2014年9月3日水曜日

「言い訳」について考える。

最近、未だ本気を模索中の娘と、柔道以外に本気が存在しない息子に怒り心頭。テスト前にもかかわらず、大イビキの就寝姿を目にしてイラっとしたり、何かと気持ちがざらついたりして、叱りまくっている……。あまりにテストの成績が悪いのだ。子どもは「ちゃんと勉強したけど、たまたま習っていない問題が出た」「部活が忙しくて」などと必死で「言い訳」をする。もちろん私は「勉強不足!」ととりあわないし、「前期も同じ言い訳だったな」と、全く変わろうとしない気持ちを指摘して、テスト以外のこともあげつらい、執拗に叱ることになる。
「やればできる子だから、今回はしょうがない」と大目にみる親も多いようだが、私はそれで終わらせてはいけないと思っている。


何かを成そうとしてそれを実現出来なかったり、叶わなかったりしたとき、多くの人は、その失敗や過失などについて、そうならざるを得なかった、いわゆる「言い訳」をする。
本人は「言い訳」というより、失敗した理由や事情を説明して了解をとるつもりなのだが、相手にはそう映らない。そこに、自らを正当化しようとしたり、時には相手に責任を転嫁したりすることが多いからだ。

「言い訳」は勉強に限らず、仕事の場でも、聞くに堪えず、見苦しい。
「ごめんなさい、遊んでばかりいた」「申し訳ありません。私の力不足です」と、正面から言われると、こちらとしても、「どこが?」とか「何故?」と事の次第を確かめてみようか、もう少し話を聞いてみようか……などと気持ちが動く。そのうち、こちらがその理由を慮って、叱ることを忘れてしまうこともあるのだ。今回、この「言い訳」について少し考えてみたい。

「言い訳」ではなく、「説明」に徹せよ

一般的に「言い訳」には、無意識に自分が一番かわいくて己を守ろうとするからだろうか、責任転嫁が多い。私の経験上、原因に目を向けずに自分の正当性を述べるとき、自分の対処法ややり方がまずかった、多少の後ろめたさがある場合は声のトーンが落ちるものだ。さらに、目を逸らしたり下を向いたり、まして鼻や口に手を添えたら、口先とは裏腹な証拠だ。

仕事でいえば、総じて「言い訳」の多い人ほど、自慢が多く、うまくいったときは自己アピールタイムとなる。首尾よく終われば自分のおかげで、失敗したら人のせいとなる。これは最も嫌われる。
逆に、上首尾は人様のおかげ、お力、失敗は自分の至らなさ、力不足などと口にされると、「なかなかやるな~」と好人物を印象づけ、株が上がる。私は、相手が失敗に肩を落としていれば、「そう気を落とすな」「自分を責めるな」といったやさしい言葉(!?)をかけて、時には策を一緒に考えようと思ってしまう。

だから「解決できない理由をあれこれ並べるより、一つでも二つでも自分で出来る対策を考えろ」と言いたい!

一方、言い訳の「上手な聞き方」というのもあるように思う。
以前、積極的傾聴でも紹介したが、たとえば報告を聞く際には、最初に結論から報告してもらうように促すことも一法だ。「うまくいきました」の次には必ず成功理由が続くので、どこでどう褒めるかを考えながら聞くことができる。逆に「失敗です」の後には「言い訳」が続くので、その中から、原因と対策を探るために耳を傾ける。

いきなり言い訳が始まったら、「言い訳するな、みっともない」と決めつけるのは考えものだ。相手とのコミュニケーションを深める絶好の機会だと思うことが大切。本音を探り、共有することだ。これは気づきのチャンスなのだから、部下育成に利用しない手はない。
そんなときには、眉間にしわを寄せたりせず、「ずいぶん頑張ったが、ここが甘かったな」などと、相手のプライドを傷つけず指摘して納得させることだ。間違っても相手を叱りつけないこと。自信を喪失させるだけで、問題解決にブレーキをかけてしまう。ここは自らに原因があることをきちんと理解してもらい、それを自ら直す、という気持ちへと導くのが得策だ。

また、「言い訳」ととられない上手な言い方があるようにも思う。責任転嫁ではなく、その場を、客観的に状況を説明する機会と捉え、事実を正確に表現することが大切だ。自分に非はなく、他人の非を暴くようでは話にならない。自責のフレームで説明してみることだ。他責には何も生まれないことを肝に命じたい。

立場は常に交互にやってくる、実はどちらも自分の事である。
やはり「世の中で変えられないことは、他人の心と己の過去。変えられるのは己の心と自分の未来」なのだ。


「叱り方」にもコツがある

以前、「叱り方の極意」を伝授されたことがある。
ポイントは3つ。「その場」で、「その事だけ」を、「短く」という。

大切な会議に遅刻した社員がいた。すぐに「なぜ遅れたのか」とその理由を尋ねるのは最悪らしい。なぜなら「実は子どもが交通事故にあって」といわれたら「それは大変だったな」となって、叱るどころではなくなる。
そんな時は、最初に「遅い!」と一言、これだけで十分。遅れた事実に対して、その場で、その事だけを、短く、である。後でじっくりと説明(言い訳)を聞く時間を設けることだ。

私は時々、この極意を忘れてしまうことがある。
冒頭に述べた、子どもを叱る姿が最たる例だ。

ここで絶対にしてはいけない最悪の叱り方を伝授しよう。
「その場以外」に、「その事だけでなく」、「だらだら」とである。
これは、相手をつぶしてしまうので、封印する覚悟を持とう。

いずれにしても、自分に非がある場合は、説明でも言い訳でもない。「すみません」「申し訳ありません」の一言。「過って改むるに憚ること勿れ」である。

田辺 志保