2025年11月16日日曜日

白内障で目覚める。

昨年、蛍光灯が眩しく視界に霞が掛かったようになり、眼科で「白内障」と言われた。今までは白内障の進行を抑える点眼を使用していたが、先月の検査でいよいよ手術しようとなった。

白内障は加齢で水晶体が混濁するもので、50代で半数、6~70代は8~9割、80代は100%がなる。片目10分の手術を2回、水晶体を人工レンズに入れ替えると、劇的に視界が変わるという。

60代で手術した友人によると、保険適応外のレンズだと近視と遠視も治るらしいが、私は未だ遠視はなく中間ピントの保険適応内の手術にした。


痛い目に合い目から鱗。



手術は緊張した。濁った水晶体を管で吸い取り、ソフトレンズの注入模様をモニターで観ていた家内は「見事ね」と感嘆する一傍観者であった。💦

術後3日間は顔も洗えず、就寝は保護眼帯と面倒だが、経過良好で視界と視力は目に見えて変わった。術後2日目には永ちゃんライブにも出かけた。

しかし自分が人工水晶体とは不思議な気分だ。今まで己の眼から網膜に焼き付けてきた映像が、一旦リセットされた像が映し出される気がする。


世に「目に関する諺」は多い。目が離せない、お目が高い、目が肥える、目に物言わす、目は口ほどに物を言う…多種多様な表現に目を見張る。

故に我々の表情には「目力」が宿る。眼光鋭い人と接するのは怖いが、優しい目の人は嬉しくなる。まさに「目は心の鏡」と言われる所以だ。

私も昔、目力が強いとか眼光が鋭いと言われた時期もあったが、役職や立場で目で威圧するのは考えものだ。それこそ度が過ぎると目に余る。


今回、財が無くても人様に施せる「無財の七施」を思い出した。常に優しい眼差しで相手に接することが「眼施」。次に「和顔施」で和やかな笑顔で迎え「言辞施」で優しい言葉で語りかけるのだ。

残るお布施「身施・心施・床座施・房舎施」も検索して頂くと、その大切さが分かる筈だ。


私に残せる財産は僅かでも、無財の七施なら与えられる。人工眼でも笑顔とセットなら「眼施」になると信じて、今日も優しい眼差しを向けよう。

白内障になり「無財の七施」に目覚め、手術をして「目から鱗が落ちる」とは言い得て妙すぎる。











2025年10月30日木曜日

俺も茹でガエル?

すっかり肌寒くなったが、この夏の猛暑は外出すら億劫だった。ところが私は忙しくて億劫どころか掛け持ちで訪問することが多く、紫外線の総攻撃を受け少々バテ気味だった。

一方で、自営業が始まり先様の課題を深掘りすると、最近、連携する他部署のコンサルも先方から頼まれる。報酬アップは嬉しいが、このままだと以前より忙しくなりそうで少し不安なのだ。

その不安とは、今夏の酷暑での過密スケジュールによる体力の不安と、PC一式入りの重いリュックで動き回ることでの腰痛再発の不安である。

正直、これは私の思い描いた「引退のんびり生活」のイメージが遠のくばかりなのだ。


さて、私を不安にさせた夏の異常気象だが、気温40°以上が全国で多発した。今まで気象庁は35°以上を猛暑で括ったが、3年前に40°以上を「酷暑」と制定したばかり。人の体温が40°なら重病人だが、ましてや外気温が40°を超えるとはありえない。

一昨年の今頃、ブログで地球温暖化を取りあげた。2100年に海水温が6度上がり海面は82cm上昇、多くの陸地は水没となるとツバル、モルディブ諸島は水没、更に海面1mまで上昇すると、何と日本の砂浜の9割が消滅すると言われている。更に2050年の夏の気温は47°との試算もあり、もはや日傘、クーラー、水分補給のレベルではない。


いつのまにか茹でガエル?


しかしこれだけ地球温暖化が深刻なのに、我々に危機感が乏しいのも事実。世界の大国は自国ファーストの自己中心が蔓延、地球の生態系や環境や気象学者の話など皆聞きやしない。

今政治は立て直しに躍起だが、政治空白と無関係に天災は訪れる。水害頻発は深刻で都度対策に追われるが、その根本原因でもある温暖化対策は歯切れが悪く、丁度、政府が万人受けの刹那的課題を優先し先送りする「政治と金」と同じだ。


我々は、孫の世代に影響する事には自分事で捉えるが100年先は他人事だ。「茹でガエル理論」で、緩やかな変化は鈍感にやり過ごそうとする。しかし現状維持は後退だと心得たい。

