2014年9月24日水曜日

無意識の行動パターンを利用する。<前編>

店舗戦略「左回り」。

私は営業現場にいた頃、新規店舗の化粧品コーナーの設置をめぐって他社と常にしのぎを削っていた。いわゆる陣取り(場所取り)合戦である。特に大型店舗ではお客様の注意が無意識に向く、いわゆる一等地を押さえることだった。
で、その一等地とはどこか……。
大型店舗では入り口から入って左前の売り場である。勿論、業態や店舗ごとに異なるが一般的な大型GMSなどでは、まずそこに食品売り場を押さえようとする。そこからのお客様導線をみての、化粧品コーナーの位置要望と、コーナー決定後でも場所取り優位は、やはりこの場所である。

小売業では「左回り(反時計回り)」を取り入れた店舗戦略が知られる。駅を出て駅舎を背に立つと、人はおうおうにして「左」の方面に目をやったり、動いたりする傾向があり、入口が左右2か所ある建物に入る時は左の入り口から入る人が多いなどといわれていたことから、左側入口付近の左側を押さえることに私は力を注いだ。
この左回りはキャンペーンや売れ筋商品の陳列にも当てはまる。大型店舗では周囲の売り場によるお客様の導線を予測しながら、店舗内を壁に沿って左回りで回遊を計算したのだ。

余談だが、美術館や水族館などは左壁回りが多く、遊園地でも幼児用のメリーゴーランドは左回り、意表をつく絶叫系アトラクションは右回りが多いということを聞いたことがある。


以前、元警察関係の方から面白い話を伺った。
容疑者取り調べの際、一般的な傾向として、身に覚えのある人ほどよくしゃべる、というのだ。少しでもやましい気持ちがあると、目が泳いでそわそわして、懸命に言い訳を並べ、そのうちに、しゃべりすぎて自分からぼろを出すそうである。
逆に寡黙だったり、ダンマリを決め込んだりしている場合は、色々なゆさぶりをかけて、じっとその反応を見るそうだ。人が、嘘をつく時の無意識の行動パターンというのがあるという。

私が駆使してきた店舗戦略「左回り」もまさに無意識の行動パターンである。
前にも触れたが無意識の行動パターンには、非言語的な無意識化の行動(ノンバーバルコミュニケーション)と、言語的な意識下の行動(バーバルコミュニケーション)があり、相手との会話では、言葉(言語)の与える影響はわずか7%ほどでしかなく、顔の表情やしぐさ、声のトーン、視線、身振りなどの非言語的行動が残りを占めるという。

そもそも人の心臓は、基本左胸にある。急所である心臓の破壊は、死に直結するので、人は無意識に心臓(急所)を守る行動をとるようになっている。したがって、人は心臓を内側に内側にと置くことで安心する。

通路では外敵のいない壁を左側にして歩く。実は、逃走する犯人の約8割はT路地では左折して逃走する。警察はそれを参考に逃走方向の左手に人員配置・シフトすることがあるという。相手が腕組みをするのも、こちらを警戒して無意識に心臓を守り、その相手を拒否する行動だ。商談中、相手が腕組みをしたら、つらい展開になることを覚悟したほうがいい。

警戒があれば、親愛もある。

カネボウでカリスマ販売員と称された人たちは、お客様の心臓側に位置する「親愛の距離」、ベストポジションにすっと入り込むことができる。

売り場に足を踏み入れたとたん、「何かお探しですか?」と販売員が近づいてきたので逃げるようにその場を離れたとか、購買意欲が一気に失せた……、そんな経験はありませんか?

自分の左右の腕を横一杯に広げてみよう。左右の指先までの距離は大体自分の身長に比例し、この両腕を広げた距離を自己のテリトリーと認識する。だからこの範囲に見知らぬ人が侵入してくると人は警戒する。
初めて足を踏み入れた店で、販売員が自分に近づいてきてこの範囲に入ると、「何か言ってくるな、声をかけられる」と構えるのだ。「何かお探しですか」などとつきまとわれると、ウインドウショッピングの楽しさが半減する方もいるだろう。

優秀な販売員はお客様との距離を絶えずこの警戒範囲の外で様子をうかがう。これは販売の鉄則だ。つかず離れず、絶えずお客様が「ちょっと」という感じで顔を上げる機会を待ちかまえている。そしてタイミングを逃さず、「はい」と言いながらスッと近づくのである。

さらに、両腕を下げ、ひじを起点に前へ持ち上げた状態の、体から指先までの範囲が相手を許す親愛の距離といわれる。40センチくらいだろうか。
その距離内に入り、それも相手の心臓側に位置したら「親愛のベストポジション」である。
この域に達するのは相当の信頼関係が築かれた証拠で、最良のコミュニケーション、会話ができる。そう簡単にそこに入り込めず、かなりの努力を要することだが、カリスマ販売員はなんなくクリアしているから尊敬に値する。


これは販売員のノンバーバル・無意識行動を考慮した最高のバーバルコミュニケーション行動の最初の一歩。ほかに、顔の表情やしぐさ、声のトーン、視線、身振りなど深く掘り下げなければならないことがたくさんある。
販売職に限らず、営業、製造ラインで仕事をする人にも、無意識の行動パターンの活用場面は数多くあり、自身の土台づくりとなることは間違いない。
勘違いしてはいけない。無意識の行動パターンを知る・理解することが大事ではない。それを、社会、仕事の場で通用する能力に育て上げなければ意味がないのだ。

自分の無意識行動を見直す。

「善濡直心」。「ぜんじゅじきしん」と読む。
善の心、濡れた心、素直な心を持とうという教えであるが、私はこう解釈している。
相手の心が殺伐として乾いている、と嘆くのではなく、それは自分の心が濡れていないからだと思え。自分が素直に濡れた心で接することでしか、相手の心は濡れてはこない。

そう思って自分の行動を見直すと、反省だらけだ。相手の話を聞くときに、腕を組む、時々目を逸らす、眉間にしわを寄せる、足を組む、笑顔を忘れる、話の腰を折る、数え上げたら切りがない。
人様を論ずる前に、人様が嫌がる己の無意識での行動を見直し、改めてみたい。
意識的行動が「善儒直心」を目的とすること、を肝に命じて取り組もう、と心に誓った。


田辺 志保

2014年9月3日水曜日

「言い訳」について考える。

最近、未だ本気を模索中の娘と、柔道以外に本気が存在しない息子に怒り心頭。テスト前にもかかわらず、大イビキの就寝姿を目にしてイラっとしたり、何かと気持ちがざらついたりして、叱りまくっている……。あまりにテストの成績が悪いのだ。子どもは「ちゃんと勉強したけど、たまたま習っていない問題が出た」「部活が忙しくて」などと必死で「言い訳」をする。もちろん私は「勉強不足!」ととりあわないし、「前期も同じ言い訳だったな」と、全く変わろうとしない気持ちを指摘して、テスト以外のこともあげつらい、執拗に叱ることになる。
「やればできる子だから、今回はしょうがない」と大目にみる親も多いようだが、私はそれで終わらせてはいけないと思っている。


