社会の正常化は万人の願い。それは一人一人の願いの集大成でしか成就しない。「一人のあゆみを、万人のあゆみに」(ねがい…坂村真民)の言葉通り、非常事態からの脱出は、おのれ自身の歩みにかかっている。

未知との遭遇…。







2020年3月17日火曜日

安田柔道部⑩(最終編)

安田柔道部のブログは、息子たち3年生を送る「三送会」で終了となる。先輩の別れに涙したばかりだったが、早いもので1年が過ぎた。

ところが、三送会が新型コロナで中止となった。後輩との試合、決意表明、保護者への花束もなくなった。卒業式は娘と同様、終了証書配布のみだが、郵送よりは恵まれている。

我が家は、子ども二人の晴れ姿が見られず、誠に残念だが、何より子ども達が不憫だ。しかし物は考えようで、後々、生涯忘れ得ぬ思い出となり、別離の儀式がない分、固い絆のまま、生涯の友となれば嬉しい限り。

柔道界も大会・練習の全てが中止で、息子の引越し、柔道部の始動、入学式など変更前提の準備となる。息子に限らず全ての方が行動を制限され戸惑うが、インフルエンザの激減や、家族との会話が増えるなど悪い話ばかりでもない。

今は、国・企業・学校・個人が総力戦で「目に見えない敵」と戦うしかない。一日も早い終息には細菌に「勝つ意欲」は当然で、重要なのは「勝つ為に準備する意欲」と心得たい。


安田学園柔道の3年を振りかえり



思い出一つ目は、個人戦の増地主将の全国3位。全員で声を枯らした鹿児島は忘れられない。二つ目は、昨春の選手権・団体戦の全国出場の決定戦。引き分け延長・代表戦の末の惜敗は悔しすぎて、今も強烈に記憶に残る。

三つ目は、ロシア・チュメニ国際ジュニア大会の金銀銅メダル獲得。16歳限定の国際大会でメダルと共にロシアから賞金が出たのには驚いた。他にも、東京都学年別での国士館との決勝戦、金鷲旗の熱い福岡など、数えあげたらきりがない。

手前味噌だが、強豪ひしめく東京の上位は、今までの鍛錬が決して無駄ではなかった証。しかし本人たちは「悔しい!」の一言しかないだろう。

川合先生は、彼らにハードな練習を課せた。乱取り後、そのまま走り込み、筋トレと追い込んでも「決して弱音を吐かず、食らいついた」と先生は嬉しそうに話してくれた。


純粋で不器用な「時代遅れ」であれ!



夏以降、一般受験組は部活は休止、柔道進学組は柔道部継続に分かれる。ただ、全員に共通するのは坊主頭だった彼らが、念願の髪を伸ばし始めたことだ。

勿論、柔道部活動が耳障りのよい話ばかりではない。ブチ切れ場面や衝突などハラハラしたが、全てが一生懸命が根っこにある所以と、今なら笑い飛ばせる。

無事、卒業生7名は大学も決まり全員が柔道を継続する。部活解散日に、7名全員で最初で最後の休日を過ごしたようだ。「皆んなで、ボーリング、しゃぶ葉、映画のはしごが、何より楽しかった」と語る彼らには「微笑ましい」以外の言葉が見つからない。

一途で不器用な安田柔道部の七人の侍。大学でも愚直な「時代遅れの男」でいて欲しい。飾った世界に流されず、中途半端に妥協せず、悔いのない精進を貫け!と心から願う。


そんな彼らに河島英五の「時代遅れ」を紹介したい。「男が男に惚れる」ような生き方に憧れる。古い唄だが、いつか酒を酌み交わし息子と歌いたい唄である。

一瞬一所一生を懸命に!











2020年3月3日火曜日

のど元過ぎれば(後編)

今、世界を騒がすコロナウイルス。感染すると喘息や糖尿病者は重症化するらしい。免疫力低下も怖い。予防以外に「健康体の維持」は最善の対策でもある。コロナの最中だが、今こそ健康体への願いを込めて、おバカさんぶりを紹介したい。


糖尿病の克服は苦労した。何せ、肥大した胃袋が減量で「胃が縮む」体験までした。当初の食べたい病が、そのうちお腹が痛みだし、医者から適正な胃に縮みはじめたと言われた。よく分からんが妊婦さんが出産後に、子宮が縮む痛みと同じらしい。家内には「それは痛い」と苦笑されたが、これで旺盛な食欲が萎えたのは事実。

ところが、また食べ過ぎたおバカさん。息子の増量作戦は前菜に大量の「鶏の唐揚げ」登場。家内は「これまで我慢できたから、コントロールできるわよ」の一言。しかし、堪え性のない意地汚さで、揚げたてをつまみ食いするおバカさん。

何事も自分に「あま~い」が最悪。


まさに「その一口が豚になる」。息子用なのに、我慢できない不甲斐なさ。苦労を忘れ、すい臓は正常だとの過信、これぐらいは大丈夫の慢心が招いた結果である。徐々に体重が増加し案の定、1年足らずで糖が出始めたのだ。

