2014年2月4日火曜日

限りある時間を精一杯生きる。

2014年度は、消費税率アップに伴う経済環境の変化が予想され、我々にとっても正念場の年となる。今更多くは語らないが、お客様の笑顔を取り戻すため全社一丸となるのは必定。私自身、限りある会社員の時間を精一杯過ごしていきたい。

人生は長いようで短い。子ども、学生、会社員、そして退職後の人生(老後)。「無我夢中」で過ごしてきたが、これからも悔いなく生きたい。

限りある生命を精一杯生き抜いた山本多恵子さんを想う

昨年暮れ、机を整理していたら、懐かしい一冊の本が出てきた。15年ほど前になるが、私が静岡の責任者の時に出合った本で、今一度読み返して「限りある時間を精一杯生きる」ことの大切さを再度思い知らされた。

時を経たが「今でしょ」と思い、限りある命の中で、周囲に夢と希望を与え、多くのことを教えてくださった一人の女性を紹介したい。

静岡県沼津支店の伊豆・松崎で化粧品と文房具を扱う「有限会社サカンヤ」の奥様、山本多恵子さん。当時はカネボウ化粧品の取引先様で、ご主人と奥様、従業員さんには大変お世話になった。今は文房具と雑貨を取り扱う素敵なお店だ。

実は、多恵子さんは白血病と闘い続け、平成12116日、入院先で息を引き取った。享年44歳。何とも若く、心が痛む。多恵子さんが発病、入院したのは29歳で、長男・幸之助さん3歳、長女・有加理さん2歳だったという。

多恵子さんは、子どもたちが寂しくないようにと、文と絵で自らの思いを「おかあさんのゆめ」という絵本にしたためた。

全くの手作りゆえ店頭の絵本とは違うが、心あたたまる絵本になっている。多恵子さんは入退院を繰り返し、15年に及び病魔と闘った。その間、絵手紙をつくり続け、子どもたちと、友人・知人の多くの方々に絵手紙をたくさん送った。

多恵子さん亡き後、長女の有加理さんがお母さんの描いた絵手紙を、「おかあさんのゆめ」という一冊の本に纏め上げた。限りある生命の尊さと、母親の深い愛情、自然界の万物への愛情に溢れた、胸がキュンと締めつけられるような、涙腺が緩んでしまう遺作集だ。
当時、有加理さんは17歳だが「おかあさんのゆめ」のごあいさつに感動してしまう。


先日、このお話を紹介したいと「サカンヤ」山本さんに連絡すると、気持ちよく快諾くださり、加えてみなさんお元気そうで、嬉しかった。

こうした生き方をされた方を一人でも多くの方に知ってもらいたいと思い、明るく元気で過ごせることに感謝し「一日一日を大切に送る大切さ」を心にとどめていただけたらと思う。

限られた時間を人生の最高の思い出に変える

アメリカに、プリズン(刑務所)から派生した「プリゾニゼーション(Prisonization)」という言葉がある。もともと刑務所文化と社会生活を受け入れる処理を指すが、そのプロセスから、囚人の“刑務所ボケ”という概念も生まれた。俗に大企業病ともいわれている。これは私たちの心の在り方を問う言葉でもあると思う。

囚人は服役中、精神科医の診断を継続的に受ける。そこで一つの法則のような現象が出てくる。「無期懲役囚」は、以前が個性的で特異な犯罪者でも、数か月もすると没個性の無気力な人間へと変化し、反面「死刑囚」は益々個性的で活き活きした反応を示すというのだ。

無期懲役囚はただ、意味もなく変化もない毎日を送ることで、やがてその日の食事と看守の顔色にしか関心を持たなくなる。逆に死刑囚は、刑の執行日を知らず「今日一日が無事に過ぎても、明日は執行されるかも」と毎日思う。必然的に「今日」を大切にし、完全燃焼する覚悟で望むことで、自分の能力を100%以上発揮するようになってくるという。

獄中で、素晴らしい芸術作品や書物を執筆するのは「死刑囚」が圧倒的に多いのだ。

プリゾニゼーションとは、無期懲役囚のようになった人のことを指す。給料明細と上司の顔色にしか関心がないサラリーマン、学生ならば自身の周囲の狭い世界だけに関心を示す、そうした状態を「プリゾニゼーション化されている」と言う。

高度成長で「大企業病」は蔓延し、可もなく不可もなく過ごし、終身雇用の波に乗っていれば何とかなった。今は、終身雇用も変化はしたが、自分で決めない「右へならえ精神」「事なかれ主義」は未だ健在だ。仕組みで動く組織では、個人の意思や裁量が埋没すると勝手に決めつけるからだ。

そうならないために私たちは、仕事や行動に期限をつけ、自分の夢や目標にも期間を設け、それを成就させる日を設けて行動する。

大切なのは、自分自身のプリゾ二ゼーション化と絶えず戦い、後悔せぬように生きることだ。

生きているとは「生まれ出た瞬間」から「死ぬ」までの時間、つまり限りある時間とは限りある命のことである。その時間をどう過ごすか……。


一度しかない「命」の時間。「無我夢中」で全うしたいと思う。

田辺 志保

2014年1月14日火曜日

台湾での出会いから思うこと。

一昨年から仕事で台湾に行く機会が増えて、多くのお取引先様の方々と知り合えた。
皆さん、素晴らしい企業と素敵な人ばかりで、とても良好なお付き合いを築けている。

台湾には日本語が堪能な人が多く、仕事以外でも食事(台湾での小龍包は絶品)や買い物など不便をまったく感じない。加えて、ありがたいことに親日家の方が多く、皆さん親切で、とても居心地がいい。

仕事の話で恐縮だが、当社で提供させていただいているファミリーマート様専用メイクシリーズ「mfc」が、昨年11月に台湾ファミリーマート様で一斉展開することが出来た。
日本国内では、10年以上にわたりファミリーマート様に「mfc」を育てていただき、お客様も定着し、支持していただいてきた。そのことを既にご存じの台湾ファミリーマート様が「mfc」に興味をお持ちということも幸いして、台湾進出が進み始めた。