何かを成そうとしてそれを実現出来なかったり、叶わなかったりしたとき、多くの人は、その失敗や過失などについて、そうならざるを得なかった、いわゆる「言い訳」をする。
本人は「言い訳」というより、失敗した理由や事情を説明して了解をとるつもりなのだが、相手にはそう映らない。そこに、自らを正当化しようとしたり、時には相手に責任を転嫁したりすることが多いからだ。

「言い訳」は勉強に限らず、仕事の場でも、聞くに堪えず、見苦しい。
「ごめんなさい、遊んでばかりいた」「申し訳ありません。私の力不足です」と、正面から言われると、こちらとしても、「どこが?」とか「何故?」と事の次第を確かめてみようか、もう少し話を聞いてみようか……などと気持ちが動く。そのうち、こちらがその理由を慮って、叱ることを忘れてしまうこともあるのだ。今回、この「言い訳」について少し考えてみたい。

「言い訳」ではなく、「説明」に徹せよ

一般的に「言い訳」には、無意識に自分が一番かわいくて己を守ろうとするからだろうか、責任転嫁が多い。私の経験上、原因に目を向けずに自分の正当性を述べるとき、自分の対処法ややり方がまずかった、多少の後ろめたさがある場合は声のトーンが落ちるものだ。さらに、目を逸らしたり下を向いたり、まして鼻や口に手を添えたら、口先とは裏腹な証拠だ。

仕事でいえば、総じて「言い訳」の多い人ほど、自慢が多く、うまくいったときは自己アピールタイムとなる。首尾よく終われば自分のおかげで、失敗したら人のせいとなる。これは最も嫌われる。
逆に、上首尾は人様のおかげ、お力、失敗は自分の至らなさ、力不足などと口にされると、「なかなかやるな~」と好人物を印象づけ、株が上がる。私は、相手が失敗に肩を落としていれば、「そう気を落とすな」「自分を責めるな」といったやさしい言葉(!?)をかけて、時には策を一緒に考えようと思ってしまう。

だから「解決できない理由をあれこれ並べるより、一つでも二つでも自分で出来る対策を考えろ」と言いたい!

一方、言い訳の「上手な聞き方」というのもあるように思う。
以前、積極的傾聴でも紹介したが、たとえば報告を聞く際には、最初に結論から報告してもらうように促すことも一法だ。「うまくいきました」の次には必ず成功理由が続くので、どこでどう褒めるかを考えながら聞くことができる。逆に「失敗です」の後には「言い訳」が続くので、その中から、原因と対策を探るために耳を傾ける。

いきなり言い訳が始まったら、「言い訳するな、みっともない」と決めつけるのは考えものだ。相手とのコミュニケーションを深める絶好の機会だと思うことが大切。本音を探り、共有することだ。これは気づきのチャンスなのだから、部下育成に利用しない手はない。
そんなときには、眉間にしわを寄せたりせず、「ずいぶん頑張ったが、ここが甘かったな」などと、相手のプライドを傷つけず指摘して納得させることだ。間違っても相手を叱りつけないこと。自信を喪失させるだけで、問題解決にブレーキをかけてしまう。ここは自らに原因があることをきちんと理解してもらい、それを自ら直す、という気持ちへと導くのが得策だ。

また、「言い訳」ととられない上手な言い方があるようにも思う。責任転嫁ではなく、その場を、客観的に状況を説明する機会と捉え、事実を正確に表現することが大切だ。自分に非はなく、他人の非を暴くようでは話にならない。自責のフレームで説明してみることだ。他責には何も生まれないことを肝に命じたい。

立場は常に交互にやってくる、実はどちらも自分の事である。
やはり「世の中で変えられないことは、他人の心と己の過去。変えられるのは己の心と自分の未来」なのだ。


「叱り方」にもコツがある

以前、「叱り方の極意」を伝授されたことがある。
ポイントは3つ。「その場」で、「その事だけ」を、「短く」という。

大切な会議に遅刻した社員がいた。すぐに「なぜ遅れたのか」とその理由を尋ねるのは最悪らしい。なぜなら「実は子どもが交通事故にあって」といわれたら「それは大変だったな」となって、叱るどころではなくなる。
そんな時は、最初に「遅い!」と一言、これだけで十分。遅れた事実に対して、その場で、その事だけを、短く、である。後でじっくりと説明(言い訳)を聞く時間を設けることだ。

私は時々、この極意を忘れてしまうことがある。
冒頭に述べた、子どもを叱る姿が最たる例だ。

ここで絶対にしてはいけない最悪の叱り方を伝授しよう。
「その場以外」に、「その事だけでなく」、「だらだら」とである。
これは、相手をつぶしてしまうので、封印する覚悟を持とう。

いずれにしても、自分に非がある場合は、説明でも言い訳でもない。「すみません」「申し訳ありません」の一言。「過って改むるに憚ること勿れ」である。

田辺 志保

2014年8月14日木曜日

「持論を常に熱く語る」。これが田辺流!<後編>

人を幸せにできれば自分も幸せになれる。

マルコ様の研修で次にお話ししたのが、人間関係、人づきあいをスムーズにする「4つの幸せ」の実践である。私が花王カスタマーマーケティング株式会社に出向した際に、全く新しい切り口で提案して一緒に取り組んだ「やる気、元気活性化運動」をお話しした。

人が「幸せ」を感じる4つとは、人に「愛される」「褒められる」「必要とされる」「役に立つ」、この4つが欠かせない心理という。
その為には、愛と感謝をもって接することである。この気持ちをもって人様を眺めると、褒めることが見つかるはずで、それを言葉として発した時に相手は「私は認められた」と感じることになる。称賛された存在価値は、必要とされている、役に立っている、にも繋がるはずで、誰でも心地よいことこの上なし。元気も倍増する。

私は、これを組織内で仕組み化しようと考え、花王の仲間たちが後押しをしてくれた。



6年前、花王CMK中四国リージョンへの出向が決まった。その時は、カネボウから離れ、それこそ、たった一人で、アメリカ軍に乗り込む日本の将校のごとく水杯で別れた。

ところが「案ずるより産むがやすし」で花王CMK中四国リージョンには、気持ちの良い素晴らしい仲間が待ち受けていた。ただ、花王という異なる組織で、扱う商品も違うだけに、カネボウ時代の経験やノウハウは通用しない。

こちらは新入生、皆様のご苦労や活躍を只々見守り、都度感心、感激していただけの気がする。持参した資料や書物を開示して「幹部人間力アップ勉強会」「若手社員のマネジメント講座」「お取引先様の研修会」など、直接のビジネスとは、関係のない感動発信の活動をやらせていただいたくらいである。

その感動発信の一つ、毎月の幹部勉強会の出来事を紹介しよう。
幹部勉強会を立ち上げ、各GL(部長)に、持ち回りで1時間授業を担当していただいた。マーケティングの幹部は積み上げたマーケ知識を披露し、エジプト文明を一時間語った幹部もいた。とにかく、毎月楽しみの時間であった。

