2015年2月16日月曜日

引き継いだ旧鐘紡の「カネボウストッキング」が快進撃!

花王グループは、1~12月の決算である。わが社も2014年度は昨年12月で終了したが、お陰様で、計画以上の売上と利益を達成させて頂いた。社長就任以来4年間、従業員の総力で増収増益を続けている。本当にありがたいことである。お取引先様とお客様のご愛顧の賜物と、深く感謝している。今後も「良きものづくり」で更にご恩返ししたいと思っている。

そうしたわが社の実績を支える商品の一つに、女性の必需品であるパンティストッキング(パンスト)がある。コスミリオンがパンスト?と思われるかもしれないが、カネボウ化粧品の販売会社を通してカネボウ取引先様に美装品カテゴリー「カネボウエクセレンス」というブランド名で展開頂いているパンストである。これが信じられないほど売れていて、今やお化けブランドになってきた。

実は、この「エクセレンス」は旧鐘紡時代の中核であった繊維事業のひとつ「カネボウストッキング」。その後傘下に収めた豊田通商と当社とで共同開発、生産している商品である。



わが社が「エクセレンス」開発・生産を引き受けて4年。販売数は4倍近くまで拡大しあた。<DCYストッキング><タイツ80D><タイツ110D><ショートストッキング>の4カテゴリーで年々、愛用者が増え続け業界でも驚異的数字だと関係者から伺った。

カネボウ販売会社とお取引先様の販売力に脱帽である。そして、その高い販売力は、圧倒的に優れた品質だから叶うこと。手軽な価格もお客様の高いリピート率となって表れ、ドラッグ流通では専業メーカーを抑えトップシェアにまで育ってきた。



想定外の快進撃に、一昨年「何故こんなに売れるのか?」を解明するため、マーケティング調査をした。この種の調査は化粧品ではお手の物だが、繊維製品となると知見が無いので、調査法の一つである覆面での「消費者座談会」のフリートークはドキドキした。その結果が、品質、カネボウ名、パッケージ、価格のすべてが支持されている、という理想的なお応えを頂戴した。品質は「丈夫で綺麗」と絶賛された。

もともと繊維の鐘紡がオリジナル原糸を有しており、加えて織(おり)の技術も群を抜いているうえ、シンプルで真四角のパッケージと、化粧品のイメージを融合した自信作である。「良きものづくり」とは、そこに市場があり、競合に勝る商品力、タイミングと販売力が一致すると必ず売れる、という証明でもある。只、全てが揃うのは簡単なことではない。

わが社の主幹事業は化粧品のOEMであるが、お取引先様へのご要望や市場を見据えて、ストッキング以外の繊維品、化粧用具、雑貨など多くのメニューを増やしてきた。
その中には、当時総合メーカーの鐘紡が築いた知見や、技術の物も多く含まれている。

家庭品・化粧品の品質管理は熟知する花王・カネボウグループだが、繊維の品質検査、品質管理などの知見はなく、わが社の合言葉「可能性から発想する」の精神で「美装品」に取り組んできた。難産ゆえに、「エクセレンス」の成功は、嬉しくて仕方ない。

そして、この2月、新たにエクセレンス5つ目のカテゴリー、大型の新商品「カネボウエクセレンス<BEAUTY>」を投入した。化粧品メーカーらしく「履けるファンデーション・美脚メイクアップ」としたコスメティック発想で作りこんだパンティストッキングである。



レッグウエア業界(パンスト・タイツ類)の最大の市場である、オールサポート(ゾッキタイプ)市場に向けて、満を持しての発売である。

ゾッキタイプは伝線しやすいという課題と新たな付加価値を試行錯誤しながら時間をかけ、カネボウと豊田通商グループ(元カネボウストッキング事業)がタッグを組んで、新たに進化させたカネボウだけのオリジナル原糸と技術を開発。伝線しにくい「ノンラン設計」に加え「糸と編みのオリジナル設計」により、美しさと丈夫さを実現出来たと自負している。

私は繊維出身ではないが、いつしか「交編編み」とか、「デニール」の違いや「ハイゲージ設計」などと、口にするようになった。何とも感慨深い。少々おこがましいが、鐘紡の発明や技術をしっかりと受け継ぎ、カネボウコスミリオンで形を変えて、守り、大きく成長させることに深い感謝と喜びを感じる。と同時に、私は鐘紡人であることを実感する。

「エクセレンス<BEAUTY>」を市場に送り出すことは、大切なわが娘を世に送り出す思いだ。お取引先様と共に「製品」を生み、お取引先様に渡って「商品」となる。その商品をお客様が購入され、使用されて満足すると「愛用品」に変わる。そして、そのお客様がリピートしてくださった時に「私の逸品」に昇格すると思っている。

多くの女性たちから「私の逸品」とご評価を賜わることができれば、無上の喜びである。

田辺 志保


2015年2月2日月曜日

小うるささに磨きがかかりそう! 

