2024年6月15日土曜日

よっ 若大将!

 昭和の思い出は数あれど、TVと映画が対峙していた頃、大好きな映画に加山雄三の「若大将」があった。You Tubeの若大将マニアの解説を観て、懐かさに思わずセット買いをしてしまった。

この映画、大学スポーツ万能の若大将(加山雄三)を主人公に青大将(田中邦衛)とスミちゃん(星由里子)との痛快青春コメディ。とにかく若大将がカッコよく観ていて心地良い。

第1作1961年「大学の若大将」6歳の私は再上映でドハマり。話題のシーンは若大将たち水泳部が大学の浄化槽の蓋で焼肉を焼く場面。脚本では公共のマンホールだったが、東宝幹部の「良識ある大学生はしない」と中止要請。それを逆手にとりマネージャーが便所の浄化槽の蓋を拝借、そこに用務員がハマる設定にして強行撮影。

結果は大受けで、幹部の「次回はマンホールで」の声には制作部を呆れさせた。しかし改めて若大将を観ると彼の破天荒ぶりと人の良さに驚く。

大学の授業料は使い込む、すぐ喧嘩して店は壊す、若大将の為に祖母が家業のすき焼き・田能久の肉や運転資金を流用と、犯罪紙一重なのに毎回父親の「勘当だ」で済むし、果ては若大将の大活躍で全て丸く収まるから不思議だ。

まぁそこは深く考えず、彼の奮闘と高度成長期の勢いを楽しもう。当初の3部までの話は4作1963年「ハワイの若大将」の大ヒットで継続は確定。

しかしこの後、黒澤明「赤ひげ」で加山は1年間拘束。ブランクによる人気低迷を案じたが、観客の飢餓感の方が勝り、5作1965年「海の若大将」では自作の歌もヒットし前作を上回る興行成績となり、若大将は確固たる地位を確立した。

同年の6作「エレキの若大将」は彼の音楽的才能に溢れ音楽映画としても大ヒット。突如スミちゃんと歌う「君といつまでも」はあまりに有名だ。このレコードは翌1966年に350万枚のトリプルミリオンセラーとなったのだ。

その後の4作品も人気は続くが、加山30歳の学生服はさすがに不自然で11作1968年「リオの若大将」で彼を卒業させ終了と考えたが、世間は許さず東宝得意のサラリーマン劇場に移行していく。高度成長の自動車メーカーを舞台に13作1969年「フレッシュマン若大将」もはまり役で、それ以降の会社員若大将も見逃せない作品だ。


若大将シリーズの苦悩と再生。


会社は次の若大将を狙い16作1971年「若大将対青大将」は加山主演だが、設定を離れ田能久は登場せず、二代目の大矢茂も中途半端で、惨憺たる結果となる。三代目の草刈正雄も振るわず、若大将シリーズは残念だが終焉を迎える。

ところが1975年に突如、若大将のオールナイト興行が爆発。若い人にも大ブームが起き、大学生の私も新宿のオールナイト一挙4本上映で一緒に歌い大声援の観客参加型を体験。その盛り上がりは凄まじく次回作に繋がるきっかけとなった。

それが、彼の芸能生活20周年の記念作品1981年「帰ってきた若大将」だ。全編が若大将のオマージュに溢れたこの作品は、本来の若大将の魅力が満載で大ヒット。加山雄三の若大将は見事に有終の美を飾ることになったのである。


昭和映画のシリーズ化の成功は、若大将、男はつらいよ、釣りバカ、ゴジラなどあるが、共通点は①主人公の強烈なキャラ②配役の魅力③安定のワンパターン。この三つが揃い「主人公の虜」になればマンネリは歓喜の定番化になるのだ。

昭和映画史に輝く若大将こと加山雄三は、湘南生まれの慶応ボーイ、スポーツ万能、シンガーソングライター、画家とまさに異能の87歳。

熟年でも私には永遠の若大将。憧れの彼に長寿祈願と感謝を込め一言「よっ若大将!」。