勉強会の初回に、私は「4つの幸せ」活動の話をした。するとある幹部からこれを中四国全体で実践できる仕組みを作りたいという提案が出た。素晴らしい活動をしてくれた仲間を、毎月のテレビ会議で紹介して称賛する「褒め称え運動」として、展開することになった。正直、花王新参者の私には、社内の皆さんが気持ちよく仕事ができればと考えるのが精一杯だったのだが、それが認めてもらえたのである。まさに「幸せ」であった。

達成者表彰から始まり、そのうち業績だけを褒めるのではなく、何故業績が上がったのか、具体的に掘り下げて、その中身を称賛し、水平展開の輪を作ろう、あるいは、仕事以外の個人的な活動なども取り上げ、もっと幅広く素晴らしい人を見つける運動にした方が面白い……などの意見が上がり、どんどん進化していった。

その好例が、地域のサッカーチームに所属して練習に励み、広島代表として見事全国大会に出場した社員だ。これはすごい! となり、彼の活躍を紹介し、皆で拍手、称賛した。褒められ、認められたと感じた彼は、それを力にいっそう仕事に励み、仲間とともに一生懸命に取り組み始め、今では中四国№1の仕事ぶりである。

この運動は幹部たちにも影響を及ぼした。部下の動向を見守り、いいとこ探しをしているうちに、部下との交流が深まり、部内が活き活きとしてきたのである。人を幸せにできれば自分が幸せになれる。幸せになるためには人を幸せにするのが近道と言えそうだ。

広島の花王時代には、エコナの回収問題でもがき、洗剤の革命アタックネオ、ヘルシアスパークリングの大ヒットも経験させていただいた。一言で言えば「本当に楽しかった」。



そうした広島時代の思い出をご紹介しつつ、マルコ様の研修を締めくくった。

マルコ様のスタイリストとお客様との繋がりは、本当に深い。ファンデーション(下着)を通したお客様のボディラインづくりだけでなく、共に食事、運動をし、時には心のケアまでも含めた総合的コーチングマネージャーのような存在のスタイリストが多い。
年に一度、お客様がご自分の心と体型の美の実践を披露する「MMPC(マルコ・メイキング・プロポーション・コンテスト)」というイベントがある。お客様が日頃の自分磨きを競い合う発表会で、各地区の代表のお客様はキラキラ輝き、我がこととして共に励んできた各地区のスタイリストの応援にも力が入る。私は審査員の一人として出席させていただくのだが、その熱意と全員の一生懸命さに圧倒されてしまう。



まさに、マルコ様の一体感は、お客様とマルコ社員相互の4つの幸せの共有から出来上がっている。今回研修に参加された感性豊かなスタイリストの方々からは、今後もさらにお客様の姿を深く見つめることで、もう一度既存の概念を見直し、皆で認め合い、励まし合って、お客様の「4つの幸せ」を肝に銘じて活動すると、仰っていただいた。

一方で私は、マルコ様の研修を通して、私自身がまだまだ既存の概念に捉われていると反省した。常に自分自身が出来ているのだろうか? と問いかける機会を与えてもらった。



実は先日、柔道の試合で負けた息子にダメ出しをして、反省会を押し付けたのである。あの時何故、気の遠くなるほど練習をしている息子を、そのプロセスを「褒めて認める」ことをしなかったのだろう。いきなり負けを咎めることは、プロセス自体も否定してしまう。

マルコ様研修の翌朝、鏡に写る未熟な自分につぶやいた。
「さあ、今日は誰をどれだけ褒めようか~、それも満面の笑みでだぞっ。笑おう」
日々の幸せを与える実践の中で、それが自分の幸せ、と感じるようにならなければ!


田辺 志保

2014年8月7日木曜日

「持論を常に熱く語る」。これが田辺流! <前編>

先日、当社の大切なお取引先様、大阪に本社をおく「マルコ株式会社」(以下、マルコ様)の方々が、研修を兼ねて小田原のカネボウ化粧品の主力工場にみえた。
マルコ様は、1978年、日本で初めてプロポーションを整えるための「体型補整下着」を完成させた、その道のリーディングカンパニーである。
以来、世の女性に夢と自信を与えることを使命とし、一貫して最高のモノづくりにこだわり、美しいボディラインと健康づくりを提案・提供する総合コンサルテーション企業として、お客様から高い評価を得ている。
全国各地のマルコショップのボディスタイリスト・コンシェルジュ(以下、スタイリスト)は、理想のプロポーションづくりに励むお客様からの絶大な信頼のもと、ゆるぎない顧客関係を築いているのだ。

そうしたマルコ様と当社が1997年に「アクセージュ」というボディケア化粧品を共同開発した。「アクセージュ」は当社の優れた処方技術および、植物エキスをはじめとする様々な成分と、マルコ様のコンセプトとお客様像を融合させてアクセージュボディシリーズとして発売した。2008年にはバストの肌に潤いとハリ、艶を与える「バストライブセラム(潤い・ハリ・艶効果)」と、肌を柔軟にしてハリを与える商品「ボディマッサージジェル(潤い・ハリ・柔軟効果)」が登場し、現在多くのスタイリストが自信をもってお客様におすすめし、お客様には、感触、効果、香りなどを感じていただき、ファンデーション(下着)と共に大変ご好評いただいている息の長い優れものである。



研修には全国から優秀なスタイリスト30名と幹部の方々が参加され、我々は緊張しつつお迎えした。研究・開発・製造のラインなどを見学していただき、その後、お客様との繋がり強化と接客力向上の秘訣などの話も聞きたい、というご依頼を受け、不肖、私の講演も企画させていただいた。
そこで、私は「出会いは人生の宝」と題して、“自己を高める大切さ”と“人との接し方を円滑にすすめるコツ”などをお話しした。

何の会社だろうが、業態、業種を問わず、業績向上に不可欠なことに「従業員のモチベーションアップ」「組織の活性化」があり、モチベーションアップ、良好な人間関係を如何に築くか、組織の活性化のためのマネジメント力をどう駆使するか、が大きな課題だと思う。


既成概念をぶっ壊して「感動」の数を増やそう。

言うまでもなく、我々は人と人との関係で成り立っていて、一人で生きていけないので、その課題の解決には、まず自分の「眼力を高める」ことだ。まずは相手を見る目を養うことが重要で、さらに自らを相手の本質に迫ることが出来るよう進化させることである。
眼力向上には「感性を磨く」こと。自分と関わり合いをもつ人に関心を寄せることから始める。以前ブログで紹介した「ザイアンスの法則」にあるように、今まで以上に相手の言動に関心をもつことで思わぬことが分かり、相手への好感度もアップするのだ。

我々は、どうしても印象という表面的な既存概念にとらわれ、それが邪魔して相手の本質を見失うことがある。「あの人、じっくり話してみると案外いいとこあるね」と、思った経験はないだろうか。あるとすれば、それは自身が見かけの印象にとらわれ、勝手に決めつけていた証拠である。しかも、それらは自身が体験し、知識として習得してきた狭い範囲内での尺度に過ぎず、世の中には、自身が知らないことが山ほどあることを忘れてはならない。

常に、感性を磨いていると、気付きの範囲も質が変わって、それまでの判断基準が変わるはずだ。今までより感心することが増え、感心する数が増えれば増えるほど感激する場面も2倍、3倍になる。その感激の深さの先には、人様にその感激を伝えたり、自ら行動に移したり、まさに「感動の領域」が拡大する。

