2023年3月17日金曜日

「ハゲ」の泣き笑い。

冬は頭が寒い。特にスキンヘッドは辛い。私はハゲたことで、髪には相当な「保温力」とケガや日焼けの「防御力」という役割りを実感した。

昔、出張先で頭が寒くて、泥棒ごとくタオルで頬被りして寝たものだ。布団から頭が出てもタオル一枚で寒さを凌げるから不思議だ。

夏は夏で日差しがヤバい。特に頭頂部は日光が垂直に直撃するから、斜めにしか当らない顔面と比べると日焼けの度合いが半端なく違う。

真夏は帽子も被るが、蒸れて汗をかくと髪がないから直接流れ落ちる。例えると雨降る芝生とアスファルトの違いだ。スキンヘッドも厄介なのだ。


滅びゆく森林でなく拓け行く大地。


一般的な男性型ハゲは前髪と頭頂部が薄くなり、側頭部と後頭部はそのままだ。ここの毛母細胞は男性ホルモンの影響を受けずに伸びるので、放置すると戦国時代の「落武者」のようになる。だからスキンヘッドとヒゲは毎日剃るのだ。

一方、高齢女性で頭頂部が薄くなるのは、男性ホルモンより女性ホルモンの減少が要因。つまり脱毛はホルモンのアンバランスで生じるのだ。

実は男性ホルモンは、精神的に悩むと多量に分泌し悩みを軽減しようとする。別名「元気ホルモン」と呼ばれ、やる気・気力を向上させる一方、毛母細胞の活動を阻害する作用があり、脱毛、白髪、円形脱毛症の一因となる。これは身体が「精神の安定」を優先するから仕方ないのだ。

昔から「ハゲに癌なし」と言われ、ハゲは神経性胃炎や胃癌の発症率が低いのは事実。喜び反面、ハゲはノー天気とは切ない話でもある。

次にルックスだが、ハゲを隠そうと一九分けや部分増毛から「カツラ」を被る手もあるが、面倒な私はスキンヘッドを選択。当時は僧侶か反社ばかりで「ガラが悪い」と上司は反対したが、剃っちまえばこっちのもんだ。

笑えない話を一つ。友人がカツラ頭の同僚と交通事故にあい同僚が大ケガ。友人が同乗した救急車の中で、カツラ同僚が友人の手を取り「頭、ズレてないか?」と聞いたそうな。

本人にすればケガよりカツラが心配なのだ。ズラがバレる恐怖は分かるが、案外本人が知らないだけで周囲はとっくに気づいているものだ。

今後、遺伝子治療でハゲの根治は時間の問題だが、医学界は命に拘る難病解明が優先で、ハゲは後回し。そりゃハゲでは死なないから当然だ。

それまで薄毛予備軍は養毛剤で堪えるのだ。それでもハゲたら無駄な抵抗は止め、カツラか剃るか二者択一。勿論。私のイチ押しはスキンヘッドである。その時は応援する!







2023年3月1日水曜日

50年第一線は凄い。

昨年末、人生初の「矢沢永吉ライブ」に出かけた。73歳で現役の大物アーティストのライブに誘ってくれた友人に大感謝である。

しかし50年間も第一線で活躍するのは凄い事だ。前人未踏の武道館150回公演を通過点とする彼を生で見たくて、武道館147回公演に向かった。

驚いた。武道館横の矢沢ツアートラックに、白スーツに帽子姿の「矢沢2世」が集まり、それを他のファンが撮影したりと既に大盛り上がりだ。

友人曰く、観客の殆どが矢沢タオルを持参して「トラベリン・バス」と「止まらないHa~Ha」のラスト2曲でタオルを振り挙げて盛り上がるらしい。ミーハーの私は「E.YAZAWA」とプリントされた赤のタオルを手配して貰い準備万端だ。


日本武道館の熱い夜



私の知る柔道観客と違い、武道館は中年カップル、革ジャン、リーゼント兄貴など幅広い人が14,000席を埋め尽くす。そして永ちゃんが登場すると、一気に会場は熱気に包まれた。

彼のバラード曲では一斉に着席して静かに聴き、アップテンポのロックは総立ちでリズムに乗りまくり、彼のトークは着席で傾聴する。この統制は一体何処からくるのか不思議だったが、コロナ禍での矢沢の一言で、この流れが決まったようだ。

私も立ったり座ったりと忙しかったが、一体感に包まれ楽しかった。そしてラストで総立ちの観客のタオルが一斉に宙に舞うシーンは圧巻だった。

今回もう一つの驚きは、彼が完璧な体型を保っていることだ。鍛え上げて腹筋バキバキなのだ。ツアー中はマシンを宿泊先に入れ、筋トレとボイストレーニングを欠かさないらしい。

やはり矢沢はカッコよかった。広島からギター1本で上京以来、裏切りと借金を乗り越えてトップに上り詰めた。それは、類い稀な才能、それを上回る努力、そして何よりファンへの感謝。この三位一体の活動が彼を伝説へと導いたのだ。


実は、矢沢永吉をはじめ同世代の有名アーティストは多い。70過ぎで第一線の小田和正や山下達郎など、我々高齢者には最高のカンフル剤だ。

さぁ、次は友人と矢沢の夏ライブだ。そして、これを機に古稀70過ぎアーティストの「推し活」を本気で考えるミーハー爺いである。Thank You!





