2014年7月8日火曜日

「本気」になって、自分の花を咲かせよう

つい先日、大学の付属高校に通う娘から、将来についての相談があった。2年生で希望学部を踏まえたクラス編成がされ、彼女は理科系クラスにいるのだが、未だ将来像が描けないという。私は「おまえの好きなこと、本気で取り組めることは何か」と尋ねたが、答えが返ってこなかった。

ふと、何気なく「本気で取り組めることは何か」と娘に聞いたが、自分の高校・大学時代はどうだったろうかと思い、随分偉そうに聞いてしまったなあ、と少々心が痛んだ。
なぜなら、私は、高校時代には、テレビドラマの事件記者の正義感に憧れて、新聞記者になりたいと思っていた。大学時代には広告業界に入りたいと思うようになった。動機は確か、テレビコマーシャルの制作というと「カッコイイ」から……。一応、新聞論、マスコミ論、広告論などの授業がある社会学部に籍を置いたので、畑違いではなかった。しかし、「本気」なんてなかった。

今どきの若い人はコミックの影響で「本気」を「マジ」と読むらしい。「マジ」とは、学生などの間で「真面目」の口頭語の省略表現、と辞書にある。また、「本気」は、まじめな心。冗談や遊びでない真剣な気持ち。また、そのような気持ちで取り組むさま〔広辞苑〕。
「マジ、うざい」などと話す若者をみると、「本気」の意味をはき違えているように思う。私の中での「本気」は、「取り組む」とセットであり本腰を入れて進めることである。



カネボウ化粧品で見つけた「本気」。

私はいつ、「本気」になっただろうか。
恥ずかしい話だが、それがわかるまで長い年月がかかった。学生時代には生憎見つからなかった。
私は昔から、自分の事を「器用貧乏そのもの」と分析している。というのも、漫画・イラスト、バンド、暴走族、学生運動、吉祥寺の主など、何でもかじるが、どれも中途半端。結局何をしたいかが分からなくて、本気になれない自分に腹が立っていた気がする。

大学4年になっても、ノンポリ学生として、取りあえず就職課に顔を出して、企業の求人案内を眺めていた。当時、70年代後半は、第2次オイルショックで就職氷河期真っ只中。
企業の採用は少数精鋭。「何とかなるさ」は通用しないと思う反面、負けず嫌いの自分の性格上、業界トップなどで「安定」を求める気はさらさらなく、絶えずトップ企業を追いかける挑戦的な業界2位を狙った方が性に合っているし、完全燃焼できると思った。
まあ、本当のところは、さほど成績も良くなく、学校にも行かず好きなことばかりやってきたので業界大手企業が求める成績優秀・スポーツ万能などの基準をクリアするのは、最初から無理な話。活きのよさと、枠にハマらない自由人的なところを気に入って、採用してくれる会社が、きっとどこかにあるはず、という気持ちで企業を回り始めた。

業界2位からトップを目指そうという、流通業、広告業、ホテル業などの会社を訪問しまくった。どこも活気があった。
そんな中、私を採用してくれたのが、化粧品業界のトップの座を狙うカネボウ化粧品事業である。私のどこが、学閥がはびこる古い老舗企業の鐘紡のお眼鏡にかなったかは定かでないが、運よく就職できた。

思えばカネボウ化粧品で「本気」を見つけた気がする。「打倒、社」をスローガンに、全社員一丸となっていた。
それはまさしく火の玉集団。営業、商品、販売、宣伝など、それぞれの部門に「A社に絶対に負けない精神」が染みついたサムライがたくさんいた。そうした先輩の下で働くわけで、大きな声で言えないが、当時、営業部隊は夜討ち、朝駆け当たり前の世界。「ドロボウ、カネボウ、ショウボウ」と言われたころである。

トップメーカーは、業界をリードする立場もあり、絶えず新たな仕組みや提案をし続けなければばらないが、我々は後付けで優位差別化を工夫し追随し、局所で勝てばよしとしていた。
ビジネスで1位になる戦略に「ランチェスターの法則」というのがある。他社と違う事をやる「差別化」、それを徹底する「一点集中」、その地域、顧客、商品、サービスで1位になる「No.1」。これこそが弱者が強者に勝つ原理原則である。

私は当時、この方法で自分の担当地区内でA社を凌駕して、No.1になろうと心に決め、「本気」で取り組んだ。社員にもそれぞれの得意分野でNo.1を目指すことを求めた。
たとえば、「おもてなし接客での挨拶はだれにも負けない」「担当エリアで頭髪商品群売上げトップになる」など、各自がNo.1を目指して取り組む、「No.1運動」の展開である。各自が掲げて成し遂げたNo.1が、オンリー1にもなった。この事例の積み重ねが打倒の突破口、大きな力になっていった。この「No.1運動」はしばらく語り草になった。
何でもそうだが、「不得手の克服」より「得手に磨きをかける」方が分かりやすく、楽しい。


器用貧乏を自認する私でも、特化できることを見つけ、本気で取り組んでいるうちに、ありがたいことに周囲がついてきてくれた。すると取り組んでいる本人が変わってくる。周りが私を輝かせてくれたのだ。商談、新店開拓、教育、企画など、すべてしかり。

私の上司で、大阪駅前の主要取引店のほとんどを一人で開拓した実績を持つ「新店開拓の達人」といわれる人がいた。今、流行りのレジェンド、伝説の人だ。
そこに到達するまで、道を極める為にそれこそ「本気で取り組んだ」と思う。その「本気度」たるや、並大抵のものではなかっただろう。すべてが自分の血となり肉へとなり、彼の話は、新規取引に関する想定問答集をひもとくようで、バイブルの域にまで達していた。



私の会社にも、経理、企画、商品、営業など各部門で「本気」で頑張っている人がたくさんいる。彼ら・彼女らのプライベートを覗けば、プロレーサー顔負けの運転技術でドライブを楽しんだり、プロゴルファー並みの腕前だったり、剣道七段のつわものもいる。育児、料理などをラクラクこなす女性も多く、まぶしいくらいに輝いていている。
会社人生だけでなく、どこの世界でもその道で秀でた人に出会うとうれしくなり、自分もあやかりたいと思う。

「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。

娘は本気で取り組むものが見えずに、今、もがいている。でも焦る必要は全くない。迷い、寄り道をして、試さなければ本気で取り組むものは見つからない。
息子は縁あって「柔道」と巡り合い、今、まさに「本気」で取り組んでいるが、怪我の多いスポーツである。しかし、先々の心配をするより、「今」を大事にすることの大切さも伝えたい。挫折したら、起き上がって、何度でも修正すればよい。

私は高2の娘に、不用意に「本気で取り組みたいことは何か」と聞いたが、私が「本気の取り組み」を見つけたのは、20代後半である。
大切なことは、「本気で取り組み、やり抜く」こと。その強さを持つことである。
「本気」で取り組めば、花はきっと咲く。今は無我夢中で取り組むだけである。

「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民の詩に「本気」がある。

「本気になると/世界が変わってくる/自分が変わってくる/変わってこなかったら/
まだ本気になってない証拠だ/本気な恋/本気な仕事/
ああ/人間一度/こいつを/つかまんことには」