戒めを込め、当時の闘病記録表を出し、毎朝図る血圧計の横に置いてみる。必要以上のカロリーは、過剰なインスリンをすい臓に強制し体重が増え、やがて破損。要は、余分に食わず、食事の質を変え、運動し、自力で克服するしかない。

息子の体重は維持の段階となり、減量メニューを徐々に復活。併せ、家族からの減量強制の口撃も始まった。休日の夕食後は誘惑の時間。「卑しい、懲りない、ぼけ老人?自分に甘い」など「腹が減る」より「腹が立つ」指摘を受けている。

退院時の医者の名言。食事は「残す・断る・やめる決断。それは誰でもない、自分に帰結」そして「満腹感でなく空腹感を癒すのが食事」…全ておバカさんは忘れている。

20歳の体重が決め手か


重要なのは、20歳前後の体重で、その体重にあわせた「骨格と臓器」が形成されること。その後の体重の増加分が、臓器や骨格に負担を強いる。太りすぎで膝が痛いは、よく聞く話。

私は、20歳で60K体重が、53歳で90Kで延べ20年で150%の負担増で入院した。100Kが120Kの人より、臓器は悲鳴を上げていたのだ。心当たりのある方は、本気の減量をお勧めする。

今は、やっと75Kまで戻したが、まだ20歳からみて125%負担増の状態で、おまけに加齢の65歳。再び、空腹感を癒すだけの食事に取り組む、崖っぷちの「おバカさん」である。

同じ増量でも…。











2020年2月20日木曜日

のど元過ぎれば(前編)

情けないが、また糖尿病の薬を飲んでいる。おまけに種類も増えた。克服を自慢していたのに、恥ずかしい限りだ。友人への警鐘と自戒も込めて、顛末を書き記すことにした。

12年前の東北時代のことだ。数週間前から体がだるくて、押印する印鑑まで重く感じる。おまけに夜中に3回はトイレに起き、90Kの体重も減少し異常にのどが渇く。

これは尋常でないと町医者の門をたたいた。採血の結果を聞きに行くと、医者がどこかに電話している。「重症の糖尿病患者です。空きは?はい、即入院させます」誰のことかと思っていると、先生が「今の電話は貴方です」「えっ」と驚く私に「異常な血糖値です。いつ倒れてもおかしくない。直ぐ入院」と言われた。

突然で理解不能。それに予定もある。「先生、幹部人事の発令があるので、翌週では?」先生は「何を言ってますか!遅れたら貴方が交代人事ですよ!」…かくして私は緊急入院。

後で知るのだが、過食ですい臓がオーバーヒートし栄養を取り込むインスリンが出ない。吸収されない血中の栄養(糖)を尿で出すため、脱水状態で喉が渇く、栄養が取れず体内脂肪を燃やすため体重が落ちる、の悪魔のサイクルだったのだ。

入院は3週間に及んだ。検査、治療に加え、1日4回のインスリン注射。これは、すい臓を完全休眠させ回復を期待、ダメなら一生注射。2週間目、奇跡的にすい臓が回復し始め、インスリン注射が最小単位の時点で、退院となった。

「今のカロリーに必要なインスリンは、近々自力ですい臓から出ます。只、その時は注射分が過剰になり、低血糖症状が現れます」これは、動悸、めまい、多汗など、それぞれだが、必ず訪れるので飴か砂糖を携帯しろという。

退院3日後、それはホテルの取引先パーティで訪れた。私はメーカー代表の挨拶と乾杯の音頭。主催の社長挨拶のあとなので、トイレでインスリンを注射。直ぐ出番のつもりが、社長の挨拶が終わらない。そのうち脂汗が出て立っていられない。低血糖だ。部下に「すぐスティックシュガーを2本持ってこい。合成甘味料はだめだぞ」因みに部下は佐藤さん。

慌てて3g×2本を水で流し込む。幸い即効で糖が巡り、すうっと楽になり、ご挨拶を全うできた。事情を知らない社長は私の挨拶を絶賛したが、当の私は冷や汗ものだった。

奇跡の生還なのに・・


結局、17K減量と治療とで劇的に回復、退院後暫くして治療も薬も不要になり、高脂血症、高血圧も並行して解消した。大げさだが九死に一生を得た思いであった。

それから10年あまり、家内の食事と自己管理で正常値が続いた。ところが一大事、81K級で高校入りの息子に、柔道部の監督から100K階級への増量要請で事態は急変。我が家は増量作戦用の高カロリー・高たんぱくメニューに一変したのだ。


そういえば、ナースから2型糖尿病の患者さんを、陰で「おバカさん」と呼ぶらしい。飽食の果てに入院し、退院後また食べて再入院が多いのだ。まさに、おバカさんである。

さて、私の「おバカさん」ぶりは次回へと続く。


2020年2月4日火曜日

ひとつをねがいひとつをしとげ

息子の大学の授業料を払い込んだ。娘は就職だが、オヤジは当面ラク出来ない。新設柔道部に燃える息子に望むのは、大学での学びを通して将来の自己設計図を描くことだ。勿論、柔道部が活躍するのは最重要だが、それだけではつぶしが効かないと案じてしまう。