今回、その既存概念を変化させる、感動領域の拡大のケーススタディとして、野口雨情作詞の童謡「シャボン玉」(野口雨情作詞 中山晋平作曲 1922年)を取り上げた。
まず、マルコの皆様と「シャボン玉」を歌った。

皆さんも会場にいるつもりで歌い、読みすすんでほしい。

シャボン玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた

風、風、吹くな シャボン玉とばそ

歌い終えたところで、この歌の背景をお話しした。
「シャボン玉」は、大正111922)年に雑誌『金の舟』に発表された童謡である。日本を代表する詩人、童謡、民謡作詞家である野口雨情には、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「あの町この町」など、思い出深い作品がいくつもあるでしょう、と。
そして、「シャボン玉」の作詞に関しては、1908年、妻ひろとの間に長女みどりをもうけたが、生まれて7日後に亡くなった。子煩悩な雨情はそのことをたいそう悔やんでいたという。当時は乳幼児が死ぬことは珍しい事ではなかった。しかもその後、雨情は何人かの子どもに恵まれているが、子どもを失う悲しさは尋常でなく、シャボン玉の歌の本質は「鎮魂」の思いだと言われている。
さらに、ある日、故郷の茨城県磯原村(当時)で少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、「娘が生きていたら今頃はこの子たちと遊んでいただろう」と思いながらこの「シャボン玉」を書いたと言われている。

こうした歌の背景をお伝えして、もう一度「シャボン玉」を口ずさんでもらった。
皆様、涙なしでは歌えなくなってしまった。
今までの「シャボン玉」の印象と異なったようだ。相手を知り、深く観察し理解することで、見方が変わることを多少なりとも実感していただけたように思った。背景を知っている私も喉が詰まってしまう。

ちなみに雨情は7歳の時に母親を亡くしており、童謡「七つの子」で子どもを思い泣いているカラスは、7歳の雨情を残して亡くなった母の心であるとも言われている。
カラス なぜなくの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ
可愛い 可愛いと カラスはなくの 可愛い 可愛いと なくんだよ  

多くの解釈・諸説があるが、私はこうしたことを知ると雨情の歌に人生のはかなさや命の尊さを深く感じてしまう。



大切なことは、一方的な見方や他者の受け売りだけで判断するのではなく、絶えず多面的に知ろうとする好奇心と、俯瞰して捉える鋭い感性をもつことである。「それって本当?」「ちょっと違うんじゃないの」といった小さな疑問、好奇心を抱いたり、視点を変えて見たり、真相、本質に近づこうとする心もちが、既成概念を崩すことや、新たな発見につながり、全く違ったより大きなものを包み込むものへと変化する第一歩かと思う。

田辺志保

2014年7月8日火曜日

「本気」になって、自分の花を咲かせよう

つい先日、大学の付属高校に通う娘から、将来についての相談があった。2年生で希望学部を踏まえたクラス編成がされ、彼女は理科系クラスにいるのだが、未だ将来像が描けないという。私は「おまえの好きなこと、本気で取り組めることは何か」と尋ねたが、答えが返ってこなかった。

ふと、何気なく「本気で取り組めることは何か」と娘に聞いたが、自分の高校・大学時代はどうだったろうかと思い、随分偉そうに聞いてしまったなあ、と少々心が痛んだ。
なぜなら、私は、高校時代には、テレビドラマの事件記者の正義感に憧れて、新聞記者になりたいと思っていた。大学時代には広告業界に入りたいと思うようになった。動機は確か、テレビコマーシャルの制作というと「カッコイイ」から……。一応、新聞論、マスコミ論、広告論などの授業がある社会学部に籍を置いたので、畑違いではなかった。しかし、「本気」なんてなかった。

今どきの若い人はコミックの影響で「本気」を「マジ」と読むらしい。「マジ」とは、学生などの間で「真面目」の口頭語の省略表現、と辞書にある。また、「本気」は、まじめな心。冗談や遊びでない真剣な気持ち。また、そのような気持ちで取り組むさま〔広辞苑〕。
「マジ、うざい」などと話す若者をみると、「本気」の意味をはき違えているように思う。私の中での「本気」は、「取り組む」とセットであり本腰を入れて進めることである。



カネボウ化粧品で見つけた「本気」。

私はいつ、「本気」になっただろうか。
恥ずかしい話だが、それがわかるまで長い年月がかかった。学生時代には生憎見つからなかった。
私は昔から、自分の事を「器用貧乏そのもの」と分析している。というのも、漫画・イラスト、バンド、暴走族、学生運動、吉祥寺の主など、何でもかじるが、どれも中途半端。結局何をしたいかが分からなくて、本気になれない自分に腹が立っていた気がする。

大学4年になっても、ノンポリ学生として、取りあえず就職課に顔を出して、企業の求人案内を眺めていた。当時、70年代後半は、第2次オイルショックで就職氷河期真っ只中。
企業の採用は少数精鋭。「何とかなるさ」は通用しないと思う反面、負けず嫌いの自分の性格上、業界トップなどで「安定」を求める気はさらさらなく、絶えずトップ企業を追いかける挑戦的な業界2位を狙った方が性に合っているし、完全燃焼できると思った。
まあ、本当のところは、さほど成績も良くなく、学校にも行かず好きなことばかりやってきたので業界大手企業が求める成績優秀・スポーツ万能などの基準をクリアするのは、最初から無理な話。活きのよさと、枠にハマらない自由人的なところを気に入って、採用してくれる会社が、きっとどこかにあるはず、という気持ちで企業を回り始めた。

業界2位からトップを目指そうという、流通業、広告業、ホテル業などの会社を訪問しまくった。どこも活気があった。
そんな中、私を採用してくれたのが、化粧品業界のトップの座を狙うカネボウ化粧品事業である。私のどこが、学閥がはびこる古い老舗企業の鐘紡のお眼鏡にかなったかは定かでないが、運よく就職できた。

思えばカネボウ化粧品で「本気」を見つけた気がする。「打倒、社」をスローガンに、全社員一丸となっていた。
それはまさしく火の玉集団。営業、商品、販売、宣伝など、それぞれの部門に「A社に絶対に負けない精神」が染みついたサムライがたくさんいた。そうした先輩の下で働くわけで、大きな声で言えないが、当時、営業部隊は夜討ち、朝駆け当たり前の世界。「ドロボウ、カネボウ、ショウボウ」と言われたころである。

トップメーカーは、業界をリードする立場もあり、絶えず新たな仕組みや提案をし続けなければばらないが、我々は後付けで優位差別化を工夫し追随し、局所で勝てばよしとしていた。
ビジネスで1位になる戦略に「ランチェスターの法則」というのがある。他社と違う事をやる「差別化」、それを徹底する「一点集中」、その地域、顧客、商品、サービスで1位になる「No.1」。これこそが弱者が強者に勝つ原理原則である。

