2024年7月2日火曜日

時と旅とDNA。

今も全国の出張は多いが、インバウンド需要の宿泊費の高騰は凄まじく、社内規定を無視しても予約が取れない事態には困っている。

旅費以外にも交通機関の進化でも行程は見直す。最近は乗り換え不要の北陸新幹線に感謝。他には空港が遠い所は新幹線に変更。例えば広島は新幹線で3時間50分、飛行機は1時間半だが、市内にバス1時間と空港待ちと乗り継ぎの総時間は殆ど変わらずコストも安いのだ。

それに新幹線は乗り換えずに済む。長時間だが気が楽だしPCとスマホで広島到着。故に本州内で新幹線の駅がある出張は基本的に飛行機をやめた。


強い奴より敏感な奴が生き残る。



人は自力の速度以上で移動するほど疲労度が増すらしい。同時間の移動だと『自動車<電車<飛行機』と速いほど身体の負担は大きくなる。

大昔ヒトの移動は徒歩だった。つい160年前の江戸時代は庶民の間で「徒歩旅」が大流行。日本橋~京都の東海道500㌔を14泊15日で歩いていた。宿場まで1日平均40㌔で往復1か月の楽しい長旅だ。今は新幹線で2時間12分、徒歩の50倍速の負担はかなり大きい筈だが、我々はもはや高速に対し身体的支障を感じなくなっている。

ヒトは文明進化に変化対応する進化論なのか。ダーウィンは「強いものが生き残るのでなく、変化に敏感なものが生き残る」と言ったが、同種の劣性遺伝子は淘汰される。つまり足の遅い兎は捕食され逃げ足の速い俊敏な遺伝子が繁栄するのだ。

ではヒトの淘汰はどうか。お互い不足する遺伝子を補完し優秀な子孫を残そうとする恋愛・出産では、俗にいう「美女と野獣(秀才)」の組合せは自然の理に適っていた。

結果、最近の若者は「足長の美男美女」ばかり。次は頭脳まで優秀な人々が出現し、彼らが更に厳選した出産を続けると100年先に「大谷翔平と真美子夫妻」並みの容姿端麗・頭脳明晰の集団が街を闊歩する姿を見られるかもしれない。

それはそれで気味が悪いが、これも淘汰か。しかし、私はエリート集団より個性溢れる「十人十色 それぞれが美しい」の方が好きだ。「たで食う虫も好き好き」だから優劣でなく個性だと学べるし、多様性を認める社会が面白いのだ。


何にせよ技術革新は現在も進行中。リニアなど旅と時間はより便利に効率化される一方で、非効率で不便でも「旅情」が重要になる。散歩する山間の花を愛でたり、海辺でボーとお茶を飲むなど、観光より癒しの過ごし方に魅せられるのだ。

健脚なら徒歩旅に惹かれるが、私は家内とのんびり船旅が最高だ。効果効率で換算する出張でなく「時を忘れた旅」に原点回帰したいのだ。

ところがそんな旅が、一番金と時間が掛かり贅沢なことだ。ヤバ、こりゃ困ったもんだ。