2023年2月11日土曜日

やる気スイッチON!

やる気のない人に無理強いしても成果はでない。学ぶ気のない人に幾ら教えても無駄と同じで、そもそも興味がないから気力も湧かない。

その時は辞めた方がよい。しかし興味はあるのにやる気が出ない時は、身体的な内的要因か、環境など外的要因かを探ってから対策を考えたい。その際は、自分の力の及ばない外的要因は選ばない。他人頼みの対策にしかならないからだ。

分かり易い犯罪者の例を一つ。犯行動機の多くが自分の非より、世間や相手が悪いと答弁する。では世間や相手を変えるのか、いや違う、そう思う自分に問題があると内的に要因を認識しない限り、解決への行動は生まれないのだ。

一方、急激なやる気の低下は、内的要因でのストレス疲労や心身の病気が考えられる。「他人と比べて何故」と悩みだしたら、受診し思い切って休養など、とにかく生活習慣を変えてみることだ。

これは重い病気やケガも同様で、先ずは「治療する」ことに気力を集中するしかない。


やる気スイッチは自分しか知らない。


先日、私は再検査で肝臓のCT検査を受けた。最悪を覚悟したが、異常なしに心底ホッとしたが、結果まで、やる気は完全に失せていた。やはり「健康体」は、全てのやる気の原動力なのだ。

こうした身体的不調以外で、やる気が失せた時は「やる気をなくす」と自分で決断したからだ。これは自身で、やる気を出せと変えるしかない。

昨今、やる気スイッチを押してくれるのは、親と学習塾だけだ。それだって、やる気オンを脳内で継続するには、自分自身の強い意志しかない。

そりゃ、やる気が出ない事もある。その時は「守るべき大切な人」を思い起こし、弱気になった感情を「やる気の習慣化」に服従させるのだ。

因みに私は週初めに、今週のランチ会や面会相手に些細な楽しみを見つけ、それを小目標にして、「今週のやる気スイッチ」をオンにしている。

そう、その時々で、どんなスイッチを、いつ押すかは結局自分なのだ。さぁスイッチON!






2023年1月27日金曜日

年賀状で思う。

今年の年賀状を見返して、つくづく感じたことがある。昨年の年賀状で「来年の賀状停止」を告知された方からは当然だが来ていない。

年賀状の形骸化と面倒さは分かるが、いざ来ないとなると寂しい。SNSで交流できる方はよいが、年賀状だけで繋がるご高齢の大恩人の音信不通は、とても気掛かりになってしまう。

それと子どもの成長写真付き賀状が、成人式過ぎから徐々に減り、孫、ペットの写真か文章中心の年賀状に替わる。我が家もいずれそうなるのか。

そもそも年賀状は2003年44.6億枚をピークに、今は16.4億枚と減少の一途。紙の広告はSNSに変わりチラシ、新聞など印刷物を不用にしていく。

スマホパワーは、更に辞書からカメラ、ビデオ、腕時計を不用にし、書籍や映画はダウンロードと各業界の勢力図を大きく塗り替えている。

PCまでもがスマホに食われ、大学のレポートも私のブログでさえスマホで編集。便利な反面、片時も手放せないスマホ依存症は深刻である。


時代の流れの喜怒哀楽。


年賀状でショック2つ。大学の下宿仲間の友人が、知らぬ間に癌で亡くなっていた。知らぬ間に離婚されていた奥様からの賀状で知った。

次はカネボウ時代の銀座のクラブのママ。1年前にお連れした得意先の社長の歌を、さらりとリクエストする凄腕ママ。引退閉店の時はママの大盤振る舞いだった。そんな彼女から「老人ホームで元気です」と一筆添えられていた。

時の流れと言ったらそれまでだが、元気で活躍した姿を知るだけに辛い。葬儀を控えるコロナ禍や、年賀状だけの繋がりでは仕方ないが、明日の我が身に重ねると余計に切ない。

人類生誕から500万年だと一人の生き死になど取るに足らないが、今を生きる我々は、親子3~4代の僅か100年が自分の歴史だ。だからこそ今を噛み締め、一片の悔い無く生きたいものだ。