私は当時、この方法で自分の担当地区内でA社を凌駕して、No.1になろうと心に決め、「本気」で取り組んだ。社員にもそれぞれの得意分野でNo.1を目指すことを求めた。
たとえば、「おもてなし接客での挨拶はだれにも負けない」「担当エリアで頭髪商品群売上げトップになる」など、各自がNo.1を目指して取り組む、「No.1運動」の展開である。各自が掲げて成し遂げたNo.1が、オンリー1にもなった。この事例の積み重ねが打倒の突破口、大きな力になっていった。この「No.1運動」はしばらく語り草になった。
何でもそうだが、「不得手の克服」より「得手に磨きをかける」方が分かりやすく、楽しい。


器用貧乏を自認する私でも、特化できることを見つけ、本気で取り組んでいるうちに、ありがたいことに周囲がついてきてくれた。すると取り組んでいる本人が変わってくる。周りが私を輝かせてくれたのだ。商談、新店開拓、教育、企画など、すべてしかり。

私の上司で、大阪駅前の主要取引店のほとんどを一人で開拓した実績を持つ「新店開拓の達人」といわれる人がいた。今、流行りのレジェンド、伝説の人だ。
そこに到達するまで、道を極める為にそれこそ「本気で取り組んだ」と思う。その「本気度」たるや、並大抵のものではなかっただろう。すべてが自分の血となり肉へとなり、彼の話は、新規取引に関する想定問答集をひもとくようで、バイブルの域にまで達していた。



私の会社にも、経理、企画、商品、営業など各部門で「本気」で頑張っている人がたくさんいる。彼ら・彼女らのプライベートを覗けば、プロレーサー顔負けの運転技術でドライブを楽しんだり、プロゴルファー並みの腕前だったり、剣道七段のつわものもいる。育児、料理などをラクラクこなす女性も多く、まぶしいくらいに輝いていている。
会社人生だけでなく、どこの世界でもその道で秀でた人に出会うとうれしくなり、自分もあやかりたいと思う。

「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。

娘は本気で取り組むものが見えずに、今、もがいている。でも焦る必要は全くない。迷い、寄り道をして、試さなければ本気で取り組むものは見つからない。
息子は縁あって「柔道」と巡り合い、今、まさに「本気」で取り組んでいるが、怪我の多いスポーツである。しかし、先々の心配をするより、「今」を大事にすることの大切さも伝えたい。挫折したら、起き上がって、何度でも修正すればよい。

私は高2の娘に、不用意に「本気で取り組みたいことは何か」と聞いたが、私が「本気の取り組み」を見つけたのは、20代後半である。
大切なことは、「本気で取り組み、やり抜く」こと。その強さを持つことである。
「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。今は無我夢中で取り組むだけである。

「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民の詩に「本気」がある。

「本気になると/世界が変わってくる/自分が変わってくる/変わってこなかったら/
まだ本気になってない証拠だ/本気な恋/本気な仕事/
ああ/人間一度/こいつを/つかまんことには」

そして、こんな詩も残している。
「花は一瞬にして咲くのではない/大地から芽から出て葉をつくり/葉を繁らせ/成長して/
つぼみをつくり花を咲かせ/実をつくっていく/花は一瞬にして咲くのではない/
花は一筋に咲くのだ」

私がカネボウで見つけた「本気」。この本気をさらに育み、完成度を高めて、一筋に花を咲かせたい。


田辺 志保


2014年6月16日月曜日

筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い<後編>

素材にこだわり、工夫を重ね、手技を尽くした化粧筆。

熊野の筆づくりは世界で一目置かれる職人技。



先日、7年ぶりに広島・熊野の竹森鉄舟会長を訪ねた。今一度、最高級のフェイスブラシをお願いするためだ。鉄舟会長が追及し続ける化粧筆づくりを、原毛の選別、原毛の油抜き、筆の穂(軸先から先の部分)の腰、腹、のど、命毛(毛先)の設計など、一連の工程を見せていただいた。私は、自分が売るべき商品が作られる過程を体感し、改めて、確かな技術に裏打ちされた化粧筆の奥深さを知った。そして、鉄舟会長が紛れもない熊野筆の第一人者、最高峰として存在していることを再認識した。



もともと漢字が生まれたのは中国だから毛筆も中国で発展したものと思うが、毛筆づくりは熊野を筆頭に、日本が有名である。漢字とひらがなの独特の文字を書き上げる「仮名筆」をはじめ、日本独自の細い筆なども生まれた。戦後、日本は欧米を中心に「絵筆」の生産国として栄えたが、毛先に拘る技術を誇りながらも、国際的な価格競争についていけなくなった。安価な量産化の波にのまれた。しかし、あなどってはいけないのが高度な職人技。筆の先端の命毛に拘る職人技は世界からも一目置かれる存在なのだ。

2007年、東京で行われた展示会「ビューティーワールド ジャパン」に、竹寶堂が初めて出展した。そこで竹寶堂を知ったNHKが、NHKワールドTVの「JAPAN BIZ CAST」で「日本の技」シリーズとして竹寶堂を紹介。全編英語で世界に放送された。さらに、その番組が評判を呼び、2010年には同じNHKワールドTVの「OUT&ABOUT」で、竹寶堂と熊野筆だけの特集番組が放映された。熊野の筆づくりの職人技や、竹寶堂の化粧筆の素晴らしさが存分に伝わる素晴らしい作品だった。まさに、熊野の筆と鉄舟会長が、世界に認められている証しと、我がことのように嬉しかった。

毛筆は、書道はもちろん、水墨画、浮世絵、日本画などの分野での需要の高まりとともに、細分化されていった。細かいものを描く「面相筆」などが生まれ、「化粧筆」へも優秀な筆づくりの職人が育っていった。鉄舟会長はそうした熊野筆の伝統筆司を認定するお立場にある。

苦労人が作り上げる極上の化粧筆。

鉄舟会長は、熊野で生まれ、育ち、熊野から離れたことがない。では、いかにして「鉄舟」の名が世界に紹介されるほどになったのか……。

竹寶堂・鉄舟は筆司としては当代が2代目。昭和27年、父・一男が熊野町で伝統工芸「面相筆」の穂首づくりを家内工業で始めた。面相筆とは人形の顔を描くために作りられた細かい部分や流線を描く筆である。その面相筆の下請け業を営む父のもと、見習いとして家業を手伝い始めた昭和30年代、化粧品メーカーがこぞってブラッシング化粧法を導入し始めた。鉄舟会長は面相筆の作り方から化粧筆づくりを試み、その基盤を作った。フェイスブラシ、チークブラシ、アイシャドウブラシ、紅筆などあらゆる化粧シーンに登場する化粧ブラシの技術を完成させたのだ。

鉄舟会長に時代を読んだ経営者という括りは当てはまらない。「絵筆」の量産化から見放され、父の面相筆の穂先づくりから化粧筆への活路を見いだして必死に作り続け、「世界の鉄舟」になったのだ。毛先の1本1本に目を凝らし、手のひらに小豆大の瘤ができるまで、頑なに筆づくりにのめり込み、たたき上げた、本物の苦労人である。

昭和461971)年、現在の竹寶堂を設立。鉄舟会長は39歳、17歳から見習いを始めて22年後だ。鉄舟会長は13歳で戦争を体験。幸い戦災を免れたが、広島の原爆で多くの学友を失っている。広島市内の中学2年生の時、学徒動員で2年生は全員、学校から離れた工場で働いていた。市内の学校には1年生が残り、その1年生の殆どが被爆して亡くなったという。中学が広島市内にしかなく、学徒動員されたことで生き残ったのである。

御年82歳の会長はたびたび口にする。「私は原爆の生き残りですから、頑張らんといけんのです」

真の強さ、謙虚さ、自分の置かれた環境の中で執念ともいえる情熱を燃やし、エネルギーを集中させて一つの事をやり続ける職人根性などは、「生かされている意味と意義」を求め続ける気持ちが根っこにあるような気がする。

筆づくりの根幹はゆるがない!