私が今年、還暦を迎えることについてはすでに書いたが、それは4月。寒さ厳しい2月を越したらすぐである。ふり返れば、楽しいことも苦しいこともあっという間に過ぎたように思う。そんな中、目の前が真っ暗になるほど辛い時があった。2004年2月、信じていた会社が転覆した。

カネボウはそれまでの再建策である化粧品事業を花王に統合することを取りやめ、産業再生機構に、カネボウ化粧品を分社化して再建を委ねることになったのである。
産業再生機構の支援は、いわば国民の税金を投入するわけで、自立再生できぬと判断した会社への失意と無念さと、世間への申し訳なさが渦巻く思いであった。

私は現場の営業最前線でがむしゃらに仕事をしてきた、評価もされた。まして根っからカネボウが好きで、お取引先様も大好きで、どっぷり浸かり、会社の仲間と寝食を共にしてきた。それだけに、会社が産業再生機構入りしてしまい、私を引き立ててくれた経営陣も総退陣……。まさに「青天のへきれき」であり、ショックは計り知れないものであった。


家内に救われる

世の中には、挫折して、行き詰って、叱責、敗北……などによって気力を喪失したり、落ち込んだりする場面は多々ある。それが「己の至らなさ」から生じるのであれば納得もできる。しかし、この時は行き場のない悔しさで悶えていた。

産業再生機構入りすると、機構側の人たちが大挙押しかけてきた。MBA取得のエリートや、外資系の再生請負人たちが経営陣となり、既存メンバーのカネボウ側とで、カネボウ再生を模索し始めた。冒頭、彼らから「今までのカネボウの常識は、世間では非常識と認識してください」と言われた。それからは押して知るべし、こちらの課題をいくら説明しても理解してもらえない。特に流通責任者であった私とも意見の平行線が続き、現場の声より、机上のマニュアルを主張する機構側幹部との議論に疲れ切っていた。

そんな最中、夜中トイレに行くと「血の小便」が出た。もう会社にいることは限界かなと思った時でもあった。長期ローンを組んで自宅を購入したばかりだったが、それでも、折角手に入れたマイホームを手放して、もう実家に帰ろう、家族を連れて逃げ出そう、と思い詰めていた。

家内に「この家、手放して静岡に帰ろうか……」と打ち明けた。
すると家内は何もなかったかのように平然と、こう言った。「あなた、この家、売るより貸す方が、よっぽど得よ~」
私は家内の思いがけない言葉に
「えー、そう返してくるのか」「家を手放すことが平気なのか?」と、瞬間、驚いた。
私は「そうか、この家、貸す方が得なのか」と笑い返した。

あの時、テンパって張り詰めていた私の心が氷解するようにジワーと溶けて、温かくなってきた。そしてつかえていた塊が消えたように、落ち着いてきたことを今でも忘れない。
家内もそのやりとりを覚えていて
「あの時はまともに返答しないほうが良い」「たかだか家一軒でしょ」と思ったそうだ。やはり「女は強し!」である。
私にとっては、「俺にはこいつがいる!」と気づいた時であり、住む家を失うことなど大したことじゃない、命までは取られない、そして自分には一番大切な家族がついている、心配してくれる友人もいる、と奮い立った瞬間でもあった。家内には内緒だが、その時以来、「家内の為ならいつでも死ねる」と思っている。

昨年暮れに紹介した、大峯千日回峰行大行満大阿闍梨・塩沼亮潤住職の『人生生涯 小僧のこころ』に、荒行で死の淵に立った自分を救ってくれたのが、家族の絆と、今までお世話になった方々の励ましの言葉だったとある。おこがましいが、私もそう思う。本当にあの時は家内に救われたのである。
こんなふうに書くと、「どんな奥さんだろう」と思われる方がいるだろう。

家内と私は年齢差を超えた同志

私が家内と一緒になったのは18年前。私が42歳、家内27歳、いわゆる「年の差婚」で、多くの方に年齢差を心配された。それゆえ、エピソードには事欠かない。
結婚式の衣装合わせでは、衣装屋さんが私を家内の父親と間違えて父親用の黒のモーニングを出された。同行していた家内の母親が苦笑した。笑えない話では、結婚披露宴で、一人娘を手放す、しかもよりによって自分とそう年の違わない婿だっただけに、家内の父親は酔っぱらって(?)「あいつの首を絞めて、殺したい!」と、仲人を務めてくれた私の上司に言っていたらしい。ショックだった。

思えば、家内は、横着で勝手な私とよく一緒になったものだと感心してしまう。
当時の私は、営業での連続達成を目指す「田辺組」の現場監督として、部下の営業セールスとドロドロになって仕事に驀進していた。今では、要職にいる元部下たちから「あの頃を思えば、今の苦労なんて……」と言われるが、私は「そんなに厳しかったか?」と思い、少し不満である。

そんな時代に家内はセールスチームのビューティカウンセラー(美容部員)だった。駅前百貨店の化粧品売り場のカネボウコーナーのチーフとして、各メーカーの中で常に売上トップを維持してきた強者である。徹底した顧客管理を貫き、営業セールスの指示も聞き入れないほど生意気で「セールス泣かせ」だったが、きめ細かな優秀な美容部員で、立場は違うものの、いわば同じ釜の飯を食った同志である。

私は彼女を見ていて、仕事以外に全く無頓着な自分には、「伴侶として全て任せても大丈夫だし、楽だろうな」と思ったのが交際の始まりで、細かい経過は省くが、結婚にたどり着いた。ただ、結婚はしたものの、年間の殆どが出張で、結婚式の翌日も海外出張していた。未だ新婚旅行も行けずじまいだが、ひたすら家庭を守ってくれた家内のお蔭で、私は安心して仕事に明け暮れ、仕事も家庭も順調そのもので、東京転勤を皮切りに、静岡支社長、本社の流通部門長と私は階段を上がっていった。

前で触れたが、カネボウ倒産というまさかの事態に遭遇したが、お陰様で、4月、娘は高校3年生になり、息子は中学2年生になる。



元気だけが取り柄の子どもにも、それぞれの付き合いが増えて、家族で行動する機会は減ってきた。少し寂しい気もするが、これからは家内と向き合う時間が増えることになる。
それはそれで、素直に嬉しい!?
家内の両親も孫の成長を見守る優しいお爺ちゃんとお婆ちゃんとなり、私の事も諦め、気に入ってくれているのでは……、と思う。

