昔から 「学生の本文は勉強」と言われ、私も子どもによく言った。大概この勉強とは、受験生が一喜一憂するテストや偏差値の学力値を指す。
しかし本来「勉強」とは、努力して困難に立ち向かうという意味で「未来の自分」に身につけたい事を学びながら、果敢に成長する事である。
高校生ゲーマーがプログラマー目指し、自主的に学び始めたら「そんな事より受験勉強」と親が言う。専門校や工学部受験はプログラマーへの手段であるが、学びたい芽を摘まないようにしたい。
最も案ずるのは、安易に偏差値で選んだ学部で、単位以外の学びもせずに、将来像もフワッとしたまま就職。これは社会に出てから苦労する。
先ず、社会人の常識や人間関係を学ぶのは必須。そこからスキルや専門分野を習得する。入社2年目の娘も、幅広く学ぶのに苦労している。
途中で嫌になったら転職サイト。転職がキャリアアップに繋がるなら結構だが、嫌だから辞めようは、この先も進歩なき転職を繰り返すだけだ。
人生が夢を作るんじゃない。夢が人生を作るんだ。
さて我が息子。大学柔道で上達しているが、今の戦績ではトップレベルには遠く及ばない。関東でも上位に抜きん出る壁は厚いのが現実だ。
先日家内に「貴方が柔道に固執してる」と言われドキッとした。息子が選考会で負けたと聞くと、勝てた相手になぜ?と本人以上に悔しがる私がいる。「親がヤキモキしたら何か変わるの」とも問われ、己の心情を冷静に考えてみた。
私は大学時代、広告宣伝の世界を諦めメーカーを選んだ。心のどこかに夢を諦めた「悔恨」を息子の夢に重ね、初志貫徹を息子に託していた気がする。
息子の応援はいつしか「我が夢」になっていた。しかし、今の実力ではこの先柔道でメシが食えない事を、一番分かっているのは本人で、今後の夢を本気で模索し始めたようだ。
今こそ、私の身勝手さや息子への負荷を解き放ち「子離れ」する時である。そう、柔道にどう向き合うかは息子であり私ではないのだ。
大谷翔平も記した「人生が夢を作るのでなく、夢が人生を作る」は深い。夢で作れた人生だから、夢を修正した事を悔恨するより、その先の生き方に悔恨を残さない事が大切なのだ。
柔道の強い子弟関係、敗北を越えた経験、新設ゆえの道程もこの先必ず役に立つ。そんな彼が掴んだ夢の変化も「信じて見守ろう」と思うに至った。
偉そうに人に学べと言う前に「お前が学べ」は、私に向けた言葉であった。