人件費の安い海外企業が熊野の筆づくりの伝統的技法を真似たことから、一時、海外生産の波が押し寄せた。しかし、数年もすると熊野に生産依頼が戻ってきたそうだ。海外での生産を目論んだ人々は、効率化を求めて手間暇を惜しみ、結局、市場から撤退したという。いいモノを作る、お客様のため、お客様が喜ぶモノを作る、これを踏み外してはいけない。それには精度が求められる。

鉄舟会長の毛先を傷めず自然な形に毛先を揃え、形づくる技術「穂」を作る毛を束ねる手技などはその最たるものだ。「半差(はんざし)」という専用の小刀を使って毛先1本1本を確認しながら、毛先の間に刃先を当て、上に向けて抜いていく技などは、刃先が下に向けて擦っていく、しかもカッターナイフを用いる海外技法とは比べものにならない。



職人は道具を大事にする。職人の朝は、何百本もの半差の刃を2~3時間かけて研ぐ作業から始まる。その半差使いを習得するには少なくとも3~5年かかるという。ほかにも化粧筆に応じた原毛の選別・油抜き、命毛の設計など全ての工程を一人でこなすまでには相当の年月を要する。半差使いをはじめ、繊細で丁寧な仕事が日本の、いや熊野の職人技、真骨頂。工夫と技が生む用の美を備えた筆を作り上げる、一人前の職人となるのは並大抵ではない。

鉄舟会長が精魂込めた筆は毛先の柔らかさが肌にしっくりなじむ。慌ただしい朝の化粧も、筆が肌に触れると一瞬にして引力が感じられる。父・一男の背中を追いかけて17歳で筆づくりに投じ、器用に様変わりすることなく、体で覚えた微妙な味、芸術的ですらある化粧筆を作り上げる。これこそが熊野筆が世界に認められた源。多くの女性が絶賛し、絶対的な信頼を寄せるのがわかる。

一人前で満足せずに精進した先にある「一流」「名人」。限られた人しか到達しない世界だが、鉄舟会長は「評価は人のすること」といった風である。
家業を継いで65年。鉄舟会長は二つの事を常に心に秘めている。化粧筆の完成には多くの職人が各パーツを担うが、職人一人ひとりを名人の域に到達できるように育てる事と、進化するメイク技術に呼応する道具づくりのチャレンジャーであり続ける事。それには仲間の和と試行錯誤を繰り返す粘り強さが欠かせない。

今、鉄舟会長はご子息、お孫さんはじめ、熊野の若い職人さんたちへの技、技術の継承に余念がない。時々、どのくらいまで育ったかを振り返って見る。期待もかけるからいろいろ試させる。失敗した経験のない人はカンや直感力が乏しく育つ。職人技の心のありようも伝え、見守る。このやり方、古びた世界のようだが新鮮に感じられる。

「私にはこれしかありません。広島の中心部から20キロ離れた熊野は、貧しくて農作でしか生きる道が無かったのですが、熊野の先人たちが京都・奈良に出向いて『日本の筆づくり』を習得し、それを我々が真正面に取り組んできたお蔭。こうして今、何とかやっていけるようになりました」



一昨年の秋、京都で執り行われた市川團十郎さんの「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイト称号受勲式で、今は亡き團十郎さんが絞り出すように発してくださった、「カネボウさんのお蔭です」の言葉がふと頭をよぎった。先ごろ、鉄舟会長と團十郎夫人・堀越希実子さんとの、職人の自信と確かな使い手による高級化粧筆づくりがスタートした。その出来上がりに思いをはせ、期待感とともに心がじわりと満たされた。

田辺 志保

2014年5月29日木曜日

筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い<前編>

小手先でゴチャゴチャやったところでしょうがない。

人の心の本質をつかむ。

広島県熊野町は筆の産地として有名だが、ワールドカップ優勝の女子サッカー「なでしこジャパン」に熊野の化粧筆セットがプレゼントされたことで、広く知られるようになった。その熊野筆の第一人者が竹寶堂(ちくほうどう)・竹森鉄舟(たけもり・てっしゅう)会長だ。化粧品業界でも著名で、熊野の化粧筆を世界中のアーティストが絶賛するまでに育てた立役者である。私が鉄舟会長と出会ったのは2004年の春。当時、私は美装品部門の責任者として本社ビルで会った。気難しい職人をイメージしていたことと、大きなお願いの快諾も希望しており、かなり緊張していたことを覚えている。

カネボウは1989年から、鉄舟会長に高級化粧ブラシシリーズ「アーティストセレクション」をお願いしていたが、私はそれ以上にカネボウの筆づくりに専念していただきたいと考えていた。鉄舟の名前を冠した「鉄舟(てっしゅう)コレクション」を発売したい、つまり「鉄舟」の名をカネボウに貸してください、を打診していた。

その頃、化粧品メーカーはこぞって鉄舟会長の筆を欲しがり依頼が殺到していた。竹寶堂にしてみれば、カネボウに鉄舟の名前の独占的使用権を委ねることは、他のメーカーからの仕事が無くなることでもあり、簡単に承服するわけにはいかず大きな賭けである。ついてはカネボウから継続的生産見込みを取りつけ、職人を含め百数十名からなる竹寶堂の社員と事業を守らなければならない。

私との出会いは、そんなお互いの思惑を胸に秘めての面談であり、お互いどんな人物なのか、見極めたいという思いがあったのは言うまでもない。ところが、私は鉄舟会長の柔和で温厚そうな顔立ち、言葉少ない広島弁の語り口、気負いのない素朴な人柄に、一目で魅せられてしまった。同席された息子の竹寶堂社長・臣(しん)さん、常務の村田さんとの会話も忘れられない。

私の家族が年間パスポートで東京ディズニーランドに通っていることを話すと、村田さんが、TDLの思いを話し出した。障害をお持ちのお孫さんが、スタッフから「楽しんでいますか、ご不便ありませんか」と声をかけられ、普段見たことが無い喜び方、笑顔を見せたという。そして帰りの出口で、両親に向けてスタッフがお孫さんの手を握り締めて「また、遊びに来てくださいね」と言われ、感極まり娘さんと涙した話を打ち明けた。

私は不覚にも涙ぐみ、鉄舟会長の目にもうっすら涙が。入室したうちの担当者が、皆で涙する光景に仰天したほどである。

そんな雑談を交わしつつも、私は「安心して『カネボウの鉄舟コレクション』と共に歩んでもらいたい」と、共同取り組みを迫った。何としても鉄舟会長とカネボウとの取り組みを実現させたかった。じっと話を聞いていた鉄舟会長は顔をあげ、私の目を見て一言「これからも宜しくお願いします」。「鉄舟コレクション」が誕生した。


