2013年10月1日火曜日

漢字語源研究者・刻字家の高橋先生に教えていただいたこと。(前編)

「己が背負った『名前』を全うする」

常々、「出会いは人生の宝」と語らせて頂いているが、今回は6年前からお世話になっている刻字家(こくじか)・高橋政巳先生を紹介したい。




高橋先生は、福島・喜多方で、楽篆工房(らくてんこうぼう)を運営されていて、時に楽篆家(らくてんか)ともおっしゃる。
先生の決して尊大にならず、控え目で自分を見失うことなく、絶えず正しい行いを常としている姿を人生の様々な局面で必ず思い出す。
多忙を極め、めったにお目にかかれない人になってしまったが、今回は福島支店長の井上さんと一緒に久方ぶりに高橋先生ご夫妻とお話しする機会に恵まれた。まず互いの近況報告から始まり、漢字の話、漢字のまち、喜多方の町興しの話、人生の話、友や家族の自慢話へと尽きることはなかった。

「刻字家」「楽篆家」と言ってもお分かりにならないと思うので、先生の著書『感じる漢字』(扶桑社)のまえがきを引用させていただく。

「古代漢字に魅了され、私は『楽篆家』と名乗っている。刻字といって木や石に文字を彫ったり、書で書いたり、古代漢字の書体の一つである篆書(てんしょ)を楽しみながら表現している。だから楽篆家だ」

高橋先生は「古代中国の漢字」研究の第一人者で、刻字家として古代文字の語源をひもとき、それをデザインし、「書」と「刻字」に表す希少な方である。
古代中国3000年以上の歴史をもつ漢字。この古代漢字一文字一文字には、古代中国の人々の想いや感情、哲学など「心の在り様」が凝縮されて形作られており、それが日本に渡り、古代日本の人々の想いが重なり合って、「日本の漢字」として独自の変化をし、今日生き続けている。

先生によると、日本の「書」では、まず全体のバランスを見て構図を決めていく。構図を決めたら、何回も何回も書き込んで、「書」としての形を作る。そして、本番で「書」を完成させる、この流れが多いそうだ。これは、紙が豊富にある日本ならではのスタイルのようだ。
一方、中国では、古来より紙は貴重品であり「書」と言えば、その場で、決して書き損じることなく、与えられた1枚の紙の上に一気にデザインするのが書道家の姿と聞いた。

語源を確かめながら、先生の古代漢字で書かれた「書」を眺めると、漢字のもつ知恵と美しさに引き込まれてしまう。

学校の「漢字教育」に、高橋先生の古代文字研究に基づく語源や、形の意味などが、採用されるという話も伺った。
ニューヨークでも「漢字の個展」を開き、外国にも多くのファンをもっている。

当初から気取ったところがなく、故郷の喜多方と、笑顔が素敵な奥様をこよなく愛し(今回の再会で痛感)、時代に流されること無く、常に謙虚な姿勢、物腰が丁寧で、とても誠実な方で、お会いした時から、私も大ファンになった。

「感じる漢字」

思い起こせば、先生の古代漢字の「書」に魅せられ、東北時代から社員の達成記念品や、大切な方への贈り物、出産祝いなどに、先方様のお名前を「額入りの書」にしていただいて、購入し、プレゼントしてきた。そして、多くの方に喜んでもらった。
我が家にも、家族4名の名前入り「書」と「会津塗の箸」、夫婦の「飾り扇」がある。もうこれは、田辺家の家宝である。


古代文字で書かれた「額入りの書」は、今までに見たこともなく、漢字の語源を知ったうえで眺めると、先方様は決まって感激する。
そこで大事なことは、私が、いかに正確に先生の漢字分析を伝え、その文字のパワーごと先方様に感じ取っていただくか、ということである。事前の私自身の勉強がモノをいう。

以前、こんな話があった。親子で名前に「愛」の字を使われていた方がいらして、「愛」の字をさらに深く知りたくなったので教えてほしい、と言われた。
朝早くか夜遅くなのかは忘れたが、随分失礼な時間に電話で、突然尋ねたことがあった。
「高橋先生、もう一度『愛』の字のもつ意味について、詳しく教えて下さい」
実は、その時、先生は講演のため移動中であった。にもかかわらず気分を害した様子ひとつみせず、空港の待ち時間に携帯電話で折り返していただき、スラスラと応えてくれた。
「愛」の字の語源である中国での解釈と、日本に伝わり変化してきた「愛」の解釈の違いを教えていただき、先生の驚異的な知識量と、素晴らしい解析に、「愛」のもつ力と歴史に感激してしまい、暫く仕事が手につかなかったほどである。
先生から学んだ一部をご披露しよう。

身も心も動きがとれないほど切ないのが「愛」

「愛」という漢字の形は「後ろを顧みて、たたずむ人の姿」と「心」の組み合わせで出来上がっている。これは身動きがとれない姿を形にしたものでもある。
古代中国の人々は、立ち去ろうとして後ろに気持ちが惹かれる思いを「愛」と表現した。
「いとおしむ」「いつくしむ」の思いだ。この人がいなければ、いられない、去りがたい、という存在が「愛」という漢字になる。
愛する人を得ることは人生の幸せだが、愛される人にもなりたいと思うばかりだ。
詳しくは高橋政巳先生の『漢字の気持ち』(新潮文庫)や、『kanji no kanji』(扶桑社)などを手にしてほしい。
感激すること間違いなしである。



そんなわけで、作品が届くたびに、根掘り葉掘りと尋ねる私の一方的な電話に、都度丁寧に対応いただき、逆に「田辺さんの熱心さが嬉しい」とおしゃってくれる。
高橋先生には深く感謝している。そして、奥様にはもっと感謝している。
いつも優しくまわりに目配りされ、先生を上手にコントロールされている!?
私のブログもチェックして、伝えていただいているようで、私がざっくばらんに先生と会話ができるのも奥様のお力添えがあってのことと思っている。

何より、私は高橋先生に出会ったおかげで、自分が背負っている「名前」の意味を理解し、そこから自分なりの使命感をもつことが出来た。自分の生き方や、人とのお付き合いも少し変わった。「人生の幅」が広がった気がする。プレゼントした多くの方からも、高橋先生の「書」によって、「自分の可能性や感謝の心持ちが変わった」などと、嬉しい言葉が届いた。


田辺 志保