2020年5月4日月曜日

去らない嵐はない。

非常事態が延期。舞浜駅からTDLへの通路が閉鎖され3か月目、実際に目の当たりにすると何とも寂しい。未だ舞浜駅の発車のメロディがTDL仕様も、寂しさに一役買っている。

最近の街並み、在宅、WEB会議にも慣れたが、やはり虚しい。娘も息子も会社・校舎も知らぬまま待機で、とにかく一刻も早い解放!が本音だ。

戦後派は、ある意味「辛抱」をしらないと言う。戦時中、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…と、空腹と空襲と喪失の辛さを、じっと胸に抱き耐えた姿を「辛抱」というならば、今は辛抱でなく「我慢」状態なのか。

「思うようにならない」他責にして我を張ると「我慢」になる。我・慢心は、元来堪え性がなく疲弊する。そこで、我慢でなく「辛抱」の定めが巡って来たに切り替えたい。そして不満や愚痴は万人共通。嘆いても始まらない。

生来、人間は孤独では生きられない。今は電話・WEB・家族・友人との対話を増やし「辛抱」を共有することだ。コロナの次は、疑心暗鬼・中傷誹謗・心の不健康の感染防止だ。

明けない夜も、やまない雨もない。



知り合いの医療関係の方は「感染」覚悟のうえ、腹を括って業務を遂行している。他にも、食を担うストアやスーパーも、それに関わる物流関係者も休日返上で、日雑部門の友人も食品と物流の応援で奮闘中である。

今を働く苦労と、今は働けない苦悩。憎きコロナは「ビジネス、雇用、生活」を勝手に分断させてしまった。この不条理も忘れてはいけない。

多くの犠牲と苦難を知る度に「明けない夜も、やまない雨も、過ぎ去らない嵐もない」と言い聞かせ、現在の家族の無事に感謝するしかない。

今は、事態が終息したら「何をしようか!」…と考えながら手ぐすね引いて待つとしよう。

今は辛抱するとき。