2020年11月10日火曜日

本が読めないゴジラ。

最近、通勤途中の読書が苦手だ。裸眼で月2.3冊は読んでいたが、今は読みづらくて億劫だ。

集中力が欠けて、ずっと同じ作業が辛い。友人からは、そりゃ昔からだと言われそうだが、堪え性が乏しくなったのは寂しい。

ながら音楽の感覚で、聴く本「オーディオブック」にしようかと検討中だ。何より手軽だ。

心配は、この先、耳が遠くなること。相変わらず「都合の悪い話」は聞こえないが、家族には適正なTV音量が、聞き取りづらいのは事実。


「高齢者」は「功労者」


平均男子の健康寿命が72歳で、7年後の79歳が寿命。目標は、少しでも健康寿命を延ばし、何らかの介護を要する7年間をどう縮めるかである。

高齢者基準の前期65歳、後期75歳は極めて妥当。強がっても体の疲弊は、その頃に訪れる。扶養家族を抱える私は、前期の過ごし方が重要。

同世代の仲間との切磋琢磨なら、元気も続くが、企業は60~65歳定年や若手の台頭など、この手の話は社内では盛り上がらない。

やはり地域の在り方が重要で、重松清の「定年ゴジラ」のように新興住宅街の30年後には、公園に子どもがいなくなり、あてもなく散歩する定年組が公民館で徒党を組むのだ。

街の模型をゴジラのように破壊する場面や、定年4人組の奮闘記は、今読んでも面白い。


子ども叱るな 来た道ぞ 年寄り笑うな 行く道ぞ


浦安市から届いた「介護保険被保険者証」は地味にショック。この街も20年経過して子どもは社会人となり親は定年ゴジラの予備軍だ。デイサービスの送迎車も目立つようになった。

今更だが、子どもの成長と親の摩耗は並走する。当時、新設の高洲小学校は「老人ホーム」に転用の仕様だし、届いたシニアブックは、老人会、サークル、健康法がてんこ盛り。

ぽっくり逝きたいと言うくせに、病院通いをする面々は、川柳の秀作「クラス会、それぞれ持病の 専門医」になり、皆と対策を共有だ。

手前味噌だが、高齢者の方をよく見て欲しい。皆さん、それぞれの家庭を守り、地域に貢献し、世の中を支えた「功労者」に他ならない。

家族には「オヤジは功労者」との認識祈願。私も、亡き両親への懺悔もあり「後期高齢者」を「高貴功労者」と認識しよと思う次第。大汗。