2年以上前から社内の調整や、商標問題、薬事等いろいろ確認しはじめ、解決すべき課題も多く、一時は実現困難か、と危惧したこともあった。しかしスタッフの努力のお蔭で、少しずつ課題を解決し、ようやく台湾の店頭に並べ、お客様の手に渡るまでに至った。
思えば全ての方の「mfc」を愛する心が結集して、ここまでたどり着いた感じである。

「 執念あるものは 可能性から 発想し
 執念なきものは 困難から 発想する 」

私・田辺の机上に貼ってあるこの言葉を、念仏のように唱えながら、社員には「障害とは、越えられない壁ではなく、少し高いハードルと思え」と、言い聞かせてここまでこぎつけた。
感慨無量の喜びである。



「出来ない病」を克服する

「出来ない」とか「困難」という言葉は、口に出した瞬間、病原菌のように周囲に蔓延する恐ろしい病である。これは簡単に治療できない。なぜなら自分が原因で「出来ない病」を引き起こしているので、特効薬は、成功したとか、成し遂げたという自分自身で処方する薬でしかないからである。それは、プロセスにおいて、あきらめずに可能性を追求する姿勢であることが前提であることは言うまでもない。

一般的に「ポジティブシンキング」とか、「前向き思考」などと言われるが、本人が本気でそう思わななければ意味がない。本気になるためには、弱い自分を「改造」しなければならない。
そのコツは、普段からの些細なことでも、物事を判断する概念を変えていくことである。
私の場合は、大きな判断を迫られたとき「命までは取られない」と思うことから始める。

仕事の場合、私も周囲も「命に係わる重要事項」は滅多にない。勿論リスクはある。
それが致命的になるかどうかを見極めるのだ。そして、「やる」と決めたら「これで死ぬことはない」と言い聞かせる。
普通は、そんな選択の連続ではない。普段の心構えは、いつも成功する理想の姿を描いて、そこまでの過程の在り方の理想像を追いかけることだ。暗礁に乗り上げたら、当然方法も変わってくるが、その際も、それが「ベストな方法」だと、理想像に置き換える。
挫折して引いた案なのでなく、前向きに捉えて、これが「最上の選択」と、思い浮かべる癖をつけることだ。そして、絶えずチェックするのは、この選択が後々の次世代の方が困らない、という自信を持てることである。

商談でNOと言われない方法

商談の会話では、先様に「YES」「NO」を絶対に聞かない。尋ねるからNOが出てくる。「やりますか」「やりませんか」と聞いて「やらない」と言われたら、商談はそこで終わりになってしまう。
そうではなくて、仮説の話を進めていく。例えば、「YES」「やる」とすれば「A案」ですか「B案」ですか? と。「YES」「やる」となれば深めていくと課題や障害を聞き出せたり、浮き彫りになったりする。そして課題を克服し、障害を取り除いたうえで「A」と「B」のどちらですか? と進めていくのである。

この手法は、どうしても会いたい方にお目にかかる、お誘いする場合にも有効かと思う。
「来週の金曜日、〇〇でお会いできませんか」と誘ったとしよう。
先方は、こちらにあまり興味がなく、どうしようかと考えて取りあえず、
「行けたら、行くわ。また返事します」
それに対して、
「お越しいただけるようなら、お出でください。お待ちしています」
これでは十中八九来てくれない。

そこで何とか食い下がる。
「ご都合は午前、午後、どちらがよろしいですか」
先方はこの言葉で初めて来週の金曜日のスケジュールを思い浮かべる。
「午前中は用事があるし、午後なら時間が取れるかもしれない」
すかさず、「午後だとしたら、昼過ぎですか、夕方ですか」と。
「まあ、行けるとしたら夕方かな……」
「有難うございます。それでは夕方〇時にお席を整えます。心よりお待ちしております」

そう簡単に事は運ばないかもしれないが、このやりとり、会話は今できる最上の方法かと思う。「行けたら」から「行く」への変化を促し、その成功度は確実にアップするはずだ。結果は分からないが、どうしてもお会いしたい、という気持ちを伝えることが大事で、たとえ断られても納得がいく。

但し、深追いをしないこと。何事も過ぎるとよい結果は得られない。先方が別のしぐさをしたり、瞳の黒目(瞳孔)が縮んだりしたら、嫌がっている証拠。早めの撤退をお勧めする。

全てに感謝、前向き姿勢を習慣化

以前にも書いたが、足をくじいても「骨折しなくてよかった」と感謝。苦手な人に出会ったら「反面教師だ」と感謝。朝から大雨、「晴天」の素晴らしさに感謝。
小さな負の出来事を感謝に変える、前向きに捉える習慣を身に着けることが大切だと思う。
本来やりたくないことを習慣化するのは、結構努力がいるが、幼少期の「歯磨き習慣」などを思うといい。環境や、刷り込みの繰り返しで変えるしかない。

そういえば、台湾の方の習慣にも、学ぶところが多い。レストランでの食べ残しを持ち帰る……。もったいない、物を大切にする思いに基づく習慣は私たちもかつて持ち合わせていた。
今年も、新たな出会いに触発され、生き方・姿勢を問い直しつつ、習慣化の努力を続けていきたい。



スティーブン・コビーは「7つの習慣」で、習慣化するには「感情を、習慣に服従させること」と言っている。
容易なことではないが、肝に銘じることにしよう。

話が少し逸れたが、これから、折りに触れて台湾での面白体験などを紹介していきたい。

                                  田辺 志保


2014年1月1日水曜日

2014年も「美しさの先に 笑顔を」実現に向けて。

新年あけましておめでとうございます。

社員一同、本年も元気で業務に邁進する所存です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

本年度も一番大切にすることは、「美しさの先に 笑顔を」。
これはカネボウの使命として、全社員共有されていることでカネボウコスミリオンも、この使命を全うするために、更に身を引き締めて「良きものづくり」に全力で取り組んで参ります。

人生、楽しく、シンプルに!