そして、こんな詩も残している。
「花は一瞬にして咲くのではない/大地から芽から出て葉をつくり/葉を繁らせ/成長して/
つぼみをつくり花を咲かせ/実をつくっていく/花は一瞬にして咲くのではない/
花は一筋に咲くのだ」

私がカネボウで見つけた「本気」。この本気をさらに育み、完成度を高めて、一筋に花を咲かせたい。


田辺 志保


2014年6月16日月曜日

筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い<後編>

素材にこだわり、工夫を重ね、手技を尽くした化粧筆。

熊野の筆づくりは世界で一目置かれる職人技。



先日、7年ぶりに広島・熊野の竹森鉄舟会長を訪ねた。今一度、最高級のフェイスブラシをお願いするためだ。鉄舟会長が追及し続ける化粧筆づくりを、原毛の選別、原毛の油抜き、筆の穂(軸先から先の部分)の腰、腹、のど、命毛(毛先)の設計など、一連の工程を見せていただいた。私は、自分が売るべき商品が作られる過程を体感し、改めて、確かな技術に裏打ちされた化粧筆の奥深さを知った。そして、鉄舟会長が紛れもない熊野筆の第一人者、最高峰として存在していることを再認識した。



もともと漢字が生まれたのは中国だから毛筆も中国で発展したものと思うが、毛筆づくりは熊野を筆頭に、日本が有名である。漢字とひらがなの独特の文字を書き上げる「仮名筆」をはじめ、日本独自の細い筆なども生まれた。戦後、日本は欧米を中心に「絵筆」の生産国として栄えたが、毛先に拘る技術を誇りながらも、国際的な価格競争についていけなくなった。安価な量産化の波にのまれた。しかし、あなどってはいけないのが高度な職人技。筆の先端の命毛に拘る職人技は世界からも一目置かれる存在なのだ。

2007年、東京で行われた展示会「ビューティーワールド ジャパン」に、竹寶堂が初めて出展した。そこで竹寶堂を知ったNHKが、NHKワールドTVの「JAPAN BIZ CAST」で「日本の技」シリーズとして竹寶堂を紹介。全編英語で世界に放送された。さらに、その番組が評判を呼び、2010年には同じNHKワールドTVの「OUT&ABOUT」で、竹寶堂と熊野筆だけの特集番組が放映された。熊野の筆づくりの職人技や、竹寶堂の化粧筆の素晴らしさが存分に伝わる素晴らしい作品だった。まさに、熊野の筆と鉄舟会長が、世界に認められている証しと、我がことのように嬉しかった。

毛筆は、書道はもちろん、水墨画、浮世絵、日本画などの分野での需要の高まりとともに、細分化されていった。細かいものを描く「面相筆」などが生まれ、「化粧筆」へも優秀な筆づくりの職人が育っていった。鉄舟会長はそうした熊野筆の伝統筆司を認定するお立場にある。

苦労人が作り上げる極上の化粧筆。

鉄舟会長は、熊野で生まれ、育ち、熊野から離れたことがない。では、いかにして「鉄舟」の名が世界に紹介されるほどになったのか……。

竹寶堂・鉄舟は筆司としては当代が2代目。昭和27年、父・一男が熊野町で伝統工芸「面相筆」の穂首づくりを家内工業で始めた。面相筆とは人形の顔を描くために作りられた細かい部分や流線を描く筆である。その面相筆の下請け業を営む父のもと、見習いとして家業を手伝い始めた昭和30年代、化粧品メーカーがこぞってブラッシング化粧法を導入し始めた。鉄舟会長は面相筆の作り方から化粧筆づくりを試み、その基盤を作った。フェイスブラシ、チークブラシ、アイシャドウブラシ、紅筆などあらゆる化粧シーンに登場する化粧ブラシの技術を完成させたのだ。

鉄舟会長に時代を読んだ経営者という括りは当てはまらない。「絵筆」の量産化から見放され、父の面相筆の穂先づくりから化粧筆への活路を見いだして必死に作り続け、「世界の鉄舟」になったのだ。毛先の1本1本に目を凝らし、手のひらに小豆大の瘤ができるまで、頑なに筆づくりにのめり込み、たたき上げた、本物の苦労人である。

昭和461971)年、現在の竹寶堂を設立。鉄舟会長は39歳、17歳から見習いを始めて22年後だ。鉄舟会長は13歳で戦争を体験。幸い戦災を免れたが、広島の原爆で多くの学友を失っている。広島市内の中学2年生の時、学徒動員で2年生は全員、学校から離れた工場で働いていた。市内の学校には1年生が残り、その1年生の殆どが被爆して亡くなったという。中学が広島市内にしかなく、学徒動員されたことで生き残ったのである。

御年82歳の会長はたびたび口にする。「私は原爆の生き残りですから、頑張らんといけんのです」

真の強さ、謙虚さ、自分の置かれた環境の中で執念ともいえる情熱を燃やし、エネルギーを集中させて一つの事をやり続ける職人根性などは、「生かされている意味と意義」を求め続ける気持ちが根っこにあるような気がする。

筆づくりの根幹はゆるがない!

人件費の安い海外企業が熊野の筆づくりの伝統的技法を真似たことから、一時、海外生産の波が押し寄せた。しかし、数年もすると熊野に生産依頼が戻ってきたそうだ。海外での生産を目論んだ人々は、効率化を求めて手間暇を惜しみ、結局、市場から撤退したという。いいモノを作る、お客様のため、お客様が喜ぶモノを作る、これを踏み外してはいけない。それには精度が求められる。

鉄舟会長の毛先を傷めず自然な形に毛先を揃え、形づくる技術「穂」を作る毛を束ねる手技などはその最たるものだ。「半差(はんざし)」という専用の小刀を使って毛先1本1本を確認しながら、毛先の間に刃先を当て、上に向けて抜いていく技などは、刃先が下に向けて擦っていく、しかもカッターナイフを用いる海外技法とは比べものにならない。



職人は道具を大事にする。職人の朝は、何百本もの半差の刃を2~3時間かけて研ぐ作業から始まる。その半差使いを習得するには少なくとも3~5年かかるという。ほかにも化粧筆に応じた原毛の選別・油抜き、命毛の設計など全ての工程を一人でこなすまでには相当の年月を要する。半差使いをはじめ、繊細で丁寧な仕事が日本の、いや熊野の職人技、真骨頂。工夫と技が生む用の美を備えた筆を作り上げる、一人前の職人となるのは並大抵ではない。

鉄舟会長が精魂込めた筆は毛先の柔らかさが肌にしっくりなじむ。慌ただしい朝の化粧も、筆が肌に触れると一瞬にして引力が感じられる。父・一男の背中を追いかけて17歳で筆づくりに投じ、器用に様変わりすることなく、体で覚えた微妙な味、芸術的ですらある化粧筆を作り上げる。これこそが熊野筆が世界に認められた源。多くの女性が絶賛し、絶対的な信頼を寄せるのがわかる。

一人前で満足せずに精進した先にある「一流」「名人」。限られた人しか到達しない世界だが、鉄舟会長は「評価は人のすること」といった風である。
家業を継いで65年。鉄舟会長は二つの事を常に心に秘めている。化粧筆の完成には多くの職人が各パーツを担うが、職人一人ひとりを名人の域に到達できるように育てる事と、進化するメイク技術に呼応する道具づくりのチャレンジャーであり続ける事。それには仲間の和と試行錯誤を繰り返す粘り強さが欠かせない。

