田邊家の仲人でカネボウの大恩人に電話した。ここでは「吉さん」と呼ばせて頂くが、販社から本社時代の上司で、出会いから30年が経つ。
鐘紡解体で、吉さんは化粧品本部長から食品事業に異動、のちにクラシエ食品の社長となる。引退後は奥さんとゴルフ三昧で優雅なものだが、前立腺を患ったと聞き、慌てて連絡を取った。今はホルモン投与で安定していると聞き一安心した。
自分が放射線治療で大変なのに「志保、家族は元気か?お前も歳やから無理すなよ。またゴルフ行こうや」と私を案ずる言葉に涙が出そうになる。
12年前、花王広島から浦安に戻った日。吉さんから「今から嫁さんと行くわ、昼飯食おうや」私が「荷解き中で何もないすよ」と断わると「ええから心配すな」と電話を切られた。
やがて奥さんと弁当持参でやって来て、近況話と食事が終わると「これプレゼントと晩飯や」と手作りの薔薇の鉢植えを置き、奥さんが追加の食料を家内に渡し「康代さん押しかけてごめんね。飲み物は冷蔵庫よ、じゃあね」と帰ってしまった。
あっという間だったが、有難味が湧いてくる。引越しは食事に困ると晩飯まで用意し、様子をみたら去って行くとはカッコ良過ぎる。
自分も転居を繰り返したから、心憎い気遣いができる。私も真似して仲間の転居に差し入れると、この心配りが次の後輩へと連鎖していく。
本社では吉さんと何度も修羅場を潜った。当時は本体からの化粧品へ無謀な売上要請の結果、市場に商品がダブつき非取引店での乱売が多発した。
混迷する流通とブランドの護持に、闇マーケット相手に一番苦労した時期で、本体に盾付き「煮るなり焼くなり好きにしろ」と腹を括った仲で、盃を交わした義兄弟のようだった。
吉さんが与えた影響。
吉さんは「仕事に厳しく人に優しく」の権化。言い訳をせず、自己犠牲もいとわない。本社時代「将来、お前の下で俺が参謀の方が上手くいく」と何やら勝手に画策していたようだ。
「自らで部下を上司にする」解釈不要の自己犠牲の組織人事だが、結果は会社自体が解体に追い込まれる事態となり全ては絵空事となった。
彼曰く、仕事の成果は人間力の掛け合わせ。個々の能力を最大化させるのがマネジメント。今は未完でも前向きで向上心ある奴を配置すると、後々格段の差がでると教えてもらった。
そして真摯に「仕える」人にヒゲをつけ「任せる」こと。任せても口を挟まないと相手の成長は止まる。吉さんはそんな事を教えてくれた。
さて、吉さんの近況だが、放射線治療が功奏し元気一杯だ。ただ、女性ホルモン投与で筋肉が落ちゴルフの飛距離がガタ落ちとぼやいていた。私が「今なら勝てるな」と言うと「飛距離じゃ負けるが、まだ勝てるやろ」と嬉しそうな返事。
元気で強気な言葉に、私は思わず笑みがこぼれた。吉さん、いつまでも元気でいてや。