わが社も急速にグローバル化が進んでいる。
と同時に私の交友範囲も国内にとどまらず外に広がりはじめた。その一人に、マンリオ・カデロ大使という方がいる。
正式には外交団長 サンマリノ共和国 特命全権大使 マンリオ・カデロ氏である。
「一般社団法人 国際文化 和の会」の佐藤貢氏からご紹介いただいて以来、何度かランチを共にして楽しくお付き合いさせていただいている。
カデロ大使の生き方は、ラテン系の人生を楽しむオーラが全開で、一緒にいると、こちらまで愉快になり、嬉しくなってくる。会食時には、サンマリノ産の生ハムやチーズを使った料理も楽しさを引き立て、時がたつのを忘れてしまう。



サンマリノをご存知の方には僭越だが、世界遺産のサンマリノの街並み、上質な特産品など、紹介したいことは沢山ある。カデロ大使に出会って、イタリアの中にある世界最古の共和国、明るく誠実、開放的な人々が住むサンマリノ共和国の事が少しずつ分かってきた。
今、私の中で行ってみたい国、ナンバーワンである。面白い発見ができそうな予感がする。



そして、さらにお伝えしたいのがカデロ大使の生き方だ。
頂戴した著書『コスモポリタンになろう  人生もっとシンプルに』(三秀刊)にこうある。
「美しいものが、美しいのでなく、自分の好きなものが美しいのだ」
「幸せになりたければ、あなたが人からして欲しくないことを、人にしないことです」

シンプルで、なるほど! と思う素敵な言葉である。
そして彼の人生のモットーは「第一が健康、第二が仕事、第三が愛」という。
日本と、居合の達人である日本人の美しい奥様をこよなく愛する、かっこいい男だ。

「義理と人情」という言葉が大好きなカデロ大使と、互いで約束していることがある。
奥様の居合披露と、愚息の柔道を見ることである。私としては、約束は実現したいと思っているが、お互い忙しい身、簡単に事は運ばない。その場の田辺のリップサービスになる前に、彼なら、きっとこういって笑うだろう。著書の中での文章を引用させていただく。

「日本人の約束は、命がけ。約束に関してイタリア人は、寛容です。人間は、みな限りある命を生きているのですから、大小さまざまな失敗はつきもの。~大事なことは、約束に命をかけることよりも、理解し、許し、耐え、良き解決方法を探すことです。人間が暮らすのは、完璧な世界ではないのですから……」

何か、肩の荷が下りたようなほっとした気分である。



「人生、楽しく」のためには、私が標榜する「出会いの大切さ」と「人間大好き」が何よりだと思う。これは万国共通だろう。
年頭に、改めて思ったことである。
                                 
田辺 志保

2013年12月24日火曜日

この1年の「出会いは人生の宝」を振り返る。


ここにきてようやく年の瀬を感じる。しかし年々、「師走」の慌ただしさや、忙しさを感じなくなってきた。ビジネスの世界では、ますますのグローバル化と、物流や情報の収集・伝達などのシステムが進歩、一元化されてきて、従来の「年末年始対策」などの必要性がなくなったので当然かもしれない。グローバル化が進んでいる企業は、国際会計基準の1-12月決算になっているので、経理部門は1月のほうが忙しいくらいだ。

庶民の生活様式も大分変わってきた。元旦から小売業は営業しているので、暮れの食料品の買い溜めも必要なければ、年始の挨拶回りも減ってきたことから、私が子どものころよく目にした母親の「お正月の着物姿」のための段取りや、美容院に行くシーンも遠い昔になった。ホームセンターなどの暮れの「大掃除用品コーナー」も、この時期より、春の進学・就職シーズンの方が忙しいほどだ。そして、お正月恒例の年賀状も変わってきた。賀状の交換だけになっても元気な様子がうかがえる年賀状を毎年楽しみにしているが、それも随分減ってしまった。若い人たちはメールでの新年挨拶が、主流のようだ。

しかし、手段はいくら変わろうが、この時期に1年を振り返ってお世話になった方々や新たに出会った方々に思いをはせ「心の財産の総点検と振り返り」は大切なことである。

「人生の宝」を深く、広く育みたい

私自身、この1年多くの方との再会と出会いに恵まれた。
仙台時代、広島時代に出会った方々との再会は至福の時間である。お互いの近況から始まり、当時の思い出に話がおよぶと、時空を超えてその時の情景やセリフまでよみがえり、音、匂い、味など、よくいう五感で共鳴するようになる。

これは新たな出会いの方にも共通している。
今回テーマにした「出会いは人生の宝」の気持ちが、「一期一会」の心境に近づけてくれ、お会いした方を「五感」で感じ取り、自分の中に浸透させることが出来る。

カネボウコスミリオンに来てからは、出会いの幅が更に広がり、ホームページでリンクさせていただいているお取引先様、異業種、新規事業の方々、海外でも台湾、サンマリノ共和国、中国、ベトナム、スペイン、韓国、ミャンマーなど数多くの方と、言葉の壁を越えて楽しいお付き合いが始まった。プライベートでも、娘のテニス、息子の柔道などの方々を通して、未知の世界をのぞかせていただいている。都度、ワクワク・ドキドキの連続で「明日への好奇心」満足度は自然に高まる。ありがたい限りだ。


当たり前だが、こうした夢のような「出会い」の継続の多くは、「また会おうね」「お会いしましょう」と約束できるからこそ、新たな楽しい思い出を膨らますことが出来る。

しかし、残念にも2度と会うことが叶わぬこともある。市川團十郎さんとの出会いはまさにそれであった。その時のわずかな思い出を噛みしめるだけで、思い出を膨らませることが出来ない。

「出会いは、別れの始まり」といわれるが、お互いに疎遠になったり、意見が合わずに決裂したりする別離なら、そこに自分の意志も入るので納得もいく。が、この世から去ってしまう別れは、あまりに無常で納得できるものでない。

思えば、昨年の11月、市川團十郎さんと京都で初めてお目にかかり、その存在感と人柄に触れて、私は團十郎さんの大ファンになってしまった。
60年来、私どもが「舞台白粉」をお届けさせていただいているご縁で、團十郎さんの「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイト称号受勲式で、祝辞を述べさせていただいたことが始まりだった。
その際、團十郎さんからいただいた返礼は、感謝の念にあふれ、叡智に満ちたもので今でも忘れられない。