当然、この世の事象は時間と共に変化する。老化や腐敗は実際に敏感に分かるが、緩やかな変化は多忙を言い訳に、鈍感な茹でガエルになる。

我々は「このままでは先行きが不安」を知っている筈だ。予兆に対し果敢に変える覚悟を持つ人を増やし流れを変えるのだ。国会の過半数と同じだ。

私も「茹でガエル」にならぬよう、今の仕事を現状業務で留めるか、更に増やすか、仕事半減で趣味や余暇を楽しむか、元気なうちに決めるとしよう。

このまま流れに任せて、はっと気づいたら、ライブも旅行も面倒くさがる爺いになってしまっていたら、あまりに癪じゃぁないか。







2025年10月9日木曜日

百折不撓 光星竜!

先日、大相撲「音羽山部屋 千秋楽祝賀会」に出席した。観戦と違い相撲部屋が主催のパーティーに出席するのは人生初である。各界の慣習は全く無知の我々は興味津々で出かけた。

両国のホテルは既に贔屓筋の方々が集い、若い力士が受付に勢揃い。私は今春場所が初土俵の力士に「おーい光星(こうせい)」と声を掛けた。

光星は、安田学園高校柔道部の息子の一年先輩で、音羽山部屋で「光星竜」の四股名で奮闘中。高校時代は家族共々柔道でお付き合いしていた。特に光星と息子は仲が良く、卒業後も2人は連絡を絶やさず、彼の帰国には会っていたようだ。

光星竜は安田卒業後、NASAを目指し米国大学で宇宙工学を学ぶため留学。米国でも柔道を続けて全米100k級で優勝した強者。その彼が心機一転、元力士の父親と亡き寺尾親方への恩義と、年齢的に最後のチャンスを機に力士の道を決断したのだ。

そして大学を休学。新弟子能力検査を受けて鶴竜が親方の音羽山部屋のもと5月に本場所の土俵。この海外の大学から大相撲への転身は異例である。

昔から一途な彼を知るだけに絶対応援したくなる。彼は律儀に毎場所の番付表を送ってくれ、祝賀会には何をさておいても出席と決めていた。


相撲道こそ実力と人間力の世界。



そもそも相撲道とは、礼儀と品格、伝統と文化、精進と鍛錬、勝負の潔さと公平性で成り立つ。品格のみならず強くないと昇進しない険しい道だ。

25歳、光正竜の覚悟と勇気。それだけで心が躍るが、加えて本場所6勝1敗で勝ち越したのだ。


当日は光星竜が初髷・ちょんまげを結った記念日。力士の生涯一度の初髷には「こんぱちの儀」を行うと言う。光星竜が後援の方々から祝儀とおでこにデコピンを貰うという独特な儀式だ。神妙に額を差し出す彼に我々も気合注入のデコピン3発!

今の序二段から関取までが厳しい道。三段目180名幕下120名を経て、次の「十両」の定員28名からを関取と呼び、十両給与110万と個室が与えらる。

つまり総力士700名から十両と幕内の70名だけが関取であり、幕下力士はひたすら上を目指すのだ。

そして夢の幕内の前頭から横綱までの関取42名の争奪戦をTVでも見られるのだ。(写真参照)


まぁ会社の幹部組織図と同じだが、各界では品格・鍛錬は前提として、そこからは白星の数の実力主義。これは恐怖でもあるが潔く厳しい世界だ。


光星竜が転身を決めたのは「やらない後悔より、やって後悔」を選んだという。確かにやらなかった後悔は一生禍根を残すのものだ。

光星竜は私に色々教えてくれる。私も迷ったら、幾多の失敗を恐れず突き進もう。昔、息子の初黒帯に刺繍した「百折不撓」の言葉を思い出した。

「百折不撓  光星竜!」私と息子も百折不撓!




















2025年9月17日水曜日

心ふるえる唄。

日本の音楽界に多大な影響を与え、70歳を過ぎても現役で活躍するシンガーソングライターに目が離せない。なんたって我が青春そのものだ。

小田和正78歳、矢沢永吉76歳、さだまさし、中島みゆき73歳、山下達郎72歳、松任谷由実71歳に続き、桑田佳祐、竹内まりや、松山千春は私と同学年の70歳。因みに私の十八番「お掃除オバチャン」の元憂歌団の天使のダミ声、木村充輝は71歳である。

彼らの独自の世界観は類まれな才能が成せる技で、今もライブは満杯で我々に夢を与えてくれる。彼らのライブに行きたいが、みな人気がありすぎてチケットが手に入らないのだ。💦