人の気持ちを応援する「言霊の発信者」でありたい

思うに、目の前が真っ暗になるほど苦しい時こそ、まず己の息使いを感じるほどに気持ちを落ち着かせて、周りを見渡してみることだ。必ず自分を信じ、応援してくれる人がいる。大切なのはそういう人を見つける心のゆとりを忘れてはならない。「大切で有難い人」に気付いた時に、沸き立つ感謝の念は、生涯忘れることが出来ないものになり、その人のためにも頑張ろうと奮起できるものだ。

私は、家内の一言に救われた。今の処、私の「最高の出会い、人生の宝」、最良のサポーターは家内である。勿論、他にも多くの方々との出会いとご縁で、ここまでくることができた。多くの方に感謝! である。

ただ、言葉は人の心を壊すこともある。自分の一言が誰かに影響を及ぼすならば、相手への感謝を忘れずに、絶えずその人が元気になり、気持ちを応援できる言葉の発信者、でありたいものだ。
大切な人への御恩に報いるために、これからは、その方の最良のサポーターとして、微力ながら言霊(ことだま)を発信する覚悟である。小うるさいオヤジが板につくのも時間の問題のように思う。

田辺 志保

2015年1月15日木曜日

還暦を前におぼろげながら見えてきたこと

先日、花王時代に出会った東北の友人と「今年は、お互い還暦、60だな……」と話し込んだ。ただ、彼も私も還暦は通過点、「まだまだ」「人生これから!」との気持ちが強い。そういえば、学生時代の友人からはバンド活動を復活させたいので一緒にどう? と誘われたり、新市場獲得の為に頻繁に出かけている海外での面白話を聞かされたりしていることからも、思いはみな同じのようだ。一昔前、還暦を機に現役を引退する例も多く、還暦をシニアの入り口としていたようだが、今や人生80歳、いや90歳ともいわれる時代である。

ただし、体力、集中力をはじめ身体機能の低下は否めず、気持ちは若くても体のサビ付きを実感することがある。過信せず、若い頃とは違うと己を知り、余裕をもって今の自分に出来る「使命」を見つけたいと強く思う。そして、還暦を前に、おぼろげながらそれが見えてきたような気がしている。

柔道を通して息子とともに学び、成長する

息子が柔道を始めたことで、柔道関係の方々といろいろ話をさせていただいたり、催しに参加させていただいたりする機会が増えた。その一つ、昨年、年の瀬が迫る頃、「千葉県中学柔道強化選手」の親として、千葉県・浦安の了徳寺大学の練習を見学させていただくチャンスが廻ってきた。

その柔道場には世界チャンピオンの秋本啓之選手や世界選手権代表のヌンイラ華蓮選手の姿があった。それだけでドキドキしてきたが、さらに自分の練習ではなく、中学生の強化選手を相手に、自分が築き上げた技を惜しげもなく、手取り足取り直接指導していたから驚いた。思えば「柔道・グランドスラム東京」出場直前の大事な調整期間のはずで、二人の選手が了徳寺大所属とはいえ、信じられない光景だった。トップアスリートの後輩づくりへの情熱を肌で感じ、胸が熱くなった。親のほうが世界の頂点に立つ選手の技を目の当たりにして感極まってしまったのだから、指導を受ける息子の気持ちは言うに及ばず。

息子は秋本選手に世界トップレベルの寝技「秋本返し」を指導してもらった。緊張するやら、感動するやら、夢のようだったという。もちろん、秋本選手からすれば息子は柔道初級者。「秋本返し」の極意をそう簡単に習得できるわけがない。ただ、世界の頂点にたった選手から直接指導、教えを受けたことは息子にとってかけがえのない経験だったことは間違いなく、気持ちに火がついたように見える。



また、同行された選手強化にあたる先生方の眼差しも真剣そのものだった。秋本選手の「足抜きから寝技への移行」を食い入るように見つめ、必死にメモを取り、ビデオを回していた。
ワールドクラスの選手たちのレベルは中学生には少々難しすぎるだけに、普段指導をしてくださる先生方が世界レベル、超一級の技を噛みくだいて教えていくのだろう、と思った。本物を知ることは本物に近づく第一歩なのだと思う。

指導者として、高い評価を得ている先生たちの共通点は、子どもに応じた指導内容が一貫していてぶれないことだ。だから子どもは迷わない。自分にとっての課題と対策が、本人の腹に落ちるのだから、自信をもって一心不乱に練習できるのだ。
息子が指導を受けている、須賀道場の須賀先生、岩崎先生、廣田先生、増田先生も息子に対して「金太郎あめ」のように同じことを言い続けている。
「勇斗は、組手の遅れと、上半身の硬さが課題です。僕らはこれから何百回と言い続けます。同じことを指摘するうちに、やがて自分の課題を肌で感じて体で理解します。そうなれば、どうすべきかを求めるようになり、やるべき練習を何千回と反復してくれるのです」
「自ら、『強くなりたい』と思う子でないと、幾ら教えても変わらないんですよ。どんなに才能があろうと、所詮はやらされていると思っている子はだめです。誰だってラクしたいですから」と。

「千葉県中学生柔道強化選手」は、「強くなりたい」「学びたい」という集団である。昨年はクリスマス返上で勝浦合宿をした。朝から晩まで練習していた。



指導する先生方は休日返上で引率・指導にあたってくださった。先生方にはいつも頭が下がる。申し訳ない限りである。それだけに、親は子どもを中途半端では参加させられない。選手育成の術をもたない無芸の私は、息子と無我夢中で学び、共育を目指すこと、先生方のサポート役に徹することしかできない。

だから、裏方に回ることを「自分たちの使命」と思い、手弁当で指導くださる先生方を支援したい。同様の気持ちをもつ者が力を合わせ、指導者の方々がもっと自由に活躍できる場を広げていきたいし、挫けそうな子どもには声を枯らして応援する……、そんな空気を醸成出来ればと思っている。先生方は「親御さんの理解と協力こそが大切。ありがたい」と常に言ってくださる。