既にブログで紹介したが、あの日、私の「舞台白粉」の話を受けて團十郎さんが、「私どもがこうして舞台に立てるのも、カネボウさんのお蔭です」とおっしゃった。
「一時、カネボウさん、元気がない時がございましたが、私どもへの商品づくりを、英断いただき、本当に嬉しかった」と言われた時は、正直、涙が出そうになった。

この7月からカネボウの自主回収問題で、多くの反省を胸に、全社員一丸で信用・信頼回
復に向け活動中だが、改めて團十郎さんの言葉を思い返さずにはいられない。
年明けにお会いする約束もかなわなくなってしまったが、
あの言葉「カネボウさんのお蔭です」は私の心の支えの一つだ。

最早、團十郎さんとの新しい思い出は、望めなくなってしまったが、自分の中で「過去の思い出」を深めることは出来る。
あの日、『頑張ってください』とエールを送っていただいたと思っている。團十郎さんが私に与えてくれた大きな「人生の宝」だと心底思っている。

この出会いのご縁で先日、團十郎夫人と海老蔵夫人にお会いする機会に恵まれた。團十郎さんのお孫さん、勸玄さん誕生のお祝いをお届けすることが出来た。瞳を輝かせ、すこぶる元気なお子様の様子に私の頬もゆるんだ。
その夜、「團十郎さんはさぞやお孫さんを抱きたかったろう……」と思い、胸が熱くなった。團十郎さんの「無念」さは、計り知れない。

振り返るとこの1年、本当に多くの方々と出会い、叱咤激励の言葉も頂戴し、素晴らしい宝を手にした。感謝しきれない思いである。

このことを大切にして、新しく迎える1年も「人生の宝」を深く、広く育みたい。それが「限りある命を精一杯生きる」ことになる。宜しくお願い申し上げます。

皆様、本年も本当にお世話になりました。


田辺 志保

2013年12月9日月曜日

「昭和を懐かしみ、浅草でナイトフィーバー!」 

今、私のプチブームに「懐かし昭和」がある。巷でも東京五輪、三億円事件、昭和グッズなどよく取り上げられている。マイブームの発端は「三丁目の夕日」の映画だ。この映画、第3部まで製作されたほど人気があったようで、懐かしく楽しませて頂いた。
原作の漫画「三丁目の夕日」(作・西岸良平)は私も読者の一人だっただけに尚更である。その後、テレビ放映された映画を観ていた我が家の子どもたちにも評判が良かったのだ。確かに、内容的には昭和時代を全く知らない平成世代の人々にも受ける内容でもあるが、時代背景にもなる「向こう三軒両隣」という濃密な地域の繋がりや、「三種の神器」など理解不可能と思っていたので、少々驚いてしまった。
生活環境は異なっても、熱気あふれる恋愛物語や人情劇は世代を超えて共感するのだ。

団塊世代が「昭和」にひたる

そんな最中、ちょうど一昨年になるが、お取引先様に誘われて浅草ROXにあるコシダカシアターという劇場に出かけた。ここでは「シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」が上演されている。ファミリーマートプレゼンツで、株式会社アミューズ「虎姫一座」のメンバーが歌と踊りを楽しませてくれている。
昭和28年テレビが登場、街頭テレビから一挙に家庭に普及していった昭和45年の万国博覧会あたりの時代背景を、映像とともに振り返りながら、当時大人気のテレビ番組「ザ・ピーナッツのシャボン玉ホリデー」を再現していく、という内容のショーで、かなり完成度も高く優れたものである。


このショー、お客様がお客様を呼び、今でも、連日満員の盛況ぶりである。私が行った日も「団塊世代」を中心とした人々(今なお元気な元若者たち)で一杯であった。
19時開演の1時間前から1杯飲んでほろ酔い気分のお客様も多く、すでにテンションマックスの気配である。
「シャボン玉~」と曲が流れ出すと、皆さん一緒に口ずさみ始める。
昨日のことは忘れるくせに、あの頃の歌は覚えていて、歌詞がスラスラと出てくるから不思議だ。
懐かしのテレビCMソングコーナーというのもあって、静岡・伊東のホテルやカステラの老舗のCMソングは、全国ネットで流れたのだろう、知っている方が多いのにも驚いた。日曜洋画劇場コーナーなど面白企画が満載で、とにかくお客様を飽きさせない。
後半のザ・ピーナッツソングコーナーになると「恋のフーガ」や「銀色の道」など観客総立ちになっての大合唱であった。

出演している「虎姫一座」の面々がまた素晴らしい。若い世代のメンバーながら昭和歌謡を覚え、積み重なる練習を積んで、ショーのクオリティ―の高さに感動し、ひたむきに無我夢中で歌い踊る姿に、私はいっぺんで虜になってしまった。勢いあまり、その場で「虎姫一座ファンクラブ」に加入した。以来2年ほど通い詰めている。


その昭和歌謡レヴュー・ショーがこの夏、何と「1000回記念公演」を迎えた。もちろん観賞させて頂いたが、懐かしのグループサウンズを取り入れ、自分たちの生演奏で構成された企画であった。
当時、ビートルズやフォークに魅了されバンドの真似事をしていた私は、いきなりモンキーズの「デイドリーム」が始まると懐かしくて泣きそうになった。
一口に1000回というが、大変なことである。多くのファンが昭和を懐かしみ、虎姫一座の活躍に感激し、それを同世代の人たちに広めてくれた結果であろう。
「虎姫一座」のメンバーは、1000回公演に向けて昭和の文化や風俗を学び、当時の流行歌を何度も聞いて練習したらしい。そこで感じたことは、当時の歌が持つ「新鮮さ」や「魅力」だったと語っていた。

