すっかり肌寒くなったが、この夏の猛暑は外出すら億劫だった。ところが私は忙しくて億劫どころか掛け持ちで訪問することが多く、紫外線の総攻撃を受け少々バテ気味だった。
一方で、自営業が始まり先様の課題を深掘りすると、最近、連携する他部署のコンサルも先方から頼まれる。報酬アップは嬉しいが、このままだと以前より忙しくなりそうで少し不安なのだ。
その不安とは、今夏の酷暑での過密スケジュールによる体力の不安と、PC一式入りの重いリュックで動き回ることでの腰痛再発の不安である。
正直、これは私の思い描いた「引退のんびり生活」のイメージが遠のくばかりなのだ。
さて、私を不安にさせた夏の異常気象だが、気温40°以上が全国で多発した。今まで気象庁は35°以上を猛暑で括ったが、3年前に40°以上を「酷暑」と制定したばかり。人の体温が40°なら重病人だが、ましてや外気温が40°を超えるとはありえない。
一昨年の今頃、ブログで地球温暖化を取りあげた。2100年に海水温が6度上がり海面は82cm上昇、多くの陸地は水没となるとツバル、モルディブ諸島は水没、更に海面1mまで上昇すると、何と日本の砂浜の9割が消滅すると言われている。更に2050年の夏の気温は47°との試算もあり、もはや日傘、クーラー、水分補給のレベルではない。
いつのまにか茹でガエル?
しかしこれだけ地球温暖化が深刻なのに、我々に危機感が乏しいのも事実。世界の大国は自国ファーストの自己中心が蔓延、地球の生態系や環境や気象学者の話など皆聞きやしない。
今政治は立て直しに躍起だが、政治空白と無関係に天災は訪れる。水害頻発は深刻で都度対策に追われるが、その根本原因でもある温暖化対策は歯切れが悪く、丁度、政府が万人受けの刹那的課題を優先し先送りする「政治と金」と同じだ。
我々は、孫の世代に影響する事には自分事で捉えるが100年先は他人事だ。「茹でガエル理論」で、緩やかな変化は鈍感にやり過ごそうとする。しかし現状維持は後退だと心得たい。
当然、この世の事象は時間と共に変化する。老化や腐敗は実際に敏感に分かるが、緩やかな変化は多忙を言い訳に、鈍感な茹でガエルになる。
我々は「このままでは先行きが不安」を知っている筈だ。予兆に対し果敢に変える覚悟を持つ人を増やし流れを変えるのだ。国会の過半数と同じだ。
私も「茹でガエル」にならぬよう、今の仕事を現状業務で留めるか、更に増やすか、仕事半減で趣味や余暇を楽しむか、元気なうちに決めるとしよう。
このまま流れに任せて、はっと気づいたら、ライブも旅行も面倒くさがる爺いになってしまっていたら、あまりに癪じゃぁないか。

