2020年10月6日火曜日

「遥かなる甲子園」から思う

今までの転居生活で、残り続けた書籍を整理したら、懐かしい本を幾つか発見した。特に感銘したとか希少価値の本でもない。

感激を超えて、これをきっかけに感動「感じて動く」の行動にさせた「感動の本」なのだ。

昔の書籍だが、営業時代に読んだ「遥かなる甲子園」戸部良也氏のノンフィクションと、これを山本いさむ氏がフィクションを加えた漫画本の2作品だ。私が手話に興味を持ち、後に美容部員に手話接客班を設置した原因となる本である。

物語は、沖縄に実在した風疹聴覚障害児の「北城ろう学校」が、高校野球に憧れる少年の為に硬式野球部を作り、高野連の壁と戦いながら、甲子園を目指す野球部16人の記録である。

米国で大流行した風疹が、翌年には沖縄の米軍基地外に広まり、感染した妊婦から多くの耳の聞こえない子どもが生まれた。沖縄県は6年間限定の(1978~1984)ろう学校の切ない背景がある。

聴覚障害は見た目では分かりにくく、誤解と偏見や差別の歴史がある。野球でも打球音や、掛け声が聞こえないと何倍も苦労する。

漫画では「福里ろう学校野球部」が甲子園出場を願い、質素な手作り部室と手縫いの補修ボールで、血の滲む練習を続ける。しかし、高野連は「日本学生野球憲章」を理由に登録を認めず、甲子園はおろか練習試合も出来ない現実。

不条理な扱いは、日本聴力障害新聞の記事に端を発し、地方紙、高校野球主催者の朝日新聞の記事へと広がり、ついに高野連は福里高校の加盟を正式に認める。最初で最後の3年生と先生が、沖縄県予選に参加した喜びは想像に余りある。


感心、感激の次に行動するのが「感動」


本来、差別がないのがスポーツ界。野球の「王貞治」が高校時代、日本一の早実ナインの国体の入場行進に彼だけが台湾籍を理由に外れた事実。しかし、20年後の1977年、日本初の国民栄誉賞に輝くのは、嬉しい歴史の変遷でもある。

王貞治の著書「飛べよ熱球」も感激の本。756号のHR世界記録を放った時、ホームベースで迎えてくれた張本選手の歓喜の姿が一番嬉しかった、と王は書いている。国籍問題の逆境を乗り越える者同士の想いが伝わる。


人々の普通とか通常とは何だろう。障害や差別を抱える方を特別や異常と捉えずに、その人の個性であると、誰もが認識する世界になって欲しい。

手話では、左手の平に右手の人差し指を置いて、ぐりぐりと動かす動作を「一生懸命」とか「努力する」という。手の平に穴を開ける、壁を突き破るという思いを込めた表現である。

そして、諦めないという表現は、否定形ではなく「努力+続ける」努力の動作に、歯を食いしばり、目を見開く動作を加える。全てに人々の思いが込められている。

何と素晴らしい表現だろう。この表現に出会えたお陰で、TDLのミッキーたちが、聞こえない子どもに「手話で歌い語る」ことにも気付けた。

そう、そんな時は、心を込めて左手の甲に右手で軽くたたき、片手で拝むように上げよう。

心から「ありがとう!」の表現である。