今、鉄舟会長はご子息、お孫さんはじめ、熊野の若い職人さんたちへの技、技術の継承に余念がない。時々、どのくらいまで育ったかを振り返って見る。期待もかけるからいろいろ試させる。失敗した経験のない人はカンや直感力が乏しく育つ。職人技の心のありようも伝え、見守る。このやり方、古びた世界のようだが新鮮に感じられる。

「私にはこれしかありません。広島の中心部から20キロ離れた熊野は、貧しくて農作でしか生きる道が無かったのですが、熊野の先人たちが京都・奈良に出向いて『日本の筆づくり』を習得し、それを我々が真正面に取り組んできたお蔭。こうして今、何とかやっていけるようになりました」



一昨年の秋、京都で執り行われた市川團十郎さんの「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」ナイト称号受勲式で、今は亡き團十郎さんが絞り出すように発してくださった、「カネボウさんのお蔭です」の言葉がふと頭をよぎった。先ごろ、鉄舟会長と團十郎夫人・堀越希実子さんとの、職人の自信と確かな使い手による高級化粧筆づくりがスタートした。その出来上がりに思いをはせ、期待感とともに心がじわりと満たされた。

田辺 志保

2014年5月29日木曜日

筆の世界に生きる竹森鉄舟氏との出会い<前編>

小手先でゴチャゴチャやったところでしょうがない。

人の心の本質をつかむ。

広島県熊野町は筆の産地として有名だが、ワールドカップ優勝の女子サッカー「なでしこジャパン」に熊野の化粧筆セットがプレゼントされたことで、広く知られるようになった。その熊野筆の第一人者が竹寶堂(ちくほうどう)・竹森鉄舟(たけもり・てっしゅう)会長だ。化粧品業界でも著名で、熊野の化粧筆を世界中のアーティストが絶賛するまでに育てた立役者である。私が鉄舟会長と出会ったのは2004年の春。当時、私は美装品部門の責任者として本社ビルで会った。気難しい職人をイメージしていたことと、大きなお願いの快諾も希望しており、かなり緊張していたことを覚えている。

カネボウは1989年から、鉄舟会長に高級化粧ブラシシリーズ「アーティストセレクション」をお願いしていたが、私はそれ以上にカネボウの筆づくりに専念していただきたいと考えていた。鉄舟の名前を冠した「鉄舟(てっしゅう)コレクション」を発売したい、つまり「鉄舟」の名をカネボウに貸してください、を打診していた。

その頃、化粧品メーカーはこぞって鉄舟会長の筆を欲しがり依頼が殺到していた。竹寶堂にしてみれば、カネボウに鉄舟の名前の独占的使用権を委ねることは、他のメーカーからの仕事が無くなることでもあり、簡単に承服するわけにはいかず大きな賭けである。ついてはカネボウから継続的生産見込みを取りつけ、職人を含め百数十名からなる竹寶堂の社員と事業を守らなければならない。

私との出会いは、そんなお互いの思惑を胸に秘めての面談であり、お互いどんな人物なのか、見極めたいという思いがあったのは言うまでもない。ところが、私は鉄舟会長の柔和で温厚そうな顔立ち、言葉少ない広島弁の語り口、気負いのない素朴な人柄に、一目で魅せられてしまった。同席された息子の竹寶堂社長・臣(しん)さん、常務の村田さんとの会話も忘れられない。

私の家族が年間パスポートで東京ディズニーランドに通っていることを話すと、村田さんが、TDLの思いを話し出した。障害をお持ちのお孫さんが、スタッフから「楽しんでいますか、ご不便ありませんか」と声をかけられ、普段見たことが無い喜び方、笑顔を見せたという。そして帰りの出口で、両親に向けてスタッフがお孫さんの手を握り締めて「また、遊びに来てくださいね」と言われ、感極まり娘さんと涙した話を打ち明けた。

私は不覚にも涙ぐみ、鉄舟会長の目にもうっすら涙が。入室したうちの担当者が、皆で涙する光景に仰天したほどである。

そんな雑談を交わしつつも、私は「安心して『カネボウの鉄舟コレクション』と共に歩んでもらいたい」と、共同取り組みを迫った。何としても鉄舟会長とカネボウとの取り組みを実現させたかった。じっと話を聞いていた鉄舟会長は顔をあげ、私の目を見て一言「これからも宜しくお願いします」。「鉄舟コレクション」が誕生した。


秘策が実を結ぶ。

鉄舟会長はあの日、相当な不安と緊張を強いられていたという。なぜなら「カネボウ産業再生機構入り」が新聞、テレビで朝から大々的に報道され、カネボウが自力での再建を断念と言われていただけに、不安でたまらなかったらしい。そんなドタバタの中、竹寶堂、鉄舟会長と本格的なお付き合いが始まった。2007年、化粧品専門店ブランド・トワニーから、今までにない最高級フェイスブラシを作ることを決定し、新たな鉄舟会長との名品づくりが始まることになる。

お願いした最高級フェイスブラシには希少性の高い、入手が難しい「ハイリス(灰栗鼠)」の毛が使われた。筆(ブラシ)づくりは毛の厳選に尽きるという。特にフェイスブラシは上質な長い原毛だけを使用するため、まず、確保するのに苦労する。そうして集めた原毛を選別し、硬さや太さ、クセなどが1本1本異なる天然毛だけに品質を維持するための混毛作業、天然毛特有の脂を取り除いて毛をまっすぐにする作業、半差という筆づくり専用の小刀で逆毛や擦れ毛を取り除く逆毛取り、化粧筆の命とも言われる穂先(毛の形)を作るコマ入れ、その毛を針金でしばる、穂先をより完璧な形状にするための揉み出し、穂先を軸に取りつける金具つけ、プレス、整形、毛の固定、むだ毛の処理、軸づけ、最終検査……と、気の遠くなるような作業を経て、ようやく1本が出来上がる。1日に何本できるだろう。



思いついたのが、トワニ―店様がお客様から予約をしていただく完全オーダーシステムだ。予約数分の原料を用意して1本ずつ丁寧に生産し、ご予約いただいたお客様のお名前をブラシに刻んで桐箱に入れてお届けする仕組みを作った。これは、絶対にお客様の「一生モノ、私だけのフェイスブラシ」になる、と自信があった。その予約活動開始の準備に追われ始めたころ、私にカネボウ販売の東北地区の責任者の辞令が下りた。

私は何としてもこのブラシを成功させたかった。予約活動に弾みをつけるために、鉄舟会長に東北のトワニー店様の奥様方と、直に接して知ってもらいたかった。すぐに広島・熊野に向かった。鉄舟会長は気持ちよく北東北の盛岡と、南東北の仙台のセミナー会場に来てくださり、名筆司の話と実演、長年の筆づくりでできた小豆大の瘤まで披露し、気軽に記念撮影に応じて、会場の奥様方の心を打ち、東北が断トツの予約数を獲得した。