私は一昨年、友人の誘いで「矢沢永吉」ライブに出かけ、彼のパフォーマンス、最高のバンド、熱狂する観客の一体感に完全にやられた。実は1978年入社したカネボウ夏キャンペーンが「Mrサマータイム」vs資生堂は永ちゃんの「時間よ とまれ」。あの夏は矢沢永吉が憎らしかったが、今では圧倒的存在の熟年の永ちゃんに完全に魅せられている。

■新曲「真実」:https://www.youtube.com/watch?v=bdZEFmbAEwE


先日は最年長の小田和正ライブに娘と行ったが、憎めない毒舌と優しい声とメロディに興奮した。矢沢永吉とは全く異なるファンも印象的だった。


「いのちの歌」で元気をだして 


若い頃は竹内まりや「元気をだして」に癒された。その彼女が作詞して2014年にカバーした「いのちの歌」、当時は聴き流したが、70歳の今、彼女が唄ういのちの歌に感動した。命と向き合う年代になり、歌詞の深みを実感して心が震えるのだ。

■いのちの歌:https://www.youtube.com/watch?v=GhRdNGX9Pp4


アーティストは活動を重ねる度にファンが広がる。初めて歌に出会う人、歌と共に思い出を重ねる人。誰もが自分の琴線に触れた時に、私の「心ふるえる唄」へと醸成されていくもの。

我々も、人として加齢と共に熟成・進化したいものだ。私の目標は自慢話は一切語らず、相手が求める事だけ助言する「謙虚な賢人」になることだ。

「賢人は愚かな人からも学び、愚かな人は賢人からも学ばない」と言われるが、賢人のコツは反面教師も含めて「我れ以外はみな師」と心得ることだ。

だから人生は『一生勉強、一生青春』なんだなぁ。





2025年8月24日日曜日

平日の散歩から。

会社員時代と同じ時刻に目が覚める。平日休みの朝メシは格別に美味く、そのあとはAirPodsで藤井風を聴きながら10分ほどの海まで散歩する。

今の海浜公園は、ランニングする人より高齢者の散歩の方が拡大している。久しぶりの平日散歩で、私を含めてこの街と住民が歳を重ねている事を実感する。

23年前の新浦安は、幼稚園バスや子どもの声で活気に溢れていた。今はデイサービス車が増え、子どもは激減。当時の新設小学校は先々老人ホームに転用できるようエレベーターや天窓が設置されていた。今は未使用EVが稼働するのも遠い話ではない。

以前も述べたが、一般的な街づくりは30~50年スパンを前提に施設を建てる。近所のスーパーは30年の減価償却計画と、住民の変化に応じた商品構成や改装計画を立てる。最近は少家族の生鮮パックと年配者向け惣菜の拡大はご存知の通りだ。


さて平日散歩だが、引退した友人とのファミレスのランチで「実は散歩コースも曜日別」と聞き、早速私も採り入れた。確かに散歩が飽きない。


自営業になって分かること。


先月、税務署に個人事業主と青色申告をe-taxで申請したが、PWの再入力が面倒で往生した。先日は年金ネットに入る際に選択した質問を忘れ、面倒だがハガキで質問回答を送って貰ったばかりだ。💦

総じて公共のアプリは不親切で顧客不在だ。高齢者に年金事情を煙に巻くかと思うほどの年金ネット、マイナポータルやe-taxなどブラックBOXだ。

まぁ色々あったが、私のコンサル活動は順調だ。有難いことに他からも仕事の依頼を頂くが、現状のまま、なるべく無理せずにのんびりしたい。

就活中の63歳の後輩が、仲介者から「企業のマネジメント経験は不要、何かCANがあるか、実際に実務ができないと要らない」と言われた。「元企業の偉いさんで、スキルも人脈もないと悲惨だな」と2人でしみじみ語り、彼はプライドを捨てた。

