2021年3月26日金曜日

半世紀ぶりの友に。

 先日、驚きの出来事があった。突然、50年前の友人から連絡が来たのだ。広報に私宛のメールが届いているとの連絡を受け、開けてみる。

相手からはブログで私の所在を知った経緯と、友人だけの内容に友人と確信し連絡した。

やはり、高校時代の国分寺の仲間だ。私は上京し吉祥寺に下宿していたが、友人宅に入り浸りの日々だったので、懐かしくて泣けてくる。

ワクワクで彼の会社に出向く。チョコレートのOEMで有名な製菓会社だ。現れたオヤジを見た途端「おぉ一郎」時が戻り、固い握手を交わす。

現在、現役で専務として活躍中。お互い、半世紀の空白を埋めるような報告会となる。

一郎の米国でのブルーグラス三昧の放浪生活、大学卒業後、大手企業で管理系の経験を積み、今の会社は10年目とのこと。真面目で頭が切れ、ギターが大好き男だったが、さすが手堅い経歴だ。

私といえば、暴走族にうつつを抜かした赤面の時期があり、さすがに彼はその頃、距離を置いてしまったようで、まぁ考えれば当たり前の話だ。

一気に時が戻り気持ちまで若返る。総じて高校時代は、メンクラの街のアイビーリーガースに憧れて、フォークの大御所より加川良が好きで、VANとギターに夢中だった。

そんな仲間との日々も変わるもの。私は暴走族を抜け、真面目に大学を目指す。その頃から、皆とは疎遠になってしまった。


今や全員が後期高齢者、元気でいるかだ。しかし、なぜ最高の仲間が音信不通になったのか。絶えず何かが引っ掛かっていた。今回の事がなければ、そのままだった筈だ。

カネボウでの全国転勤を経て、本社時代は崩壊・再生に振り回され、心に余裕もなくクラス会も家族サービスも忘れ、旧友と会うこともなかった。

しかし、それも言い訳。仕事しか見えず、大切なことから逃げて、まして多感な時期の大切な思い出を忘れ、現実に流され放置したのだ。

もうすぐ66歳。生涯に2,000名と出会い、死ぬ間際に100名の顔しか浮かばないなら、半世紀ぶりに交友を温める機会をくれた友に感謝である。

これからは、時々彼と会うことにした。柵も上下もなく、あの頃の不器用で危うい生き方を反芻しながら飲む酒は格別だろう。

旧友との再会は、絶大な信頼を前提に、また違った友人関係に変わるなぁと実感する。ぜひ皆さんも旧友へのご機嫌伺いをお勧めする。

「ニッティ・グリッティ・ダートバンド」のフォーギー・マウンテン・ブレイクダウン。当時、一郎と信一に倣い、マニア気取りで聴いたブルーグラスが、今のほうが心地良いのは何故だろう。…やはり、出会いは人生の宝である。











2021年3月7日日曜日

四つの幸せ。

 以前紹介したテーマだが、最近思うところがあり、再び認識したくて書かせて頂く。

一般的に、人間関係で「人が幸せ」を感じる事は、この4つだと言われている。

①「愛されること」②「褒められること」③「役に立っていること」④「必要とされていること」の4つ。人は、いつもそう思われていたいのだ。

しかし承認欲求は待っていても満たされない。全て能動的な関係から生じるので「4つの幸せ」は自からも働きかけないと成立しない。

「働く」とは、収入を得る以外、自己成長することでもある。傍(はた)を楽にさせるのが「はたらく」なので、自分だけが満足では成長しない。

上司ともなれば、承認欲求は捨て、部下を愛し、凄いな、役立っているよ、必要だよと承認してやるのが重要な仕事。幸せは与えるだけで、自分が貰おうとは思わないぐらいが丁度良い。

中には既に地位や名誉もあるのに、自慢したがる方がいる。その方は、未だ成長過程で、私にまで承認されたがってと喜ぶことにしよう。


4つの幸せ不足は、存在意義を疑ってしまう。役立たずで不要だと察知したら、事業も人も潔く撤退すべき。我慢は傷口を広げ後任人事も遅れる。

夫婦間も不要になれば離婚の危機だし、介護、痴呆、難病は、愛情だけでは乗り切れない。やがて本人がその自覚すら無くなると最悪だ。


大切な人に想いを伝えること。


その為には遺言アプリじゃないが、元気なうちに、自分の想いを大切な人に伝えることだ。

我が家では8年前に、母に先立たれた父が重い癌になり、3人の息子を呼んで「無駄な治療や延命処置は止めてくれ。遺族の負担は無駄だから、墓も葬式も不要。そんな暇と金があるなら、残された者が生きる事に使え」と言われた。

「そうはいかんよ、俺たちの気持ちもある。それにずっと遺骨を置いたままはおかしい」と返すと「母さんと一緒に海に散骨してくれ」と言う。

散骨とは遺骨を粉砕し、思い出の場所や海や山に撒くのだが、勝手にできない。誰が粉骨し、どこに撒くか。業者に頼めば手間も費用も掛かる。

結局、父を説得し「散骨も迷惑がかかるな」となり、海洋散骨は断念して貰った。遺族に幸せを感じてもらうのも簡単ではない。

人は生きる限り「しがらみ」を背負う。誰かを守るため、辞めずにしがみつく事もある。誰の為に何を我慢する・しないは、自分が腹を括るしかない。

「誰かのために生きることが、価値ある人生」とアインシュタインは言っている。そうか、家内に幸せを与える事が、私の使命と心得た。汗。