セミナー終了後の翌日、松島にお誘いした。宿で、会津の樂篆家・高橋政巳先生にお願いしておいた「鉄舟」の書を差し上げた。高橋先生は「あの熊野筆の鉄舟さんですか?これは光栄です」と驚かれ、書を手にした鉄舟会長は「名刺に使いたい」と、嬉しそうに見入っていた。帰り際に「松島も素晴らしいが、宮島も素晴らしいですよ。いつか必ず、世界遺産の宮島をご案内したい。広島に来てください、約束ですよ」と力説された。

言葉以上の心を通わせる。

それから2年後、2009年に再会の時が訪れた。カネボウが花王入りして、最初の交流人事として、私は花王の販売会社(花王CMK)の中四国地区の責任者として広島への赴任が決まった。辞令交付を受けたその日、鉄舟会長に連絡をした。
「鉄舟さん、松島での約束、果たせますよ。今度は広島に転勤だ」
「え、本当ですか。こんなに嬉しいことはない。心より待っていますよ」
残念ながら、広島時代は花王籍のため仕事の関係はなかった。ただ、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。私と家族が「広島を第二の故郷」と呼ぶ理由の一つに、鉄舟会長をはじめ竹寶堂の皆さんの存在がある。

2011年3月、花王出向を終え広島を去ることになり、鉄舟会長に電話でご挨拶に訪問したいと伝えると、普段温厚な鉄舟会長が電話口で怒り出した。
「約束したじゃないですか。私は初めてお会いした翌年から『筆の日』にお誘いしています。来週の3連休は筆の日です。ご家族では最後になるかもしれません。ぜひ皆さんで来てください。忙しいのは分かりますが、このままでは、あんまりだ……」

広島に来てからあれこれ理由をつけて訪ねることができなかったことを、本当に申し訳なく思った。商売上の付き合いではなく、真の友として別れを惜しんでくれ、二人の間に言葉以上の心が通じた、嬉しかった。家内に話すと「みんなで行こうよ!」と。

鉄舟会長ご夫妻、臣社長ご夫妻、村田さん、竹寶堂の皆さまの歓待ぶりに家内、子どもたちはびっくりしながらも、嬉しそうであった。熊野の街並みや竹寶堂の工場、筆の里工房を案内していただき、お昼は評判のお好み焼きをごちそうになった。どうやら鉄舟会長は、私たちにこのお好み焼きを賞味させたかったらしい! 我が息子は今も、熊野のお好み焼きがナンバー1と言っている。その店は今年、広島お好み焼き25選に選ばれた。メジャーになりすぎて女主人が腱鞘炎で入院していたが、今は元気に復帰したという。


鉄舟会長と出会って、私は商売を超えた「人との繋がり」を教えて頂いた。そして、そこにロマンを感じ、尊敬して共に仕事をしたいと思った。


2014年5月7日水曜日

カネボウの接客法「そ・そ・と・と」。

脈々と伝わる「顧客第一主義の精神」

新年度も進み新しい環境にも慣れてきて、好奇心あふれ楽しい日々をお過ごしの方、あるいはこんな筈ではない、と戸惑っている方など色々だと思う。この時期「五月病」という言葉が出てくる。「環境適応障害」と括られるが、5月連休明けの頃に、倦怠感や不眠を訴え、置かれている環境に苦痛を感じてしまうのだ。

会社内で悲しいのは「〇〇が辞める~」と、耳にした時である。新たな挑戦なのか、今から逃避するのか気になる。何れにせよ大切なことは、環境に適応できない本質的原因は何なのか、その原因にどう対応したか、自ら分析することである。

私の鐘紡(カネボウ)入社は、昭和531978)年で、現在、入社から36年経つ。我ながらよくぞここまで続いた、と感心してしまう。昔から「石の上にも3年」と、一人前になるには最低3年の我慢が必要と言われている。

カネボウの「3年ジョブローテイション」は有無を言わさず、新入社員を全員が赴任地も部署も異動・転勤させていた。見習生の地を離れ、新しい任地先では「頼りになる若手社員」として受け入れる。3年目にはプレッシャーだが新任地で徐々に中堅として地に足がついてくる。そして併せ後輩新人の養成係を仰せつかることになる。

私の場合も、入社5年目には、周りや後輩からも頼りにされていると実感した覚えがある。今思うと、5月病どころの騒ぎでなく、課題が次から次へと出される特別授業のような日々で、余裕もなく追われ続けていた記憶しかない。

カネボウは、語りきれない変化を遂げたが、化粧品事業に流れる「顧客第一主義の精神」は普遍の価値観として変わることなく、その徹底に社員教育が継続されてきた。カネボウが化粧品業界の後発メーカーでありながら、ここまで成長した背景には手前味噌だが、人材育成の仕組みと輩出してきたマンパワーによるところが大きいと思う。

毎年、全国の感動事例を収集して各地区の好事例を紹介し、全国表彰式を開催することなどは、代表的な例である。この活動のお蔭で、当社のビューティーカウンセラーがお客様から「大変でしょうけど頑張ってね」と激励されたり、営業がお取引先様から支援された事例の報告が数多くあった。本当に嬉しくて、感謝してもしきれないほどの喜びである。



我々は、お客様・お取引先様から「ありがとう」と言っていただける「感動接客・営業」を目指した。その実りは大きい。お客様・お取引先様がお得意様となり、さらに知人・友人をご紹介してくださって熱烈な応援団・サポーターに。また、ビューティーカウンセラー・営業社員は、社内で接客・営業の「カリスマ」と呼ばれたりするようになり、ビューティーカウンセラー・営業社員冥利に尽き、モチベーションがさらに上がるのだ。

そうした接客・営業のカリスマはどんな努力をしたのだろうか?
まずは基本の徹底。ここでカネボウの基本的なビジネスマナーと、感動接客教育のほんの一部を紹介してみたいと思う。

「そ・そ・と・と」はカネボウ感動接客の極意

化粧品には特に、お客様にご紹介するときのマナーがある。セルフで自由に購入いただく物は、並べ方、陳列、POPなど売り場づくりが重要だが、接客する場合は、人のパワーがモノを言う。その基本が「そ・そ・と・と」だ。

「そ」は「揃える」。
高額な商品を目の前で紹介したり、商品やパンフレットなどを手に取ってお見せしたりする時は、必ず指を揃えることである。日本舞踊の手の動きのように、指を揃える。すると美しく、優雅に映る。

次の「そ」は「添える」の「そ」。
お客様をお席に誘導したり、コーナーや売り場へと行動を促したりする時は、必ずその方向に、言葉と共に手を添えることである。指でさすのではなく指を揃えることが肝心だ。
「こちらにどうぞ」と言いながら手を行き先に向けると、否応なくお客様の視線が、揃えた指先の延長線上に向くので自然に誘導できる。書類にご記入いただく時は、記入欄に揃えた指を添えることでスムースに記入していただける。

「と」は「止める」。
「ただ今ご紹介しました商品がこちらでございます」と、その商品を手に取って3秒間静止する。お客様の視線が、商品に向けられるまで待つのである。
商品に指を揃えて添え、無言の3秒。この時間は、「ああ、これなのね」と認識する時間だ。これは販売とは関係ないが、子どもとの接し方でも同じである。