そう考えると、私は定年後もブランド上市や営業をしてきた事で、ご縁ある方々と繋がり続け、こうして仕事を頂けることに感謝と責任を痛感した。

そして今は異業種が面白い。見る聞く全てが新鮮だが、やはり業界を知らずは会話が続かない。早々に海苔を学び、痺れる入札に参加したいのだ。


挑戦できる今を大切に、広い視野の今を満喫、歩ける今に旅、大切な人と過ごす今を丁寧に。そう、いずれ体は衰え、夢を追う気力もなくすのだ。

人の五感と感性は千差万別なれど全ては「有期限」である。それを忘れず、今を精一杯だ。

















2025年7月29日火曜日

感激と驚きの別れ。

私の独り立ちが始まった。どうしてもコンサルは平日だからスケジュールの効率化が大切だ。今のところの週2.3日ほどの活動はだいぶ気が楽である。

ラクと言えば、今までの給与制度が如何に楽だったかを思い知る。経費も社会保険も税金も会社任せで済んだが、今後の自営業はそうはいかない。

そこで面倒な財務大臣は家内に任せ、私は業務に集中することにした。まぁ今までの我が家と全く変わらないのが一番なのだ。


ジモスからのプレゼント。



実は今回ジモス退任で頂いた「3D田邊」と、田邊オリジナル商品の仔細を友人から尋ねられ、手の込んだメッセージ動画と合わせ紹介したい。

因みに、JOMOS社員は皆さん優秀でいい奴ばかり。心温まる言葉に感謝感激だった。こんな70オヤジを慕ってくれ本当に居心地が良かった。

福岡では田邊限定の商品のプレゼントに感激した。愛用するMSMクリームを大容量にして、田邊仕様のラベルまで貼るとは、使うのが勿体無い。

東京の送別会では社員からの動画を視聴。思い出の写真と仲間の言葉に感動終了したつもりが、次に特別動画のタイトル。まだ動画は続くのだ。

何がと思いきや、なんと我が家族が登場。これには驚いた。実は密かに家族に依頼したらしい。娘と家内は自宅からお疲れ様の言葉。金沢の息子からは、学生時代に厳しい父に怒られ家から追い出され、玄関先に寝袋で一夜を明かした話に、皆が大爆笑。

もう一つの驚きは、ジモスがお世話になる代理店ゼネラルアサヒ(GA)様から「3D田邊」を頂戴したことだ。部下が私を360°広角撮影した時点で「3Dの俺か」と思ったが、実物はリアル過ぎて想像を遥かに超えていた。夜見ると気味が悪いほどだ。

私はこの制作過程が気になりGAに色々尋ねた。最新の3Dプリンターはかなり精巧に復元できる。私の360度写真から設計図を作り、9時間半かけ完成したらしい。実は内緒だがGAさんの高性能3Dプリンターは「フェラーリ」が買えそうな価格である。

私が3D胸像と3つの頭部を持つ写真があるが、頭部は肌色を決める色校正用だ。福岡の部下たちはこの頭部を魔除けの置物にするようだ。笑

最終日にはメッセージボードを貰った。仕舞い込めない大きさの額縁に、ボード中央にメッセージ動画のURL(YouTube)まで付けるとは恐れ入った。これらのプレゼントに加え、顧問のお話も頂戴して、少しは私が会社のお役に立てた証のようで本当に嬉しかった。


会社員48年の間に16回の異動、13回の転居、子どもは3回づつ転校した。実に多くの出会いと別れを経験したお陰で生涯の友と、新たな出会いに好奇心一杯の性根が出来上がった。

やはり人生の楽しみは「明日への好奇心」と「出会いは人生の宝」が全ての源泉なのだ。






















2025年7月4日金曜日

18と81の自分探し。

ブログ「会社員の引退」を見た友から「取締役は雇用契約の従業員でなく、会社との委任契約だから社員ではない」と指摘された。

確かに私は雇用保険も労災も勤務時間もないが、事業長兼務で定額報酬のフル勤務だから、サラリーマンを辞めたが正解なのだろう。

実は私の会社人生の大半が正規社員でない。42歳でカネボウ静岡販売(株)代表取締役と同時に、勤続19年で退職金を清算され嘱託社員になった。20年未満では退職金も僅かで頭にきたが、次の年棒額を知り思わず納得してしまった。

早速、毎月の売上利益の確認と経費に押印するのだが、冒頭が私に係る諸費用一覧。そこに「経営指導料」の欄があり、私の報酬を経営指導料として私自身が支払いを承認するのだ。

己の仕事を自問自答させる痺れる仕組みだ。一度、大幅な未達月度に承認を許否した。すると本社役員から電話が掛かってきた。

「田邊、何かっこつけてんだ。早く押印しろ」「いや、在庫整理で大幅未達では貰えない」と断ると「お前に経営を任せた以上、目の前の実績より通期でどうか、来期は万全か。会社を中長期に考え、今何をやるかだ。その場の数字で一喜一憂するな」…ぐうの音も出ない。

「明日を描き今日を生きる」。私は来期以降の健全な販社体制を構築することを誓った。

当時カネボウは販社代表と部門長を嘱託社員にさせ、経営者を育て選抜してきた。かくして42の若造は200名の従業員を抱え、取引銀行や労組との接し方を経験。それ以降、ロービームで彷徨うとハイビーム視点を忘れる事を痛いほど学んだ。

