とかくこの世は「理不尽」なことが多い。ところが理不尽の判断は難しい。一般的に理に合わないこと、道理から外れた振る舞い、態度、やり方を指すが、それだって千差万別だ。
最近は犯罪や災害に理不尽を感じるが、一昔前は会社崩壊で理不尽な辛酸を散々味わった。個人的に出会った理不尽な経験は営業の若い頃が多く、その中でも今なら「カスハラ」と騒がれそうな取引先との出来事は今でも忘れない。
理不尽な思い出。
30代の営業時代に「M薬局」と年末の返品で大揉めした。社内でも有名なクレーマーで幾多の担当者が潰されてきた「いわく付き」の店である。
担当の私は年末催事の残りを仮伝票で返品、締め前の年明け計上で棚卸しも請求も問題ない。ところが12月末付の本伝票にしろと言ってきた。
私が年末休で機械上は無理だが問題ないと説明すると「機械でなく生身の君に頼んでる」と譲らない。そんな押し問答中、急に「出て行け」と怒り出し、帰りませんと返すと「住居家宅侵入罪だ」と警察に電話をかけ始めた。私は慌てて外に出て「明日また来ます」と一言。
その頃はタバコの安売りで専売公社(JT)と係争中、役所とは電信柱の撤去で大揉めで、何かとトラブル好きな血気盛んなオヤジであった。
そんな12月の集金は案の定 12/31の23:50に来いと言う。今回支払いなき場合は会社として「商取引に於ける信頼関係の失墜」で解約宣告すると決めて大晦日にスーツで出かけた。
自社ビル1階の店舗は既に閉まっており、裏手のインターホンを押すとオヤジの声で「今、屋上から小切手を落とすから下で拾え」と言う。まさに理不尽な嫌がらせでしかない。
私は返す刀で「先生、領収書はどうしますか」と聞くと「ふざけるな」と怒り出した。私の困惑を想定だろうが、そうは行くか。私は「ご指定の時間に伺ったのですから、通常に集金させて下さい」とお願いするが一向に埒が明かない。
遂に私は「深夜に来させ小切手を拾えとは、もはや信頼関はありません。支払いは結構ですから今後取引を考えます」と言い放つと、オヤジが渋々出てきた。彼も解約の条件を承知なのだ。で、集金となってしまい取引継続。だが揉め事はその後も絶えることはなかった。
営業時代は他にも、組事務所に軟禁されたり、得意先の夜逃げ騒動も経験。本社の流通責任者時代は横流し捜査、非取引店の争い、粉飾事件では地検特捜、挙句の果てにはM資金詐欺まで現れ「理不尽ファイル」は列挙にいとまがない。
実は「理不尽」は相手にも理不尽と映る場合もあるようで、道理の解釈は難しいものだ。それには「物事の道筋」という広義の判断より「人として正しく生きる」ことに道理を絞らないと本質は見えてこない気がする。
「道理百篇 義理一篇」を噛み締める。
M薬局の大晦日事件から15年、再び事件勃発。私は本社の流通責任者となり、管轄のブランドの取扱い不可判定に猛反発のオヤジが、支社に真っ向勝負の大喧嘩を仕掛けてきた。
このままでは不公正取引の泥試合になると察し、私は休日に新幹線でM薬局に出かけた。ブランド可否の論争などしたくない。それより彼とサシで腹割って話し込むつもりでいた。そう、今後のオヤジの生き方を知りたかったのだ。
実は、M薬局のお子さんは二人とも医学部で、上の子が最近2階で医院を開業していた。私は頃合いをみて「これからお子さんは地域の名士になるのに一体いつまでメーカーと喧嘩しながら商売するのですか。もう不毛の争いは止めましょう」と2人で深夜まで話し込んだ。
「医は仁術なり」子どもの話が効いたのか、最後に彼は「今の商売はやめる」と決断してくれた。そして別れ際に握手し再会まで約束した。
彼と鎧を外した会話はそれが最後だった。今は1、2階に2つの医院と隣りが調剤薬局となり、既にオヤジも亡くなった。晩年は人も訪れず知らぬ間に葬儀も終えていた。最後まで孤独なツッパリ人生かと思うと無性に悲しい気持ちになる。
先人が残した名言は素晴らしい。「無理が通れば道理が引っ込む」は権力の無理に道理が負ける事だが、道理以上に人の心を動かすのは、やはり「道理百遍 義理一遍」なのだ。
百遍の道理の理屈をこねるより、情義を尽くし心に訴える「義理一篇」の重さを、あの日、オヤジが私に教えてくれた。そんなオヤジに合掌。