最後の「と」は「止めどなく」の「と」である。
「止めどなく」とはお客様自身に止めどなく、つまり限りなくお話ししていただくことだ。こちらがお伝え、お勧めしたいことを一方的に話すのではなく、お客様からのご質問や、お考えを引き出すことが重要で、そうした「積極的傾聴」がカウンセリングの神髄である。以前、ザイアンスの法則を紹介した。相手の事を知れば知るほど好感度が増して、お互いの理解度が深まる、と。要するに、ワンランクアップ、上等なカスタマイズが可能になるのである。


「積極的傾聴」の実践

耳を傾けて聴くことを傾聴と言うが、積極的傾聴とは何? そう思われる方も多いと思う。積極的傾聴とは、お客様の発した言葉を繰り返すことで、お客様にご自身の話を真剣に聞いてくれている、と思っていただき、更にお客様の話を引き出すことである。
これは、オウム話法(オウム返し話法)、ミラー法といわれる営業ノウハウのひとつで、相手と同じ言葉や行動をとり、相手に安心感を与える。
「最近、肌がザラザラするの」と仰るお客様に、「ザラザラするのですか」と、同じ言葉を繰り返してから話をつなげる事だ。

「カサカサするのですか」と自分の表現、言葉に置きかえるのはダメ。それでは相手の世界に入れない。間違っても「乾燥ですね、保湿対策は~」などと返してはいけない。
お客様に保湿商品の売り込みと思われ、話は先に進まない。お客様はそこで口を閉ざしてしまう。オウム話法の鉄則は、お客様が使った言葉を、そのまま返すことである。

オウム返しの会話が慣れてくると、そのうち相手の「心の言葉」を感じるようになる。
これはアプローチからクロージングまで使える基礎的テクニックである。不特定多数に向けての講演では、話が一方的にならないために、相手の返事はきっとこう返ってくるだろうと想定しながら話を進めると接客が面白くなる。

もうひとつ、ミラー法は、相手と同じ行動をとる事を言う。先方がお茶を飲めば自分も飲み、背筋を伸ばせば、自分も背筋を伸ばす。それが先方を安心させるのである。

多くの販売店様が集まる集合販売積極セミナーなどで、「皆さん、オウム話法とミラー法を用いれば、必ず効果がありますよ」と私が言う。セミナー会場には、「本当に効果あるの?」と懐疑的な表情をされる方が少なからずいる。私は、その言葉を心で聞いて、見まわして静止3秒。
「本当です。やる事です。そしてそれを『やりきること』が重要です」と。
お客様からは「そんなこと、長続きできないわ」と返ってくる。私は、大きく頷きながら「どうやりきるかを、具体的にご説明しましょう」と続ける。直接、会話をしなくても、相手の顔をみて想定問答で進めると、これが結構、絶妙な「間」が取れる話し方になる。

相手の心の言葉を聞き、そこで止めるようにして話し始めることで、聞きやすい「間」が取れるのである。まず耳(聴覚)で捉え、次に文字や商品を目(視覚)で確認していただく間にもつながる。丁度自分の右肩と左肩から、それぞれの二人の会話で物語を演じる落語と同じである。今からでも遅くはない。落語を学ぶことをおすすめしたい。

美しい立ち姿と正しいお辞儀

接客の基本と、会話の基本を覚えたら、最後の仕上げ、美しい立ち姿と正しいお辞儀で締めくくりたいものだ。まず、正しいお辞儀をしてみよう。



背筋を伸ばし、かかとを付けて、自然に両手をゆったりと落すのが最も美しい立ち姿だ。男性なら指先を揃えてズボンの両サイドの縫い目に、中指を置く感じで立つといい。
そして、そのまま先方の目を見て、両手を自然に前にずらしながら腰から曲げる。会釈の場合は腰から15度、お辞儀は30度、丁寧なお辞儀は45度が基本だ。相手がワンテンポ遅れて、頭を下げていることを想定してお互いが頭を上げるタイミングで腰を戻す。ふたたび先方の目を見てお辞儀は終わる。途中で他の動作はしないことだ。

それでは、ここで皆様とともに、美しい立ち姿で正しいお辞儀をしたいと思う。率先して若い人たちの手本になれれば有難い。

起立、一同、礼。

田辺 志保

2014年4月9日水曜日

にっこり静止3秒。今日も元気!

ストレスのない人はいない

“ストレスは人生の伴侶”、ストレスのない人生はないと言われる一方、過剰なストレスは深刻である。家庭や職場内では勿論のこと、春、進学や就職などの環境変化に伴い、想像以上のストレスを抱えてしまうことがある。

実は2月末、頭まで筋肉の息子が突然、「円形脱毛症」になった。柔道の大事な試合でのプレッシャー・ストレスはコントロールするくせに、無理やり私立中学を受験させたことが相当なストレスだったらしい。結果は、案の定 玉砕! 憧れの先輩のいる公立中学に進むことを決めると、産毛が生えてきた。
私は40代の支社長時代に「ストレス性の逆流性食道炎」と診断され、「数字に追われる仕事を止めれば治ります」と言われて往生したことがある。
そして新入社員にありがちなのが、環境変化に戸惑い、対応できないのか、何となく違和感・疎外感を感じる、どうも仕事に向いていないなどと容易に口にする。

ストレスには、円滑でない人間関係や、思うようにならないといった「悩むストレス」と、仕事での大事なプレゼンテーションや、スポーツの試合の直前など、それを克服してエネルギーに変えて「事に臨むためのストレス」があると思う。よく言われるが、体に不利益な「不快ストレス」と体に有益な「快ストレス」とに分けることもできるようだ。
息子の円形脱毛症は紛れもなく、不快ストレスによるもの。何とも分かりやすい。
新社会人には、あれこれ口にする前に、自ら感じるストレスに真正面から向き合って、その原因を究明し、どう乗り越えればよいのか、大いに悩んでほしい。



メンタルタフネスを向上させよう

以前にも書いたが、ストレスとは自分の思いどおりにならない場合などに発生しやすく、ストレス反応と呼ばれる、普段、保たれている恒常性の生体バランスが崩れた状態に陥ることとなる。体の変調なので、副腎皮質からのホルモンの分泌バランスに異常な現象が起きるという。
生体バランスを乱す要因は、物理的・科学的・生物学・心理学・社会学的刺激など、自然界や日常生活全てにあるのでそのコントロールは難しいが、ストレスを自己内で軽減化する努力は必要である。
それには心理的・身体的・行動的・環境的手法など色々あり、書物でも紹介されているが、要は自分のメンタルタフネス(心の強さ)を向上させることである。

最近、若い女性に薄毛や抜け毛に悩んでいる方が多くなっている。人はどんな形のストレスであろうと、ストレスがかかるとそれに打ち勝つために、体内で男性ホルモンの分泌量が増えるとされ、女性ホルモンとのバランスが崩れて毛髪サイクルが不規則になり、「ケラチン」という髪の生成物質の不活性化につながるといわれている。男性ホルモンが髪に影響を及ぼすというわけだ。

男性ホルモンはマイナス面ばかりではなく、別名「ケセラセラホルモン」とも言われ、「なるようになる」的におおらかな気持ちを向上させる作用もある。
体の奥底から、自分自身に「悩むな、打ち勝て、元気な気持ちを持てよ~」とエールを送っているのである。
急激なストレスで、円形脱毛症になったり、髪の毛が一晩で白髪になったり……、嬉しくない現象が起きた時は、「ケ セラ セラ」「なるようになるさ」と乗り切ってほしい。