2020年の東京オリンピック。日本選手の活躍が楽しみだ

昨年もスポーツ界にさまざまなドラマが生まれた。若い力の台頭も目をひいた。テニス、卓球、体操、バドミントン、フィギュアスケート……。柔道界では、12月に行われた「柔道・グランドスラム東京」で、66キロ級の神戸の高校2年生・阿部一二三君が世界一になった。

柔道関係の方から、2020年の東京オリンピックに向けて、各種目別に「金の卵」を発掘・育成すべく全国の中学、高校生の強化選手育成費用が大幅に増額したと聞いた。
東京オリンピックは「元気な日本」「グローバル日本」を世界にアピールするチャンスでもあり、大いに結構である。2020年に向けて精一杯過ごすべきである。

と同時に、世界を経験したトップアスリートには、経験者にしかわからないことを次世代の若い選手たちに積極的に伝授していただきたい。なぜなら、その場の雰囲気を味わったことのない人間がどんなに熱く語っても、伝え、教えることができないからだ。息子が世界チャンピオンの秋本選手と直接触れ合ったことで柔道に対するモチベーションが一気に上がったように、襟のつかみ方、言葉、息づかいなど一つ一つに子どもたちの素直な心が反応するのだ。

私は「出会いは人生の宝」と信じている。もちろん、息子にもそう思ってもらいたい。そして、出会った方も同じ思いを共有できれば嬉しい。そうしたつながり、輪が広がるよう努めることが私にできることではと思う。
今、日本には柔道をはじめ、野球、テニス、バドミントン、卓球、フィギュアスケートなど、世界で活躍している選手が大勢いる。選手を支えるスタッフも充実してきている。その人たちから直接学ぶ機会、出会いが増えることを願うばかりだ。

企業は未だに目の前の商い、「金になるか?」が評価軸。しかし、単なる経済成長を考えるのではなく、次の世代にどのように引き継ぐか、次世代の果実の芽となるよう成長の種をどうまくかを考えるときがきている。オリンピックに限らず、何かにつけて「金」をすぐ欲しがるが、もっと長期的な視点が必要のように思う。
マイナー種目・分野に向けた応援、参加・協賛するなどして、長いスパンで恩恵にあずかる気持ちをもって欲しいものである。
さらには私も含め、自分にとって「有益かどうか」「損か得か」ではかる物差しを忘れ、それを超えた人生の価値を共有していきたい。
私は、近所の公園をゲートボール大会で占拠するなら、危険を理由に禁止している野球もサッカーも子どもたちに開放してはと陳情し、子どもの学芸会で親の目を意識して主役の白雪姫を10人も配するのは「いかがなものか」と発する親でもありたいと思う。

家内から「ちょっと待ってよ……」と言われそうだが、還暦を前に今以上に小うるさくなりそうだ! いや、それを目指そう!? 
やっぱり「正しく行って何人も恐れず」である。これは鐘紡の経営に長年携わった紡績王・武藤山治翁の言葉。悔やんでも始まらないが、つくづく思う。カネボウイズムは絶対に忘れてはいけない、と。
                             
昭和39(1964)年の東京オリンピックの時、私は9歳だった。オリンピックを機に街も人も様変わりし、環境は著しく変化した。あれから半世紀。2020年、ふたたび東京でオリンピックが開催される。世界に向けて円熟した日本を示せるかと期待に胸が膨らむ。日本の若い選手が活き活きと活躍する姿を見たいものだ。中でも「柔道」は外せない。

田辺 志保

2015年1月1日木曜日

新年を迎えて

謹賀新年。
本年も、全力で取り組んで参る所存です。昨年同様の変わらぬご厚情を賜り、何卒宜しくお願い申し上げます。皆様にとりましても更なる飛躍の年となりますようお祈り申し上げます。



お陰様でわが社も、穏やかに新年を迎えることができました。
私は例年、年初に、今年一年の抱負を決めて机上に貼って眺めることにしているが、今年掲げた言葉は「気力充実」。気力をみなぎらせて、やる気、元気、根気を更にパワーアップしようと考えたからだ。ただ、思い込み激しく、テンションが上がり過ぎる傾向があるだけに、周りの皆さんにご迷惑をかけないように、「短気は損気」を胸に秘めて、空回りしないよう気勢を上げていこうと思っている。

「気力」を辞書で調べると、困難や障害に負けずに物事をやり通す強い精神力。気持ちの張り、気合、とある。健康で生きていることを「気力がある」状態と捉えると、自分の行いに目的や意味を見出している限り「気力」は備わっていることになる。要は「健康一番」なのだ。

問題は、それでも「気力」が萎えてしまう時にどうするか……、である。
以前お話ししたが、トコトン落ち込んだ時には胃に食物の残留物がないという。つまり気力が萎えると空腹状態にあるのだ。「生きる」ためのエネルギーを摂取しなければ、負のスパイラルに陥り、やがて「気力ゼロ」となる。
元気がない時は、まず食う! この発想も大事だ。「辛いから食べられない」でなく「食べないから辛くなる」と思うことだ。ただし、ストレスによる過食症には気を付けること。辛いなあと思った時は、まずは水を一杯飲もう!

