毎年師走になると、あゝ1年も終わってしまうと嘆くが、特に今年は夏が居座り「爽やかな秋」が飛んでしまい妙に損した気分になる。
季節の移ろいは無くても、この1年が無事に過ごせたなら周りに感謝し、そうでなければ、当然の事と自戒して来年に備えるしかない。
「感謝」の反意語は「当然」。普通では有り得難き事に「有難う」と感謝すると、相手は当然の事をしたまでの「どういたしまして」と返す。
この感謝と当然の応酬は「謙虚を育む」美麗な文化だ。これが逆転すると最悪で、やってもらって当然、やってやっから感謝しろ!では、美麗どころか醜悪な人間関係になる。
因みに私は大過なく過ごせた事に感謝である。唯一の心配事は息子の就職だが、結果が感謝か当然なのかは真摯に受け止めるしかない。
富裕層とは何だろう?
仕事では業績好調で、話題のSINN PULETEは新宿伊勢丹の日本一の香りの祭典「サロンドパルファン」の初出店が成功した事で、ブランドの存在感を内外に示す事もできた。
ウチの売上も群を抜く新宿伊勢丹だが、全館で新旧の富裕層を囲い込み業績は絶好調。年間300万以上の顧客拡大で外商部も忙殺らしく、やはり成功のカギは富裕層と言えそうだ。
巷は本物志向の流れだが、価値感の多様化で何が受けるか難しい。更に自分に価値あるモノに金を惜しまない「部分的金持ち」も多い。ブランド品に囲まれカップラーメンを啜る、高級外車を乗り回す六畳一間の住人、推し活に稼ぎを捧げる人など数え上げたらキリがない。
そもそも「富裕層」とは負債を除く「純金融資産」が1億円以上の方々で、今や149万世帯で364兆円というから驚きだ。一方で資産3千万未満のいわゆるマス層は4,230万世帯もいて、貧富の比率と格差は想像以上に広がっている。
私には別世界の富裕層だが人生の幸福度はどうだろう。我々は贅沢はたまにするから嬉しくて、ローンの家も車も一生モノだから宝物になる。
昔から、贅沢と幸福は別物と言われ、精神が満たされないと「幸せの満足」は得られない。私は年一の家族旅行や友との居酒屋、家内と買い物で大満足だが、それには人生の伴侶も同じ価値観で「分相応の幸せ」を共感し合える事が大前提だ。
この世のどんな金持ちも「時間」だけは買えない。1日24時間と生きる時間は平等なのだ。
これを「貧乏人のやっかみ」だと言われようが、やっぱり私は、家族揃って越年し初詣にいく「幸せ時間」が待ち遠しくて堪らない。💦