秘策が実を結ぶ。

鉄舟会長はあの日、相当な不安と緊張を強いられていたという。なぜなら「カネボウ産業再生機構入り」が新聞、テレビで朝から大々的に報道され、カネボウが自力での再建を断念と言われていただけに、不安でたまらなかったらしい。そんなドタバタの中、竹寶堂、鉄舟会長と本格的なお付き合いが始まった。2007年、化粧品専門店ブランド・トワニーから、今までにない最高級フェイスブラシを作ることを決定し、新たな鉄舟会長との名品づくりが始まることになる。

お願いした最高級フェイスブラシには希少性の高い、入手が難しい「ハイリス(灰栗鼠)」の毛が使われた。筆(ブラシ)づくりは毛の厳選に尽きるという。特にフェイスブラシは上質な長い原毛だけを使用するため、まず、確保するのに苦労する。そうして集めた原毛を選別し、硬さや太さ、クセなどが1本1本異なる天然毛だけに品質を維持するための混毛作業、天然毛特有の脂を取り除いて毛をまっすぐにする作業、半差という筆づくり専用の小刀で逆毛や擦れ毛を取り除く逆毛取り、化粧筆の命とも言われる穂先(毛の形)を作るコマ入れ、その毛を針金でしばる、穂先をより完璧な形状にするための揉み出し、穂先を軸に取りつける金具つけ、プレス、整形、毛の固定、むだ毛の処理、軸づけ、最終検査……と、気の遠くなるような作業を経て、ようやく1本が出来上がる。1日に何本できるだろう。



思いついたのが、トワニ―店様がお客様から予約をしていただく完全オーダーシステムだ。予約数分の原料を用意して1本ずつ丁寧に生産し、ご予約いただいたお客様のお名前をブラシに刻んで桐箱に入れてお届けする仕組みを作った。これは、絶対にお客様の「一生モノ、私だけのフェイスブラシ」になる、と自信があった。その予約活動開始の準備に追われ始めたころ、私にカネボウ販売の東北地区の責任者の辞令が下りた。

私は何としてもこのブラシを成功させたかった。予約活動に弾みをつけるために、鉄舟会長に東北のトワニー店様の奥様方と、直に接して知ってもらいたかった。すぐに広島・熊野に向かった。鉄舟会長は気持ちよく北東北の盛岡と、南東北の仙台のセミナー会場に来てくださり、名筆司の話と実演、長年の筆づくりでできた小豆大の瘤まで披露し、気軽に記念撮影に応じて、会場の奥様方の心を打ち、東北が断トツの予約数を獲得した。


セミナー終了後の翌日、松島にお誘いした。宿で、会津の樂篆家・高橋政巳先生にお願いしておいた「鉄舟」の書を差し上げた。高橋先生は「あの熊野筆の鉄舟さんですか?これは光栄です」と驚かれ、書を手にした鉄舟会長は「名刺に使いたい」と、嬉しそうに見入っていた。帰り際に「松島も素晴らしいが、宮島も素晴らしいですよ。いつか必ず、世界遺産の宮島をご案内したい。広島に来てください、約束ですよ」と力説された。

言葉以上の心を通わせる。

それから2年後、2009年に再会の時が訪れた。カネボウが花王入りして、最初の交流人事として、私は花王の販売会社(花王CMK)の中四国地区の責任者として広島への赴任が決まった。辞令交付を受けたその日、鉄舟会長に連絡をした。
「鉄舟さん、松島での約束、果たせますよ。今度は広島に転勤だ」
「え、本当ですか。こんなに嬉しいことはない。心より待っていますよ」
残念ながら、広島時代は花王籍のため仕事の関係はなかった。ただ、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。私と家族が「広島を第二の故郷」と呼ぶ理由の一つに、鉄舟会長をはじめ竹寶堂の皆さんの存在がある。

2011年3月、花王出向を終え広島を去ることになり、鉄舟会長に電話でご挨拶に訪問したいと伝えると、普段温厚な鉄舟会長が電話口で怒り出した。
「約束したじゃないですか。私は初めてお会いした翌年から『筆の日』にお誘いしています。来週の3連休は筆の日です。ご家族では最後になるかもしれません。ぜひ皆さんで来てください。忙しいのは分かりますが、このままでは、あんまりだ……」

広島に来てからあれこれ理由をつけて訪ねることができなかったことを、本当に申し訳なく思った。商売上の付き合いではなく、真の友として別れを惜しんでくれ、二人の間に言葉以上の心が通じた、嬉しかった。家内に話すと「みんなで行こうよ!」と。

鉄舟会長ご夫妻、臣社長ご夫妻、村田さん、竹寶堂の皆さまの歓待ぶりに家内、子どもたちはびっくりしながらも、嬉しそうであった。熊野の街並みや竹寶堂の工場、筆の里工房を案内していただき、お昼は評判のお好み焼きをごちそうになった。どうやら鉄舟会長は、私たちにこのお好み焼きを賞味させたかったらしい! 我が息子は今も、熊野のお好み焼きがナンバー1と言っている。その店は今年、広島お好み焼き25選に選ばれた。メジャーになりすぎて女主人が腱鞘炎で入院していたが、今は元気に復帰したという。


鉄舟会長と出会って、私は商売を超えた「人との繋がり」を教えて頂いた。そして、そこにロマンを感じ、尊敬して共に仕事をしたいと思った。


2014年5月7日水曜日

カネボウの接客法「そ・そ・と・と」。

脈々と伝わる「顧客第一主義の精神」

新年度も進み新しい環境にも慣れてきて、好奇心あふれ楽しい日々をお過ごしの方、あるいはこんな筈ではない、と戸惑っている方など色々だと思う。この時期「五月病」という言葉が出てくる。「環境適応障害」と括られるが、5月連休明けの頃に、倦怠感や不眠を訴え、置かれている環境に苦痛を感じてしまうのだ。

会社内で悲しいのは「〇〇が辞める~」と、耳にした時である。新たな挑戦なのか、今から逃避するのか気になる。何れにせよ大切なことは、環境に適応できない本質的原因は何なのか、その原因にどう対応したか、自ら分析することである。

私の鐘紡(カネボウ)入社は、昭和531978)年で、現在、入社から36年経つ。我ながらよくぞここまで続いた、と感心してしまう。昔から「石の上にも3年」と、一人前になるには最低3年の我慢が必要と言われている。

カネボウの「3年ジョブローテイション」は有無を言わさず、新入社員を全員が赴任地も部署も異動・転勤させていた。見習生の地を離れ、新しい任地先では「頼りになる若手社員」として受け入れる。3年目にはプレッシャーだが新任地で徐々に中堅として地に足がついてくる。そして併せ後輩新人の養成係を仰せつかることになる。

私の場合も、入社5年目には、周りや後輩からも頼りにされていると実感した覚えがある。今思うと、5月病どころの騒ぎでなく、課題が次から次へと出される特別授業のような日々で、余裕もなく追われ続けていた記憶しかない。