私にとって、今年は還暦、節目の年となる。水を飲む機会が増えるかもしれないが、健康一番、気力を充実させるためにも、病気をしないようにしたい。風邪ひとつひかないよう心がけたいと思う。当たり前のこと、手洗い・うがいの励行と、免疫力を向上させるために大いに笑っていきたいものだ。笑いが及ぼす健康効果はよく言われているが、中でも免疫力を高める効果はさまざま実証され、介護の世界などでも取り入れられている。

「笑う門には福来る」「笑って暮らすも一生、怒って暮らすも一生」である。「気力充実」のポイントは「笑い」にあるかもしれない。
溢れる気力の持ち主をめざし、笑顔を咲かせ、笑わせる使者になろう、と決めた。

田辺 志保

2014年12月22日月曜日

2015年に向けて

2014年が終わろうとしている。
我が社は来年に向け、これまで以上にお客様から喜んでいただける「良きものづくり」に一層精進することが最大の使命である。お取引先様の求めることに、どこまでカスタマイズできるかであり、社内の合言葉である「執念あるものは可能性から発想する」を忘れずにひたすら邁進するだけである。

私は本年も、思いつくままに、子どもにも「恥ずかしい」と随分言われながら、ブログを書き綴ってきた。大半が己への戒めばかりで、如何に自分が未完成かを実感した。「未完の青年」は無限の可能性を秘め、好奇心でゾクゾクするが、私は「未完の熟年!?」。未完の青年に「足るを知り、死ぬまで修行だぞ」と押し付けるしか能がないのである。

先日、息子が所属する市川七中柔道部の部長、「全国中学生大会」で引退した3年生に、「この本を読んだら」と、1冊の本を渡した。
彼は息子と違い、無類の読書好きなのを聞いていたから、高校受験モードに切り替えただろうと案じつつ、「面白くないかもしれないけど、じっくり読んでほしい」と付け加えた。
しばらくして、「3回読み返しました」と報告してくれた。嬉しかった。

すすめた本は、仙台・秋保の慈眼寺の塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)住職の著書『人生生涯小僧のこころ』。塩沼住職は、荒行のなかでも最も厳しいといわれる「大峯千日回峰(おおみねせんにちかいほう)」を成し遂げ、さらに断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」も満行し、大阿闍梨の称を得ている方である。
「大峯千日回峰」とは、奈良県吉野の大峯山で片道24キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて1日で往復。これを1000往復、4万8000キロを9年間かけて歩く超人的修行で、いったん行に入ったならば足が折れようが、熱が出ようが休めば、そこで終了。決して途中で止めることができない。途中で止める場合は自ら命をたたなければならないという、凄まじいもの。吉野金峯山寺1300年の歴史上、「大峯千日回峰」を成し遂げたのは二人という。

住職は1000回の往復中、苦しいとき、動けなくなった場面では、一歩一歩、「謙虚、素直、謙虚、素直……」と心で唱えて歩いて乗り越えた。1000往復まであと1回という999回目の夜には、「人生、生涯、小僧のこころ」という言葉が心に浮かんだと書いている。
普段、何げなく使う「ありがとう」は、「ありえ難いこと」が転じたとよく言われる。「普通ではありえないこと」と捉えて、心から発する感謝の言葉かと思うが、命がけで満行を成した著書には、まさに「ありがたい言葉」が詰まっている。

私は例年、年初に言葉に注目して一年の抱負としている。今年の言葉は塩沼住職の「一息、一息を大切に」だった。この思いをどれだけ綴れたか、お伝えできたか……。いずれにしてもこの一年、「田辺志保のひとりがたり」にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年も皆様のご指摘を頂戴しながら、乱筆乱文、失言をご容赦願いつつ、恥を承知で思いつくままに書きたいと思っております。




最後になりますが、皆様の益々のご隆盛と、穏やかな越年を、心より祈念申し上げます。

田辺 志保

2014年12月2日火曜日

後悔しても始まらない……

今年もあと僅かである。
みなさまにとって今年、どんな一年でしたか? 楽しい思い出ばかりじゃなかった方も、面白い出来事に遭遇した方もいらっしゃるでしょう。
前回、前々回、夏の我が家の熱闘柔道! 模様に触れたが、年初には悲しい事があった。2月に父を亡くした。そして私には一つ悔いが残った。

最初で最後の本音の話し合い

父は84歳の誕生日に天寿を全うしたと言っていたが、その年の旅だちとなってしまい、家族は残念で仕方ない。父は7年前に母が亡くなった時、自分が先に逝く事しか考えていなかったようで、かなりショックを受けて落ち込んでいた。昭和一桁生まれ。弱音を吐かず、いつも強気な男だが、母の死はかなり応えたようで、暫くは見ているこちらが辛かった。

いつまでも母の携帯電話を手元に置いて、寂しくなると隠れて母の携帯に電話して、録音された留守電の声を聞いていたらしい。父と同居している弟から、その話を聞いた時、オヤジらしくないと驚き、あのオヤジが……と思うと泣けてきたものだ。

昨年の夏に、オヤジから大切な話があると静岡の実家に呼ばれた。3人兄弟を前に「俺は肺がん末期で『余命半年』と宣告された」と話しはじめ、「母さんのところにいけるから嬉しい」と笑って見せた。

それでも昨年末まではかなり元気で、お世話になった方々を訪問して食事をしたり、お礼参りに訪問していた。が、年明けにはだんだん動けなくなっていた。正月明け、話すのも辛くなりはじめたころ、オヤジは我々兄弟に最後のお願い事をしてきた。

「お前たちは、これからの人生がある。死んでからも子どもに負担はかけたくない。だから、葬式も不要だし墓もいらない。母さんは告別式をやったが、それに労力を費やすのは無駄だ。俺の骨は海に撒く「散骨」にしてくれ、それが俺の最後の頼みだ」
全くの予想外、驚いた。オヤジは前々から決めていたようだ。

この時、最初で最後、親子が本音で夜中まで話し合った。オヤジは寝たり起きたりしながら「夜食でも食おうや」とか「昔、お前たち、野球盤ゲームで、そうやって大ゲンカしたなあ」などと笑う場面もあった。