私自身、ボケて人と会えなくなる前に、大切な人と何回でも再会したい。改めて年賀状を眺めてみたら、腰よりも胸の奥が痛かった。






2023年1月15日日曜日

2023年の攻めと守り。

2023年初頭のご挨拶です。昨年は大変お世話になり誠に有難うございました。本年も変わらぬご厚情を宜しくお願い致します。

正月から門松を立て、年神様が滞在すると云う松の内の期間は1月7日(地域では15日)までで、今は仕事も家庭も通常の活動に戻った。

さて、昨年はサッカーW杯で盛り上がる一方で、戦禍のウクライナは先が見えず、日本上空はミサイルが飛び、安倍元首相銃撃とコロナ以上に生命の危機を感じた1年であった。

ご逝去された安倍氏と同年の私は、お陰様で68歳を迎えられそうだ。やはり健康が一番で、腰痛と痺れの治療に加え、減量と運動に励むつもりだ。


2023年は飛躍の年


今年は飛躍の卯年だが努力なくして跳ねはしない。我々も果敢に攻め飛躍を成し遂げたい。

飛躍と言えば息子の就職。彼から「大学4年には化粧品業界と決めていたの?」と聞かれ、実は自分の性分を考え、各業界でトップを狙う挑戦的な2位メーカーを受けた中で合格したのが、打倒・資生堂のカネボウ化粧品だったと話した。

当時は、どの業界で何がしたいなど分かる訳がない。息子には自分が挑戦型か、安定型かキャリア目的かを絞ってから、会社訪問や先輩の生の声を聞きまくれと伝えた。


さて彼の深夜バイトの話。職場内で一番きつい持ち場らしいが、本人は柔道の日々に比べると楽勝で、何がきついか分からないらしい。

「巨人の星の大リーガー養成ギブスだ」と笑ったが、一つ分かったのは、一般的な辛い・厳しいの基準が彼には当てはまらないという事だ。

今までの柔道が養成ギブスとなり、多少のブラックやパワハラに鈍感な男に養成されたのだ。これなら何処に行っても何とかなる気がした。

卯年に跳ねたいのは、業績と息子の就職と再会の行動。あとは家内安全と健康づくりを積み上げる日々となる。本年も宜しくお付き合い下さい。

■就活は悩まず見直せ。

http://tanabeshiho.blogspot.com/2021/04/blog-post.html












2022年12月30日金曜日

2022年の再会に感謝。

本年も皆様のお力添えを頂きながら、無事に越年できそうだ。仕事も家庭もつつがなく過ごせたことに感謝以外の言葉が見つからない。

仕事ではブランド展開の新たな出会いや業界人との再会と刺激的で楽しい一年だった。業界誌の首領・加藤社長もその一人。再会の時「田邊、あと20年は現役でやれ」と言われ、無理と笑うと「何でもええんや、人間、ボケたら終いやで」現役82歳の社長の言葉は重かった。

「再会」は互いの生存が大前提。大切な人を失う度に、会えなかった後悔は増幅する。今だから機を逃さず、大切な人との再会を目指したい。


2022年を振り返る。



さて本年の我が家。仕事に追われた娘が、最近は仕事を追えるようになった。息子は来春の教育実習を控え、就職と柔道の仕上げの4年生になる。大黒柱の家内は多少のガタはきたが、依然元気で我が家の相談役として君臨している。

今年の腰痛事件では、遊びも仕事も苦痛でしかなくなり、改めて健康の有難さを実感した。

皆様もくれぐれもお身体ご自愛頂き、お互い笑顔で再会させて頂きたいと願うばかりだ。

お陰様でこの一年、出会いと再会を喜び、感謝の心で締め括れそうである。来年もそう思えるよう老体むち打ち奮闘して参る所存です。

来たる2023年も倍旧のご厚情をお願い申し上げ、年末のブログとさせて頂きます。再見。







2022年12月22日木曜日

無神経でも神経痛。

年の瀬に恐縮だが痛い話を一つ。実は数か月前から腰が張って左下肢上部が痺れる。整骨院のマッサージを受けていたが痺れは好転しない。

そんな最中、関西イベントの立ち仕事で腰痛が再発、何とか湿布で凌いできたが、師走に入り急に左腰から股関節が動けないほど痛い。これは尋常じゃないと整形外科に飛び込んだ。

結果はどうやら坐骨神経痛のようだ。坐骨、左臀部、左下肢と続く末梢神経が、加齢と腰椎疾患で神経が圧迫され痺れや痛みが現れたのだ。

しかし神経痛がこれほど痛いとは思わなかった。じっとしていても辛くて堪らない。このままでは通常の社会生活が困難かと不安になる。

有明医療大の福田先生からの「電気治療と温める」を守り、電気治療に通いだすと徐々に痛みが緩和され、痛み止めとカイロで、何とか動けるようになってきた。現在、まだ痛みと痺れはあるが、外出に支障がないまでに回復したのは有難いことだ。


