2024年3月30日土曜日

大学柔道物語⑩最終話

息子が大学を卒業した。小5からの「柔道漬け生活」が終わるとなると感慨深い。声を枯らした応援、全国行脚、道場の送迎、毎日の食育と大変だったが、私と家内には楽しかった思い出ばかりで、今となれば感謝しかない。

息子は高校・大学と柔道推薦で引っ張られ、一体どこまで成長するかと勝手に期待した時期もあるが、根本的にそれは間違っていた。

過度な期待は「失望と挫折」と表裏一体だ。彼も自分に期待した筈だが、団体、個人戦の全国上位の厳しさに加え、大学2年後半に腰痛がヘルニアに悪化してからは、戦績より「勇斗(はやと)らしさ」探しが共通の期待に変わっていった。

彼はその期待に応えたようだ。後輩からの慕われ様と、12年、泣き言いわずにやり遂げた継続力は、勇斗らしい魅力的な武器になった。


柔道こぼれ話。


先日、帝京Gの卒業式が「日本武道館」で開催。柔道部にとって武道館は、地区の代表しか臨めない全国大会の場所だけに、今後は一観客にしかなれない寂しさはあったようだ。

一方、嘉納治五郎が興した柔道の総本山である「講道館」は、やはり柔道家の聖地である。ここには高校柔道の思い出が数々ある。

講道館は「道場」であり、登録の息子たちも練習するが、何より強豪校ひしめく東京都の高校柔道選抜戦が行われ全国出場を賭ける激戦の場。「東京を制する者は全国を制する」と言われ、当時は声を枯らして応援したものだ。

講道館のこぼれ話。講道館近くの食堂には何と「1㎏ハンバーグ」のメニューがあり、それを食らう息子たちに他店の大盛話を聞くと安田学園の両国の「ちゃんこ・飯食い放題」と「すき家キング盛り」には2度びっくり!

すき家の裏メニュー「キング牛丼」とは、並盛の6倍の肉に2.5倍の白飯で一杯1,230円、2,300kcalとコスパ最強のお化け丼だが、重量級の息子たちには強い味方であり、大判振る舞いの「すき家」さんには大感謝なのだ。笑


飾った世界に流されるな。


世間では今年の新入社員を「さとり世代」と呼ぶようだ。その最大の特徴は「欲がない」。夢や希望がなくても今が安定していれば満足で、恋愛に興味がない、旅行に行かない、無駄遣いしない、熱くならない現実派と言われる。

しかし育った環境が不景気とはいえ、これでは「枯れた年寄り」と変わらない。一方、息子たちは夢と希望に燃え鍛錬を重ね、大学でようやく坊主頭と不休の練習から解放された。こんな柔道小僧は、悟るどころか欲望満載で、彼らがさとり世代とは到底思えない。


さて、息子は研修で発令の赴任地に引っ越すだろう。どこに行こうが赴任先の先輩に喰らい付き無我夢中で仕事を覚え、お客様の心に寄り添うのだ。柔道のように、まず仕事を好きになり、向いていると思うまで全力で取り組め。

そりゃ大変なことは当然。だが大変とは大きく変わるという意味だ。それでダメならやり直せ。長い人生、大した問題じゃあない。

息子よ、勇斗らしさを失うな。今どきの冷めた虚栄の「我」は捨て「無我」となり、己の目標・夢へ「夢の中」に入り込め。これが誰もが認める「無我夢中」の姿なのだ。

私の願いは「時代遅れ」の唄。不器用でもしらけずに、純粋でも野暮でなく、飾った世界に流されず、大切な人を思い続ける。こんな男の良さが判る日が必ずくる。

最後に、昔から貴方に唱え続けさせてきた合言葉を、未来の勇斗に贈る。

『執念ある者は 可能性から発想し 執念なき者は困難から発想する』


■安田柔道物語最終編「時代遅れ」掲載

http://tanabeshiho.blogspot.com/2020/03/blog-post_17.html?m=1











2024年3月9日土曜日

国語力 ヤバいって。

最近、若者の国語力の低下を痛感する。彼らは国語の授業の「文中のコレとはどこを指すか」とか「作者の意図を要約せよ」の問題が苦手なのだ。結果、読解力がないから相手の言っている事や、その胸中を的確に把握できないのだ。

加えて語彙力と表現力が乏しいから、的外れの話が多く何を言いたいか分からない。微妙な会話のズレは友人なら愛嬌だが、仕事ではあり得ない。

実際、経済協力機構OECDが実施した国際的学力調査によると、全体的な学力の低下より最大の課題は「読解力の低下」だそうだ。やはり若者の国語力の不安は深刻な問題なのだ。

これは、スマホ社会になりSNSの超短文と絵文字のやり取りばかりで、読書など長文に触れる機会が激減しているからだ。スマホの時間は山ほどあるのに、読書する暇はないのだ。

読書量が圧倒的に足りないと論理的思考力が身につかず、本質を見抜くのが苦手になり文章を書くことも不得手になる。人間模様や心の葛藤を深く詮索するのが面倒になり、楽しくて分かり易いショート動画や音楽とゲームに走る。

因みに年配者との会話は大の苦手。昔からの曖昧な表現やことわざは、残念ながら理解不能だ。「この案件、注文が多くて骨が折れるな」に「え、肉体労働ですか」と、これ本当の話。労力を費やす表現と知らず「骨折」と認識。まさに説明するだけ「骨折り損のくたびれ儲け」だが、まぁこれも間違いなく通用しない。💦


衝撃的な本に出合うまで。


私の本好きのキッカケは、感動の本との出会いからだ。石森延男の「コタンの口笛」は頭を殴られたような衝撃だった。北海道のコタン(アイヌ集落)に住む姉弟が日本人の差別と偏見に耐え、強く生き抜く姿を描いた児童文学の金字塔だ。

小4の私はこの本で、人が人を差別するという事実と、世の中の理不尽に耐える子どもがいる事を初めて知った。これを機に好奇心が沸き、様々な本から多くの価値観を学び、その後の自分に大きな影響を与えたのは事実だ。

「物事の本質を知る」という事を端折ったら軽薄な奴になる。勿論、読書だけで思慮深くはならないが、相手の気持ちを察する力は必ず養える。

人生は「ヤバい」と「まじッ」の2つでは乗り切れない。今からでも遅くないから、誰もが認める名作を読み込み「勉強」することだ。因みに「音読」は読解が深まるからお薦めする。

「学びは一生」人は生きる限り学び成長する。読書に限らず、学ぶ気なら会話や日々の暮らしにも題材は幾らでもある。勉強の苦しさは一瞬だが、勉強をしなかった後悔は一生続く。

「知識は力」で有名な英国の哲学者フランシス・ベーコンが明快に教えてくれている。

『読書は人を豊かにし 会話は人を機敏にし 書くことは人を確かにする』納得の名言だ。