まるでケーススタディの研修のように、困難な課題を与えて我々にさんざん議論させて、結論は子どもたち3人の意思を統一させた。自分で作ったシナリオを楽しみ、面と向かって話す時間を、ぎりぎりのタイミングで演出したかのようだった。
最終的には、オヤジは納得し、後に残る我々子どもの意思を尊重してくれた。一般的な葬送をし、お盆には墓参りも済ますことが出来た。

改めて言いたい!「一期一会」の気持ちの大切さ

以前、「世の中で一番悲しいことは、我が子を看取る事だ」と知人がしみじみ語った。親にすれば、短い生涯ゆえにこの世でやり残した事が多いと思う分だけ不憫に思い、悔しくて、辛くなる。そして誰もが、計り知れない悩みと、後悔までも背負ってしまう。
これは、親の死も同様である。親は人生が長い分やり残した事が少ないと納得できても、子どもの方は親に対しての後悔、もっと頻繁に行き来をすればよかった、旅行もさせてやりたかったなどとの思いが大きくなるので、悲しみの深さは、変わらない気がする。

初めに言った「悔い」とは、死を目前にするまでオヤジの本音を知らなかったことである。普段から、余分なことは言わない人だったが、それでも、私が一歩踏み込んで会話をしていたら、母の死を乗りえて落ち着いたころに、オヤジがふっと漏らした言葉に反応して聞き返していたら……などと悔やまれる。忙しさにかまけてお互いいつでも話せると思っていたのか、いずれにせよ大きな悔いは、面と向かって話す時間を取らなかったことである。

誰もが、両親や友人、人生の先輩たちと別れる時が来るのは世の常で、その都度、後悔をするものだ。「死生観」を語れるほどではないが、残された者が「ひどい」「悲しい」「辛い」という感情と向き合うことは間違いない。だから、残された者はこの痛みを受け止めて、乗り越えなければならないのだ。「仕方がない」と享受する覚悟を持つしかない。「後悔」という後ろ向きの思いは、いつまでも自分を過去の中に置くことである。それゆえ、一刻でも早く「思い出」として転嫁するよう決意すること、そこから未来への自分の糧にすることだと思う。

今は、オヤジの死を簡単に「思い出」に昇華、などと書けるが、あの時の、親子のかけがいのない話し合いの時間が無ければ、今でも過去をさまよって後悔しているかもしれない。
逝ってしまった人の気持ちを勝手に深掘りして、過去に戻ってあれこれと悔やむのは止めようと思う。オヤジは、きっと「いつまでも後ろを向くな、前を向け」と言うはずだ。

私は弟たちと、昔を思い出して「あの時は、オヤジ、おふくろを泣かせたなあ」とか「温泉旅行も約束倒れだったな」などと涙することもある。考えてみたら、オヤジとおふくろに、何もしてあげられずにここまで来たなと実感する。「親孝行 したいときには 親はなし」を痛感した。すべては後の祭りなのだ。

オヤジは最後にこうも言った。
「俺のことで揉めるな。皆が元気で仲良く暮らしてほしいだけだ。それが一番の望みだ」


年の瀬を目の前に、来年の一周忌には、娘の制服姿と息子の柔道着姿で静岡に行くのも有りだな、と勝手に考えた。オヤジにもおふくろにも見せることができなかったから……

田辺 志保

2014年11月21日金曜日

人を見守る事のむずかしさを知る <後編>

友人から「最近、月日が経つのが早い、一年があっという間に過ぎるよな……。ジャネの法則って知ってる?」と言われた。19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネが発案して、甥のピエール・ジャネが著書で紹介した法則だという。

主観的に記憶される年月、時間の長さは年長者には短く、年少者には長く評価、感じられる現象を心理学的に説いたもので、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するそうだ。過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象、ということのようだ。

子どものころは、見るもの、触るもの、口にするもの、耳にすることすべてが初めての経験、出来事。日々、そうした新鮮な出来事に遭遇し、充実しているから一日が、一年が長く感じられるという。それから年を重ねて社会人となって、やること、なすことすべてが初めてという時期もあったが、社会人として一通り経験し、理解しているつもりの年齢になると、新鮮な驚きの出合いは減り、一年があっという間に過ぎてしまう。

ここ数年、私もそこに陥っている!?そんな自分を振り返ると、「あの頃もう少し頑張っていれば」とか入社直後「今ならあの時もっとこうしたのに」などと、後悔だらけだが、時間は平等に流れているはず。一日一日を充実感や満足感、達成感をしっかりと実感できる生活を送っていれば年齢に関係ないとも思う。だから、後悔しないような一日を送りたい。

人生脚本は、自分で描くもの

以前、柔道の練習で疲れ果てた息子が、風呂場の前で倒れていた。びっくりして見に行くとなんと寝ていた!こんな調子で、机に向かい勉強している姿を、最近、見たことが無い。

このままではいけないと思い、一年生最初のテスト前に最初が肝心と「平均80点を目指す」ことを約束させた。これでは、柔道バカが現実となる。親として、息子の人生脚本を修正しようと思い立ち、息子の前に悲惨な答案用紙を並べ「柔道以外の目標は?」と尋ねた。
すると「これから、80を目指す、それから90、次は100だ」と答えた。
私は「ほー、すごいな。今度はやる気満々だな」と胸をなでおろした。
ところが、次の言葉に茫然とした。
「うん、お父さん、握力80になると、リンゴが潰せて、90では10円玉が曲がるらしいよ。そして100を超えると簡単に10円玉は曲り、リンゴも粉々になるんだ!」目が点になった。


こともあろうにまだ続きがあった。
「それに握力が100になれば、相手が僕の組手を切ることは出来なくなるんだ」
家内が一言、「目標は『学力』でなく『握力』なのよね」と。

