2020年9月24日木曜日

諦めない心

総理交代で早々に人事も決まったが、会社のトップ交代も同様で空白は許されない。大手企業は、経営のトップ層が同じ場所に集結する際は、別ルートで移動する。天変地異などで不幸が起きたときに、どちらかが生存する為だ。

花王出向時代、年一度の取引先様への展示会の販社社長挨拶の原稿が、私に回ってきた。「何故、私に」と尋ねると、西日本会場の社長欠席事態の代替2番目ですの回答。社長欠の事態では先ず関西支社長、次が中四国の私になる。さすが危機管理を徹底する花王。念の為、原稿を熟読したが出番はなかった。


政府は災害時、生存に必要な指定品目の速やかな生産をメーカーに要請している。飲料水、食料、毛布、粉ミルク、おむつ、簡易トイレの他に、衣料、日用品などの指定企業は、生産ラインを分散し、短期間の供給体制を整えている。

コロナは感染予防なので、災害指定以外の物資が不足した。知り合いの医療用品会社の方が、感染を覚悟しての夜通しの病院廻りは疲労困憊だが使命感に燃えている、と話してくれた。医療従事者を取り巻く方々にも頭が下がる。

他にも多くの方々が、弛まぬ努力を重ねている。共通は「使命感と諦めない心」の持ち主だ。言葉では簡単だが、実践は容易でない。プロの使命感は何となく分かるが「諦めない心」は、コントロールが難しい。

諦め方は様々だが、目的への手段が最適でなければ、潔く諦める。私も色々と諦めたが、自責の諦めは自分を不甲斐ないと後悔するし、他責の諦めは人のせいで気楽だが悔しさは倍増する。ならば、諦めでなく次の手を打つだけと、切り替えたいものだ。


諦めきれない思い



「諦めきれない思い」の一つ失恋。一般的に女性は失恋を「上書き保存」するので、直ぐに忘れて立ち直りも早いらしいが、男性は失恋を「フォルダー別保存」するので、辛さを足し算してしまいウジウジと引きずるらしい。

諦めない気持ちは大切。だが世の中には努力や反省を超えて、諦めるしかない場面もある。進学できない子ども、続けられない道、望まない別離、数えたらキリがない。その原因も災害、事故、貧困、倒産、病気など不条理が大半だ。

しかし、諦めた数だけ違う道が出来るのも事実。運命として異なる道を受け入れ、目的を軌道修正しながら切り開くしかない。

16年前の会社崩壊で、逆らえない諦めを嫌と言うほど味わった。悔しさは今も残るが、一方で人生の目的に「家族と仲間を守る」を加えることができた。当時、出世頭とおだてられた滅私奉公と承認欲求の私には分からなかった。

それまでのギラギラの自分から、脂が抜けた瞬間だった。会社は崩壊しても、そこにいた仲間も、家族も変わらずに存在してくれる。己の生き様に「何でもない事が幸せ」と「大切な人を守る」を肝に銘じたら、諦めない心も変化した。

「大切な人を守る」には覚悟がいる。我が身より相手の命が重いと決意して始まるからだ。それも、血縁の親子愛以上に、夫婦愛と子弟愛の方が重いと心得るとのこと。

今更、臆面もなく「家内の為なら死ねる」とは言えないが、大切な人を守ることを「使命」と決めたなら、文字通り命を使って全うするしかない。

「使命感とプロ意識と諦めない心」…ええカッコだが、目的を見つけたら、これが必須条件になるのは当たり前なのだな。汗。










2020年9月5日土曜日

勝手にリセットされて。

マスクで口紅は売れないし、旅行の予約も支度も不要。観光・観劇・飲み屋は絶体絶命。在宅でゲームは盛況。巷はコロナより「新型潔癖症」が蔓延、消毒剤のない施設は入れない。

大学は後期も学内授業は中止だが、授業料は払うのだ。未だ大学を知らない1年生。4年生の就活と企業側の運営も深刻の一途。今は、色々並べた現実を受け入れるので精一杯だ。

人々の生活は、従来の常識も価値も通用しない。非常事態宣言は、正常があっての異常だが今は、この状態を正常としてどう過ごすかを考える。

ワクチンや特効薬の量産まで、この生活は続くだろう。加えて、暦ではあと4か月で今年が終ってしまう。コロナの半年は、あらゆる行事を中止にさせ、全てをリセットさせた。


幸せのお裾分けに感謝



そんな中、先日社員の結婚披露宴に出席させて頂いた。新婦は新規事業で大活躍の気が利く「切れ者美女」である。コロナでの延期を経ての準備万端には頭が下がる。

1卓半数の配席と徹底衛生のもと、盛大で素晴らしい披露宴であった。当然、会食やセレモニーはマスクを外したが、全体に気配りされた新たな婚礼スタイルにも感動を頂戴した。こんなステキなお二人に「幸多かれ!」と願うばかりである。


こうした多くのリセットだが、喜怒哀楽の場面で、握手を交わす、時には抱き合う、背中を支えるなど、血の通う行動まで規制するのはあまりに悲しい。私自身、披露宴の帰り際に、ご夫婦と握手を交わしたが、これが過剰なら寂しくなる。

「体温を感じる触れ合い」があるから、仕事も遊びも喜びが高まるのだ。それを忘れず、コミュニケーションと予防の在り方を模索するしかない。


「生産性のヒト」から「生物としてのヒト」へ



実はコロナ禍でも良い話もある。一つ目は、世界中の経済制限でCO2排出が激減、インドで数十年ぶりのヒマラヤ眺望など、地球上の大気汚染が劇的に改善されたことだ。汚染空気で絶滅危惧の生き物には、まさに「救済措置」となる。

2つ目は、在宅でのいざこざが増え「離婚率」が上昇と懸念されたが、4月以降の離婚は何と3割も激減している。衝突した時間以上を共にすれば「修復の時」になると信じたい。

私も家内との会話が増えた。この機に仲が深まるコツは、自分が話すより「聞き上手」になること。さて、その成果だが「傾聴力」次第なので、お互い努力を怠ることなかれだ。


心底憎きコロナだが見方を変えると、経済視点の人の在り方「生産性の人」から「生物としての人」に立ち戻れ!の啓示を込めた「自然界」の仕業なのか?と妄想してしまう。

ならば肝に銘じますから、酷な神のご意思よ、コロナリセットを!…合掌。

今を楽しむ生活を!