多くの企業は新入社員を迎え、新鮮な風が吹いているが、一部の新人は想像した会社と違い「こんな筈じゃあない」と思う頃でもある。
今、退職代行が過去最多とは情けないが焦燥な「五月病」の方に一言。そもそも完璧な会社などあるわけがない。それより今の会社が成果と知見を蓄えられる環境かを判断すべきだ。
キャリアアップの転職なら、職歴書に披露できる知見がないと勤めた意味がない。ただ嫌だから辞めますでは、同じことを繰り返すだけだ。
さて息子は新人研修を終え、運営する480店舗から大型の「金沢店」に2名配属され、快適な社宅と親切な先輩に囲まれ元気に奮闘中だ。
実は私も26歳から5年間を福井で勤務し、最も営業力が培われた地。北陸は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨と雪は多いが、何より人が暖かくて最高の思い出ばかりだ。
昭和の価値観を今に問うTV「不適切にもほどある」じゃないが、昔は馬車馬のように働き、どこにも頼れる熱血上司や教師がいたもんだ。今なら過重労働とパワハラで大炎上である。
1978年(昭和53)入社の私は社歌「鐘紡われら」斉唱の入社式や業界一位を目指す環境からか、愛社精神と火の玉社員ばかりで、それこそ働き詰めだったが不思議と楽しかった。
しかし鐘紡は崩壊してしまう。2004年の鐘紡解散の前夜に幹部が集い、涙ながらに最後の「鐘紡われら」を斉唱し、伝統の社章(3Sバッジ)を襟から外した無念さは忘れない。
自分の無限なる可能性を追求せよ。
さて前回、新卒はさとり世代と書いたが、それを物語る息子の話。事前提出の赴任先に挑戦・全国どこでも希望は僅かで、大半が安定の地域指定の希望だったらしい。欲も夢もない「さとり世代」が透けて見える。彼らは21世紀生まれ初の大卒で昭和男は理解に苦しむ。
一方、息子は全国どこでものお陰で、金沢を思い切り楽しめる。今後は、知らない街での出会いと経験が積めるラッキーな環境なのだ。
ところで彼は、盛岡研修や金沢移動の立て替えと給料日まで収入もなく、金沢に旅立つ前日に「当面のお金を貸して下さい」と頼んできた。
そうか、既に息子の仕送りは終了したのだ。健康保険と扶養家族と住民票から外れ、彼は完全な独立独歩となる。今後は「便りが無いのは元気な証拠」と見守るだけは寂しくなるが、いや、待て、息子より私の子離れの時がきたのだ。
さて彼の借金だが、家内は年内返済の借用書を書かせ、相応の額を振り込んだ。家内には甘いと言われそうだが、実は私からの「最後の仕送り」にしようと思っている。💦
さぁピカピカの1年生よ。無我夢中で自己成長する奴がキラキラに変わるのだ。それには先ず肩の力を抜いて仕事を楽しむこと。つくり笑顔でもNK細胞の活性化で気持ちが前向きになり、義務的で嫌々に見えるような態度は激減する。
この先、人間関係で悩んだり成果が出ない時もある。そんな時は自分にパワー充電するチャンスと心得て、この言葉を肝に銘じよう。
『何も咲かない 寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く』
最後に一言。世の中、未だ昔の価値観のオジサンが幅を利かせているのも事実。さとり世代には面倒だろうが、そのことを忘れてはいけない。