この劇場では、昼間の演目が「エノケン、笠置のヒットソングレヴュー」。こちらも「虎姫一座」が頑張っていて、シニアの皆さんで大盛況のようだ。
コシダカシアター劇場から出てくる満面笑顔のおじさん、おばさんを見ていると、浅草は「昭和文化」復興の聖地のような気がする。いささか大袈裟だろうか。

心に刻まれたことを大切にしたい

ここで、「昭和」を自慢するつもりはないが、確かにあのころはエネルギッシュで皆が同じベクトルだった気がする。2020年の東京オリンピック招致活動と決定に沸き返る反応は、まさにあのころを彷彿とさせる。
ネットや携帯電話もなくて、手紙と電話のやり取りこそが、憧れの彼女との繋がりの時代。
父親と先生が何よりも怖かった時代。町内の事は何でも知っている「名物おばさん」に怒られたことは1度や2度ではない。ケーキやジュースは特別な日の食べ物だった。
思い返すと今の自分にとって、全ての経験に価値があって貴重な出来事になっている。

私だけかもしれないが、単純な思考回路と価値観が幅を利かせていて、物事がシンプルで、大人たちも今ほど疲れていなかった気がする。
今は、一人一人の多様性を考慮するのが前提で、それぞれが複雑で価値観も異なるので、それに合わせ、慎重で気を遣うことが多い。あらゆる局面を想定して対処しなければならないから大変だ

身近なところでは、子どもの運動会の短距離走では決して順位をつけないし、運動会見学に来た家のひと(父兄ではなく保護者と呼ぶ)が持参したお昼のお弁当を食べることも禁止する学校も多い。
走る力の順位つけは「差別」につながる危険があるし、昼食も持参できない場合や保護者が来られない子どもに配慮するのも当たり前なのだ。
そうなると他にも多くの配慮が出てくる。たとえば息子の小学校では「学級委員長」が存在しない。誰もが均等に役割別の委員に属していて平等なのだ。一人一つの委員なので、兼務はない。各委員は団体活動の進行のためにあり、そこに任せるので、全体が見えにくく責任が分散される。
クラスを一つの方向に統率するのが大変だろうな、と心配してしまう。
少し寂しい感じだが、公平で差別を根絶することが最優先、となれば仕方ない気もする。

「虎姫一座」の熱心なリピーターの私は、その後もお取引先様や若い人たちとともに「虎姫一座」の元気な姿を見に行くが、皆さん喜んで頂いている。若い人からは「パワフルですね」とか「なんとなく懐かしい匂いがする」などの反応がある。


一つの歌が持つ「力」や「重さ」を感じるようだ。ラジオとテレビしか娯楽がない時代は、一つの流行歌が、ロングランで影響力を持っていた。我々の心に深く刻まれている。当時の曲を耳にして口ずさむことができるのはその証拠だ。
純粋にいろんなことに「夢中」になれた時代だったかもしれない。

「明日に好奇心」 忘れないように……

これからを生き抜く子どもたちに、昭和の文化や、己を手本にせよ、などとは決して言わない。私のような団塊世代の末席組は、我々の親たちの世代が築いた激動の時代に、便乗しただけかもしれないからだ。
しかし、私はこの時代に培われた価値観を知ってほしい、と思う。
「戦後は遠くなりにけり」とはいえ、物質的には決して豊かとはいえず、まだまだ貧しい人も多くて、服はお兄ちゃんのお古でズボンにはつぎがあたっていた。近所のテレビや電話のある家にはよくお世話になったものだ。だが、誰もが差別とも思わず共存していた。
根っこにあるのは、頑張れば「そのうちきっと良くなっていく」と信じていたからだ。

今の若い人が、ゲーム感覚の人生を送る。メール以外にあまり会話をしない友達と、「この世の中混沌として不満だらけ」とラインの仲間と語る。
ニート生活に疲れ、夢もなく、満足の状態が分からずに「ゲーム・オーバー」といってネット仲間と死んでいくのでは、あまりに寂しい。

私は、父親として、いつまでも元気で希望に溢れた生き方を子どもたちに見せ続けたい。子どもたちに「この時代のお父さんってかっこよかったんだね」と、言わせるホットな存在でありたい。
そのためにも、大いに昔話を語り、エネルギーを発散することである。

私も「明日に好奇心」を忘れないためにも、ギターに再挑戦するつもりである。
定年後は「おやじバンド」復活だ。そして、「はとバス昭和浪漫紀行」や「浅草ROX・虎姫一座」など、懐かしい「昭和」イベントに子どもと一緒に出かけたい。

オヤジのフィーバーぶりで、今度はうちの子どもたちが「今どきの若い奴はなっとらん」といって奮闘する大人に成長してくれたら、最高である。


2013年11月18日月曜日

息子の柔道から「道を究める」を学ぶ。

現在小学6年生の息子(勇斗・ハヤト)が柔道を始めて、1年が過ぎた。
広島で野球を始め、浦安に戻ってからも少年野球を続けていたが、太り過ぎでベンチを温めていたため他のスポーツもやってみたい、というので近くの柔道場へ見学に行ったのが始まりだ。

初めての町道場で、子どもたちが真面目に柔道の稽古に励む風景は、とても新鮮であった。そこで「武道」とは「自分自身を高めるために励むこと」が根本にあり、他人のためでも親のためでもない。だから練習でも「手を抜くのは勝手」「止めたい人は止めればいい」といった精神が基本にあると知った

今までの勉強やクラブ活動など全体主義では「止めたい」とか「努力を怠る」などは、いけない行いとして、叱られる対象であっただけに、やらなくてもいい発言に、最初は戸惑った。



その日も、技の打ち込みに励む子どもたちに向かって、小学生全体を指導する先生が、大声で「休みたい人は勝手に止めてもいいぞ、それは自分に返ってくるだけだぞ~」と気を抜いた子どもに声をかける。それでも変わらない子どもには「強くなりたくて一生懸命やっている他の子に迷惑だから、今日は道場から出て行ってくれ」と言っているのである。驚いた。