ストレス疲れは弱った気持ちを癒すことから

とはいえ、ストレスの軽減化と心の強さの向上は、そう簡単なことではない。まずはストレスで疲れて、弱った気持ちを癒すことから始めることである。

癒しの手法で、着目されているのが「ゆらぎ」の研究である。
少々堅苦しい説明になるが、ご存じの方も多いと思う「1/f ゆらぎ」(エフ分の1ゆらぎ)である。物理学的には、広がりや強度を持つ、エネルギー・密度・電圧量の、空間、時間の平均値からの変動を指すらしい。
ピンクノイズとも呼ばれ、自然現象に多く見られる。人の心拍の間隔、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぎ、木漏れ日、海の波、蛍の光り方などに共通すると言われ、この自然現象と人の生理が生み出すゆらぎのリズムが、人に快適感やヒーリング効果をもたらすそうだ。



1/f ゆらぎからなるバロック音楽はヒーリング・ミュージックの最たるものだ。癒されると感じる歌手や俳優・ナレーターの声、見とれてしまう絵画の色の濃淡などにも1/f ゆらぎがあるとされている。
癒されたいと思った時には、このゆらぎを活用して気分を変えてリフレッシュすることをお勧めする。

特に「好きな音楽を聴く」ことは良い。心が疲れたなと感じたら、休日、「癒しの空間」を演出してみよう。熱いコーヒーでも飲みながら、好きな音楽を聴いて、海辺にいる姿を思い浮かべてみる。そして、自分の血液の流れと呼吸を感じてほしい。好きな人と同じ呼吸に合わせてみると更に素晴らしい。自然界と、好きな相手ともシンクロしたら、穏やかな気分になるはずである。きっと、元気が出てくるはずだ。

その時に「自分は強い、タフだ」と言い聞かせて、夜間ならそのまま眠りに着きたい。勿論、横になっているだけでも構わない。心身ともに疲れが取れるから。眠りに着いたら、翌朝、朝日を浴びること。この時に我々の体内時計はリセットされる。
1日24時間だが、我々の体内時計は微妙に違っているので、朝日を感じることで、自律神経の働きを正常にリセットするようになっているのだ。

私は今日も笑っている。可笑しくなくても「作り笑い」を浮かべて、笑い声も出す。
笑うことで、自分に強くなる細胞、癌とも闘う免疫細胞のナチュラルキラー細胞が活発になるらしい。悲しい顔はナチュラルキラー細胞を減少させてしまう。この差は計り知れない。笑い声を出せば言うことなしだ。



柄でもないと笑われそうだが、私は毎朝、起きるとすぐ、ノラ・ジョーンズの「Don’t Know Why」を聞きながら、洗面所の鏡の前でまず笑顔の練習。無理して口角を上げて、「にっこり、3秒間」静止する。これで、「今日も元気!」と信じている。
元気だから笑うんじゃない。笑うから元気で健康になれるのである。


田辺 志保

2014年3月20日木曜日

息子の柔道から「師弟愛」を考える。(後編)

師弟愛・友愛・夫婦愛・親子愛……、いろいろな「愛」を深めたい。

「青は藍より出でて藍より青し」は育成法の極意

息子の柔道から、ふと浮かんだ「青は藍より出でて藍より青し」を想起してみたい。

中国の思想家、荀子の勧学にあり、耳に、目にすることが多いと思う。青色の染料は、藍より取るが、原料の藍よりも青いの意から、教えを受けた人が教えた人より優れることをいう。弟子が師より優れていることのたとえである。「藍」から多くの工程を経て生まれた「青」が、努力を重ね成長し、「藍」より素晴らしい「青」になっていくこと、を表す。

これは部下への育成法の極意でもあるとも思っている。
「俺ができたのだから、お前もやれ」ではなく、「俺はできなかったから、お前にはやってほしい」という発想の方が、部下が伸びる。
これは、教える上司が成長しなければ出ない言葉である。上司は、地位にしがみつくのではなく「自分を超えろ~」と本気で思い、自分の経験を超えて、部下と接していくことである。



自己の成長を止めた上司は、過去に培った自分の考えを部下におしつける傾向がある。
よく見られる場面、上司が、かっこよく部下に「よし、やってみろ。あとは俺が責任をとるから」と言う。しかし問題はそこで丸投げをする御仁が多いことだ。
これは大きな間違いだと思う。「任せる」と「丸投げ」は全く違う。
「丸投げ」された部下は、成長できない。彼も今までの経験と、培った概念でしか判断できないからだ。都度、嫌われようと途中経過を尋ね、部下とは違う観点から指摘することが重要だ。上司か部下が異動すれば尚更で、お互いの持っているスキルや経験則を交換することで、成長へのきっかけになるからだ。
そうやって出来上がった仕事が、うまくいかなければ、当然上司は責任を負うわけだが、それは納得できる責任になる。

得たご縁、環境で「愛」を育む

会社における部下と上司の関係以外に、私たちは多くの関係を持っている。その結びつきは、常にお互いが成長できるつながりでありたい。
「夫は妻へ 妻は夫へ」「親は子へ 子は親へ」「上司は部下へ 部下は上司へ」「師は弟子へ 弟子は師へ」と、お互いが、何を交換し、何を学び、何を得るか、それぞれ違うが、絶対にはずせないのは相手への「愛情」である。「夫婦愛」「親子愛」「師弟愛」である。



全国の経営幹部に熱烈に支持されている、高名な竹内日祥上人から、以前こんな話を聞いた。
自我に目覚めはじめた子どもがある日、親に尋ねる。
「お母さん、私とお父さんとどちらが大切?」
お母さんは答える。
「何を言っているの。あなたに決まっているじゃない」
「お父さんは元気で留守がいいの」とまでは言わなくても、親子の絆は何より深いと考えがちだ。しかし、母親の答えに、子どもは潜在的に「夫婦の愛」を疑い、自立するのを遅らせてしまうというのだ。

別の一組、子どもが母親に同じ質問をすると、母親はこう答える。
「あなたも大事。でもね、お父さんと一緒になったからあなたがいるの。だからお父さんが一番大事」
その答えに子どもは、「夫婦の愛」を信じ、父と母をつなぎとめる役目「子は鎹(かすがい)」の心配をせず、自立することを早めるそうだ。

「親子の愛」より「夫婦の愛」の方が大切と考え、夫婦の愛を全うしてこそ、親子の愛を築くことになる、ということだ。

十数年前、この話を聞いた時に正直、「難しい」と思った。
唯一血を分けた親子である。果たして家内は私に対してそう思うだろうか、と疑う自分もいた。

娘が1歳の誕生日を迎えた日、意地の悪い私は、さりげなく家内に尋ねた。
「この可愛い娘と、おれを選択するような場面に出くわしたらどうする?」
家内は即座に答えた。
「あなたに決まっているじゃない、あなたがいたからこの子がいるの~」
正直、驚いた。