因みに「逆流性食道炎」もその頃である。しかしこのキャリアが自己形成の礎になった訳で、今後、こんな私の知見でも欲しいと仰る会社には精一杯伝えていければ幸いである。



10年先を考える大切さ。



さて話は変わるが、私は厚生年金確保の為、個人事業主として青色申告する。国がいくら年金制度を見直しても、高齢化と少子化による目減りと、若者の負担増は変わらない。

そうでなくても我々は、働けば所得税、年金にも所得税、買い物すれば消費税、住むだけで住民税、相続、贈与に蔵出し税と、そのうち生きてるだけで生息税までかけられそうだ。

政府にすれば「働けるなら稼いで納税を!」だから、雇用延長を70歳にする日も近そうだ。年配者は健康寿命を延ばす為にも働きまくるのだ。


以前、SNSで「18歳と81歳の違い」という面白い記事を発見。そもそも日本の18歳は106万人、昨年より6万人減り過去最低。一方81歳は437万人、何と81歳は18歳の4倍。80歳以上合計で1,260万人で国民の10%に及ぶのだ。

さて18歳と81歳の違い「恋に溺れる18歳、風呂で溺れる81歳」「道路を爆走18歳、道路を逆走81歳」「心がもろい18歳、骨がもろい81歳」「何も知らない18歳、何も覚えていない81歳」と、我々は笑えるが、当事者の81歳と18歳は笑えない。


祖父母を介護する両親と次を背負う子ども。まさに「自分探しをする18歳、皆が自分を探してる81歳」が現実になる。「子ども叱るな来た道、年寄り怒るな行く道」では許容できない事態。だが高齢者も、決して老害などと言われたくないのだ。

私も81歳になる10年先を考えた。何はともあれ心身共に元気を維持し、家族に迷惑を掛けぬよう健康寿命を延ばしピンピンコロリを目指すしかない。

ウーム「脳トレと筋トレ」しか思い浮かばない。10年先がロービーム視点とは情け無い。💦






2025年6月7日土曜日

食わず嫌い王。

古希祝いに家族から「AirPods」を貰った。今までのイヤホンに比べ、聴力に適応する機能や音質など、すこぶる気に入っている。

これを機にCD転送のウォークマンから、TPO別に無尽蔵に選曲できる「Spotify」に変えた。Bluetoothが苦手な私の音楽文化は過去の遺物となった。

レコード~CDの昭和男は食わず嫌いなのだ。しかし最近は、レコードが流行りという。えー、昔、LP盤を大量に捨てたが「後悔 先に立たず」だ。


私は仕事上、PCやSNSを一通り使うが、年配者には苦手な人が多い。増える引退者と高齢者達は、進化する文明の利器から徐々に取り残される。

私の友人で、現役なのに未だガラケーでSNS無関心の還暦オヤジがいる。迷惑な話だが本人はどこ吹く風。私の知る限り「食わず嫌い王」トップだが、これ職場内では老害だろうな。

確かにPCとスマホの進化は早い。30年前、文書作成はOASYSだったが、静岡転勤2年を経て本社に戻ると1人1台のPC業務に大転換。ところが最近の学生はレポート・パワポをスマホで作成、今やPCが苦手という新人生が出現するほどだ。

しかしPC・スマホの習熟と仕事の成果は別物だ。語学力だけでは海外で通用しないように、折衝力と営業力がないとビジネスは成就しないのだ。


本末転倒、急がば回れ!



昔カネボウは、慣習的な語学堪能者の海外赴任はパッとせず、ならばと国内で営業力のある奴を選抜、英国に1年間ホームステイさせ英語学校に通わせるという荒技を強行。選抜者には過酷な日々を強いたが不思議と話せるようになるのだ。

2年後、彼らを海外に送り込んだら大成功。私の部下も英国留学させ、最初は泣き言ばかりだったが、24時間英語漬けの効果は抜群だった。

「語学力ある奴に営業」でなく「営業力ある奴に語学」の本末転倒の発想は、まさに急がば回れで、長期的人材育成と組織人事の成功例だ。

当時、英国留学中の部下からメールが届いた。「小説と漫画、それと魚肉ソーセージが欲しい」と切実なメール。私は早速、魚肉ソーセージを書籍の下に隠し発送してやった。彼からは「魚肉で一人乾杯した夜を忘れない」と言われた。

強制留学の前は秋田支店長だった彼は、その後20年ほど海外を渡り歩き、最後は国際部本部長として大活躍した。一昨年引退したが、彼は未だ海外で生活している。

その彼からの教え『食わず嫌いするな、先ずは食ってみろ!』何事も人生は挑戦である。