最近の子どもたちは、物心ついたころより宿題、試験に追われ、社会人になってもスキルアップや研修や試験にも追われ「挫折はできない」と競争社会を気負って生きることが多いので、道場の先生の言葉がとても異質なものに思えたのである。
勿論、こんな調子で柔道を教えるので、嫌になって稽古に来なくなる子はたくさんいる。

基本の受け身や、礼儀作法をみっちり教えるので、まずそこで挫折する。つまらないのである。それでも頑張って基本を習得して、やっと乱取りが出来る一般コースにきたら様相は一変する。

自分より年下で小さな体の先輩たちに、バッタバッタと投げられるのだ。息子も、1学年下の女の子に面白いように投げ飛ばされていた。最初はけっこう「心が折れる」らしく、稽古を続けられるか心配したが、周りの子どもたちの燃えるような闘魂に引っ張られるように、道場に通った。

不思議なもので、半年もしてくると投げられなくなってくる。野球のお蔭である程度、体幹ができていたのと多少の腕力はあったので、何とか互角に乱取りが出来るようになってきた。
当初から息子の指導に当たってくださっている先生は、「一つの技を極めさせたい」と息子に「大外刈り」を徹底的に仕込んだ。上背のある選手が得意とする技である。
自分より上背のある相手には、懐に入っての「背負い投げ」などの「かつぎ技」が多い。
息子の「大外刈り」を極めるための練習は、今も続いている。

息子はこの1年間、ひたすら「大外」をかけ続け、足の爪は4枚はがれた。両手は、組手争いで相手の手とぶつかり合うために、節くれ立ち、身長は9センチ伸び、体重は9キロ増えた。
野球も続けているので、運動量が激増し「ぽっちゃり型」だった体系は、身長163㎝、体重62㎏、アスリート体型へと見事に変貌した。



自分のためより、人のため、人の痛みに流す涙

先生は、初参加になる秋の千葉県学年別重量級の個人戦に的を絞っていたようで、夏以降「大内刈り」「内また」「支え釣り込み」など他のバリエーションも増やした。が、あくまで理想の「大外刈り」への連続技なのである。

先生は言う。
「まだまだ大外刈りは極めていません。最近は試合で組んだ相手も、彼の大外を警戒してます。半身を引いたり、組手を切ったりと、徹底的にかわしてきます。それをあえて大外で決めるのです。
組んでから半身を引かれる以上に回り込んだり、連続技から相手を崩して大外刈りへと、何通りかの大外刈りを身に着けることです。それを体で覚えなければ試合では生かされません。すべての技は、対戦相手によって一つ一つ違います。どんな相手にも見事に決まる大外刈りを完成させるには、一生かかるかもしれません」

一つの技を極めるとは、「気の遠くなるような繰り返し」から掴み取るしかない、と実感した。まさに自分との闘いである。そして指導する先生たちも、教えたことに対して真正面で応えようとする子どもには、我を忘れて子どもたちと取り組んでくれる。休み返上稽古の時など、自分の家族もあるだろうにと、頭が下がる。
そんな熱い先生方のお蔭で、息子は徐々に育ってきた。
畳の上では、先生にすべてをお任せするので、私と家内はただ見守るだけである。

最近では、勝ち負けの結果よりも、悔いのない試合をさせたいと思うようになった。
「勝って強くなるより、負けた分だけ強くなる」ほうが、強さに厚みが出る。
負けて泣く、悔しくて泣く、練習で泣く、こんな涙は自分に対して流す涙である。
考えてみたら、人は生まれた時より、オムツが濡れた、お腹がすいた、腹が立つといって泣く。大きくなっても同様で自分のための涙が多い。
自立し始めた子どもが、「人の痛みで泣ける」ようになれれば、と願うのだが、大人になっても、一生自分のために泣くだけの人もいる。



先月、息子は目指す個人戦の1週間前に行われた男女混合無差別の大会で、あえなく一回戦で判定負けした。柔道で初めて大泣きした。
涙の理由を知りたくて、「悔しいのか」と尋ねたら、喉をしゃくりあげ、頭を左右に振りながら「先生に、申し訳なくて 」と言って泣いた。
連携で交代して息子の面倒を見てくれた二人の先生へのお詫びの涙であった。
自分のための涙でなかったことに、私は、思わず息子を抱きしめてやりたくなった。

しゃくり泣く息子を、冷静に見守っていた先生が、ようやく落ち着いた息子に向かって言った。
「もう、すっきりしたか、いいかよく聞け。おまえは技の組み立てと掛け続ける姿勢が足りないんだよ」
「はい!」
「明日から、そこを直すために、練習するぞ、ガンガンいくからな」と、もう一人の先生が続けた。
先生は以前、「息子さんとの出会いは自分自身も変えてくれました」と私に言った。

翌日からの練習は、はたから見てもかなり厳しい練習になっていった。
道場での乱取り稽古の気迫は、組む相手にも伝染する。先生の指示で間断なく息子と組んでくれる中学生の先輩たちはその空気を感じ取り、今まで以上に真剣勝負で取り組んでくれた。
「あれだけ頑張る勇斗のために、俺たちも気合入れて相手になります」と私に伝えに来た。彼らも毎日毎日稽古を重ね、今や屈指の強さを誇る先生同様「柔道猛者」なのである。



こうして、息子は道場の先生と先輩、それを見守り続けた父兄の思いを背負って、翌週の千葉県大会に臨んだのである。結果は、負けた分だけ強くなれたようだ。

息子も私も「柔道猛者」の彼らから学ぶことが多すぎて、嬉しくて仕方ない。

人は「無我夢中」の姿に感動する

「私が私が」「俺が俺が」を捨て、我を忘れて打ち込む「忘我」になり、「無我」を極める。そして、道を極める「夢」に立ち向かうために夢の中に入り「夢中」の努力をする。
「無我夢中」。私の一番好きな言葉である。我々は無我夢中の姿に感動する。
柔道でも学問でも仕事でも何でも良い。とにかく「無我夢中」で取り組みたい。結果や妥協、打算など入り込めない、がむしゃらな姿こそ、何かを極めたいと思う人々に営々と引き継ぐ思想なのだと思う。
息子は、この先きっと「柔道猛者」を目指すだろう。「無我夢中」の姿を見て、いずれ後輩たちにも、「極めるための無我夢中」を引き継いでくれることを、私たちは信じている。