聞くと、通学のバスの中で、バネ製の握力器を毎日300回握っているらしい。あきれて返す言葉がみつからなかった。気も失せたが、「ふざけるな、文武両道こそ目指す姿」と息子を叱り飛ばした。しかし一方で、「そこまで突き抜けることは大したもんだ」と妙に感心して、たとえ親でも彼の脚本は変えられないとも思った。
冷静に、組織論的に考えると、彼の環境は柔道には最上の組織なのである。

理想の組織は、最大の活性化を実現する

組織論でよく「みこしを担ぐ」話がある。上位3割の社員がみこしを担ぎ、組織を引っ張り、4割の社員は引っ張られるように、みこしを担いだり担がなかったりで、残りの3割はみこしにぶら下がって足を引っ張っている、とされる。俗に「3・4・3の法則」とか「さ・し・みの法則」とか言われる。
勿論、理想の組織は、みこしを担ぐ引っ張り役の情熱集団の割合を増やし、足を引っ張るぶら下がり集団を減らすことであるが、そう簡単ではない。

学校の部活ならば、仲間との楽しい活動が基本なので、止める、止めないは自由である。昔のような鬼のような先輩も減ったし、クラブ活動は学問に支障を来さないといった空気が蔓延しているので、新入部員は夏を過ぎると、簡単にあきらめ、退部希望者が出てくる。結果的に、ぶら下がりは少なくなる。

しかし、会社組織では、採用が大きな投資であり、社員の活性化が会社の業績を左右するから一大事である。人材育成が、会社の人財になる。

社員の側からみれば、大志を抱いて入社したが、どうも上司が気に食わないとか、居心地がよくない、と感じる人が出てくる。ここで自分の殻を破れないまま数年も過ごすうちに、「まあこんなものか」と今の仕事での出来、不向きが分り始める。がそのまま転職の機を逃し、出世レースに身をまかせて走り始めると、勝手に己の行方を案じて、仕方ないとか、取りあえず、何となくといった諦めムードの「みこしぶら下がり予備軍」が出てくる。

理想の組織づくりに欠かせない管理職の役割として、半期ごとに「目標共有化確認」を実行して全体を牽引するモチベーションまで引き上げることが大切だ。特に牽引役の3割の人には、自己啓発の課題も共有して、更なる意欲を引き出すことだ。そのうえで、ベクトルを左右する4割の様子見の人(みこしぶら下がり予備軍)への参画意識をどこまで高められるかだ。



それぞれのラインで、一人ひとりの目的と手段を明確に話し合い、目の前の具体的な目標を達成させる。決めた手段の達成を、一つ一つ積み重ねながら、自信と度量が大きくなる事を見守る。一人の育成が「共育」に繋がり、この集団化でしか目的は成就しないので、ここを端折っては絶対駄目である。
上司は、きめ細かく部下が達成できる目標をまず設定させて、クリアするたびに評価することである。後は、欲が出てくれば自分で学んでいくようになる。このプロセスは決して面倒なことではない。じっくり見守る姿勢が肝心だ。
部下は、都度の課題と対策を学び取り、後輩へと繋げる兄貴、姉御肌を身に着けていく。

「自分の領域の達成」と、「後輩の育成」の両輪を成すことが仕事であり、当事者意識を持って自分で勝ち取った、と思う人の勢力を拡大させる以外に組織の活性化は果たせない。
それは丁度、オセロゲームのように一人づつ仲間を増やすことなのだ。

新鮮に満ちた毎日を目指し、自らを活性化させる

私は「自分の人生は自分で切り拓いてきた」と思う反面、多くの方々のご縁を頂戴してここまで来たことも承知している。ご縁の源は、年齢など関係なく、本気で打ち込み、わき目も振らず、明日の自分を信じて今日を生きている、と思っていただけること。

隠居翁を気取って、経験や知見をひけらかせて、相手を指導とか、相手を矯正させるなどはおごり高ぶりだし、それだけではただの嫌われ者になりかねない。
せめて、信頼を願う自分の家族や友人など大好きな人に接するときは、相手を思い、信じた相手にそっと「寄り添う」ことではないだろうか。温かく寄り添いながら、目を細めて眺めているうちに「自分の生きがい探し」を見つけられる好奇心や心のゆとりが生まれてくるような気がする。

しかし、最後は自分で決断し、自分の力で答えを導き出すしかないのだ。私が息子の柔道を盛んに紹介するのは、ジャネの法則が理由かもしれない。

「新鮮に満ちた毎日」が遠い昔と忘れてしまった私と比べ、今の息子の一日はどうだろう。
今日の努力が、必ず実を結び、優勝することを信じてその日を完全燃焼している。
私は、きっと息子の瞬間、瞬間の姿を羨ましいと思い、疑似体験しているのだろう。世間の親が、頑張っている子どもの活躍に一喜一憂するのは、出来ない自分を相手に託しているからで、何としても頑張らせようと過剰な期待を寄せる。

学生時代を振り返ればわかるように、他人の台本を無理に書き換えようとするのは無駄な努力……。息子のことは思い切って青春物のドラマでも見るように、気を楽にして見守ることにしよう。どうあがいても、所詮、人の人生は、自らが脚本を書き、主演・演出するのだ。

田辺 志保

2014年11月5日水曜日

人を見守る事のむずかしさを知る <前編>

そろそろ今年、2014年を振り返るころが近づいてきた。
我が家のニュースは何だろうか? と考えると、夏から秋にかけての息子の柔道……。今年の夏は例年に比べて涼しい夏だったといわれているが、我が家は熱かった!