その後、家内が「あなたはどうなの?」と聞かなかったことにも驚いた。
気恥ずかしいが、その時私は「二人睦まじくいたい」「命がけで家内を大切にしよう」と思った。この日は忘れられない。

思うに、この日が、「出会いは人生の宝」とか「人のつながりが大切」などと言いはじめた瞬間かもしれない。私は、自分がそう思う前に、相手にそう思え、と求めていた。何と身勝手なことか……。

竹内日祥上人は、「『親子の愛』より『夫婦の愛』が重く大切ですが、それより重く大切なのが『師弟の愛』です」と仰っていた。

部下と上司は相手を選べない、子どもと親も相手を選べない、しかし奇跡的に生じたご縁である。大切なご縁を育んでいきたい。
そして、お互いが相手を選んだ関係は「夫と妻」「彼と彼女」「友と友」そして「師と弟子」である。運命的な出会いの中から選び・選ばれた同士なのだから、まさに「人生の宝」である。

私を選んでくれた家内と、私を選んでくださった友と、息子を選んでいただいた先生に感謝し、「師弟愛」「友愛」「夫婦愛」「親子愛」を深めよう、そう心に誓った。


田辺 志保

2014年2月25日火曜日

息子の柔道から「師弟愛」を考える。(前編)

息子のおかげですっかり柔道通!?

昨年、息子が柔道に取り組んでいることを紹介させていただいた。すると、柔道に励む息子と、指導くださる先生たちとのやり取りに胸が高鳴ったとか、「息子さん、どうなっている?」と尋ねられることがある。

息子は相変わらず「柔道一直線」。毎日、練習後には道場の隅で、突き上げ(脚を開いて体全体で行う腕立て伏せ)をもくもくとやり続けている。この春中学生になり、絞め技や、体重別など小学生とは異なる「柔道」に突入するので、尚更練習に熱が入るだろう。

私は、勉強せずに鍛練する息子を「脳みそまで筋肉になっている」と心配しつつ、文武両道を願うが欲ばりだろうか……。


柔道はボクシング、レスリング同様、体重別で競い合う。体重無差別には、日本古来の「相撲」がある。全日本柔道連盟主催「全日本体重別選手権大会」では、男子は60・66・73・81・90・100・100㎏超級の7階級に分かれ、女子は48㎏から78㎏超級までやはり7階級に分かれている。これは高校生以上から成人まで共通している。

「全国中学生柔道大会」では、上記以外に男子50・55㎏、女子40・44㎏が加わり、上限は90㎏超級、女子70㎏超級までとなる。勿論、どちらにも体重無差別の試合や団体戦などもあり、体重差を乗り越えて技が決まる柔道も魅力的である。

小学生での学年別体重別大会は、軽量と重量の2種類しかなく、6年生の場合、男子は50㎏と50㎏超級、女子は45㎏と45㎏超級に分かれている。昨秋、60㎏の息子は千葉県小学6年生個人戦では50㎏超級・重量級に出場し、準決勝で千葉チャンピオンになった85㎏の選手に敗退した。その選手が出場した全国大会には100㎏級の小学生も少なくない。小学生では「身軽な巨体」は断然有利である。
軽量級は「俊敏性」を要求されるが、重量級は体重以外に「パワー」を求められるようだ。本格的な「筋トレ」は身長が伸びる時期にはお勧めしないが、練習で汗をかき脂肪を筋肉に変えながらの「食いトレ」で体重を増やすことは欠かせない。

体重無差別の代表格「相撲」ではまさに瞬時のパワーが要求される。昨年、息子は東京青年会議所主催の「わんぱく相撲」にて千葉県場所で選抜され、両国で行われた「わんぱく相撲全国大会」に出場した。そこで、圧倒的なパワーをそなえた大分の「身軽な巨体」に弾き飛ばされた。


その時に友だちになった5年生男子が、千葉選抜として国技館で開催された「天皇杯第62回全日本相撲選手権大会」に出場したので、観戦・応援に出かけた。彼は3回戦で惜しくも敗れたが、同じ千葉県代表の選手が、小学6年生部門で全国優勝した。
その小学6年生はアスリート体型で、並み居る巨漢を破っての優勝だった。驚いた!

一概に言えないが、やはり「相撲界」も外国人力士に限らず、あんこ体型からアスリート体型へと移行しているように思える。「押しのパワー」の相撲と「引きのパワー」の柔道に違いはあるが、技量だけでなくパワーアップの筋肉量は絶対条件であろう。

エコの時代、燃費がよい車はありがたいが、柔道などでは燃費効率が悪い体づくりの方がよいようだ。筋肉量の比重が高くなると、同じ運動でも消費エネルギーが増えるので太りにくくなる。息子は現在、並みの大人の2人分は食べるが、体重は67㎏から増えていかない。消費エネルギーが多いからだ。

正月太りの私には羨ましい限りである。年齢を重ねるごとに基礎代謝量が減るので、私はこれから本格的にアスリート体型を目指すか、さもなければ食事の摂取エネルギーを抑えることしか手がない。

今、我が家は「体づくりの栄養学」

私は6年前に入院し、それをきっかけに体重を20㎏ほど落とした。その際、適正な摂取エネルギーを炭水化物(糖質)・たんぱく質・脂質に分類しながらエネルギー計算ができるまで勉強させられた。その成果を少しご披露しようと思う。

我が家の長女は、テニス部に所属しているので、子どもたちは大変な食欲である。
筋肉づくりに欠かせない良質なたんぱく質には鶏肉(むね肉)が適しているので、「鶏の唐揚げ」は子どものおやつ代わり。私は匂いだけで我慢である。
我が家では子どもが小さい時は、私中心の「減量のための栄養学」が主流だったが、今は子どもたちの「体づくりの栄養学」が中心だ。
今の私では30分自転車を漕いでも80kcalほどの消費しかできないので、それ以上の過激な運動を躊躇する私は、摂取エネルギーを制限するしかない。ちなみに80kcalは6枚切り食パン1/2枚ほどに相当する。

身長が伸び盛りの時期は、魚、牛乳などカルシウム摂取が大切だが、実はマグネシウムとの相互摂取で、カルシウムの骨への吸収率が増えるといわれている。
栄養学の本にあったのだが、牛乳を飲まない熟年の日本の女性たちに、骨密度が高く骨折しにくい人がいて、その原因を調べたら、カルシウムの体内吸収で最も有効な「カルシウムとマグネシウム」の含有量が黄金比率で含まれている食品を頻繁に食べていたという事を発見した。その食品は「ひじき」であった、という話。そう、「ひじきの煮物」は大変な優れものである。牛乳の嫌いな方、心配することなかれ、「ひじきの煮物」をひたすら食べることである。

ちなみに我が家では「ひじき」以外に、1ℓ紙パック牛乳6本が毎週消費されている。
結果、息子は柔道を始めてからの1年半で、身長が14㎝、体重が17㎏増えた。

柔道から話が逸れたようだが、これも柔道から始まった「子どもの体づくり」で学んだことである。

技術面、精神面、忍耐力を総合的に支える師弟愛

息子の柔道は、中学では、学年関係なく体重別階級に細分化されるので、個人戦では今までの対戦相手とは全く異なるのである。
先生たちとも話しているのは、息子が中学入学のころは「73㎏級」になると予想して、ここには「73㎏」の階級の中学3年生までが対戦相手になる。
併せ、今回改正される「柔道審判ルール」は、しっかり組んでの試合運びを要求されるようで、今まで以上に「組手」「技」「動き」「試合運び」に磨きをかけるしかない。