田辺 志保


立花克彦ブログ:尊敬する経営者とのお付き合い以外にも
「柔道家」としてもご指導いただいている方です。

2013年11月1日金曜日

「人を知るほどに好きになる」は本当だ。 

取引先様から、従業員さんやお客様向けに講演を頼まれることがある。好き勝手な話だが、次回の依頼も頂戴するので、喜んで頂いているようだ。



人は見た目で判断する

人は出会った瞬間、相手の値踏みを開始する。大抵の人は数十秒で、容姿、服装などで「あの人は感じがいい」と判断する。しかし「気に入らない」と決められたら、たまったものじゃない。

「人は見た目で判断してはいけない」と戒めるのは、人は見た目で判断するからだ。一度感じた印象は簡単には拭いきれない。概念・観念は、今までの経験と知見により、外観と物腰でその人を判断。職業や財布まで決め付けるから怖い。

因みに私自身、4年前まで90キロ超えていて、おまけにスキンヘッド。サラリーマンと思われず「怪しい奴」と思われて苦慮した覚えがある。

最初の冷静かつ批判的見方から、知り始めての変化を「熟知性の法則」、別名「自己開示の法則」として発表したのが、米国の心理学者ロバート・ザイアンスである。

「熟知性の法則」の3つの法則とは

1、人は、初めて会った人には、批判的で冷淡で攻撃的である。
2、人は、その人のことを知れば知るほど好感を持ち始める。
3、人は、その人の人間的側面を知った時、好感を持つ。

ザイアンスが『熟知性の法則』を発見した出来事を紹介したい。ニューヨークの地下鉄での事件を、皆さんも観客として読んでほしい。



ある日、地下鉄に男性と3人の子どもが乗り込んできた。お父さんらしき男と、12歳ほどの女の子、7.8歳と3歳ぐらいの男の子2人の4人連れ。地下鉄は通勤時間を過ぎ、座席は半分ほど空いていて車内は静かであった。ところが、この親子らしき4人が乗り込むや否や雰囲気は一変する。

下の男の子2人の行儀が悪く騒がしいのだ。走り回る子どもの傍らの父親らしい男は見ているだけ。お姉ちゃんらしい女の子もまるで他人事。

見かねた一人の女性が「子どもたちを静かに!」と男を咎めた。乗客全員が「そうだ!よく言った、何と非常識な親子」と思った。誰もが冷たく批判的なのは当然だろう。

咎められ事態を察した父親は、暫く沈黙し意を決したように口を開いた。「大変申し訳ありません。気が付きませんでした。…こんな話をすべきではないかもしれませんが、12歳の娘は普段は弟の面倒をよく見る子です」「入院している母親に代わって、頭が下がるほど家のことをしてくれます。どうか娘は責めないでください」父親は、静かに語り続けた。

「実は、先程入院中の妻が息を引き取りました。家族で彼女を天国に見送ることができました。6歳と3歳の息子は、久しぶりにママに会えたと喜んでいます。痛み止めのせいで眠るように息を引き取ったので『ママ、ぐっすり眠ったね』と喜んでいます。元気になると信じているようで」と父親は、はしゃぐ息子たちを見つめた。

「私は、息子の嬉しそうな姿を見たら『ママは眠ったのでなく、もうこの世にいないんだ』とは、どうしても言えません。今の彼らには理解できないかもしれません」

はしゃぐ子どもたちの声が車内に響く。

「私はこれからの事を考え塞いでいました。お恥ずかしい話ですが、息子の行動に気がつかず、すみません」父親の目から堰を切ったように大粒の涙。そして傍らの娘を抱きしめた。

「お姉ちゃんは、母親の死を理解してます。今まで気丈に振舞い、泣き言一つ言わず、家事を引き受けママの代わりをしてくれました。しかし、先程から下を向いたままです。普段は弟の面倒を良く見る娘です。彼女まで責めないでください」


親子を咎めた女性と居合わせた車両の乗客は、その時こう思ったのです。「この親子に、我々は何か出来ないだろうか」と。まさに、最初の批判的、攻撃的な感情が一転し、同情から愛情までを、この親子に抱くのである。

これが「人は、その人のことを知れば知るほど好きになり、その人の側面まで知ると好感を持ってしまう」という、ザイアンスの法則である。

未だに、通りすがりの殺傷事件が後を絶たない。自分の感情だけで攻撃する。もしその被害者が、一人息子の誕生日を祝う為、家路を急ぐお母さんと知っていたら犯行に及べるか。きっと「相手を知る」ことで、人は優しくなれるはずである。

「嫌な人」とは知らない人のこと

私達は、仕事でもプライベートでも必ず苦手と思う人がいる。どうも気が合わない。自分のことを判ってくれない。いちいち癇に障るひと人。

憎い・妬む・嫌いの前提は、相手の本質を知らない事が殆ど。表面的には知っていても、本質や真実は知らない。無論、それは相手も同じで相手と鏡のように呼応する。

そこには「優しい気持ち」は存在しない。これは「自己開示の法則」とも言うが、この本質は、自分を開示して好きになって貰うのでなく、相手を開示させて、その人を好きになるということ。すると、こちらの自己開示に耳を傾けてくれる。

マネジメント手法に「積極的傾聴」がある。深く聞き取ると、マニュアル応酬を超える。部下の成功報告を聞く時は、何処を褒めようか?と思いながら聞き、逆に失敗談なら、どこに課題があってどう対処するか、と考えながら聞く。

私は、疲れて帰宅しても、家内からその日の出来事を根掘り葉掘りと聞く。面倒くさいと思ってはいけない。そのうちTVのホームドラマより面白くなってくるから。

全ての人でなく、せめて周囲の方々は好きになりませんか?の話だ。そして、新たな出会いは意図的に相手を知り、好感を持った方が楽しい筈。

そうなればしめたもの。知人が友人となりファンへとなり、そして最後は「サポーター」へと素敵な仲間が増えていく。嫌な奴や、苦手な奴より、楽しく素敵な方の思い出だけ残したほうが、健康にも、精神的にもよっぽどいいじゃないか。