腰は身体の要、大事なことは本腰入れて。


これを機に減量で腰の負担を減らし適度な運動だ。『病気になって健康の有難味を知る』とはこのことだ。糖尿と高血圧なのに痩せようとしない罰だ。

ヘルニアの息子も要注意だ。聞くと柔道部にも坐骨神経痛で、もはや痛み止めも効かず乱取りも出来ない部員がいるらしい。学生時代ラグビー漬けだった友人は歩くにも苦労したが、減量し腰回りを軽快にしたら格段に改善したと話す。

「腰」は身体のカナメ。「減量と適度な運動」に何かと理由をつけ及び腰だった私だが、いよいよ脂肪が付いた重い腰を上げる時がきた。筋肉の衰えと腹筋と背筋のアンバランスも原因のようで、肉体改造にも本腰を入れないと先がない。

途中での挫折は「まさに腰砕けだあ」と考えたら、ふと「腰」を使う慣用句が実に多いことに気づく。やはり心技体のカナメは「腰」なのだ。

何事も「志高腰低」。常に志しは高く腰は低くの精神で「腰を据えて取り組む」ことだと腰痛以上に痛感した。皆さんも腰は大切に!





2022年12月7日水曜日

筆司・鉄舟との再会。

現在ジモスでもお世話になる広島熊野の竹宝堂さん。会長の鉄舟先生は化粧筆の巨匠であり、日本が誇る化粧筆は竹宝堂無くしては語れない。

鉄舟さんとの出会いは、カネボウが化粧筆シリーズを「鉄舟コレクション」として発売したくて、著名な「鉄舟」さんの名前と商品コラボをお願いした2004年の18年前に遡る。

そこはブログで紹介したので語らないが、その後の東北時代も仙台に来て頂いたり、花王広島時代は家族ぐるみのお付き合いと思い出は尽きない。

2011年、広島から東京に戻る辞令がおりた。実は「筆の日」に家族で行くと鉄舟さんと約束していたが、異動準備で平日に私だけご挨拶と告げると「ご家族で来ると約束したじゃないですか。あんまりだ、考え直して下さい」と怒られた。

あの温厚な鉄舟さんの頑な態度に、商売抜きで、本当に待ち望んでいた気持ちがヒシヒシと伝わり、実はとても嬉しかった。

私は彼との約束を守り、休日に家族で熊野を訪れた。鉄舟さん達の暖かい歓迎と筆作り体験など家族も大喜び。今では大切な思い出である。

6年前にお孫さんの結婚式でお会いし、今年は広島市内で息子の臣社長と孫の祐太郎さんとは会ったが、鉄舟さんとは会えずじまいだった。


鉄舟さんとの再会と約束


この度、鉄舟先生が長年の筆司の功績が認められ「黄綬褒章」を受勲された。自分のことのように嬉しい出来事だ。私的には遅すぎの感だが、とにかく、これは友としてお祝いしたい。

行くなら今しかない!大阪でのイベントから足を伸ばして熊野の鉄舟さんを訪ねた。現在の竹宝堂は、息子の臣社長と孫の祐太郎専務、地岡常務が脇を固めて鉄舟会長を支えている。

応接間で祐太郎専務と話をしていると、鉄舟さんが入ってきた。あゝ懐かしい、がっちりと握手を交わす。90歳になる鉄舟さんは以前と変わらずお元気で、近況や昔話に花が咲いた。

そのあとご自宅で奥様と三人で楽しい時間を過ごした。来年の9月は家族で筆祭りに行きたいなと話すと「それまで生きとります」と言う。私はすかさず「約束ですよ」と返した。

ところが約束したのに、鉄舟さんは時折り「もう私の周りには90歳は誰もいません。来年はどうなることやら」と気弱なことを口にする。

昭和20年8月6日、学徒動員で中2生だけ工場にいた事で生き残った彼の死生観は知る由もないが、周囲はいつまでも元気でと願うばかりだ。

確かに人生には終わりがある。だからこそ今を噛み締めるしかない。そして再会を約束したなら、お互いそれまでの時を全力で刻むのだ。

私自身、元気なうちに再会したい筆頭が鉄舟さんなのだ。加えて我が家にとっても大切な思い出は、熊野の鉄舟さんと宮島の海岸なのである。

帰り際にもう一度「来年は家族で訪れるから」と鉄舟さんと固い握手を交わした時、何としても家族での熊野旅を実現させようと決意した。


■筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い

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