前回紹介した、廣田先生と増田先生は「息子の中学柔道」への対策に余念がない。
大外刈りへの連続技以外に、払い腰、内股に磨きをかけ、中学生になれば担ぎ技を教えたいと話してくれた。自分の不得意分野は他の先生にお願いするつもりだ、と仰っていた。
まず自分の培ってきた柔道を、打ち込みや乱取りで自らが相手になり体感で伝えていく。やがて中学生の息子の相手がしんどくなると、次は多くの試合経験で学んだ試合の流れや心構えを教えていきたいと話していた。

「中学生になれば、技の理論・研究は、多くの先生たちが指導するでしょう。しかし試合経験のコツは、勇斗が高校生になるまでは教えることが出来ると思うのです」
練習後、真剣な顔でそういわれた時、まさに「師弟愛」なのかと感激してしまった。

「先生と生徒」という無作為の関係と異なる「師と弟子」は、お互いを選ぶことができ、且つその関係は、全身全霊で伝え学ぶことにある、と言われる。
無我夢中で取り組む自分の愛弟子に、どう対峙していくかを考え抜く。そして師は「自分を超えさせる」ことを目的にする。弟子は「師を超える」ことなのだ。

昨年来、取りざたされている暴力は論外だが、一連の全日本柔道連盟の報道だけで反応し、実態を知ることなく、学校の柔道部や町の柔道場に通うことを止めさせたり、加入を躊躇する親御さんがいると聞く。
そういう方々には、「真の師弟愛」の関係で、僅かな月謝で指導くださる「町の柔道場」の先生や、学校の柔道部顧問の方がいることを知ってほしいと思う。


息子は、今日も突き上げを、歯を食いしばってやっている。

「青は藍より出でて藍より青し」のことわざが、自然と浮かんできた。
師弟愛を見守る親としては、いつか「師を超える」ことを願うだけである。
                                
田辺 志保

2014年2月4日火曜日

限りある時間を精一杯生きる。

2014年度は、消費税率アップに伴う経済環境の変化が予想され、我々にとっても正念場の年となる。今更多くは語らないが、お客様の笑顔を取り戻すため全社一丸となるのは必定。私自身、限りある会社員の時間を精一杯過ごしていきたい。

人生は長いようで短い。子ども、学生、会社員、そして退職後の人生(老後)。「無我夢中」で過ごしてきたが、これからも悔いなく生きたい。

限りある生命を精一杯生き抜いた山本多恵子さんを想う

昨年暮れ、机を整理していたら、懐かしい一冊の本が出てきた。15年ほど前になるが、私が静岡の責任者の時に出合った本で、今一度読み返して「限りある時間を精一杯生きる」ことの大切さを再度思い知らされた。

時を経たが「今でしょ」と思い、限りある命の中で、周囲に夢と希望を与え、多くのことを教えてくださった一人の女性を紹介したい。

静岡県沼津支店の伊豆・松崎で化粧品と文房具を扱う「有限会社サカンヤ」の奥様、山本多恵子さん。当時はカネボウ化粧品の取引先様で、ご主人と奥様、従業員さんには大変お世話になった。今は文房具と雑貨を取り扱う素敵なお店だ。

実は、多恵子さんは白血病と闘い続け、平成12116日、入院先で息を引き取った。享年44歳。何とも若く、心が痛む。多恵子さんが発病、入院したのは29歳で、長男・幸之助さん3歳、長女・有加理さん2歳だったという。

多恵子さんは、子どもたちが寂しくないようにと、文と絵で自らの思いを「おかあさんのゆめ」という絵本にしたためた。

全くの手作りゆえ店頭の絵本とは違うが、心あたたまる絵本になっている。多恵子さんは入退院を繰り返し、15年に及び病魔と闘った。その間、絵手紙をつくり続け、子どもたちと、友人・知人の多くの方々に絵手紙をたくさん送った。

多恵子さん亡き後、長女の有加理さんがお母さんの描いた絵手紙を、「おかあさんのゆめ」という一冊の本に纏め上げた。限りある生命の尊さと、母親の深い愛情、自然界の万物への愛情に溢れた、胸がキュンと締めつけられるような、涙腺が緩んでしまう遺作集だ。
当時、有加理さんは17歳だが「おかあさんのゆめ」のごあいさつに感動してしまう。


先日、このお話を紹介したいと「サカンヤ」山本さんに連絡すると、気持ちよく快諾くださり、加えてみなさんお元気そうで、嬉しかった。

こうした生き方をされた方を一人でも多くの方に知ってもらいたいと思い、明るく元気で過ごせることに感謝し「一日一日を大切に送る大切さ」を心にとどめていただけたらと思う。

限られた時間を人生の最高の思い出に変える

アメリカに、プリズン(刑務所)から派生した「プリゾニゼーション(Prisonization)」という言葉がある。もともと刑務所文化と社会生活を受け入れる処理を指すが、そのプロセスから、囚人の“刑務所ボケ”という概念も生まれた。俗に大企業病ともいわれている。これは私たちの心の在り方を問う言葉でもあると思う。

囚人は服役中、精神科医の診断を継続的に受ける。そこで一つの法則のような現象が出てくる。「無期懲役囚」は、以前が個性的で特異な犯罪者でも、数か月もすると没個性の無気力な人間へと変化し、反面「死刑囚」は益々個性的で活き活きした反応を示すというのだ。

無期懲役囚はただ、意味もなく変化もない毎日を送ることで、やがてその日の食事と看守の顔色にしか関心を持たなくなる。逆に死刑囚は、刑の執行日を知らず「今日一日が無事に過ぎても、明日は執行されるかも」と毎日思う。必然的に「今日」を大切にし、完全燃焼する覚悟で望むことで、自分の能力を100%以上発揮するようになってくるという。

獄中で、素晴らしい芸術作品や書物を執筆するのは「死刑囚」が圧倒的に多いのだ。

プリゾニゼーションとは、無期懲役囚のようになった人のことを指す。給料明細と上司の顔色にしか関心がないサラリーマン、学生ならば自身の周囲の狭い世界だけに関心を示す、そうした状態を「プリゾニゼーション化されている」と言う。

高度成長で「大企業病」は蔓延し、可もなく不可もなく過ごし、終身雇用の波に乗っていれば何とかなった。今は、終身雇用も変化はしたが、自分で決めない「右へならえ精神」「事なかれ主義」は未だ健在だ。仕組みで動く組織では、個人の意思や裁量が埋没すると勝手に決めつけるからだ。

そうならないために私たちは、仕事や行動に期限をつけ、自分の夢や目標にも期間を設け、それを成就させる日を設けて行動する。

大切なのは、自分自身のプリゾ二ゼーション化と絶えず戦い、後悔せぬように生きることだ。

生きているとは「生まれ出た瞬間」から「死ぬ」までの時間、つまり限りある時間とは限りある命のことである。その時間をどう過ごすか……。


一度しかない「命」の時間。「無我夢中」で全うしたいと思う。

田辺 志保