親としては、柔道に没頭すると共に「自分はこうなりたい」に向けた不断の努力と、上手く立ち回る狡猾さまで求めたくなるものだ。

反面、漠然と企業に入り、そつなく生きた自分より、迷いも打算もなく「今を貫く」だけの猪突猛進の危うさも面白い。

困窮した生活より安定した生活、と言うが、一体、何を基準の安定かは千差万別だ。裕福でないが、学生から音楽一筋で今も活動中の友をみると、そもそも安定と幸せの価値観が違う。好きな道を突き進む人生も素敵だと羨ましくもある。

はなをさかせよ よいみをむすべ


繰り返すが、墓の下に地位や資産は持っていけない。「生きる間の充実感」が人生ならば、可能性を摘むような世馴れた口出しは、余計なお世話かもしれない。

願うのは、中途半端に妥協した満足より、悔いなき生き方。その為に、5つに大別した目的別な時間を使いたいものだ。 

①時間を仕事に使い「成功」を導き、②思考に使い「力」を養い、③遊びに使い「若さ」を保ち、④読書に使い「知恵」を深め、⑤友人と使い「幸福」に至れの5つ。

それぞれの使い方に一点の曇りなく過ごしたならば、悔いなど残らない。息子は、春から一人住まいで母親の庇護から脱却する。今までの柔道一直線は、家族のお陰と思い知れ。娘の方は、安定企業を選択し、資格取得の時間を作る算段らしいが、先ずは仕事にのめり込め。

未熟な二人が、日々に追われ現実の厳しさに直面しながら、足元のロービームの先に何が見えるか見えないか、そして、どうするかは本人次第。

「明日ある我が身を想い、今日を生きる」・・やはり坂村真民の「七字のうた」だ。
子どもたちには「またか」だが、ついでに期限付お助けカードも添付するから。

【本当に困った時は、力になる!】…(但しハイビーム視点の相談に限る)

先みて今を楽しめ!









2020年1月19日日曜日

今ならブラック!だが。

自分にとって仕事の割合は大きい。優先は家庭だが、時間配分は仕事が中心。30代の営業時代は家庭も顧みず、当時流行った「24時間戦えますか」そのものであった。

あの頃、夜中も働く3つのボウ「ドロボウ・カネボウ・消防」が自虐ネタ。課長時代の合言葉が「今日中に帰ろう」。今なら許せない完璧なブラックだが、何故か楽しかった。

当時カネボウは業界1位を目標に、トップ資生堂の実績を100に置き、自社比率を算出(対A比)。商品・キャンペーン、エリア・流通別売上など、各自が局地戦でNO.1を単純明快に積み上げるランチェスターの法則を展開していた。

達成全国一位のタナベ組は地獄の一課とも言われたが、皆が優秀で頼もしい軍団。ドンペリ・ステーキ・マツタケ達成会など我が家は居酒屋状態で、達成して平日にリクレーションに行く等、今から思うとやりたい放題であった。汗。

そんな彼らも今は会社の要で、とても偉いのだ。後年、部下から「今なら、当時の有難味が分かるが、あの頃は課長死ね!と念じていた」と言われて「そのとき憎まれても、部下が一回り大きくなり上司を超えれば、それで良いのだ」と言い訳した覚えがある。

私も激務からか体調を崩し「殺す気か」と上司に詰め寄ったことがある。支社長は「そうや、死んでくれ。しかし死ぬときは一緒や」…憎くてずるいオヤジ(上司)だったが、妙に納得してしまった。思えば、あの時が「成長痛」であった。

人にやさしく、仕事に厳しく


マネジメントは、部下の強み弱みを把握し、各自の能力を機能的に最大化させること。部下を理解する為、興味と関心で会話を重ねることが「人にやさしく」で、業務を逐一チェックし、常に叱咤激励を重ねるのが「仕事に厳しく」である。

もう一つ、規則・期限の厳守に妥協など在り得ない。野球なら、ユニフォームで打席に立ち、バットで打ち、一塁に走るのと同じ。ルール厳守の先にしか個人プレーはない。


死ぬこと以外は、かすり傷



人生の真は「我々は裸で生まれ、裸で死ぬ」という事実。来世に、地位や名誉は持ち越せない。今、自然災害や事故で苦しむ方は、当たり前を失った事態に直面している。まさに「死ぬこと以外はかすり傷」の心境だ。

当たり前の何かを失うと、他の事で悲しみ悩む余地がなくなる。今の境遇を当然と思わず、有難いことと感謝すると、喜怒哀楽の質も変わるし成長の加速にも繋がる。


最後に一言。私は、過去のブラックぶりを容認する気など毛頭ない。今、話題の「働き方改革」とは、企業側だけに被せるでなく、働く側にも成果を出す意識改革が必要、と言いたいのだ。組織運営には、成果と改善は両輪なのだ。

私は、自分の働き方の礎が、ブラック時代に得たことを不幸とは思わない。仕事意識の改革は環境より、己が決断するタイミングの問題なのだ。

皆の心は火の玉に!