カネボウは、語りきれない変化を遂げたが、化粧品事業に流れる「顧客第一主義の精神」は普遍の価値観として変わることなく、その徹底に社員教育が継続されてきた。カネボウが化粧品業界の後発メーカーでありながら、ここまで成長した背景には手前味噌だが、人材育成の仕組みと輩出してきたマンパワーによるところが大きいと思う。

毎年、全国の感動事例を収集して各地区の好事例を紹介し、全国表彰式を開催することなどは、代表的な例である。この活動のお蔭で、当社のビューティーカウンセラーがお客様から「大変でしょうけど頑張ってね」と激励されたり、営業がお取引先様から支援された事例の報告が数多くあった。本当に嬉しくて、感謝してもしきれないほどの喜びである。



我々は、お客様・お取引先様から「ありがとう」と言っていただける「感動接客・営業」を目指した。その実りは大きい。お客様・お取引先様がお得意様となり、さらに知人・友人をご紹介してくださって熱烈な応援団・サポーターに。また、ビューティーカウンセラー・営業社員は、社内で接客・営業の「カリスマ」と呼ばれたりするようになり、ビューティーカウンセラー・営業社員冥利に尽き、モチベーションがさらに上がるのだ。

そうした接客・営業のカリスマはどんな努力をしたのだろうか?
まずは基本の徹底。ここでカネボウの基本的なビジネスマナーと、感動接客教育のほんの一部を紹介してみたいと思う。

「そ・そ・と・と」はカネボウ感動接客の極意

化粧品には特に、お客様にご紹介するときのマナーがある。セルフで自由に購入いただく物は、並べ方、陳列、POPなど売り場づくりが重要だが、接客する場合は、人のパワーがモノを言う。その基本が「そ・そ・と・と」だ。

「そ」は「揃える」。
高額な商品を目の前で紹介したり、商品やパンフレットなどを手に取ってお見せしたりする時は、必ず指を揃えることである。日本舞踊の手の動きのように、指を揃える。すると美しく、優雅に映る。

次の「そ」は「添える」の「そ」。
お客様をお席に誘導したり、コーナーや売り場へと行動を促したりする時は、必ずその方向に、言葉と共に手を添えることである。指でさすのではなく指を揃えることが肝心だ。
「こちらにどうぞ」と言いながら手を行き先に向けると、否応なくお客様の視線が、揃えた指先の延長線上に向くので自然に誘導できる。書類にご記入いただく時は、記入欄に揃えた指を添えることでスムースに記入していただける。

「と」は「止める」。
「ただ今ご紹介しました商品がこちらでございます」と、その商品を手に取って3秒間静止する。お客様の視線が、商品に向けられるまで待つのである。
商品に指を揃えて添え、無言の3秒。この時間は、「ああ、これなのね」と認識する時間だ。これは販売とは関係ないが、子どもとの接し方でも同じである。

最後の「と」は「止めどなく」の「と」である。
「止めどなく」とはお客様自身に止めどなく、つまり限りなくお話ししていただくことだ。こちらがお伝え、お勧めしたいことを一方的に話すのではなく、お客様からのご質問や、お考えを引き出すことが重要で、そうした「積極的傾聴」がカウンセリングの神髄である。以前、ザイアンスの法則を紹介した。相手の事を知れば知るほど好感度が増して、お互いの理解度が深まる、と。要するに、ワンランクアップ、上等なカスタマイズが可能になるのである。


「積極的傾聴」の実践

耳を傾けて聴くことを傾聴と言うが、積極的傾聴とは何? そう思われる方も多いと思う。積極的傾聴とは、お客様の発した言葉を繰り返すことで、お客様にご自身の話を真剣に聞いてくれている、と思っていただき、更にお客様の話を引き出すことである。
これは、オウム話法(オウム返し話法)、ミラー法といわれる営業ノウハウのひとつで、相手と同じ言葉や行動をとり、相手に安心感を与える。
「最近、肌がザラザラするの」と仰るお客様に、「ザラザラするのですか」と、同じ言葉を繰り返してから話をつなげる事だ。

「カサカサするのですか」と自分の表現、言葉に置きかえるのはダメ。それでは相手の世界に入れない。間違っても「乾燥ですね、保湿対策は~」などと返してはいけない。
お客様に保湿商品の売り込みと思われ、話は先に進まない。お客様はそこで口を閉ざしてしまう。オウム話法の鉄則は、お客様が使った言葉を、そのまま返すことである。

オウム返しの会話が慣れてくると、そのうち相手の「心の言葉」を感じるようになる。
これはアプローチからクロージングまで使える基礎的テクニックである。不特定多数に向けての講演では、話が一方的にならないために、相手の返事はきっとこう返ってくるだろうと想定しながら話を進めると接客が面白くなる。

もうひとつ、ミラー法は、相手と同じ行動をとる事を言う。先方がお茶を飲めば自分も飲み、背筋を伸ばせば、自分も背筋を伸ばす。それが先方を安心させるのである。

多くの販売店様が集まる集合販売積極セミナーなどで、「皆さん、オウム話法とミラー法を用いれば、必ず効果がありますよ」と私が言う。セミナー会場には、「本当に効果あるの?」と懐疑的な表情をされる方が少なからずいる。私は、その言葉を心で聞いて、見まわして静止3秒。
「本当です。やる事です。そしてそれを『やりきること』が重要です」と。
お客様からは「そんなこと、長続きできないわ」と返ってくる。私は、大きく頷きながら「どうやりきるかを、具体的にご説明しましょう」と続ける。直接、会話をしなくても、相手の顔をみて想定問答で進めると、これが結構、絶妙な「間」が取れる話し方になる。

相手の心の言葉を聞き、そこで止めるようにして話し始めることで、聞きやすい「間」が取れるのである。まず耳(聴覚)で捉え、次に文字や商品を目(視覚)で確認していただく間にもつながる。丁度自分の右肩と左肩から、それぞれの二人の会話で物語を演じる落語と同じである。今からでも遅くはない。落語を学ぶことをおすすめしたい。

美しい立ち姿と正しいお辞儀

接客の基本と、会話の基本を覚えたら、最後の仕上げ、美しい立ち姿と正しいお辞儀で締めくくりたいものだ。まず、正しいお辞儀をしてみよう。



背筋を伸ばし、かかとを付けて、自然に両手をゆったりと落すのが最も美しい立ち姿だ。男性なら指先を揃えてズボンの両サイドの縫い目に、中指を置く感じで立つといい。
そして、そのまま先方の目を見て、両手を自然に前にずらしながら腰から曲げる。会釈の場合は腰から15度、お辞儀は30度、丁寧なお辞儀は45度が基本だ。相手がワンテンポ遅れて、頭を下げていることを想定してお互いが頭を上げるタイミングで腰を戻す。ふたたび先方の目を見てお辞儀は終わる。途中で他の動作はしないことだ。

それでは、ここで皆様とともに、美しい立ち姿で正しいお辞儀をしたいと思う。率先して若い人たちの手本になれれば有難い。

起立、一同、礼。

田辺 志保