この夏を振り返りながら、以前「女性の魅力とは」をテーマで話した「ザイアンスの法則」を今一度思い返してみた。
                               
田辺 志保

2013年10月15日火曜日

漢字語源研究者・刻字家の高橋先生の教え。(後編)

志保」の漢字の意味を知って、私は変わった


高橋先生との出会いによって私が「志保」であることの意味を掴んだ6年前の出来事を紹介したい。その日、先生は「漢字」の歴史や「漢字」のもつ本来の意味などをわかりやすく話し始め、私はだんだんと古代文字の説明に引き込まれていった。

代表的なものに、子どもにつける名前がある。中には、ひらがなの名前もあるが、ひらがな自体、そのもとになる漢字がある。先生はそんな説明をしながら、私の名前をハガキ大の「書」にしてくださった。初めて目にする「志保」。びっくりした。従来の字とは全く異なる文字で書かれていた。何故、この字かの意味を受けて更に驚いた。


「志保」は普通、男の子には見られない。私は幼稚園の頃「幼少期の名前」と思っていて、大人になれば変わるものと信じていた。しかし未だ58歳の「志保」である!女性と間違えられることも少なくない。確かに違和感はあったが、気に入っていた。そして、この漢字の本質的な意味から、自分の名前の「使命」のようなことを知ることになった。


「志」  
この字は、上の部分の「士」と、下の「心」が組み合わさってできた字である。
「士」とは、人が地面の上を2本の脚で歩いている姿を指す。
「心」は、人の心臓の形を表す。
つまり、「歩いている方向」と「心・思い」が同じであることを表現しており、これを、「志す(こころざす)」という。
こうなりたい、と思うだけではダメで、実現に向けて、行動して、歩み始めてこそ「志」と呼べるのである。


「保」
「イ」と「呆」の組み合わせ。
「呆」は頭の大きな人の姿を表している。頭の大きな人とは、子どものこと。つまり、まだ成長過程の子どもであり、その無邪気で奔放な様子を指して、「呆れる」と読む。子どもの傍らで親しみを込めて、支える人(親や師、友など)が上から横から見守っている姿を「イ」で表す。

「人を育み、成長させること」に対して、身も心も同じ方向で行動する姿である。「志保」という字はこの姿を表しており、まさに人材育成をやり遂げる名前になる。

全国の流通担当や販売会社の時代、周囲から「優秀な営業軍団」と言われ、営業力やマネージメントの評価はあったが、「身も心も人材育成を背負っている」という表現は、お目にかかった事がない。正直驚いた。人材育成部門の役割のようだが、「人の成長と会社の繁栄は、両輪をなす」と考えると、本質が強く腹に落ち「自分の使命」と思えたのだ。

古代中国、象形文字として生まれた「漢字」は、その本質的意味を抱えながら、当時の人々の想い・哲学・感情などを凝縮させ、古代日本の人々の想いや心模様が重なり合い「漢字」として出来上がっているという。この悠遠な3000年の記憶が、残り香のように漢字一つ一つに立ち上がっているといえる。

「名は体を表す」

高橋先生は、「人は自分の名前を背負います。約95%の方々は『名は体を表す』は本当のことです」と言う。95%以外の残り5%の方はと不思議に思って尋ねると、
「背負わないのではなく、語源の意味を解明できないのです。たとえば『音』や『画数』から、当て字をあてるとか、外国人の名前を当て字にした場合も解明困難です」と。確かに、あとづけの漢字だと、語源をたどっても説明が難しくなりそうだ。

ひらがな・カタカナは、もっと面倒かと思うが、大丈夫という。それぞれ、元の漢字があり、その語源を語るそうだ。そもそも「ひらがな」は草書体であり、速記によって簡略化された字なので「あ」は「安」、「い」は「以」から変化した字だそうだ。
「カタカナ」は、というと、「片カナ」とも書き、漢字の一部を採って作られた字である。「ア」は「阿」の左片方の変形、「イ」は「伊」の片方である。

したがって同じ名前の愛ちゃん・あいちゃん・アイちゃんは、3人とも背負う語源が異なることになる。

先生は「名前の解説を始めたころは、漢字の名前に比べて、ひらがな・カタカナ名前は難しいなどと思った時期もあったが、多くのひらがな・カタカナの名前に出会って、元の漢字を組み合わせると、素晴らしい語源の名前が多い」と。そして「不思議と、組み合わせが素晴らしいのです」と感心されていた。

漢字を名前に使用する場合は、語源から見て名前に相応しい漢字が多く、相応しくない漢字を使用の名前は気の毒になる。「ひらがな」も「カタカナ」もその字にたどり着くまでに、厳選された漢字が転化されて、名前にも相応しいものが残ったのかもしれない。

色々と書いたが要は、私たちの名前は一文字一文字にその成り立ちと意味をもって、出来上がっているということ。親や祖父母など名前を付けた人々がその語源を完全理解しているとは限らない。父親に「志保」と名付けた心中、いきさつを聞いたら、
「政治家だと投票しやすい名前であり、何より好きな本のヒロインの名前であり、実は女優の藤村志保も好きだった」と言われた。「好みのオンナかよ」と言った記憶がある。

しかし、命名の経緯より、自身の名前の本質的理解が重要なのだ。古代漢字の語源に遡ることだけが、本質ではない。自分の名前を付けた人への感謝とともに、わかる範囲でその意味を前向きにくみ取り、自分が背負う、気構えが大切だと思う。

私は「志保」の名に恥じぬよう、縁ある人々の成長に役立つ生き方が出来たらと思う。自分が得たことを、語り継ぐ「伝承者」になれれば最高である。しかし「伝承者」になるには、あまりに自分は未完成。自己啓発の努力も、人間力も中途半端。人としての成長は、生涯の課題であり、終わりのない使命なのだと思う。

あなたの名前には、どんな意味、想いが秘められているのだろう。

田辺 志保