2025年10月30日木曜日

俺も茹でガエル?

すっかり肌寒くなったが、この夏の猛暑は外出も億劫だった。ところが私は忙しくて億劫どころか、1日に掛け持ち訪問することも多く、紫外線攻撃を受けまくり少々バテ気味だった。

最近、顧問先様を深掘りすると他部署のコンサルも頼まれる。そりゃ報酬アップは嬉しいが、これでは以前より忙しくなりそうで少し不安なのだ。

実はPC入りリュックを抱える腰痛の不安と、酷暑での超多忙でバテ気味の体力の不安が重なり、私の「引退のんびり」イメージが崩れ去ったのだ。


因みに今年の夏は40°超えが多発した。今まで気象庁は35°以上を猛暑で括っていたが、ようやく3年前に40°を「酷暑」と決めてたばかり。体温の40°は重病人、まして外気温が40°とはありえない。

一昨年の今頃、ブログで地球温暖化を取りあげた。2100年に海水温が6度上がり海面は82cm上昇、多くの陸地は水没と書いたが、そうなるとツバル、モルディブ諸島は水没、更に海面1mまで上昇すると日本の砂浜の9割が消滅すると言われるのだ。一方、2050年の夏は47°になるとの試算もあり、もはや日傘、クーラー、水分補給のレベルではない。


いつのまにか茹でガエル?


しかしこれだけ地球温暖化が深刻なのに、我々に危機感が乏しいのも事実。世界の大国は自国ファーストの自己中心が蔓延、地球の生態系や環境や気象学者の話など皆聞きやしない。

今政治は立て直しに躍起だが、政治空白と無関係に天災は訪れる。その都度対策に追われるが、根本的な温暖化対策は先延ばし、刹那的課題を優先するのは「政治と金」問題と同じだ。


我々は孫世代にまで影響する事には自分事だが、100年先は他人事だ。そう「茹でガエル理論」で、直近でない緩やかな変化は鈍感にやり過ごす。

何事も現状維持は後退しているという意識を持つしかない。この世の事象は時間と共に変化する。市場変化から老化、腐敗など敏感だが、緩やかな変化は多忙を言い訳に鈍感な茹でガエルになる。

我々は「このままでは先行きが不安」を知っている筈だ。予兆に対し果敢に変える覚悟を持つ人が増えて流れが変わるのだ。国会の過半数と同じだ。

「変化は摩擦を生むが、摩擦は進歩を生む」まさに茹でガエル回避の道だ。この先、私の仕事も現状維持か、更に多忙にするか、仕事半減で趣味や余暇を楽しむか、元気なうちに決める頃だ。

このままでは私も「茹でガエル」だ。流れに任せ、気づいたら、ライブも旅行も面倒くさがる爺いになってしまったら、あまりに癪じゃぁないか。