2013年1月17日木曜日

京都・嵐山 天龍寺での市川團十郎さんに感激した。  (前編)


最近めぐり会った方から、
「京都・嵐山にある世界文化遺産の庭園で有名な禅寺『天龍寺』に行きましょう。イタリアの初代国王を輩出したことで有名なイタリア王家サヴォイア家の権威ある『聖マウリツィオ・ラザロ騎士団』ナイトの称号を市川團十郎さんが受勲されます。その受勲式に列席しませんか」というお誘いをいただいた。



思わず「へー」と驚いてしまった。断る理由があるわけがない。「行きます」と即答した。

高鳴る気持ちを鎮めてこのお誘いをまとめるとこうである。
・「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイトの称号を、歌舞伎界の大御所・市川團十郎さんが受勲するということ。
・受勲式は、古都京都の文化財として世界文化遺産の一つに登録されている臨済宗の禅刹「天龍寺」で開催され、紅葉染まる世界遺産の見事な庭園と市川團十郎さんを独占できるということ。
・受勲式後、天龍寺「龍門亭」で有名な精進料理の会食をするということ。

「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」のメンバーとして出席されたサンマリノ共和国駐日特命全権大使のマンリオ・カデロ閣下には、イタリアの小さな独立国家サンマリノ共和国の歴史と、街並みそのものが世界文化遺産であることを丁寧に教えていただき、由緒ある「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」の現在の目的は、貧困や病に苦しむ人々を救う事のほか、慈善活動への取り組みや、模範的生活を過ごし社会に貢献する事などもうかがった。
また、大使は相当な親日家と思われた。「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」のこれまでの受勲者についても、日本の皇室、文化、伝統芸術、社会に貢献された方ばかりで、前回は読売巨人軍永久名誉監督の長嶋茂雄氏、その前は米国のヒラリー・クリントン氏が受勲されたと説明してくださった。

以前、團十郎さんの著書『團十郎復活―六十兆の細胞に生かされて』(文藝春秋)を読んだ。血液型まで変わってしまったという白血病との闘病記であり、ご自身の信条、日常のエッセイなども綴られた感動的な一冊で、一気に読破したことを覚えている。
歌舞伎界をリードしてきた市川家の芸である「荒事」として圧倒的な存在感を持つ、あの團十郎さんにこの目の前でお会いして、話してみたいという思いが当然ながら募った。

が、そうした気持ちの一方に、私の中には別の「特別な理由」があった。この「特別な理由」を、受勲式の運営者である「一般社団法人 国際文化 和の会」の佐藤代表理事にお話しすると、「それは、素晴らしい話ですね」と感心し、是非「市川團十郎受勲式で披露してほしい」と。そして、受勲式典でスピーチをすることになったのである。

その「特別な理由」とは、「激動のカネボウの歴史」の中でもあまり語られることは無かったが、決して忘れてはならない出来事でもある。

カネボウ「舞台白粉」は11代目市川團十郎との共同作業で誕生

現在も市川團十郎一門に使用されている白粉の正式名称は「カネボウ『舞台白粉』ステージカラー」という。つまり我が社の製品である。先代の11代目市川團十郎さんと我が社が共同で作り上げた舞台用のおしろいなのである。

1954年(昭和29年)カネボウ「舞台白粉」が生まれる。この商品は6代目尾上菊五郎さんから依頼を受け、菊五郎さんが完成の5年前に亡くなり、團十郎さんが引き継いだと思われる。

その後、團十郎さんからの要請で現在の「カネボウ『舞台白粉』ステージカラー」が開発されたのが、1960年(昭和35年)のことである。カネボウ化粧品の母体である「KBK商会」から始まった「舞台おしろい」は、團十郎さんとともにカネボウが総力をあげて取り組んだ「開発テーマ」で、かなり高いハードルを超えねばならないものであった。

安心・安全は勿論の事、温度差や激しい動きにも崩れないといった機能的な面のクリアに加え、歌舞伎に最も大切な「隈取(くまどり)」のコントラストに重要な下地である「白色」の頂点を極めることが求められた。
このテーマを追求する開発者は出来上がった試作品を團十郎さんと幾度となくやり取りし、ようやく完成したとのことである。
團十郎さんはこの製品に満足されて、商品パッケージに歌舞伎座の緞帳模様が使用できるよう、関係者の方々から了解を取り付けてくださったという。「カネボウ100年史」に感謝文の記載がある。
こうして53年前に完成したカネボウ「舞台白粉」を、現在もご提供させていただいている。


数年前、激動のカネボウ時代に産業再生機構から「利益なき事業の撤退要請」があり、日本の伝統文化に貢献するこの商品にも存亡の危機が迫った場面があった。自前の直販体制が前提では、この商品を残せないとの判断から。
しかし、KBK商会時代の開発者の一人であった株式会社コスメティック・アイーダの会田会長に販売総代理店をお願いし、カネボウコスミリオンでの継続を可能にした。「日本の化粧文化」を残すという先達の苦心の賜物であった。

私自身、「舞台白粉」の歴史を調べてみて驚いたことだ。市川團十郎事務所にお届けしている商品にこんな歴史があろうとは思わなかったのだ。
歌舞伎座の緞帳をカネボウ繊維が作成した、映画界用のメイクには力を入れていたといった話を断片的に耳にしていたが、この「舞台白粉」はまさに11代目市川團十郎さんの「お墨付き」であったのである。

私は、12代目市川團十郎さんの受勲式でこの話を披露させていただき、そこで團十郎さんのお墨付きを頂戴できたらどんなに幸せかと思った。
「舞台白粉」が、市川團十郎一門の「縁の下の支え役」として存在でき、ご愛用者の團十郎さんに認めていただけたら、化粧の世界に身をおく者として無上の喜びなのである。