息子たちの柔道を見守る

市川市立第七中学校柔道部の息子が千葉県市川・浦安地区を勝ち抜いて千葉県大会に進出した。しかし、千葉県の壁は厚く、73kg級個人戦、中堅を務めた団体戦とも敗退して全国中学柔道大会(全中)出場は叶わなかった。中学になると細かく分けた体重別階級ごとの個人戦となり、七中柔道部から二人が千葉県代表として出場した。

息子は苦杯をなめたが、技は体力も未完成ながら、体重管理を含めた体づくりでは自分を追い込み、練習を重ねて臨んだ。私はそんな息子を励まし、見守った。

「七中名物サーキット」と呼ばれる練習は、まず、全員が輪になって、腕立て、腹筋、屈伸運動を何百回と続ける。一人が10回ずつ号令をかけ回るので、20名で各種200回になる。これが、通常練習の後のメニューというから1年も経つと、体つきがみるみる変わってくる。



体重別競技の選手は、中学でも体重の増減に合わせての体づくりを求められる。カロリーコントロールと併行してインナーマッスルを鍛えて代謝カロリーを増やす肉体に改造することだ。息子は小学校卒業時、70kgの体重が、中学に入って66kgに落ちるのに2か月と掛からなかった。いくら食べても太れないのである。大会に73kg級でエントリーした息子は、下限の66kgを割ると計量で失格になるのだが、一向に体重が増える気配がない。

摂取カロリーと代謝機能がそのままだと練習量でのダイエットにしかならない。息子は「筋トレ」を上回る「食いトレ」に励むしかなかった。そんな「食いトレ」と「インナーマッスル強化」で地区大会から県大会にまで進めたのは、体重計との格闘では勝利したからだ。

息子は部活に加え、市川の「須賀道場」に週4回通っているが、体重減少を心配する息子に、道場の岩崎先生は「大丈夫、体が慣れば食べられるようになり体重は増える。その身体を、また絞って筋肉に変えていくうちに、見違えるから」と涼しい顔。夏を努力した者には「絞り込まれた強靭な肉体と、力強い技の切れ」という大きな収穫が得られるというのだ。

息子の「食いトレ」は、朝から「かつ丼」、給食は人並みで我慢、道場に行く日は軽めの夕食、道場から戻り再夕食(夜食)を取る。満腹は道場で吐くので厳禁だ。家内は「飼育しているよう」と言いながら内心嬉しそうである。県大会当日、息子は71kgで計量を通過した。



多くの人に支えられて……

誰しも、運動に限らず何か事を始める際の動機は、大きく二つあると思う。一つは始める活動・運動そのものの魅力、二つは指導者や仲間の魅力。息子は通う「須賀道場」で両方を満たされている。名だたる柔道好きが集い、全国でも有名な猛者を育て、全国大会出場の強者を数多く輩出している名門道場で、以前紹介した廣田先生、増田先生も須賀道場の門下生。有難いことに、息子は須賀会長と道場の有り様に支えられている。

「須賀道場の魅力」は何と言っても、須賀会長の的確な指導力と門下生一人ひとりに対する姿勢、人を引き付ける人間力。ここで育った先生たちが須賀先生への恩返しとばかりに更にパワーアップした熱血漢と指導力を引き継いで門下生の為に集まってくる。

とにかく須賀道場の門下生はタフである。夏は気を失うほど暑く、冬は身を切るような寒さの中でひたすら練習を繰り返す。柔道の試合ではもつれ込むと、お互い疲れ果てて残り一分間で、気力と余力があるかないかで勝敗が決まる、といわれる。須賀道場の門下生は、試合時間をフル回転で戦い続けるタフな体と根性を身に付けて行くのだ。

この夏、腕に覚えのある方が初めて須賀道場の練習に参加したが、一時間もしないうちに軽い熱中症でうずくまっていた。いつものメンバーは平気な顔。こう話すと、「須賀道場」とはどんな道場だろう……と思われるだろう。が、お世辞にも立派とは言えない。広くて、冷暖房付きの公営の武道センターと比べると、意図的かと思うほど何もない道場であるが、私はこの道場の存在が、「修行のパワースポット」になっていると思っている。



涙が人を育てる

県大会団体戦で敗れた瞬間、選手たちの姿が心に残ったので記しておきたい。
選手たちは引き上げるや否や会場の隅で泣き始めた。無理もない。3年生は個人戦での優勝者以外は引退となるので、寂しさと無念の涙。後輩たちは、先輩が去る寂しさと申し訳なさで、涙が止まらなかった。今までを見てきただけに、その悔しさはよくわかる。

個人戦での勝ち負けは「嬉し涙」も「悔し涙」も自分に向けてだが、団体戦での負けはメンバーへの申し訳なさへの涙に変わる。自分への涙と違い、人の痛みへの涙は「成長の涙」。今子どもたちは得難い涙を流していると、私はほほえましく思ってしまった。補欠で悔しいはずの3年生が、後輩の肩をたたきながら、「気にするな、新人戦と来年の全中は俺たちの分まで頼むぞ」と後輩を励ます姿を見たとき、その気遣いと優しさに感激してしまった。

引退する3年生を見守ってきた顧問の古館(こだて)先生は、引退する3年生に「すまない」と言って泣いていた。最後は全員で、保護者の方々へ「ありがとうございました」と頭を下げた。涙でくしゃくしゃ顔の彼らは、誰も顔を上げられず暫く下を向いたままだった。



その場をただ見守るだけの私は、息子たちを育成くださる先生たちに頭を下げながら、ふっと昔、よく口ずさんだ坂村真民の「七字のうた」を思い出した。



息子たちが、これからも一途な努力を積み重ね、いつか「よいみをむすぶ」ため、負けた時には口出しせずに見守るだけで、勝った時こそ一緒になって喜ぶことにしよう。


田辺 志保