当時は、選抜者1か月の合宿教育を経て正課長、次に全国事業場長と本社部長の嘱託化がカネボウ流の幹部育成。経営者の視座を培うには最適だ。
まず、月次支払いの最初の承認が己の費用。「〇月度経営指導料」と書かれ、私の報酬と係る経費も記載されており、この書類に自分が自分に支払いの印鑑を押すのである。
毎月、経営指導料に値する行動と成果なのかを自問自答させるのだ。これはきつい。新米の私は、業績の未達月度の押印を拒否したことがある。
数日後、財務役員から電話「タナベ、何かっこつけてんの、支払いが出来ずに困ってんだ。嘱託は年度更新だから通年での評価。月度で一喜一憂するな」と一喝。中長期での成長を仕込んで、足元をどうするかの視座を持ったのもこの頃だ。
こうして、化粧品は昼夜を問わずの達成軍団として、驚異的な数字を挙げていく。しかし、これも労働環境の変化と花王へのグループ化に伴い嘱託社員制度は廃止となる。
次第に鐘紡は「正しく行って、何人も恐れず」の教えを忘れていく。上場を維持するため債務超過を隠し粉飾決算に手を染め、2001年の発覚から崩壊の道を突き進むことになる。
繊維部門を筆頭に業績悪化の流れは、縦割りの弊害と合流し怒涛の濁流となり、鐘紡は漂流し飲み込まれた。徹底教育された「論語の規範」は一体何だったのか。悔しくて涙が出る。
速やかにならんを欲するなかれ、小利を見るなかれ。
鐘紡幹部の致命教室・論語の教え。事を急げば達せず、小さな利益にとらわれると大事成らず。目先に惑わず先を見据えた視点を持て。この教えを、我々は単に知識だけに留めてしまい、結果的に絵空事となったのは、皮肉な話である。
迷走からの学びは、経営者が「将来のビジョン」を語り続ける大切さ。若手の帰属意識の希薄を嘆くより、させられない経営者が課題なのだ。
社員が時の権威に屈せず、正道を貫ける風土を作り、その風土を「社風」にする評価制度にまで進化させられるか。せめて老兵は、これを伝え続けなければならない。
コロナ禍の「まさかの坂」はまだまだ続く。故に多くの教えを胸に、目先の小利に惑わされない将来像を、繰り返し語り続けたいものである。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」…深くて重いビスマルクの教えである。